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白鎮魂歌(完結)
迷と導



 朝、狛は茜と朝食をとった。
 囲炉裏に火を焚き付けて鍋をかけ、野菜を切って味噌汁の準備をする―長い間見なかった母親の後ろ姿は、あの頃と何も変わらない。ただ、それまでは黙々とした彼女自身の作業だったが、皿の用意を頼まれて、狛は驚いた。否、これ自体に驚いたというには馬鹿らしい。それを実の子が感じるのか、という話ではあるが、あまりの茜の母親加減に驚いたのだ。
 自分などいない存在の様に扱って動いていたと思っていたのだ。突然話しかけられれば無理もない。
 しかし、そうやってぼんやりと立ちすくんでいた狛に、茜は催促の言葉を投げ掛けて、再び自分の作業へ戻るのだった。
 今まで極端に避ける様な行動をしてきた狛は、自らの予想とは違った茜の態度に、水屋から皿を探しながら首を捻る。それを茜は場所が分からないものと勘違いして、横から助言をした。生返事を返す狛は、やはりそんな彼女のことを頭の中で巡らせた。
 父の面影を重ねて哀愁の意を漂わせることもなければ、哀しげに笑うこともない。まだ父親がいた頃と同じ表情で、彼女は笑い、話す。しかしそれは、もしかしたら父親が死んだばかりの頃の彼女しか覚えていなかったからかも知れない。ろくに会話もせずに、彼女がつけた心の区切りに気付かず、そうして狛自身が彼女を傷付けていたのではないかと思った。
 手にした皿を差し出せば、茜は狛の頭を撫でて褒めた。今よりもっと幼い頃には普通だったことを久し振りに感じ、やはり狛の心は幸せに満たされたのだった。
 今、朝食を終えて一人縁側にぼんやりと腰を下ろしていても、思考は昔と今を行き帰りしている。
 それこそ憂いによっての誇大妄想だったのかも知れない。むき出しの足に直に感じる床の冷たさに、狛は後悔の念が隠せなかった。
「狛」
 不意にかけられた声に振り返ると、奥から現われた茜が盆を掲げて微笑んでいた。
「久し振りだから、ちょっと、ね?」
「…ありがとう」
 そう言って同じ様に座り込んだ茜は、狛の手元に盆の中身をやった。一つは、湯気を漂わせる抹茶。一つは、それに合う甘い茶菓子。そして、朱に熟れた柿を真ん中へ置く。
「勝手に剥いちゃったけど」
 申し訳なさそうに苦笑した彼女に、狛は抹茶の温かさを手に感じながら答えた。
「良いよ。鼎にもらったやつだから」
「鼎くんに?」
「うん」
 頷くと、向こうで鳥が鳴く。
 小さな川のせせらぎが聞こえる。
 横で、茜が茶をすすった。
「…皆、心配してるんだ」
「え?」
「母さんが、なかなか外に出ないから」
「………そう」
 狛の言葉に、茜は困った様に笑う。
「なら、今日は挨拶して回ろうかしら」
「え?」
 今度は、狛が問う。
「これを食べ終わったら、散歩に行きましょう」
 そんな狛に、明るい表情で茜は笑った。

