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Marijuana




「電源は何処だ…?」
「これじゃないですか?」
「これか?どうして」
「なんだか一番大きいからです」
「…………ふむ」
 しかし、不安要素は消えなかったもののゼンはファナが指示したスイッチを押した。壊してしまったならばその時はその時だ。知らん顔をし黙って店を出れば良い。今後この店が使えなくなるだけである。いくら唸り続けてもパソコンの電源が点くことはない。ならば何でもかんでも触ってしまえば良いと思ったのだ。
 だが幸いなことに、ファナの勘が当たっていたようだった。微振動を始め小さな唸り声をあげ出したパソコンは、淡い青色の光を画面上に写し出す。やがて全面が黒に変わり、その中にぽつんと、白い四角に囲まれた文字に『ナンバーキーを差し込んで下さい』という指示を受ける。それは周囲を見渡すだけで難なくプラグを見つけることが出来、最終的にアイ・エフのロゴが画面上に現われた時点で起動完了となった。明かりがデスクライトだけでは視力的に心許無かったが、そこは妥協することにした。
 ぎこちない手付きでマウスを握るゼンは、随分昔にトキらクリックとカーソルを動かす方法だけ聞いておいたことを感謝した。これだけ出来れば、文字など打たなくても閲覧したいものが見れるからだ。
「さて…」
 開始して十分も経たないが気疲れのせいで深く息を吐き出したゼンは、画面の隅々まで視線を巡らせた。トキの仕事っぷりのおかげか、膨大な量の仕事が並んでいる。簡単な仕事から重大な取り引きまで、或いはゼンですら知っている企業が関係する内容など盛り沢山だった。しかしそれは口に出すのも憚られる様な薄汚い内容のものも含まれている。良くもこんな環境に堪えられるものだと、つくづく思っていたトキの神経のずぶとさに更に感心した。
 薄汚い内容からファナの目を遠ざけるためにゼンは速くカーソルを回す。ページをクリックしては、簡単な仕事を探した。
「これ、どうですか?探し物みたいですけど」
「時間がかかる場合がある」
「じゃあ、荷物運び…」
「嫌な予感がする」
「………ですね」
「そっちのは、…難しいですよね」
「ああ」
 暫くすれば、部屋の中にはパソコンの起動音とクリックの音しかしなくなった。


