なにを言っているんだ、コイツは
犯す。榛名元希を。
そう決めたのは、この日のためにわざわざ駅前に運び込まれたらしい大型モニターに榛名元希の整った顔が大写しになった瞬間だった。
グローブを構えた榛名が俺を睨んだのだ。集まった聴衆の誰でもない。地位も名誉も金もない、ただただ泥が垂れるように会社と自宅の間を這い回るだけの毎日を送るこの俺を睨んだのだ。
その視線はこびりついた劣等感こと俺の魂を貫いた。
神からの寵愛を受けた美しい姿形に、公衆トイレに張られたタイルの冷たさなど感じたこともないだろう快活で屈託のない性格。
俺が、いや、皆が望んでも手に入らないキラキラと光る宝石を当たり前のように手のひらで転がす榛名。
そんな男を、俺は組み敷き、犯す。
その瞬間、俺は俺を越え、人を越え、神さえ越える。そんな気がした。
調べあげた榛名の家は意外なことに、どこにでもあるようなごく一般的なマンションの一室であった。
国民的スターらしい大袈裟なセキュリティを予想していた俺は、肩透かしを食らった気持ちになったが、脇が甘いに越したことはない。
非常階段に隠れ帰宅を待ち、現れた榛名がドアノブを回した瞬間を見計らって大きな背中にタックルをかました。
折り重なるようにして榛名宅への侵入を果たした俺は、息つく暇もなく次の行動へ移る。榛名の腕。人々を魅了してやまないあの腕を拘束するのだ。
しかし。
「怪我したら、どうすんだ」
下敷きにしているはずの体はなく、代わりに頭上から冷たい声が降ってきた。無防備に空を眺める俺の背中に容赦なくめり込む靴底。
「あ、あ、あ……、お、俺は!決して怪しいものじゃなく……!」
「どう考えたって怪しいだろうが、オメー」
怒りも驚きも感じられない。熱のない声にこれは誰だ?と俺は不思議に思った。
俺の知っている榛名の声は、埃の積もったスピーカーを通して尚、殺しきれぬ生命力に溢れた明るいものであった。
「なぁ、アンタ強盗?俺が誰だか知っている??」
こんな……、アルカディアムーブメント総帥のような声では断じてない。
「うわ、なにこれ。ローション、バイブ、手錠……」
「ちょっ……!人の鞄を勝手に!」
「そんなこと言える立場か?ゴーカンマサン?」
アーモンド型のつり目に愉悦を浮かべニヤリと唇を歪ませる男に心外だと俺は強く感じた。
俺が犯そうとしたのは『榛名元希』であって、こんなヤクザではない。
だが、現実は過酷だ。
『榛名元希』は聡明な猫を彷彿とさせるアーモンド型のつり目の持ち主であり、不遜に弧を描く唇は彼のチャームポイントであった。
「違うってんなら、何?やっぱり強盗?バイブ持って?」
インタビューでも行うよう向けられたバイブの先端がヴィンヴィンと間抜けな音をたてて俺の頬を叩く。
「ほら。言ってみろよ?これで何しようとしてたんだ?」
「そ、それは……」
「あ?」
「榛名さんを、犯そうと……」
同性に性的な目を向けられるということは、個人差はあれどそれなりに恐ろしいことであると思う。しかし榛名は熱湯の中でのたうつムカデを眺めるように面白げに笑う。
「へぇえ。お前、俺を犯そうとしたんだ。身の程知らずだな。……でも、見る目ある」
うんうんと榛名は頷くが、確信を持っていえる。俺に人を見る目はまったく無い。だからこそ、こんな事態に陥ってしまったのだ。
「ついてこい」
俺の背中で靴を脱いだ榛名は振り向きもせず廊下の奥へと進む。俺はよっぽど「逃げたい!」と思ったが、「逃げられる」とは到底思えなかった。
リビングは凄惨たる有り様だった。
床一面に広がったごみでせっかくのフローリングが隠れていることよりなにより、壁一面に張られた写真、写真、写真。
写真のすべてには一人の青年が捕らえられており、いっけん乱雑に張られたように見えるそれらは大型のモザイクアートを作っていた。浮かび上がるのはもちろん写真の青年だ。
「タカヤ」
写真を指差して榛名は言う。
「コイツな、俺のコーハイなんだけど、スッゲ!ナッッッマイキなんだよ!なんつーの?俺のこと、全っ然わかってねぇの!俺がどんなにモテるかとかどんなに人気者かとか!」
