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Marijuana




 全員が家に揃った頃には、時刻は正午を回っていた。トキとゼンが昼食を作り、四人でテーブルを囲んで食事を取る。初めは他人と共に食事を取ることに戸惑いがちだったファナも、今では明るく会話をするようになっていた。
「でさぁ、今日も社長が…」
「はいはい。おしゃべりは良いから、さっさと食べてね。ファナちゃんが困ってるじゃない」
「そんなことないよな〜?」
「えっ?あ、は、はい」
「無理しなくて良いぞ」
「ゼンまで酷いなぁ。無理なんかしてないって、な?」
「え、えーと…」
「…無理、してんの…?」
「ざまあみろ」
「ひどいー!」
 主にトキがふざけ、ゼンがそれを切り捨てる。時折ナズナが茶茶を入れ、ファナは笑顔を見せる。一見一方的なものに見えても、存外それがきちんとした役割なのだと感じる風景だった。何より、ずっと一緒に住んできた彼らにとって、笑顔であることだけが安心の種なのだ。軽快な会話を交わして、笑いあう。それだけで良い。食器の片付けが終わっても、それが絶えることは無かった。
「今日はどうしよっか」
「んー?」
 そして、ゼン、ファナ、トキの三人が未だダイニングに残って談笑している時に、キッチンに入って泡の付いた皿を流していたナズナが、不意に話を切り出した。気の抜けた声でトキが返すと、水の音が止む。対面式のそこから覗くナズナの視線は窓の外に向けられていた。
「だって、天気も良くないし、お布団干すって日じゃないでしょう?それでも、四人揃って何もしないのはもったいないと思うし…」
 雲行きは怪しかったものの、雨は降っていなかった。しかしぐずついた天気が長く続き、いつ降り出してもおかしくない表情を見せている。せっかく干した布団が雨に晒されることを考えると、また明日にしようとなるのは当然の判断だった。
 ナズナが暗に言う様に、四人が揃う時間は貴重だ。トキがよく仕事に出ているためにこう言った時間は長くはない。その時間を大切にしようと考えるのもよく分かった。しかし、ついさっきまで働いていたトキには、今のだらけた空間以外に存在したい場所が無かったのだろう、やはり気怠げに返した。
「そんなん、こうやってのんびりしてたら良いじゃん」
 欠伸をしながらテーブルに伏せるトキにやる気がないのは一目瞭然だった。
 頬を膨らませて唇を突き出した状態でキッチンを出て来たナズナが、半眼でゼンを振り返った。
「ゼンは?」
「…俺はどっちでも良い」
「……」
 それに対してゼンは、触らぬが吉とでも言うかの様に視線を逸して言った。その様子が明らかに悪い方向に転んでいることに、ゼン自身は気付けていない。一瞬ひやりとした空気を感じ取ったトキは、唯一の頼みとばかりにファナの腕を、ナズナに分からない位置でつついた。
「?」
 きょとんとした風に見返してくるファナに、トキは必死な思いでアイコンタクトを試みる。何度も目配せをして、どうにかこの場を乗り切る返事をしてくれと伝えた。やがて思いが通じたのか、ファナが何か決心した顔つきになり、深く頷く。
「あ、あのっ、ナズナさん!」
「何?」
「私…、その…」
 ファナが話し掛けても半眼が直らないナズナにしどろもどろになる彼女を応援しながら、トキはゼンへと近寄っていく。もしナズナの堪忍袋の緒が切れれば、ゼンを巻き添えにしてでも逃げるつもりだった。一方、ゼンはと言えばいくら鈍感だとしてもナズナが不機嫌なのを感じ取っているらしい。普段から無口ではあったが、今はより一層静かに、むしろ死んでしまったのかと思う程に静寂を守っていた。
 口の中でもごもごと言っていたファナが漸く大きな声で告げたのと、トキがゼンの真後ろに立つのが同時だった。
「私は、何かしたいです!」
 予想外のファナの言葉に、トキは開いた口が塞がらなくなってしまった。一瞬漏れそうになった声も、喉につっかえて出てこれなくなる。なんとなく表情でトキの気持ちが分かったゼンは、内心で小さくため息を吐いた。
 トキとしてはファナへと自分の意思がはっきりと伝わったものだと思っていたが、正反対に解釈されたらしい。もし伝わっていたのだとしても、他人と関わりの無かった少女である。好奇心の方が勝ったのかも知れない。
 うなだれたトキが、ゼンの隣りにどかりと腰を下ろす。
「…あの子ってさ、本当、時々憎いくらいに天然だよな。世渡り下手と言うか」
「ずっと牢屋にいたのなら、世間のことは知らないで当たり前だ」
「うん、ゼンに聞いたオレが馬鹿だったよ…」
 端から見ていても残念そうな雰囲気が感じ取れるトキに対して、テーブルを挟んだ向かいには、勘違いで――本心かも知れないが――発せられたファナの一言によって元気を取り戻したナズナがいた。
「そうよね、そうよね!ファナちゃんは良く分かってるわっ」
「私、皆さんともっともっと色んなことがしたいです」
「うんうんっ。もー、ファナちゃん可愛い!ぎゅってしてあげる!」
「あわっ、な、ナズナさっ…あううっ…」
 真横では、
「………」
「………」
 トキが死んだ様な目をしている。
 明らかな温度差にゼンは、今度は小さく笑みを浮かべた。

