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白鎮魂歌(完結)
橙の虚



 雀が群れを成して羽ばたく白ばんだ空を見つめて、狛は大きな欠伸を惜しみ無く晒した。うんと伸びをしてみれば、関節がぱきぽきと小気味の良い音を立てる。少し寒くなってきた頃に見える遠く高い空は透き通る様に綺麗で、薄い着物一枚では肌寒くは感じるものの、広場では沢山の子どもたちが遊んでいた。
 あれから数日は、何の変化も無く平凡に過ごしていた。時折、晴珠が顔を見せては朱援と囲碁や将棋を打って帰る。神木の下に三人で陣を作り、ふり落ちる銀杏や紅葉の葉を眺めては、風流だと感嘆の声を漏らした。唯唯それの繰り返しだった。
 ふあ、と再び漏れた欠伸を今度は噛み締めると、隣りでごそりと何かが揺れる。そちらを振り返ってみると、狛の一番の親友である鼎が、大きな籠を抱えて佇んでいた。その後ろには、妹の千代がついている。
「よ」
「よ」
 二人して短い挨拶を交わし千代へ視線を落とすと、小さな身体の千代はすぐさま兄の後ろへ隠れてしまった。着物の端から見える結われた髪に、狛は小さく笑うしかない。そろりと現われた頭を、くしゃりと撫でてやると、気恥ずかしそうに千代は笑った。
 狛にとって鼎は、村にいる子どもの中で一番歳が近い存在であった。鼎の方が一つ上で、そこから自然と色々な繋がりが出来るのだ。父親が死んでから村を一つ二つと越してたきた狛にとっては、鼎と知り合えたことは限り無く嬉しいことだった。
 不意にまた欠伸を噛み締めた狛に、鼎は呆れた様に笑みを作る。
「寝不足か?」
「かな」
 そう言えば、と、狛は頷いた。
 晴珠が来てからというもの、朱援は囲碁や将棋など、狛にとっては難しかったことを晴珠と喜んでやっていた。やはり表情には出さないが、彼女なりに楽しんでいるらしい。あまりに熱中し過ぎて夜半が過ぎるまで気付かずに、狛が眼を擦った所で晴珠に促され解散することが多くなってしまったのだ。
「最近、知り合いが増えたから」
「へえ」
 そう言うと、毬が足元へ転がってきた。向こうには、それで遊んでいたであろう子どもたちが、狛へ向かって手を振っている。投げてやれば、餌に群がる魚の様に毬を追いかけて行った。
 その様子を目で追う狛に、鼎はわざとらしく肩を竦めてみせた。
「良いなぁ、狛ん家は優しい母ちゃんで。うちの母ちゃんなんて口を開けば文句ばっかり」
「兄ちゃ、母上のわるぐち?」
 その言葉に不意に声を発したのは、千代だった。純粋な視線を受けて、鼎は慌てる。そして、人差し指を唇の中心に当てて懸命な表情で首を振った。
「ち、ちがう。これは真っ当な意見だ。だから母ちゃんには言うなよ!」
「まっとー?」
「本当のことだってこと」
「ふーん」
 鼎の言葉にこてりと首を揺らした千代は、分かった様な分からない様な返事をした。
「はは、ちーちゃんには難しかったかな」
「うん」
「とにかく、母ちゃんには今のは言うなってことだっ」
「兄ちゃがそういうなら、千代、いうこときく」
「偉い」
 そう横柄に頷く鼎を、狛は苦笑しつつ小突いた。と、そこで鼎は何か思い出した様に小さく声をあげる。そして、一抱えもある大きな籠を胸の高さまで持ち上げた。中に入っていたのは、橙色に熟れた柿だった。
「それより、狛。柿いらないか」
「柿?」
「家で余っちゃってさ。腐ると勿体ないから持ってけって、母ちゃんが」
「ふうん」
「籠ごとやるからさ、持ってけよ」
 目の前で揺らされた籠の中に転がる丸々とした柿を見て、狛は唸った。
「叔母さんに怒られないのか?」
「ま、大丈夫だろ。狛なら」
「本当かよ」
「狛の母ちゃんにも食わせてやれよ」
「…、…」
 鼎の言葉に、一瞬狛は喉を詰まらせる。
「…ありがとう」
 籠を手にとって力無く笑った狛に、鼎は不思議そうな顔をした。