    ***

 見掛けによらず行動力のある茜は、狛が未だ茶菓子を食べている間に支度を整えた。いつもより少しだけ良い着物に袖を通して、髪を梳かす。そうするだけでも、もとから整った顔立ちの彼女は綺麗に見えた。
 まずは、柿をもらったお礼も兼ねて、鼎の家へ足を運んだ。鼎の母親は、久し振りに見た茜の姿を見て驚き、更には野菜を分けてくれた。再びお礼を言って鼎の家を後にした茜は、「どうしてだろうね」と苦笑していた。
 次には隣りの家。そして、また次の家へと足を運んで行く。
 そこでは全てが同じ様な反応が繰り返され、同じ様に何かを受け取った。
 帰る頃には、茜一人では持ち切れない程に、もらった物が集まっていた。
「どうしてだろうね」
 始めと同じ様に笑う茜は、しかし久し振りに他人と会話したせいか、頬が少し紅潮して気分が良さそうだ。
「皆、久し振りに母さんに会って嬉しかったんだよ」
「そうかな?」
「うん」
「私たちも、久し振りね」
「!」
 先を歩いていて表情が読めないが、それでも茜は笑っていたのだろう。
「……ごめんな…」
 消えてしまいそうな小さな声で呟くと、不意に茜の背の更に向こうにある場所を見つけた。その途端に、狛ははたりと足をとめる。突然、苦しさが胸を襲ってくしゃりと顔を歪めた。
「母さん、先帰ってて…」
「どうしたの?気分が悪いの?」
 俯いた狛に、茜は不安げに近付いてきた。しかし、そうして伸ばされた手を、狛は軽く押し退ける。
「違う、けど…」
「一緒に帰ろうか?」
「良い」
「本当に大丈夫?」
「うん…」
 何度も問うてくる茜の手を半ば強引に振り切る様にして、狛は茜を押しやった。家とは正反対の方向に足を向ける。後ろからかけられる制止の声にも、狛は耳を貸さない。ただ、追い風に誘われるかの様に、足を運んだ。

