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白鎮魂歌(完結)
風と子



 びゅうと冷たい一陣の風が駆け抜ける林が開けた社の石畳の上を、何処か物悲しい空色を吹き飛ばしてしまいそうな程の賑やかな声が反響していた。
「あー!俺の饅頭食べるなよ!」
「阿呆言うな。これは朱援んとこの供え物や!お前のと違う」
 和紙に包まれた饅頭を奪うために掴み合う狛と蘭角を見つめて、側にいた白髪の女は疲れた様に額に手を当てる。
「どっちもどっちだ、馬鹿者共…」
 吐き捨てる様に呟かれた声は苛立った様子だったが、それでも、一人の子どもと一人の殻蟲との掴み合いは止まらない。むしろそれ以上に、ますます激しくなっていくばかりである。
「お前なんか何も食べなくたって何ヵ月と生きていけるだろっ!」
「そう言うのを差別言うんや、お前こそ家で食えっ!」
「とにかく饅頭食べたい気分なんだよ!」
「オレかて甘味食いたい思う時もある!」
「ぐぅう〜!」
「ぬぉあ〜!」
 意地汚い会話の対象になっている小振りな饅頭は、今は狛の手に収まっている。しかし、組み合いの最中に伝わる握力により中の餡がはみ出てしまっている始末だ。あまりに残酷な有様に本来ならば食欲を失ってしまう所だが、二人は掴み合うことだけに必死でそれに気付いていない。
 頭が悪い―子どもにも似たそんな喧嘩に、しかし間に挟まれる様にして座っていた陽桜はにこにこと微笑んでいた。それでいて、傍らに腰を下ろす朱援にとっては五月蠅い喧騒と時折立つ砂埃に苛立ちを禁じ得ない。眉間に寄った筋を更に濃くして、朱援は息を大きく吸い込む。冬に近付く寒さなど微塵も感じさせない様な狛と蘭角の争いに、しかし朱援が制止の声を放つ前に静かな音で終止符を打つ者がいた。
「はいはい、そこらで止めましょうね」
 たんたん、と音が一定の速さで鳴る。突然響いた乾いた音は、晴珠が手を叩く音だった。
 それに混じって聞こえるあまりに間の抜けた声に、狛と蘭角の動きが気を殺がれたかの様にぴたりと止まってしまう。そして、ある意味で出鼻を挫かれた朱援すらも、ぽかんと口を開けて固まった。
「…まさか…、お前が止めに入るとはな…」
「おや、私だって、食事の時間を邪魔されてまで笑っていられる程出来ていませんよ」
 朱援の皮肉よりは感心の混じった言葉にくすくすと笑った晴珠は、品のある仕草で中身の無くなった布を畳んでいく。普段は面倒事には干渉しない彼が余程に珍しくて、朱援はそんな晴珠を穴が開く程見つめてしまった。
 そうすると、そんな視線にくすぐったさを感じたのか、晴珠は苦笑する。
「それ程に珍しかったですか?」
「あ、いや…、悪かった」
 馬鹿の様にあんぐりと口を開けたままだった朱援は、そう言った晴珠に、自らの所業を恥じるかの様に歯切れの悪い物言いで返した。自然と先程までの苛立ちも収まっていた様で、浮いた腰をまた下ろす。
 すると、視界の端で、狛がつんと蘭角を肘でつついたのに気付いた。何か小さな声で未だ懲りずにやり取りを続けている様だ。
「蘭角のせいで怒られたじゃないかっ」
「あンやとぉ?お前がなかなか手ぇ放さへんから悪いんやろ」
「それは蘭角が、…」
 そうしてそんな二人に、
「随分仲良くなったんですね」
 何処か冷たさを含んだ声で、しかし晴珠が笑ってそれを遮った。なかなかに終わらない喧嘩に、普段は飄々とした晴珠ですらも限界にきているのだろうか。
 一度ならず二度までも注意を受け、しかしこの二人にはそんな嫌味を汲み取る力量は悲しいことになかったらしい。
 口を揃えて批判の声が上がった。
「仲良い?どこがっ?」
「晴珠、目ぇ悪いんちゃうかぁ!?」
「…」
 ひくり。
 晴珠の唇が、ほんの少しだけ引きつった笑みを作ったことに、朱援は少しだけ二人を尊敬してしまった。普段から顔色一つ変えることなく何でもそつ無くこなしてしまう晴珠に、『苛立ち』であれ何であれ感じさせたのだ。
 と、その時、
「せいじゅ、おこってる」
 ころころと鈴の音が鳴る様な音がして、狛と蘭角は口を噤んだ。それが互いの間に鎮座していた陽桜の言葉と知るには、そう長くはかからなかった。長い睫毛を揺らして、指差すのは目の前に座る晴珠の顔。そして、その言葉、行動が何を意味するのかも、二人は瞬時に同時に理解した。
 音が出そうな程勢い良く頭を振った蘭角が、満面の笑みと大量の汗を浮かべながら言った。
「こ、こまー!そう言えば俺、村見て回って無かった気がすんねんっ。丁度ええから案内してやー!」
「お、おお、案内してやるよ、着いて来いっ」
「そんな饅頭、良くみたら糞不味そうやしなぁっ」
「ああ、美味しくなさそうだよな!」
「楽しみやなぁ、あっはははは!」
「だなぁ、あははっ!」
 そして、二人はそんな不自然極まりない会話を応酬して、そそくさと走り去ってしまった。後に残された陽桜は手を叩いてころころと笑い、朱援は唖然とし、晴珠は苦笑する。
「こら、陽桜。本当のことを言ってしまっては、蘭角たちが怖がるでしょう?」
「ふふ。おかしかった」
「ですが、ね。ふふ」
 くすくすと笑みを交わす二人に、ただ一人だけ笑わないでいた朱援がぽつりと口を開いた。
「珍しいな。お前が怒るなど」
「なら今日は、雨が降りますかね?」
「どうだろうな」
 少しおどけてみた晴珠に朱援が笑って返すと、その裾をひく小さな手があった。その方向をみれば、狛たちが崩してしまった饅頭を握った陽桜が微笑んでいる。
 陽桜は首を傾け、
「ようかも、いっていい?」
「ぇ、ええ。行ってきなさい」
 少し驚いた様に答える晴珠に、更に大きな笑みを浮かべるのだった。
 ちりんちりんと鈴を鳴らして走り去る陽桜の背を見送って、晴珠は小さく笑う。
「珍しいのは、私だけではなかった様ですね」
 朱援には、その時の晴珠の声が何処か寂しげな響きを含んでいた様に感じたのだった。


