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白鎮魂歌(完結)
謳う唄



 千里を歩けば行く先を失い。
 月夜を見上げれば夢を見る。
 白き世界と視界と思考に涙を流して。
 今のその一瞬に瞬く事すら赦されず。
 逝く人は皆。
 後悔を唄う。

「童。汝よ、妾に負けて悔しいか?」
「くそう、くそう!」
 長い白の髪を振り乱す女は、目の前ではいつくばり砂を噛む童を艶やかに嘲笑った。その女は髪に合った淡い色の着物姿で、透き通る肌には桜色の唇が栄えている。それが弧を描く様は、人間のモノとは思えない程妖艶だった。
「汝はまだ弱いと言うに。妾の言を聞かぬからだよ」
「五月蠅い!もう一度だ!」
「何度やっても同じ事…」
 童が砂を蹴ると同時に、女が着た着物の袖が閃いた。それは決して動き易い出立ちでは無かったのに、女は童を軽々とあしらって行く。一瞬の内に、突き出された短刀の柄を手刀で払い、空いた足元を屈んで掬い上げた。
「うわぁ!」
 ドシン、と音を立てて砂利に腰を付いた童に、女は言葉をかけた。木の葉が小波の様な音を奏でる。
「さあ、良い子だ。お帰り、狛」
「まだだ、朱援!」
「まったく、頑固だな、狛」
「根気があるんだよっ」
「ふふふ、そう言う事にしておいてあげよう」
「笑うなよ!」
 いきり立って短刀を構える童―狛に、女―朱援はその桜色の唇を着物の袖で隠し、目を細めた。
「妾は『カクチュウ』であると言うに、本当にお前は変わっているよ」
 『カクチュウ』―殻蟲と呼ばれる彼らは、郭と言われる殻を作り、そこに住み着く。殻は、草花や、人間が使う道具、家等、様々な場所に作られる。殻蟲は、より虫や獣に近い形をしたモノたちは力が弱く、姿が見えない事も多い。しかし力の強いモノは万人に、人間の様な姿で形を現す事が出来る。それらは人間に干渉し、干渉される事を赦される。樹を殻としている朱援も、その内のヒトツであった。そして殻に宿り不可思議な力を持つ殻蟲は、善行をするモノもあれば悪行を働くモノもいる。中には災いをもたらすモノも多く、人間は偉業のモノと忌み嫌い、畏れていた。人は蟲に交わろうとはせず、蟲も人には関わろうとしなかったのだ。
「それなのにお前は…。狛は妾が怖くはないのか?」
 これは何度目の問いだっただろうか、朱援は覚えていない。そして、
「怖くなんかねぇよ」
 これが何度目の答えだっただろうか、狛ですら分からない。
 朱援は笑った。
「さあ、狛。いい加減に帰りなさい。また母上殿が心配なされるぞ」
「………ちぇっ」
「良い子だ」
「また来るからな」
「ああ、妾より強くなったらまたお出で」
 未だ納得行かない様子で唇を尖らせる狛の髪を、朱援が愛しそうに撫ぜた。


