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Marijuana




 ナズナのカウントはいつの間にか十に戻っていた。少しうわずったその声を聞きながら、建物の影に消えて行ったリリィを見送ったゼンは自らも隠れるために手軽な場所を探し始める。勿論、乗り気ではなかった。だがリリィが言うのなら、リリィの気が少しでも紛れるのならばと、そう思った。ナズナの声が五を数える。反対側の道端に植え込みを見つけ、荒廃した地区にそぐわないほど生い茂ったその後ろに潜り込んだ。
 ナズナの声が消え、狭く暗い場所に仄かな安心感を覚える。実際に身の危険はないとは言え、追われると言う行為には緊張を感じるものだ。無意識の内に汗ばんでいた手を服に擦りつけて、ゼンは短く息を吐いた。それでいて心が踊るのは、これが遊びだときちんと自覚出来ているからなのだろう。最後まで見付からなかったら鼻で笑ってやろう。泣いて向こうが降参しても出て行ってやらないでおこうか。遠い昔に置いて来たはずの若い感情が目まぐるしく脳内を駆ける。
 緑に覆われ影になったこの場所ならば、きっと見付かりにくいだろう。自身の、兄妹故にリリィと良く似た黒髪は影に紛れやすい。だがそれは親譲りでもあると、次には嘆息が漏れた。
「自分一人だったら、ちょっとは表情変わるんだな」
 ふと聞こえた声に、ゼンは顔を上げる。横で茶が揺れた。緑の色彩の中に、トキも縮こまっていたのだ。全く悪びれない笑顔を向けられ、予想もしていなかったことにゼンの口から小さな驚きの声があがる。
「お前!なんでここにっ…」
「あんまり大声だすなってば」
「だったら同じ場所に隠れるなよ」
「へぇ…」
「…なんだよ」
「そんなに見付かりたくない?嫌がってたわりには、意外と熱中するタイプなんだな」
「お前と一緒にいるのが嫌なだけだ」
「ひっでー」
 からかう様な物言いに、始めは囁く程度だった声は、次第に大きくなっていく。
「てかさぁ、さっきからお前お前って…オレの名前、トキって言ったじゃん。名前で呼んでよ」
「………」
「…まぁ、嫌なら良いけどさぁ」
「出来れば俺の名前も呼ぶな」
「それはオレの自由だから」
「……、ふん」
 草むらの向こうに人影はない。きっとナズナは正反対へ行ってしまったのだろう。トキを警戒しながらも、ゼンはゆったりとその場に腰を下ろした。服が汚れることは気にしない。元より汚れているし、羽織った布が出来る限りの汚れを遮断してくれるからだ。
 道路を眺めるふりをして横を覗き見ると、トキは何処か落ち着かない様子でこちらを見ていた。聞きたいことがあってうずうずしている、好奇に溢れた顔だ。そんな顔を、この道すがら嫌と言うほど見て来たゼンは嫌っていた。他人に興味を持ちながら、助けてやるまでには至らない好奇心。助けて欲しいとは思わないまでにも、最後には手放すならば構って欲しくない。その時は必ず、そこに僅かな期待を抱いた自分を絞め殺したくなる衝動に駆られるのだ。
 この人懐こいトキのおかげかその衝動が少しは緩和されてはいるが、それでもあまり良い気はしない。むしろ、信用してしまいそうな自分に戸惑いすら覚えている。
「……なぁ。何か訳有りか?どうしてゼンは此処に来たんだ?」
 やがて紡がれた予想通りの言葉に落胆を隠せずゼンは大きなため息を吐いた。
「………、お前の趣味は他人の詮索か?」
「っ、そう言う訳じゃないけど、…ごめん。嫌な気分になるなら、言わなくて良い。忘れてくれ」
「……」
 そうだ。彼は、意外なことに引き際がしっかりとしている。だからこそ得られる安心感なのだろう。
 そんなトキの性格を踏まえた上で、ゼンは真実を口にした。
「逃げて来たんだ。リリィが、両親に売られそうになったから……。此処に来たのは、追っ手から逃げる中の成り行きだ」
 そうすれば、尻尾を巻いて逃げると思った。
 案の定、トキは驚いたまま口をきけないでいる。
 その表情を見た途端つきりと痛んだ胸は無視をした。彼が恐れ、諦めることだけを願って次の言葉を待つ。
「じゃあ、あの子……オレと一緒だな」
「…、えっ?」
 しかし、紡がれたのは、ゼンが望んだ響きが全くない、むしろ全てを受け入れた言葉だった。先程までとは打って変わって視線を合わさないトキは静かに続ける。