 気がつけば、狛は離れた土手まで来ていた。あの時目に映ったのは、いつも足しげく通っていた社への入り口―雑木林だった。木々の立ち並ぶ様を見ただけであるのに、狛の気持ちは深い哀しみへと落ちた。今も、川原に降りて覗き込んだ水の流れに映る自らの揺れる顔には、笑顔など浮かんでいない。
「…」
 呼吸は大分収まったが、未だ胸はつらいままだ。
 どうしてこれほどまでにつらいのか分からない。
 どうしてこれほどまでに朱援と顔を合わせることが怖いのか分からない。
 無意識に唇からは溜息が漏れる。
 と、不意に、
「なんや餓鬼んこ。似あわへん溜息なんか吐きやがって」
 ここ最近で聞き慣れた、訛りのある声が耳をついた。
「蘭角…!」
 咄嗟に名前を呼んで振り向けば、しゃがみ込んだ狛へ覆い被さる様に蘭角は佇んでいた。乱暴に着飾った着物の裾が風でなびく。赤い髪は風に流され、まるで燃え盛る炎の様に攻撃的に揺らいでいた。
 一言発したきり蘭角は何も言わずに狛を見つめるが、狛の方は視線を外してしまう。暫くは沈黙が続いた。それでもふと、狛から言葉を繰り出した。
「何で来たんだよ」
「さっき、雑木林の前に来たやろ」
「前を通っただけだ」
「朱援とかに挨拶は?」
「別に。毎日なんていらないだろ」
「そんなもんか」
「そんなものだよ」
「無愛想やのう」
 刺のある声にも関わらず、蘭角は狛の問いに飄々と答える。普段の彼ならばすぐにでも熱くなってしまう様な言葉であったのに、蘭角はころころと笑って返すだけだった。
 そうして、不意に笑い声が止む。
「朱援がな、元気ないねん」
「…、……」
 それは、あまりに唐突だった。
 唐突過ぎて、狛は何の返事も返せなかった。しかし弾かれる様に蘭角を見れば、彼は寂しげな笑みを浮かべて、暇な手で川原の石をつついている。
「誰にも会いたないっ、て言うて、晴珠にすら会おうとせんねん。朝からずーっと、や」
 そして、一つの石を掴んだ。
「あんな朱援見たん、長い付き合いや思てるけど、初めてやった…。陽桜かて、心配してる」
 ひゅ、と、手が振られて風切り音が鳴った。丸い軌跡を描いて、石はじゃぽんと音を立てて水に飛び込む。そこだけに緩い波紋が広がって、しかし川の流れに押し負けてすぐに収まった。
「なんか、知らんか?」
 蘭角の問い。
 次の投石は、直線の軌跡で、石は水面を二、三度跳ねてから水に落ちる。
 狛はその様子を眺めて、膝を抱える手を握り締めた。蘭角はと言えば、彼自身も元気がなさそうだ。それほど、朱援のことを気にかけているのだろうか。
 ただ、狛はそれでも、彼女のあの言葉に反発せざるをえなかった。
「…退治屋になれって、言われたんだ」
「退治屋に?」
「昨日、俺は倒れただろ?それを、朱援は自分たちのせいだ、って言うんだ」
「…」
「それで、俺に退治屋になれ、って…。俺は見えるだけで何も出来ない、って。けど俺だって、本当に何も出来ない訳じゃ―」
「ない、ってか?」
「!?」
 募る想いをぶちまけた時、不意に蘭角の声が響いた。響いた、のだ。それは大きく発せられた訳ではないのに、産毛が逆立つ程に、狛の背をぞわりと駆け巡る。
 気がつけば、赤い髪の向こうに青い空を見ていた。
「………」
 突然のことに、思考が追い付かないでいる狛は、ぼんやりと目の前にある蘭角の顔を見つめた。つり上がった瞳に、開いた唇からちらちらと見える尖った歯。
「ほな、今の状況も何とか出来るんか?」
「っ…」
 聞こえた蘭角の声は、腹から絞り出される様な声だった。初めて感じる蘭角の殻蟲としての力に、狛は声も出せない。絞まる手首から、感覚がなくなっていく。しかし狛が痛みに顔をしかめようとも、蘭角は手を放さなかった。それでも、狛の腕が折れてしまわない様まだ加減しているのだろう。
「お前は、…人間は皆弱い」
 ぽつりと蘭角はこぼす。
「自分を守る術がない」
 冷たくなった指先に蘭角の指が触れ、その手は緩められた。血の流れを感じ、目の前の視界が開ける。
 隣りに座り込んだ蘭角は、疲れた様に息を吐いた。
「せやから、朱援はお前のために言うたんや…。お前が寝てる間に悩んどったんや。お前だけやない。朱援かて、傷付いとる。やのに、朱援だけ悪い様に言うんは筋違いとちゃうか?」
「だって!仕方ないだろっ…俺が退治屋になったら、朱援と友達だなんて言ってられな――」
「それがなんか関係あるんか?」
「何、…」
「朱援が何か言うたんか?退治屋になったら、敵や言うたんか?」
「…!」
「言うてへんねやろ?」
「…、それはっ…」
 蘭角のゆっくりとした言葉に、狛は唇を噛んで俯いた。出会ってばかりの間もない関係であるのに、彼の本質を感じた様だった。
「オレは難しいことはよく分からん。でも…お前は間違ってる。勿論、朱援も間違ってる」
「…間違い…?」
「…オレは、何か違うと思う」
 次に紡がれた蘭角の言葉に、はっと狛は目を見開く。
 怒りにも似た哀しみに塞がれていた視界が開けた気がした。
「蘭角も、俺と変わらないのに」
「あ?」
「…どうして、ヒトとカクチュウは違うんだろ…」
「そんなん、…」
 ぽつりとこぼした声は、正直な思いが言葉になったもの。それに、蘭角は少しだけ言いよどんで、
「そんなん、オレが分かるか…」
 呟かれた声は何処か寂しげだった。

    ***

 そこに佇んでいたのは、女が一人。白だ。駆け寄ってくる黒い影が、声を発した。
「狛くんは随分苦しんでいた様ですが…、どうして突然?」
「いきなりどうした」
「見て来たので、少し」
「そうか…」
 白は弱々しく笑った。
「突然ではないよ。ずっと昔から、狛と出会った頃から妾はそう考えていた」
 黒の問い掛けに、白は静かな口調の中に小さな哀しみを添えて自嘲気味に答える。狛と蘭角とのやり取りを知っていたのは、彼ら本人だけではなかった様だった。
「妾は…」
 そう言って一瞬言葉を詰まらせた白の表情は、悼みに耐えている様な表情で。
「狛の父上殿を殺してしまったのだから」
 まるで消えてしまいそうな声だった。




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