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白鎮魂歌(完結)
恐れ慄



 紅葉の時期を迎えた山を背に立ち並ぶ家々が、釜戸から昇る白い煙を細々と吐き出している。
 和やかな雰囲気に上手く馴染んで歩いている陽桜は、ほんの些細なことでも何かを見つける度に嬉しそうに笑っていた。鳥を見つければ追いかける。花を見つければ匂いを嗅ぐ。その姿を見るだけでは、何の変哲もないただの日常だ。
 だがしかし、それについて歩く二人はあまりに静かだった。狛は何処か上の空、蘭角はむすりと黙り込んだまま口を開かない。火花が散ると言う程までではさすがに無いが、二人の間の空気は平穏ではなかった。
 無邪気に走り回っていた陽桜が、無意識の内かはたまたそれに気付いてか、狛の前に裾を翻らせる。
「こま、つぎはどこにつれていってくれるの?」
「!」
 ころころと笑う陽桜に、先まで自分が難しい顔をしていたことに気付き狛は決まり悪そうに頭を掻いた。
「そうだね、何処に行こうか」
「ひとがたくさんいるところ」
「じゃあ広場かな?」
 しかしそうやって陽桜の言葉に笑顔で答える内にも、狛はその胸にわだかまりを渦巻かせている。蘭角が狛の言葉に思い直したと同様に、狛にとっても蘭角の言葉は胸を揺るがしていたのだ。
「…」
 再び陰りの落ちた狛の胸に、陽桜はぽつりと言葉の滴を零した。
「らんかくのこと?」
「…」
 その言葉に少しだけ離れた位置にいる蘭角を気にした風に一瞥した狛は、苦い顔をする。しかし、陽桜は笑いながらやんわりと首を振った。
「らんかくは、すこしらんぼうだけどやさしい。こまは、らんかくきらい?」
 拙い口調で尋ねてくる陽桜に、狛は返す言葉を失ってしまう。目の前の小さい姿を見つめて思う。どうしてこんなにも考え方が違うのだろうか。
 知り合って間もないが、蘭角が嫌な奴ではないことを狛は理解していた。まさに陰湿とは真逆で、実直で誠実。しかし堅苦しいことはなく、他人の冗談に乗れる気軽さを持っている。
「嫌いじゃ、ないけど…」
 だからこそ、大した理由もなくああやって怒るほど度量が狭いとは思っていないため余計に分からなくなるのだ。蘭角の言った『何も知らない』という言葉の意味、どうしてそこまで晴珠の同行しない陽桜の出歩きをきつく禁じるのか。
 答えたきり難しい顔をして黙り込んだ狛に、陽桜は優しい笑みを浮かべた。
「らんかくとこまはとてもにてる」
「晴珠も言ったね、…性格が?」
「ほかにも、たくさん」
「……」
 陽桜の言葉に、狛は弱々しい笑みを作って応えた。
「ちょっと俺、様子を見て来るよ」
 一度、離れて考えてみる。
 それは、端から見れば逃げとして捕らえられる応えだったかも知れない。しかし、狛にとっては頭を冷やす重要な行動だった。
 何か訳があるのかも知れないなら、考えないと分からない。
 そう思って、狛は陽桜の返事も待たずに土を蹴った。
 遠ざかる狛の背中を、笑顔で見送る陽桜の横顔は何処か達観した様子だ。そのまま静かでいるかと思ったが、不意に頭上で鳥が鳴くのと同時に、乱暴な声がする。
「どこが似てんねん。胸糞悪い」
 それは、小さな悪態だった。小さいが、しかし明確に陽桜へと向けられた言葉。振り向けば、その言葉を発しただろう蘭角は、不貞腐れた様子で陽桜を半眼で睨み付けていた。
「おこってる?」
 楽しげに返される鈴の音の様な声に、しかし蘭角は憤慨した様に溜息を吐くだけで何かしら声に出しては応えなかった。しかしそんなことを露ほども気にしない陽桜は、蘭角の目の前へと回る。暫くして、蘭角より遥か小さな陽桜の頭が並ぶ。
