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白鎮魂歌(完結)
踊る劔



 今にも雨が降り出しそうな暗雲の立ち込めた空は低い唸り声を上げている。その音は、何故か狛の心を踏み荒らした。騒がせ、不安を掻き立てる。
「狛くんは、知りたくはありませんか?」
「な、にを…」
「とある悲恋の話です」
「……」
 腕は高い位置に取られたままだったが、それ以上力を込められることは無かった。上から、晴珠が静かな表情で見下ろしている。
 どうしてこの様な話を晴珠が切り出すのか分からなかった。戸惑いを隠せず視線をずらすと、その先にいる朱援はうなだれたまま頭を垂れている。白い髪は石畳と同化してしまい、それはこのまま彼女が動かないのではないかと不安にさせるには十分だった。
 唇をぎゅっと噛んだ狛は、小さく口早に言葉を紡ぐ。
 守らなければと思った。
「今日は良く喋るんだな」
「…これで、狛くんや朱援と話すのも最後になるかも知れませんからね」
「……」
 その言葉の響きに、何故か、本当に別れが近付いてきていると悟った。
 しとしとと静かに降り始めた雨粒が、そこに佇む生き物の影を塗らして行く。頬を伝った水滴が着物に落ちたが、幾分か水を吸った布の重さは大して変わらなかった。少しずつ霧が立ち込め始め、視界はぼんやりと霞んで行く。
「話しても、良いですか?」
「……」
 気付いた頃には、既に手の拘束は解かれていた。
 しかし、だからと言って暴れる気になどなれなかった。
 そんな空気だった。
 空と酷似した表情のまま固まる狛に、晴珠は笑みを浮かべる。
「ふふ…なぁに、子どもにも分かる簡単な恋と嫉妬の話ですよ。主人公は、とある神社に住んでいた男に恋をしていた女です。男も女のことを愛していました。他者からは歓迎されることは決して無かったはずなのに、仲睦まじく、二人は束の間の逢瀬を楽しんでいました」
 それは、先程とはまるで違った話し方だった。先程は、何処かおかしそうに話していた気がした。言葉の裏にある本音を包み隠す様に。しかし、今は違う。感情を包み隠そうとしていない。明らかな、嫌悪、憎悪が溢れている。
 それでも、晴珠は笑みを絶さないのだ。包み隠せない感情を表面だけでも薄く見せるように―――哀しいと、思った。
「しかしある日から、男が訪ねてくる機会が目に見えて減り始めました」
 晴珠は、狛の胸中を知らずに続ける。
「そして、幾ら待てども男が訪ねて来ない日が続き――何日も待ちましたが、やがては一年経っても現れなかった。不思議に思った女は、男の家を探しに探します。そして見つけた先には…何があったと思います?」
「……」
「少しくらい付き合ってくれたって良いじゃないですか」
 唇を引き結んだままの狛に、この場には不似合いな程朗らかな声で晴珠は笑った。それでも狛が口を開かないとなると小さく肩を竦め、次の言葉を紡ぐ。
「妻と若子とと仲良く戯れる男がいたそうですよ」
「……」
「そうして、怒り狂った女はその男を殺してしまった」
「どうして、俺にそんな話をするんだ…」
「女は、殻蟲でした。男は、人間でした。殻蟲と人間の間に恋愛は許されない」
「朱援とは何も関係無い話だろう…?」
「…馬鹿な子は嫌いではないですよ。真実を知った時に良い表情を見せますから。いや、気が付かないふりをしているのでしょうか?…もう大体想像は付いているでしょう」
「っ…」
「優しく言ってあげましょうか。だからね、私が彼の気を変えてやったんですよ。そして…別の女を引き寄せた。その間に生まれたのが―――きみですよ、狛くん」
「ッ―――!!」
「ほら、良い顔だ」
 狛は一瞬、息をのんだ。
 後にはころころと明るい笑い声が続く。
「なら、俺は間違って…本当は生まれるはずじゃなかったのに、間違って生まれたのか?」
 震える声で狛がそう呟いた時、それまで動かなかった朱援が顔を上げた。そこには悲痛な表情が現れている。
「違う!晴珠の言う通り、本来、殻蟲と人との間が結ばれることなどない!だから、お前はっ、――」
「知りたくはないですか?」
「言うなっ…」
「父を想った殻蟲の名前を」
「言うなっ!!」
 朱援の言葉を晴珠が遮り、晴珠の言葉を朱援が遮る。朱援は頭を押さえて蹲った。それ以上の雑音を拒否するために、力無く首を振る。
 一瞬訪れた沈黙の中、
「朱援…」
 そう呟いたのは、晴珠ではなく狛だった。それは、呼び掛けの言葉ではない。晴珠の問いへ明確な確信を示して答えたものだった。
「……っ、…」
 俯く朱援が、ぐっと唇を噛む。
 今の状況下で黙り込んでしまえば、それは明らかに肯定を表していると分かってしまうのに。
 しかし、狛の頭はそんな朱援の姿を見ても嫌に冷静だった。怒りや絶望が現れると言うよりも、冴えきっていた。
 人間は苛立つ時、その対象は不透明な原因に向いている。それが今は、とても見えやすいのだ。迷うことはないと思えた。