「お疲れ様でした」
 散々走り回った挙句、汗だくの彼らを迎えてくれたのは受付嬢の事務的な笑顔だった。
 情報操作など高等なテクニックを持たないゼンたちは、とにかく金持ちの依頼主を探し、その中でも簡単な依頼である『荷物探し』を選択した。機密情報を入れた鞄が紛失したらしく、報酬はかなり弾んでいる。鞄ならば動物の様に居場所を変えないと言う点が決定打だった。誰かが持ち運ぶかも知れないという可能性を見逃していたことが唯一の失点だったが。どんな作用が働いたのか、それもすぐに見付かったのだ。二時間もかからずに探し終え、小太りのおばさんに感謝されつつゼンたちは依頼主の館を後にしたのだった。
 受付嬢の細い指が奏でる軽やかなタイピングの音が、静かな店内の壁に反響する。
「本日のお仕事の報酬、振り込みにしますか?」
「直接持って帰れるか?」
「ええ。では、手続きをして下さい。名前は要りませんので、依頼人に聞いたコードをこちらに入力していただけますか」
 差し出された紙に、ゼンはカウンターの端に立てられていたペンを取り記入する。渡せば、女は小さく会釈して奥へと姿を消した。
 報酬は、直接依頼主から手渡されるものではない。依頼主は依頼するのと同時にその報酬額をアイ・エフへと預け、依頼を遂行、達成した人間にはここから金を受け取る。だからこそのコードなのだ。
 紙に書かれていた金額は、弾んだと言ってもお世辞にも高額とは言えない。二人で使えばいくら削っても二日保てば良い方だ。だが、それだけで良かった。なくなればまた働けば良い。
 それに、この仕事の本質である情報のやり取りの方が収入が大きいが、手間がかかる上にリスクも高い。優秀な情報屋にかかれば一捻りだろうが、素人のゼンにとっては決して手を出してはいけない範囲であると自覚していた。
「お待たせしました」
 暫くして戻って来た女の手には、茶色の封筒が握られていた。カウンターの上を滑り差し出されたそれを、ゼンとファナは無言で見つめる。どちらからともなく視線を交わし合い、最後にはゼンが封筒を受け取った。
「お疲れ様でした」
 そして事務的な受付嬢が頭を下げるのを後ろに、二人は店を後にする。表へ出るまでにはまた何回も扉を潜る。自動で開閉するそれを眺めながらゼンは、受付嬢が最後まで笑みを見せなかったことについて考えていた。接客とまではいかないが、それでも他人と接する仕事の筈だ。しかしそこまで愛想を振りまく様な職種への対応ではないと考え直す。誰も、安らぎを求めに来ている訳ではない。仕事をしに来ている。事務的であるべきなのだ。むしろ好意的でなく何処か壁がある方が都会らしいと、ゼンは思った。そして、その方が接しやすかった。
 また一つ扉を潜れば、光が網膜を刺した。アイ・エフのカモフラージュのために作られた喫茶店内に出たのだ。さっきまでと違い程よく空調の利いた店内に視線と肩の力が抜ける。太陽が顔を出すことはないが明るい光が差し込む店内のおかげで、今がまだ夜ではないことを思い出した。店内は賑やかだ。明る過ぎる照明のせいで視覚の悪くなった身体には、人の会話する音がやけに大きく聞こえた。
 更に喫茶店を後にする。後ろで感謝の声が聞こえたのと同時に、肌を冷たい風が舐めた。少しきつい風に、手に持つ封筒が音を立てて揺れる。その厚みを握り締め、ゼンは沸き起こる小さな感動を反芻する。
「くしゅっ」
 とその時、聞こえた音に、細やかな至福から引きはがされたゼンは瞬いた。
 スプレーの噴射に近い音がした。しかも間近でだ。訳が分からず音のした方を振り返れば、顔を赤くしたファナが、口許を手で抑えている。
「どうした」
「す、すみません…。なんか、気温の差というか…その、っくしゅん!」
「………」
 それがくしゃみだと納得するのは一瞬だった。しかし、今まで生きてきた中で、ファナ程控え目なくしゃみを聞いたことがなかった。恥ずかしがって俯くファナに、ゼンは苦笑する。
「そうか。…なら、さっきの公園で確か温かいものを売っていた。そこで一休みしよう」
「はい」
 頷いたファナがもう一つくしゃみをして、堪え切れなくなったゼンが笑えば、ファナは更に顔を赤らめて、一度だけその大きな背中を叩いた。

   ***

 端々に僅かに生える木々が、風が吹く度にさわさわと音を立てる。朝よりは少し人通りの増えた公園では、食べ物や飲み物の屋台が出ていた。
「なんだか、良い匂いがします」
 風に流されて来た肉の焼ける匂いに、ファナが言う。
 ぐう。
 そして正直に欲求を申し立てた腹を、高速で抑えた。
「あっ…あのぅ、そのっ…うぅ…」
 見る見る内に真っ赤になっていくその頬に、ゼンは本日何度目かになる苦笑を噛み殺す。
 そして公園の中心に立つ時計の針を見れば、丁度正午を過ぎた良い時間帯をさしていた。
「丁度良い。ちょっと待ってろ」
 言うや否や、慌てるファナを残し、ゼンは封筒を握ったまま屋台の一つに駆け寄った。そこからは良い匂いが流れてきて、久し振りにゼンも、食欲というものが沸いてきた。
 微かな高揚に、自然と声もうわずる。
「ホットドックを二つ」
「はいよー」
 屋台の主人が少しのんびりとした口調なのも、全く気にならなかった。
 しかし不意に、主人が身を乗り出してゼンをまじまじと見つめていることに気が付いた。
「っ…?」
 意に反してゼンも主人のことをしっかりと見つめ返す形になるが、主人は思ったよりも若い顔立ちをしていた。立てられた茶色の短髪が良く似合う、快活そうな造りをしている。人懐こそうな雰囲気は、幼馴染みを思い起こさせた。
 何処か軽薄そうな顔立ちをした男は、やはり軽い口振りで言葉を紡ぐ。
「あれ。お兄さん、どっかで会ったことない?」
 途端にゼンの表情に堅さが混じったのは、言うまでもないだろう。
「…気のせいだろう。何処にでもある顔だ」
「そうかなー?あ、これ別にナンパとかじゃないから気にしないでね」
「………」
「こう言う冗談、嫌いかい?」
「………、別に。これでホットドッグが不味かったら拳の一つは覚悟しておいた方が良いがな」
「おー、恐い恐い。けど安心してよ、お兄さんっ。オレの店のホットドッグはこの地域一番だから」
 しかしゼンの強持ても通じなかったのか、男は豪快に笑った。親しげに肩まで叩いてくる始末である。




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