玄関を潜った瞬間、重い衝撃に襲われた。ぐらりと身体が後ろに傾き、遠ざかる見慣れた風景。そしてその手前には、これまた見慣れた白いリボンが映った。 ――倒れる。 理解したときには既に遅い。背中から頭部へと駆け抜けた痛みに、俺は顔を歪めるしかなかった。 「っリン、痛い!」 仕事から帰った俺に、愛しい片割れが挨拶も無しに飛び込んできた。 それは別に良い。数日ぶりにリンに触れることが出来たのだから、転んだことも大した問題ではない。 が、しかし、せめて気持ちを決める間くらいは与えて欲しかった。 骨の芯が訴える鈍痛に呻く以外の道を用意されていないなんて、あまりに情けなさすぎる。 「………大きな仕事を終わらせた俺に対する労いの言葉が無いとは。冷たい家族だ」 「…………………」 「と思ったら、ああ、リンしか居ないのか。そっか、それは寂しかったな。でもいくら人恋しくてもいきなり飛び込むのは危ないよ、うん」 「…………………」 「俺だから良いけど、これがカイト兄だったら危ないからな。気をつけろよ」 「…………………」 「………リン?」 寒い一人芝居をしてみても、名前を呼んでも返事はない。その代わりと言わんばかりに、彼女の頭の頂上で背を伸ばしていたリボンがうなだれただけだった。 「………これ、ただいまって雰囲気じゃないな」 「…………………」 「どうした?」 胸の辺りにじわじわと広がる熱に違和感を覚え、その発信源がリンの額だと気付くまでにそう時間は掛からなかった。 心当たりは全く無い。が、口を利かないリンの現状から察するに何かあったのだろう。何故よりによって今、俺が思考の場に選ばれたのかは分からないが、いつも明るく帰りを迎えてくれるはずのリンを黙らせたほどの何かがあったのだとしたら、放っておく訳にはいかない。 年中無休、夢の中でも閉じることを知らない口の持ち主。それが俺の片割れだ。 「………リン、とりあえず熱を冷まそう。落ち着くためにも少し離れた方が良いよ」 全く飲み込めない状況。唯一分かることといえば、リンに触れている部分から伝わる熱が表す彼女の混乱だけだ。 ここ数日は全くリンに会っていなかったから、その間に起こったことが原因ならば把握のしようがない。最近は本当に疲れていて、食事も済ませずに眠ってしまうことも多かった。同じ仕事に就いている以上、リンもその気持ちは理解しているだろう。 少なくとも俺の態度が振るわなかったことは直接の原因ではないはず……となれば、相手が話すのを待つしかない。 体勢の不利を改善するべく、俺はゆっくりと上半身を起こした。それに合わせてリンが動き、自然と抱える形になる。 そろそろ頃合いだろう。名前を呼べば案の定、彼女は控えめに口を開いた。 「………あの、ね」 「うん」 「本当はこんなこと………面倒臭いだろうなって思うから、言いたくないんだけど」 「うん」 「最近の私は、レンが家を出る時間でも寝てることが多かったでしょう?」 「それはもう。すやすやと」 「だから、その。見送れなくてごめんね」 「…………そんなこと?別にいいのに」 思ったよりも単純な答えに俺は拍子抜けする。なんともリンらしくない、取るに足らないささやかな心配だ。 それだけに、熱がしぼんで尚も顔を上げない不自然さは気に掛かった。服の裾を固く握り締めてくる姿はすごく愛しいし、一般論としても非常に美味しい状況だと言えるのだけれど……彼女は自分の発言を後から恥じらうような繊細な心は持ち合わせていない。 「まだ何かあるの?」 だから、そう問い掛けたのはごく自然な流れだった。リボンが跳ねたかと思えば、うう、と唸る声が聞こえる。 少々無理に顔を上げさせてみれば、耳まで赤く染めたリンが目を潤ませている。 「…………え、なんで泣いて、むぐ!」 当然の疑問を投げ掛けたところで、俺の言葉をリンの両手の平が遮った。引き攣った笑みを浮かべ、焦っている……というより、半ば自棄になっているようにも見える。 「本当は、ちゃんとお帰りを言って迎えようと思ってたの」 合わせた額からリンの熱が伝わってくる。恐らくリンの方でも俺の熱を感じ取っているに違いない。羞恥心が疼いて疼いて、そのせいかリンが普段よりも女らしく見えた。 「頑張れって見送れなかった分、ちゃんとお疲れ様って言おうと、思ってたんだけど………」 ――何だって帰ってきて早々、こんなに心労を重ねなきゃいけないんだ! 複雑に絡まっていく思考の中で、はっきり認識出来た感情はそれだけだった。 「レンの顔見たら堪えきれなくて……咄嗟に抱きついちゃったけど、どうしたらいいか分からなくなっちゃって」 冷静に努めようとするも、実際は早過ぎる鼓動の音に飲まれないようにするのが精一杯。遂に限界を迎えた俺の脳は、熱から逃れる為の指示に最後の余力を費やした。 「リン」 「……なに?」 「そういう可愛いことを言われると、俺、すごく困るんだけど」 「どういうこと?」 「…………だから、」 出された指示を文字通りに行動でなぞって、腕がリンの細い手首を掴んだ。そのまま本能に従い、体勢を九十度傾ける。 「こういうこと」 流石のリンだって、この体勢の意味に気付けないほど鈍感じゃないらしい。その証拠に、彼女の表情から少しずつ余裕の色が失せていく。 「………レン、ちょっと待っ「リン」 場違いに緩む俺の口元。だからといって内心は穏やかでない。ただ筋肉を上手く操ることが出来なかった、それだけのことだ。 「ただいま」 観念したのだろう。抵抗をすることを止めたリンは、俺に向かって柔らかく微笑んだ。それを合図と受け取って、互いに指を絡め合っていく。 小さく聞こえた「おかえり」と「お疲れ様」に満足して、俺は久しぶりの帰宅を実感した。 愛しい君へ 20100414 + + + promised.のつばさ様より頂戴しました。 こんな何もないサイトをリンクして下さった上に小説のリクエストまで受け付けてくれました! 純粋+ほのぼの雰囲気に癒されました。 2828?そんな下心満載の顔してませんよ? さて。レン、ちょっと替わr(ry つばさ様、 本当にありがとうございました! [戻る] |