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Marijuana




「ゼンたちが嫌じゃなきゃ、オレたちの家に来ないか?」
 予期せぬ申し出に、ゼンとリリィの顔には驚きの色が浮かんだ。急いで兄を仰ぎ見る妹の瞳には、喜びと不安が綯い交ぜになっている。ゼンはと言えば余裕のない表情で、きつくトキを睨み付ける格好でいた。
 無言の思考が繰り広げられる中、トキの問い掛けに答えたのは彼らの反応とは正反対の、ナズナの嬉しそうな声だった。
「トキにしては珍しく良い考えねっ」
「珍しいは余計だっての!」
「ごめんごめん。でも本当に良い考えよ」
 唇を尖らせたトキをなだめる様にして、ナズナは微笑んだ。手のひらを合わせて、今にもステップを踏みそうな程喜んでいる。子ども特有の切り替えの速さ。
「そうね、うん。今から一緒に行きましょうか?」
「家って言っても、落ちてた木切れとかトタンで作ったものだけど……住めば都って言うしさ!」
「でも四人じゃちょっと狭いかも」
「そんなの、あの家を手に入れたらおさらばだって!」
 頷いてなどいないのに、既に兄妹も共に生活すると決まった様に会話は弾む。それはゼンがうろたえる程強引で、心地良さを感じる程無邪気だった。
「…っ」
 不意に現われた心の小波をなだめる様にゼンは服の上から自分の胸辺りを掻く。彼らのペースに飲み込まれてはいけない。そう思い、勘違いされる程―――むしろそれを狙って、目の前を強く見据えた。
 これは彼らのためでもあり、自分のためでもある。これは悪夢からの誘いだ。耳を貸しては地獄に引き摺り込まれる。
 そう考えた瞬間姦しく聞こえ出した賑やかな声に、ゼンは耳を塞いだ。
 目の前を色鮮やかに彩る夕日の光も、楽しげに何かを話す二人の姿も、何もゼンの心を揺るがすことがなくなった。何処か痛みを残したまま心に平静が戻りつつあるのを身体の奥深くで感じる。彼らとの短い距離を隔てるために、まるで薄くとも頑丈な膜を全身に張った様な感覚だ。大勢の行き交う街通りでも、ゼンはそうして駆け抜けてきた。
 しかし雑音を拒絶したゼンの鼓膜に、穏やかな鈴の音が控え目な震えを伝わらせた。
「あの家…?」
 その正体は考えずしても瞬時に理解される。視線を落とした先には、好奇心と希望を抱いた、リリィの姿があった。
 幼く可憐な妹の姿を見た途端、ゼンの世界には音が戻ってきた。鳥が遠くで鳴く声。大気のうねりが耳を裂く音。聞こえてくるはずだと待ち構えていた声たちは、しかし今は黙り込んでしまっていた。
「……」
 トキとナズナは顔を見合わせたまま口を開かない。そしてゆっくりとこちらを振り向いた顔には、満面の笑顔が張り付いていた。
「リリィちゃんは、興味あるか?」
 トキの問いに首を縦に振りそうになったリリィを、ゼンは慌てて隠した。リリィに背中を掴まれトキには不満げに唇を尖らせられたが、構わず首を振った。
「迷惑はかけたくない」
 けれど、紡がれた声は意外にも震えていた。掠れそうなほど小さく、何かを堪えている様だ。今度はナズナが首を振る。
「迷惑だなんて。私たちは大歓迎よ。だって、私たちも貴方たちときっと同じだから。だから、分かりあえると思うの…協力出来ると思うの!」
「俺たちの状況は、お前たちとは比べ物にならない。今までのんびり暮らしてきたのに、常に警戒しながら生きて行かなきゃならなくなるんだ」
「でも、守りたいものがあるならやっぱり一人でより二人、二人より三人でしょ?」
「他人との関わりは少ない方が良い」
「………」
 冷たく突き放す様な、けれど何処か優しさを含んだ声音にナズナは口を閉じる。そこにすかさず、トキが割り込んできた。
「迷惑はかけたくないって、言ったよな?」
「ああ」
「それはお前の主張だよな?」
「…ああ」
「だったら、オレたちは迷惑かけられても良いから、やっぱり一緒に来れば良いんだよ」
「――なっ…!?」
 出来れば迷惑をかけたくない。しかし迷惑をかけられるであろう方はそれを甘んじて受け入れる態勢にあれば何事も大丈夫だとトキは言うのだ。
「そんな、…へりくつだっ…」
 下唇を噛んで首を振るゼンを見つめて、トキは快活な笑みを浮かべた。それはまるで、本当に何事も包み込んでくれるはずだと確信させる程の純粋さと誠実さを持ち合わせていた。
「へりくつでも何でも良いさ。とにかく、オレたちが大丈夫って言ってるんだから良いんだよ」
「………」
 押しの強いのは今に始まったことではない。出会ってからの短い時間の中で嫌程理解させられた。そして、それに乗せられることは嫌いではないことも自覚した。
 ただ、助けの手を望んでいる自分の意思を、ゼンは必死で胸の奥に押し隠したのだが。
 俯いたまま一言も発しないゼンに痺れを切らしたトキは、高らかに声を上げる。
「じゃあさじゃあさ、新しい家を見てから決めてくれよ。まだ先延ばしでも良いだろ?」
 手を叩いて仕切り直した彼の表情には既に、彼の流れに組み込まれてしまったことがありありと表われていた。合わせてナズナも、押し黙って以来久しく口を開く。
「そうね。今からあの家に行こうかしら。四人もいれば大人なんて怖くないもの」
 二人顔を見合わせて、最後にはにいと歯を向きだしにしたまるで悪戯っ子の様な笑みを浮かべた。
「ゼン、リリィちゃん。ちょーっと、手伝ってくれるか?」