「晴珠が…、お前が、俺の両親を操って、引き寄せたんだよな」
「ええ」
 誇らしげに晴珠が頷く。
「きみを生まれさせなければ良かったと、今更後悔していますよ」
 その言葉に、喉の奥で低い笑いが漏れた。くつくつと、まるで自分以外の人間が笑っている様な、だれかを嘲笑する様な低い笑いだ。今までこんな嫌な笑い方などしたことが無かった。晴珠は、狛の中に蘭角がいると言った。果たして、それは蘭角の笑い方だっただろうか。
 それも違うと思った。
「なら、どうして今の俺を操らない」
「どういうことです」
「どうして俺を操って、自殺させようとしたりしないんだ?朱援を操って、俺を殺させたり」
「……ああ」
 今まで見たことのない狛の笑みに少し戸惑った様な表情を見せたものの、晴珠はすぐに平静を取り戻す。
「それは、苦痛に歪む表情が、一番食欲をそそるからですよ」
 狛が顔をしかめたのを見て、晴珠は唇に刻んだ笑みを更に深めた。続いて朱援を見やる。吐き気を誘う、歪んだ瞳だった。
「そして何より私を悦にするのは、朱援。お前の苦しむ顔です」
「っ…!」
「お前が紹介してきた童を何度喰ったか」
「お前っ、…」
「気付いて無かったんですか?」
 心底楽しげに、まるで仕掛けた悪戯にかかって慌てふためく大人を見て得意になっている幼児の様に、晴珠は言う。
「…、っ…狛が貴様を遠ざけた理由が分かったよ…。貴様の質を感じとっていたからだ…!」
「何とでも吠えていなさい」
 朱援が唇を噛んで罵ろうが、晴珠は気にも止めないと言った様子で笑っていた。険悪な空気が充満する。ひどく息苦しかった。しかし、晴珠はそれが居心地が良いのか、小さく肩を震わせ出した。そして、始めは震える程度だったものが、徐々に狂った様な笑い声まで混じる。
「ふふ、ふふふふ」
「何がおかしいんだ…」
 噛み付く様な狛の問いに、晴珠は肩を震わせながら答える。
「だって、ふふっ…おかしいでしょう?まるで、殻蟲と人間の問題ではありませんか。卵が先か、鶏が先かなど、誰にも分からない。ずっと同じ場所を回っている道の様です」
「………」
「さあ、狛くん。きみはどちらを殺します。どちらに恨みを抱きます」
「……、俺は…」
 一度硬く閉じた目を、次には鋭い眼光を孕ませて開いた。暗くなった視界に再び映るのは、灰色の世界に佇む青い影だ。
「お前が赦せない」
「………そうですか」
 今まで普通に話していたはずの相手に軽蔑と訣別の言葉を浴びせられ、しかし晴珠は笑った。軽く狛を手招いて、小さく呟く。
「なら、早く殺しなさい」
 しかし、その言葉に狛は力強く首を振った。
「殺さないよ」
「…?」
「俺は、お前みたいな連鎖にのまれない。だから、殺さないんだ」
「甘いことを…」
 強い決意の滲んだ狛の言葉に、晴珠が初めて唇を噛んだ。忌々しげに狛を睨み付ける。それでも狛が意志を曲げないと分かれば、今度は朱援に向き直った。
「さあ朱援。私を殺してみなさい!」
「…妾も、狛と同様だ」
「何、…」
 しかし朱援も狛と動揺に、唇を噛みながらも唯唯静かだった。
「妾は、お前の操る通りになど動かない」
「私がそう操っているのかも知れませんよ」
「或いはそうかも知れん」
「なら、尚の事――」
「だが、お前は…。晴珠は、妾の友だ…」
「っ…何を、今更…!!」
 晴珠の声音に怒気が含まれた。彼の周りの大気が渦巻いて波を作る。
「朱援!!」
 狛が高く叫んだ頃には、晴珠は黒い影となって朱援へと跳躍していた。
 右へ、左へと、手や足が襲い来る。それは今までの狛とした手合わせよりも何倍も早かった。そして朱援も、いつになく本気で身体を庇っている。晴珠の手が引く一瞬毎に、苦しげに息を吐いた。雨の存在すら忘れさせられる様な凄まじさだ。
「やめろっ、晴珠…!妾はお前と戦いたくないっ…!」
「私と戦わなければ、生きている私は人間を襲い続けますよ!?お前の知り合いも、知らない人間も、全て、全て全て!!」
「そんなことはさせないっ」
「だから今ここで私を殺して―――連鎖を断ち切りなさい!」
「―――っ…!!」
 朱援の頬に足が襲いかかった。防御の間に合わなかった朱援は横へと薙ぎ倒される。
 束の間の静寂。
 そして、轟音。
 渦巻いた雷が視界を白く染めていく。
「私は、…もう疲れたんです…」
「―――っ!!」
 晴珠の表情は、哀しいほど穏やかな笑顔で満ちていた。


「    」


 何かを叫んだと思う。
 しかし、それが自らの耳に届くことは無かったはずだ。
 刹那、爆風が狛を襲っていた。
 視界が真っ白に染まる。
 何か音がしていてもおかしくないはずであるのに、耳に届く音は全く無かった。
 不意に、手に何かが触れた。
 歪む。
 そう言えば、彼は笑ってしかいなかったのではないだろうか。
 ずっと、仮面を被り続けていたのではないだろうか。




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