 カランコロンと下駄の音が響く。


「カゴメ、カゴメ。籠の中の鳥は、―」


 朱援は、今日も童たちの歌を聞きながら、白髪を風に揺らしていた。賑やかな笑い声、土を踏む音、鞠を蹴る音、弾む音。それらは全てこの樹が聞き取り、朱援の耳へと入り込む。
「おい、女。そんな所に着物でどうやって登ったんだよ。そこらの女はそんな所に登んないぞ?」
 いつもの様にあてど無い時間を肌に感じて風に木の葉がそよぐ音を耳にしていた時、不意にそう声が聞こえた。笑い声に紛れた声にしてはあまりにも鮮明で、それは確実に自分へと向けられた言葉だと理解するのにさほど時間は要さなかった。
 見下ろす先には小さな童が朱援を見上げている。
「童、…妾が見えておるのか?」
「見えてる?何がだよ?」
 朱援の問いに首を傾げる様は、随分慣れているという事だろう。『あちら側』と『こちら側』―人間と殻蟲の区別がついていない。
「ほう…」
 そう童に聞こえない様に小さく呟いた後、朱援は童を無視して空を仰ぎ見た。その下では童が憤慨した声を出していたが、気にしなかった。
 そして、ヒトの群からはぐれた足音がまた一つ。
「おーい、こまー!何してんだよー!」
 眼下で頭が揺れた。
「鼎。お前、アレ、おかしいと思わないか?」
「アレ?」
 鼎と呼ばれた童は、狛という童の指差す方向を仰ぎ見た。
「そうだよ、あの―――」
「あ、千代の草履だ!どうしてあそこまで上に上がったんだぁ?それにしても、狛、よく気付いたなぁ」
「は…?」
「今大人を呼んでくるから、待っててくれよ!」
 パタパタと走り去って行く鼎と残された狛を見て、朱援は堪え切れずにクツクツと音を立てて笑う。それに気付いた狛は、真相に『気付いた』のか、あからさまに嫌な顔をした。
「お前…、何だよ」
「童。お前は今までに異形の者を見た事はあるかえ?」
「いぎょうのもの?…気持ち悪い虫みたいな形をした奴等の事か?」
「ほう。やはり童には力があるようだな」
「力?」
「問いばかりとは。頭の悪い童だ」
「っ、なんだと!?」
 噛み付く様に歯を剥き出し一歩踏み出た狛だったが、朱援は木の上で届く訳も無く。
「降りて来いよ畜生!」
「妾に畜生とは、なかなか面白い事を言う童だね…。しかし………――」
 トン。
 と、軽く枝が音を立てた。
 大人一人を支えるのには細過ぎるそれが、しかし反動を受けても折れず、まるで風に遊ばれただけの様に優しく先の木の葉を揺らす。
 その奇異に呆然と立ち尽くす狛の視界に、朱援が入り込んだ。白髪が揺れ、世界を埋める。綺麗な桜色の唇が、歪んだ笑みを作り。
「口のききかたのなっていない子だ」
「ッ――――!?」
 突然受けた衝撃で世界が反転した。
 グラグラと揺れる脳に、軽い吐き気を覚える。せり上がってきた吐瀉物を、砂利の上に吐いた。
「ぅえっ…、はっ…」
 その様子を汚ならしいモノを見る様に眺めていた朱援は、しかしはいつくばる狛から繰り出された足払いに後方へ飛ぶ。
「ほぉ…」
「舐めんなよ、畜生!」
「ふふっ。またか…」
 狛を睨み付ける瞳は人間のそれではない。異質な光を灯す眼光に、狛は知らぬ内に身を震わせていた。
「か、『殻蟲』…?」
 狛の小さな唇から漏れた言葉に、朱援は眉を顰めた。
「殻蟲を、知っておるのかえ?」
「うちの親父は、殻蟲の退治屋だ。仕事について行って見たことがある…、皆、お前と同じ目をしてた」
「…………」
 殻蟲が勢力を上げ循環の均衡を崩し始めたせいで、あらゆる場所で退治屋が増えた事は、風の便りで聞いていた。
 顔を曇らせ、朱援は問う。
「お前も、妾を殺すか?」
 そのあまりにも悲しげな表情に、狛は言葉を失った。今までの精悍で妖艶な様子からはかけ離れた、ただ一人の弱い人間の女に見えたからだ。
「死にたくないのか?」
「誰だってそうさ」
 口端を小さく上げて薄く笑った朱援に、狛は唇を尖らせる。
「…なら、俺の親父も、死ぬのは怖かったのかな」
「父上殿が?」
「うん。殻蟲に殺されたんだって」
「…へえ」
「弱いのは、…嫌いだ」
「こら、父上殿の事を悪く言っては」
「でも、親父は弱っちいから殺されて!」
「狛」
「っ…」
 柔らかく窘められ、それ以上言葉を紡げなくなった狛は俯いた。その小さな身体を見つめて、朱援は狛の髪を優しく撫ぜる。
「死とは恐ろしいモノだよ。人を圧倒的に凌駕する我ら殻蟲ですら、それは忌まわしく恐ろしい」
「………」
「父上殿は立派な人だったよ」
 朱援はそこまで言い、ふと何かを思い出したのか、自嘲の笑みを浮かべた。
「またお出で。お前を、お前の父上殿より強くしてやる」
「アンタの名前は?」
「妾の名前は朱援…。覚えていなくても良い。ただ、妾に会いに来い」

 そしてあの時と同じ様に輝き出した星を見上げて、朱援は疲れた息を吐く。
「…………ああ」
 小さく零した音は、闇夜に低く響く獣の唸り声にかき消され、
「何の懺悔であったか…」
 あてどない行き先へと、ただ風に揺られて運ばれた。




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