   ***

 開かない。
 それはまるで、厳重に鍵でもかけられた牢獄の重たく分厚い鋼鉄の扉の様だった。
 開けたいと思いながら手を触れても、その扉はびくとも動かなかった。もしかしたら、開けたくないと言う心の暗示だったかも知れないが。
 とにかく開かない。
 全く、開かなかったのだ。
 それは、開けてはいけない小箱の様に。
 知りたかった真実は、まるで全身を侵す猛毒の様に甘美で残酷なもの。

   ***

 片方の空は茜色に、片方の空は藍色に染まり欠けた月が昇り始める頃。
 何かが割れる音に紛れて二つのけたたましい足音と悲鳴が宵闇に消えて行った。
「あはははっ!ざまあみろ、馬鹿野郎!」
 そして続くのは、トキの豪快な笑い声だ。
 彼らが差した『家』とは、他人の住家だった。但しそれも決して善人が使っていた訳ではなく、今逃げて行った人間は元いた家主を追い出して住み着いたのだとナズナは話す。
 綺麗な家だった。街中の喧騒から外れた、それでいて庭の付いた一戸建てだ。子どもである自分たちが少し脅かしただけでこんな家が手に入るとは間抜けだと思ったが、まるで夢みたいに素晴らしい話だった。促されるまま中に入れば少し使い古された絨毯が目に入る。奥へ進めば広いダイニングとキッチンが繋がっていた。そして二階には、埃の積もった寝室が三つに、空き部屋が二つもあった。
「見た目通り、大きな家ねぇ…」
 ナズナが感嘆の息を漏らし、それにゼンも無言で頷いた。後ろに続くリリィも、小さく笑みを浮かべている。
 その様子に、作戦を立てたトキが得意げに胸を張った。
「今日からこの家に住むんだぞ?オレが家長!それから、ナズナが皆のお母さん。ゼンがきかん坊の長男で、リリィちゃんは大人しくてしっかり者の妹なんだ」
「私たちはままごとをするためにいるんじゃないのよ?」
 そうやって茶茶を入れるナズナも、言葉とは裏腹に何処か楽しそうにしていた。
 二階を一回り見てからは、再びキッチンに戻り丁度夕食時だったのかテーブルに置かれていた料理を四人で平らげた。前人はあまり金持ちではなかったらしい。だがいくら質素でも、ゼンやリリィが久々にありついた食事だった。無言で次々に食べ物を口に運ぶ様子を見てトキやナズナが口を噤んだことに、二人は気が付くことはなかった。
 静かな食卓が終えられ更に静まり返った時、不意にナズナが口を開いた。視線は窓の向こうの闇夜に向けられている。
「あの人たちがまたやってきたら…どうする?」
 その言葉に、トキは肩を竦めた。
「その時はその時さ」
「武器を持って来たら太刀打ち出来ないわよ」
「その時は、オレたち四人で力をあわせれば楽勝だよ。なあ、ゼン?」
 突然振り向かれ、ゼンは「え…」と戸惑った声を上げた。
「俺は…」
 口ごもりながらも呟くゼンを、リリィが不安げに見上げる。その視線から逃れる様にテーブルの上で揺らめく蝋燭の火を眺めながら、ゼンはゆっくりと言葉を紡いだ。
「俺たちは、此処に一緒に住――」
 しかし全てを言い切る直前に、リリィがその袖を激しく引いた。驚いてゼンが視線を合わせれば、彼女の漆黒の瞳が強い意思を称えてこちらを見ていた。
 風に揺られた窓が、かたかたと音を立てる。




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