 零れそうな大きな瞳。
 微笑む陽桜はしかし、それ以外の表情など忘れてしまったかと思えるほどに感情表現に乏しい女児だ。だがその時だけは蘭角には、その瞳が少し―ほんの少しだけ、揺らいでいる様に見えた。
「ようかがついてきたことは?」
「当たり前に怒っとる」
「ごめんなさい」
 疲れ果て投げ捨てる様に呟かれた言葉にも丁寧に謝る陽桜に、蘭角は大きな溜息を吐いて頭を掻いた。陽桜から見れば青い空に良く栄えるそれが、蘭角の手の動きにつられ上下する。いつだって強気な吊り上がった目は、その時だけは下がっている様に見えた。
 その目に映るのは、向こうに立ち並ぶ『人』の世界だ。何年、何十年とかかり、同じ様で少し違った風貌を保ち続けている。殻蟲とは違う、陽の光に包まれた、穏やかな場所。
「…お前やったら、こんな小さい村、いくらでも見慣れとるやろ」
「どれだけみても、たのしいから」
 まっすぐに前を見据える瞳は蘭角や晴珠たちのどれとも違い、それより遥か永い先を見つめている様で。
「ひとのたましいのうねりは、つよくて、きれい」
 幼児のそれではなかった。
 そんな陽桜を見て、蘭角は独りごちる。足元に転がる石を蹴る音に紛れて消え入ってしまいそうな声で、小さく。
「お前は『特別』やからな」
「…」
 『特別』の意味をどう捕らえるべきか、陽桜本人には良く分かっていた。どうして自身が一つも成長せず、何十何百との年月を過ごしてきたか。いくら外見は幼い童の形をとっていようとも、蓄えられてきた知識や力を削ぐことは出来ない。いくら幼いふりをしようとも、それは同等のこと。
 それがただ、他の同胞と違った風に、生まれた時から作用してしまっただけのことだった。
「人間を見ても、襲いたいとは思わへんか?」
「なかよしはいいこと」
 陽桜の返答に、蘭角は今までとは明らかに打って変わった悲しげな表情になった。
「…俺も、そうやったら良かった…」
「らんかくは、にんげんがきらい?」
「嫌いではない。けど、…好きでもない」
 陽桜よりも幾分少ない蘭角にすら、思い出されるのはやはり繰り返し見て来た同胞の死だ。大して特別な感情があった訳でも、人間に対して恨みを抱いたことがある訳でもない。しかし、何故だか割り切れない境界線。それは、ただ一つの過去が理由であった。彼自身、朱援たちにすら話したことのない秘めた過去。それに対して蘭角自身から口を開いたこともないし、これからも無いのだろうと彼は思う。
 脳裏を蠢く思い出に苦い顔をしながらも、その唇には皮肉にも笑みを浮かべた。それが、蘭角の唯一の強がりなのだろう。
「朱援も、大分我慢してるんやろーな」
「そうかな」
「なにがや?」
「しゅえんは、こまといるととてもたのしそうにしてる」
「!」
 一瞬言葉に詰まった蘭は、
「そうか…」
 そう、悲しい様な嬉しい様な複雑な表情をして笑みを返すだけだった。
 柔らかくも冷たくなった風が緩やかに二人の間を通り抜け、向こうの煙を軽く揺らす。
 そのまま、狛が戻って来るまで沈黙が続くかに思えた。
 しかし、不意に感じた肌に纏わりつく焼ける様な感覚に、蘭角は険しく眉を顰めた。明るかった筈の空は、今や薄靄に覆われて色すら曖昧だ。立ち並ぶ家々は靄に隠れてしまっている。
「陽桜!」
「…」
 名前を呼ぶだけだが息の合った動きで陽桜は蘭角の背に隠れた。そして蘭角は、背後にいる女児を守るべく、敵意をむき出しにして構える。
 漂うのは、濃い臭気。
『よこせ…』
 ぽつりと、薄靄の中から轟く重低音。
『若子を寄越せ…』
『われらのみなもと』