 それからはナズナの提案で、大掃除が始まった。家の中にあらゆる音が響いて、普段とはまた違った騒がしい音をたてている。
「ファナちゃん、そこのバケツ取ってくれる?」
「あ、はいっ」
「ナズナァ〜、オレもう疲れたぁ〜…」
「文句言わないのっ」
 パタパタとはたきがかかる音や、集めたゴミを吸う掃除機の音。そんな中に紛れて、たまにトキの泣き言が聞こえる。そしてナズナの叱咤が続く、本日何度目かのやり取りだ。
「ファナちゃんだって頑張って動いてるんだから。トキもゼンくらいには動いてもらわなきゃ」
 身体が小さくともよく気の利くファナと、不必要な家具を黙々と移動させて行くゼンを指差して、はたきかけを中断したナズナは言った。
 しかし始めから乗り気では無かったトキは、ソファに突っ伏していた顔を上げ、ダラダラとしながら「だってさぁ〜」と唇を尖らせる。
 この家は狭いながらも部屋数が多く、彼らが使用していない部屋が幾つもあったのだ。もちろん掃除の手など行き届く訳もなく、日常で使わない部分は蜘蛛の巣など張りたい放題だった。一歩踏み入れるだけで靴底から舞い上がる埃は、床にくっきり足型を残す程に。
 突然始めたとして、一日二日で終わる筈のない汚さに、トキとしては辟易とした溜息しか出て来ない。やる気があるのも始めの内だと内心悪態を吐いた。そして再び掃除機の音が鼓膜を支配した空間で、微かに階段の軋む音が聞こえた事に、出口へと視線を向けた。暫くした後にゼンがドアから姿を現す。動きやすく汚れても良い服装、いわゆるツナギ姿のラフな格好だった。頭にタオルまで巻いて、まるで大工みたいだと思えた。
 中に入ってきた途端に目に入ったソファに凭れてだらけこんでいるトキに向かい、ゼンは部屋の奥を顎でしゃくる。
「トキ、そこにある机を外に出すぞ」
「えーっ、またぁ!?さっきは穴だらけのソファ運んだし、その前は板の腐った本棚運んだぞ!?」
「次は机だ。良かったな、物が変わって」
 口角を少しだけあげて笑う形をとったゼンは、座り込んだままのトキを容赦なく蹴りつけて机に移動した。その後ろに、ブツブツと呟きながら重たそうに腰を上げたトキが続く。
「持ち上げるのは『せーのーせっ』の、『せっ』の時だからな!」
「さっきも聞いた」
「さっきはコンマ二秒合わなかった」
「その前も聞いた」
「その前は合わせる気もなかっただろ」
 合うわけないだろう、という言葉をゼンは必死で飲み込む。
 机に手を添えた。
 トキが掛け声をかける。
「行くぞ、よっ」
「……………」
 合わせる気がないのはお前の方だと文句を言う口は、とうの昔に置いてきた。ゼンは小さく溜息を漏らし、危うく机で足を挟みかけたトキの身勝手な文句を聞き流しながら足を玄関へと運ぶ。しかし我ながらに今のタイミングによく合っていたと思った。
 キシキシと鳴る床音を聞いて、懐かしい匂いと共に昔に思いをはせる。
 何年前だったか。
 ボロ屋だったこの家を見つけ、まるで『ブレーメンの音楽隊』の様に先に住んでいた大人を脅して住み始めたのは。先に住んでいた大人たちも、社会から切り離された存在だったのは重々承知だった。しかし自分たちも生きることに必死で、まるで罪悪感は感じなかったが。
 気が付いた頃には自分たちには親が無く、生きるのに必死な毎日だった。薄暗い路地裏で生活する日々。そこでトキやナズナと出会い、時々トキと盗みを働いては、妹やナズナにその事を隠したり。
 良い思い出と言うにはあまりに泥臭いが、懐かしいと思うには十分だった。




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