「あー、びっくりしたぁ」
「びっくりした以上の問題やで」
 狛たちはと言えば、雑木林の中を笑い合いながら走っていた。雑草を蹴りつける音にも負けない声で、互いに会話をする。もとより気が合わない様で合う二人だ。悪戯っ気の度合いも同じで、先程の言い合いも彼らにとってはただの戯れ合いだったのだろう。
「晴珠が怒ったとこなんか見たことない。あんのにやにやした奴が腹ん中で何考えてるか…想像しただけでぞっとするわ」
 走ったまま器用に身震いする蘭角に、はは、と狛は笑みを返した。
「なあ蘭角、村に行ったら何が見たい?」
 しかし、そんな狛の問いに、蘭角は首を振る。
「阿ぁ呆。あんなん、口から出任せや。村なんか来てすぐに見て回った」
「なんだ。ちぇっ、つまらないなあ」
 しかし蘭角の言い草に、せっかく自分の方が知っているものがあると自慢できる機会だと考えたのにと、狛はつんと唇を尖らせた。途端に走る速さは遅くなり、随分と離れてから気付いた蘭角は怪訝そうに眉を寄せて戻って来る。
「なぁに不貞腐れとんねん」
「別に」
「ああ?」
 こん、と頭を小突かれて、明らかに不機嫌な顔をしていた狛は蘭角の手から逃れる様に頭を振った。
「お前を怒らせる様なこと言うたか?」
「用が無いなら、俺、帰る」
「ちょお待てや」
「五月蠅いなぁ」
「五月蠅いとは何や、五月蠅いとは――」
「なら、ようかをつれてって」
 と、丁度蘭角があまりの狛の態度に我慢の緒を切れさせてしまいそうになった時、不意に鈴の音の様な声が響いた。弾かれた様に二人は視線をあげたが声の主の姿は無く――蘭角の頭よりも、狛の頭よりもずっと下を見れば、声を発したそれはころころと笑っていた。
「ようかも、こまやらんかくとなかよし」
「陽桜!」
「こまとらんかくは、なかよし。ね」
「………なんか、情けないな」
「阿呆らし…」
 そっと道端に佇んでいる様な和やかな陽桜の雰囲気にあてられて、二人は意気消沈した様に肩の力を抜いた。
 狛は、優しい表情を浮かべて陽桜と等しい高さになる。
「追いついてくるの、早かったんだね」
「いっしょうけんめいはしったよ。だって、らんかくずっとずっとはやいから」
「晴珠は?」
「しゅえんといる。ようか、ひとりできたの」
 するとその答えに、蘭角が怒った様に口を開いた。
「危ないやんけ。はよ帰れ」
「だって、らんかくとこまは、むらをみにいくんでしょ?ようかもいきたい」
「あーかーん」
「いきたい」
「だーめーや」
 拙い口調で懸命に告げる陽桜に、しかし蘭角は首を縦には振らなかった。冷たい素振りで外方を向き、始めは苛めているだけかと思っていた狛は、かたくなに蘭角が拒む様を見て不思議に感じ始めた。
「いきたい…」
 そして、くしゃりと顔を歪めて泣きそうになった陽桜に一瞬どきりとして、狛は蘭角を睨み付ける。攻める様な視線に気付いて、蘭角はぱちくりと瞬いた。不可解そうな表情になれば、狛は蘭角を睨み付けたまま口を開く。
「なんで意地悪なことばっかり言うんだよ」
「仕方ないやろ」
「仕方ないって何だよ」
「何も知らへんくせして口出すな」
「陽桜の気持ちも分からないくせによく言うよっ」
「なんやと…?」
 狛の言葉に、蘭角はぴくりと眉を跳ねさせる。まさか、付き合いの短い狛にこれほどのことを言われるとは思っていなかった。
 しかし、
「らんかく…」
 乞う様に見つめてくる陽桜に、確かにそうかも知れないと納得した。
 どんな理由があれ、彼女の意思を無視することは、可哀相なのだろうか。
「……………ちっ」
 幼児二人にそういった反応を返されては、さすがの蘭角もそれ以上拒否の言葉を紡げなくなってしまう。示しがつかなくなり、誤魔化す様に頭をかいて二人に背を向けた。
「ついて来たいんやったら勝手にしろ。せやけど、何があっても知らんからな」
 その背から聞こえてきた声は、何処か何かが吹っ切れた様な響きを含んでいて。
 途端にしてやったりと笑顔になった狛が振り返ってみれば、
「うん。ようか、しずかにしてるよ」
 そう言った陽桜も、狛以上に嬉しそうに笑っていた。




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