『力、糧、欲』
 それは、一つではなかった。
 三角形の辺を結ぶための頂点かの様に、三つの影が薄靄から姿を現した。人間の形に成りかけ、成り損なった骸。大きさは大、中、小とあり、装飾の豪華さもそれに比例している。それらが口を開く度に、無い喉から声が響いている。無い眼球の穴からは、生を渇望する邪な光が見て取れた。
『若子を寄越せ』
 再び同じ言葉を紡いだのは、一番大きな骸だ。きっと、これが一番力を持っている。そう瞬時に察した蘭角は、それに向かい、立ち直す。
「同胞が、コイツにどんな用や?」
 同胞―殻蟲であるこの三つの影が何を狙っているのか。それが何であるかを明らかに、そしてその理由も蘭角には理解出来た。
『にくがほしい』
『殊、肉』
 骨が、音を立てて笑った。
 不意に、足音が増える。
 小走りで身軽な足音だ。
「蘭角、この靄は一体何なんだ?」
 聞き慣れたその声に、蘭角は歯がみした。
 薄靄から現われたのは狛だった。しかし、突然目に入った大と中との姿に驚いたのか、その間に挟まれる様にして立ち呆然とその両脇を見つめて言葉を失ってしまっている。
「こっち来んな!」
 陽桜から離れることが出来ず、自力で逃げるように叫ぶ蘭角に、しかし狛は尻餅をついてしまった。微かに漂う臭気の正体に、彼は気付いてしまった様だった。がたがたと震える足は、力無く砂利を掻き混ぜるだけの動作で終わってしまう。
『我らが見える若子がいる』
『とくべつなちにく』
 そんな狛の怯えた姿に、見下ろす大と中が嬉しそうに喉を鳴らした。
「ぁっ――!」
 それからの行動は、息を吐く間もない程だった。
 骸たちの意識は、陽桜のことなど忘れてしまったかの様に今は狛だけに向けられている。何かを叫びながら振り下ろされた大の腕がその脳天を捕らえようとして、飛来した蘭角の足蹴りによって弾かれた。そしてよろめく大きな骸を乗り越えて、中くらいの影の頭蓋骨を割る。容易くも後ろに転げたその身体は、尻餅を付いていた狛の横で、土塊へと姿を変えた。不意に聞こえた悲鳴に振り返れば、陽桜が小さな骸に囚われる寸前で。
「ちっ…!」
 小さく舌打ちをして、蘭角は腕に意識を集中する。一瞬の出来事だ。それによって芽生えた真っ赤な炎が、その身体へ一直線に向かう。避ける間もなくまともに当たり、粉々に砕けた身体は残骸をばらまいて消滅した。
「らぁあっ!」
『ぐ、ぉお、お…』
 残った大きな骸にも、瞬時に炎を纏った拳を叩き込む。雷が轟く様な叫び声に、狛は耳を塞ぎたくなった。死に際に骨が蘭角の頬を掠め、その髪と同じ色の一筋の血の跡を作る。痛みをものともしない様な乱暴な仕草に、狛は喉の乾きを感じた。
 見せられたのは、あの時と同じ圧倒的な差だった。力を持たない殻蟲ですら、普通の人間は足元にも及ばない。しかしそれを遥かに陵駕する、力ある殻蟲の力。
 その胸に抱いた殻蟲と言う一括りの存在に対する微かな畏怖の念に、狛は小さく眩暈を感じた。力を入れすぎて白くなっていた手を開くと、沢山の汗が滲んでいる。今更ながらに、自らが関わっているものの大きさに気が付いた様に思えた。
「かわいそう…」
「っ、」
 不意に呟かれた声に、狛は肩を震わせる。それは何のこともない、ただの陽桜の声であったのに。
 戻って来るまでは、一度、考えなしだった自分の非礼を詫びようと考えていた。だが、今の狛からわき出るのは、恐怖と乾いた笑いだけだった。
「なにが、可哀相なんだよ…」
 掠れた声が、風にのまれる。




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