「まあ、オレの場合は、…借金の方に内臓を全部売られそうになったんだけどさ。オレも、逃げてやったんだ。それで今、此処にナズナといる」
 オレは追われてもないしね。
 そう続ける。
 トキが俯いているせいで目が見れないためにその話が本当かを見極めるのは難しい。しかし、嘘を吐いていないと確信した。何より、彼が嘘を吐く必要は全くないのだ。仲間意識を持たせたことで、ゼンがどうにかなるとは『あちらの人間』も思っていないはずだ。それにトキの衣服をよく見れば確かに、みすぼらしい格好をしている。
「…両親は、どうなってるんだ…?」
「知らない………生きてるかも、死んでるかも。自分の子どもを売ろうとしたんだ。あんなの親じゃないよ」
「……そうか」
 トキの声は固く、明らかに両親との決別を表した話し方だった。
 こちら側から圧倒してやろうと考えていたゼンは、逆に沈黙してしまった。それと同時に微かな憤りすら感じる。これほどまで簡単に、人が売り買いされて良いのだろうか。蔑まれ貶められる世界があって良いのだろうか。堕落した世界の体系を作った大人たちに、激しい憤怒を抱いた。
「…トキ」
「ん?」
「………、お前も――」
 その後の言葉は飲み込んだ。茂みの向こうに、大きな二つの青い瞳が見えたからだ。草を掻き分ける賑やかに音が耳に届く。そして、誇らしげな声が高らかに上がった。
「トキにゼン、みぃつけた!」
 次の瞬間には、掻き分けられた草の間に、金が舞い降りた。
 そして隣りではトキが苦々しい声を上げる。
「やっべ…!何でこんなにすぐにバレたんだ?」
「馬鹿ねぇ。喋ってたら見つかるに決まってるじゃない。それに私、人を見つけるのは得意なのよ?」
「どっちだ!どっちを先に見つけたんだ、ナズナっ」
「んーとねぇ…トキかな!」
「かな、じゃないだろ!これは大問題なんだからっ」
 ゼンが本当は何を言おうとしていたのか。
 まだ覚えてはいたが、そのままこの喧騒の中に紛れても良いと思えた。その言葉はあまりにゼンには合わなくて、その言葉をかけるには彼らは眩し過ぎたのだ。むしろ、彼女が続きを遮るためのきっかけになってくれたことに感謝したいくらいだった。
「あ〜もう!ゼンのせいだからなっ」
「トキが喋りかけて来るからだろ」
 空を飛ぶ鳥の鳴き声がいやに大きく聞こえた。賑やかなはずのトキとナズナが、二人してあんぐりと口を開けたまま固まってしまったからだ。嫌味を言った自覚はあったが、そこまでショックを受けるものかとゼンは眉を顰めた。それこそ、彼らの性格上ありえない。そして目が合ったとたん、やはりその心配は杞憂だったと知る。トキの瞳が、歓喜に染まっていた。
「ゼン!」
「な、なんだよ…」
「名前!今、名前で呼んだよな、オレのこと!」
「…さっきから、……呼んでた」
 気付いていなかったのかと少し不貞腐れたが、敢えて指摘されてもなんとなくこそばゆい。
「ねぇ、ねぇ、私は?ゼン、私はっ?」
「そんな、…赤ん坊じゃないんだから…………」
 むしろ、彼女たちの方が純粋な子どもの様だ。何の楽しみも見付からない大人の様に困った顔をして大したことではないと思うゼンを、キラキラと輝いた瞳で見つめてくる。そんな瞳を羨望し、しかし自分にはなくて良かったと確認する。それは、自らにないから美しく映るのだから。
「…、…ナ」
「!え?今、呼んだ?」
 照れ臭そうにはにかんで本当に小さく呟いたゼンの声を、はしゃいでいた二人は聞き逃してしまった。もう一度、もう一回。そうねだる様にこちらを見て来る。
 だが、ゼンは再び口を開くことなく、むしろきつく唇を引き結んでそっぽを向いた。その様子に咎める、それでいて嬉しそうな声が続いた。彼らはもしかすると、ゼンが名前を呼んだのを聞いていたのかも知れない。だがゼンの言葉を聞きたくて、聞こえていないふりをしたのかも知れない。そう考えるだけで、ほんの少し、胸が温かくなるようだった。
 柄ではない。何をしてるんだ。馬鹿馬鹿しい。
 自覚はあった。だが、楽しくもあった。
 そこにいつもの彼女の姿があれば、もっと楽しい気分になれただろう。此処にいる誰よりも悲しい思いをしている彼女が笑えるのならば、他には何もいらない。




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