 鼎と別れて帰り路を歩いてみても、相変わらず空は高く遠かった。
 一足踏み付ける度に、ごそりごそりと柿が揺れる。
「……」
 黙々と帰り路を歩む狛の頭には、憂鬱さと少しの期待が蠢いていた。
 父親の死に関しては何も、狛が気負うことなどないとは分かっている。だが、父親がいなくなってしまってからは、柔らかい母の笑顔は陰ってしまった。しかし狛には気付かれないでいようと気を張っているのか、家では常に笑顔でいる。だがそれは、子どもの狛から見ても、ありありと分かる嘘の表情だった。そんな母親の痛々しい姿を見ることが苦しくて、必然的に狛は外にいることが多くなった。
「…はぁ」
 しかし、これで少しでも普通に話が出来ればと考えて、無意識の内に重たい溜息が漏れる。暫くの間会話もろくにしなかったために、どう切り出せば良いか分からなくなってしまったのだ。
 と、その時、片方の藪から人影が飛び出してきた。燃える様な赤髪が目に痛い。攻撃的な髪色に似た鋭い目付きはぎろりと狛を睨み付け、八重歯の目立つその唇をつり上げる。
「退きやがれ!蘭角様のお通りやぁ!」
「――っ!?」
 唇から紡がれた声も、少し高い乱暴なものだった。青年とも成人ともつかないその声に、言葉に、一瞬怯んだ狛はあんぐりと口を開ける。そして次の瞬間に身体を襲った鈍い衝撃に、情けない声が漏れた。
 ちかちかと瞬く視界と脳内まで揺れたのではないかと言う程の衝撃に、狛はひっくり返ったまま空を見上げていた。ぼんやりとした虚脱感も加え起き上がる気にもなれずにいると、宙を飛んだ柿が束の間の浮遊体験を一瞬で終えて周囲にばらまかれる。状況整理が出来ないままで寝転んでいると、男が小さく呻きながら身体を起こした。
「ぼうっとしてんなや餓鬼が。とろいなぁほんま」
「な、…!?」
 そして吐き出された労いからは程遠い雑言に、狛は目をしばたく。
「これやから餓鬼は嫌いなんや。軽々しく吹っ飛ぶし、頭も全然足らん。退け言うたら退くんが常識やろ」
 ついにはつらつらと文句を並べたてる男に、狛は怒りを通り越して唖然とするしかなかった。初めて聞く訛りの入った言葉に、普段では見ないような派手な成り。見掛けからでは小鬼の様に見えるその男は、しかし舌を軽く打って立ち上がる。
「ほんまは食ったりたい所やけど、朱援に遣い頼まれとるから今回は無しや。助かったなぁ、糞餓鬼」
「…、え!?」
 途端、耳に届いたある名前に、狛は跳ねる様に顔をあげた。
「今度会うたら覚えとけよ」
「っあ!」
 しかし狛が何か言葉を紡ぐ前に、男は風を身体に巻き付け去ってしまった。一人残された狛は、土の冷たさを尻に直に感じながら、引き止めるために伸ばした所在無い手をふらりと下ろす。
「あー、…行っちゃった…」
 ぽつりと呟いて、狛は周りに散らばった柿に視線を巡らせる。
「あーあ…」
 ころりと転がった柿は、数個しか形を成していなかった。まるで嵐が去ったと例えるのに異論はないであろう状況に、小さく溜息を吐く。綺麗に形の残った柿だけを籠へ戻し、後はまとめて藪に放った。
 そこまでしてから漸く、
「朱援、って確かに言ったよな…あいつ」
 再び狛は足を進め始めた。今度は家へ足は向いていない。それは確かめるという口実で作られた『逃げ』なのかも知れないが。
 唯唯、狛は歩を進めた。

「朱援ー!」
 たどり着いた先はやはり、いつもの神木の下だ。石畳を蹴り飛ばし、下に佇む二つの影に走り寄る。すると、白髪の女が、少し驚いた顔をしていた。
「おや、狛。一人か?」
「うん?そうだけど…」
「おかしいな。遣いを出した筈なのだが」
「遣い、って…」
 先程の男をふと思い返した時、頬を撫ぜる一陣の風がふきつけた。そして、先程まで何も無かった筈の空間に、一つの影が現われる。
「悪い悪い。おそなった!許してな〜」
 と、現われたその姿に、狛は叫んだ。
「あーっ!」
「お。なんや、さっきの餓鬼やないか」
 一人だと思っていたが、今度は違った。小さな女児を抱えている。その子どもを晴珠に預けた男に、朱援が近付いた。
「先に会ったのか、蘭角?」
「おう。ぼうっとしとるからぶつかってしもたんや」
「……遣いの一つも果たせん馬鹿め…」
「ん?」
 蘭角と呼ばれた男は、侮蔑の意が含まれた視線を投げ付けられても、きょとんと目をしばたくだけだった。ああ、と狛は心の中で納得する。
 そして、晴珠に抱かれたままの女児が、鈴の鳴る様な声を発した。
「こんにちは」
「あ、…こ、こんにちは」
 それが自らに向けられた言葉だと理解するのはそう難しく無かったが、狛は目の前の異様な光景のせいで、ぎこちない返答しか出来なかった。くらくらと目眩を催しているのは、揃いも揃った、人間離れした美貌の持ち主たちのせいか。
「この男は蘭角。そして、陽桜だ」
 進み出た朱援が狛に彼等を紹介すると、陽桜と呼ばれた女児はやんわりと微笑み、蘭角が怪訝そうな顔をする。
「あん?この餓鬼が、朱援が連れて来い言うてた餓鬼やったんか」
「きちんと説明しただろうに」
「見える餓鬼なんか一杯おるやろ?」
「いない」
「……………」
 ばっさりと切られた蘭角を、くすくすと陽桜が笑った。その様子にふて腐れた蘭角が、ぷうと頬を膨らませる。
「…昔からの馴染みだ。それこそ頭の痛くなる話だがな。……………、狛?」
 しかし、こうやって朱援の紹介が続く中、狛はそれ所では無かった。目眩はやがて頭に鈍痛を与えるまでになり、足元がおぼつかなくなってくる。明らかに青褪めてきた狛の表情を見た朱援が近寄ると、競り上がって来た胃液を押さえる様に、狛は身体をひねった。
「気分が、悪、い…」
 赤や黄色に変わる視界はやがて真っ白になり、思考を止める。
「餓鬼は身体も弱いんか…て、あ、…おい!」
 やがて、蘭角の皮肉を聞くのもそこそこに、狛は気を失ってしまった。それに驚いた蘭角は固まり、陽桜はぎゅうと晴珠の裾を掴む。
「朱援、もしかしたら、これは…」
「………」
 ただ残った二人は、険しい表情で浅く息をする狛を見つめていた。




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