鼻息荒く榛名はいかに「タカヤ」が鈍感で冷酷で性的か主張する。悶えるように抱えられた頭の天辺から生えたアホ毛がぴょこぴょこと揺れて子犬のような愛嬌を振り撒いている。
「それに!」
パッと榛名は顔を上げた。
壁に取り付けられたカーテンを閉め、壁に貼り付けられたたくさんの「タカヤ」を大きな窓へと変える。
「……俺がどんなにタカヤが好きか、とか」
深い黒で渦を描く瞳孔が滑るように俺へと向けられた。
「つーわけで、お前。俺がどんなに魅力的な男かタカヤに解らせてこい」
「へ?」
「俺を犯したいんだろ。なら、タカヤが俺を犯したくなるように俺のミリョクをプレゼンしてこい。襲ってきたとこをいただくから」
何を言っているんだ、コイツは。
「今からタカヤ呼ぶから」
そう言って榛名はスマートフォンを取り出した。
――違う。俺が犯したかったのは電波のなかの榛名元希であって、生身の榛名に対してはいっさい食指が動かない。異様でこえーし、この人。
と、口に出せたらどれだけよかっただろう。眉間にしわくちゃにしたタカヤを前に強く思う。
「……今。何時か。わかってます?元希さん」
「わかってる。夜の十二時ぴったし」
「人を呼び出すにしても時間考えろテメー!」
「なんか、コイツが話あんだって」
榛名の指先に従い、ゆっくりとタカヤがこちらを向く。
榛名と比べると見劣りするが、すっきりと整った顔をしている。もう少し洒落っ気があったなら、雑誌モデルのように見えたかもしれない。
「ダレ、すか?」
「ん?知らね」
困惑するタカヤをよそに、榛名は「ふわぁ〜」と暢気に大あくびをする。
それに対して「つーかアンタ!こんな時間まで夜更かしして!体が資本だろ」と眉をつり上げたタカヤに、彼も相当な変わり者であると俺は確信した。
「オラ、さっさと寝ろ」
「なっ!こんな夜中に知らねぇ奴と二人っきりなんて危ねぇだろ!」
「知らない奴が家にいる時点でずいぶん危ないと思いますけど」
尻を蹴る膝に押されて榛名は寝室へと入っていく。見るからにふかふかのベッドで肩に布団を掛けられ、心音よりも優しいリズムでポンポンと胸を叩かれてしまえば榛名に抵抗の術はない。
「さて」
やすらかな寝息を確認し、「どっこいしょ」と腰を持ち上げた彼の影にもう何年も会っていない母親の姿が重なったのは見間違いではないだろう。
「災難でしたね。俺は榛名の後輩で阿部といいます」
ご丁寧にどうも。俺は榛名を強姦しようとした**と申します。……などと答えられるはずがなく、俺は榛名の友人の友人の所属する昆布巻きこそ至上の料理の会会員だと名乗る。
「へぇ。そんな会があるんですか」
あるわけねぇだろ。あんな便秘二週間目のうんこに干瓢を飾ったような料理が至上であるはずがない。
「話しっつーのは、なんですか?」
「あぁ……」
小首を傾げるタカヤに俺は自らの使命を思い出し、肩がどっと重くなるのを感じた。
「榛名さんって、ステキですねー」
「は?」
「格好いいし、イケメンだし、男前だし……」
「……はぁ」
そんな目で見ないで!
君が今感じていることを、俺も今、心の底から感じてるから!
すなわち『なにを言っているんだ、コイツは』。
しばらくタカヤは不信感を顔いっぱいに広げていた。しかし、やがて思い付いたように目を大きくした。
「もしかして、元希さんと付き合ってるんで……」
「すか?」と続くであろう言葉をタカヤは飲み込んだ。
「なぜそうなる」と思う俺を他所にタカヤは腹を決めるように唾を飲み込んだ。腕で乱暴に目元を拭ったように見えたのは、きっと気のせいだ。
「俺と、元希さんは、そんなんじゃなくて。たしかに、たまにアイツエロっぽいこと言ってくるけど……。ちげぇ。今の無しです。……榛名はあれで真面目ですから、意外と一途ですから。俺と……、誰かとどうにかなるなんてことないですから、安心してください」
『なにを言っているんだ、コイツは』。
どうやら俺のプレゼンを嫉妬深い恋人による牽制と受け取ったらしいタカヤは、じわじわと目を赤くする。
「あ、いや。スンマセン」
俯いた背中は丸く自らの惨めさに耐えている。
「……あんなん真に受けて馬鹿か俺は」と呟く声は勘違いに押し潰されそうになっている彼の肩に手を置いてなければ聞こえなかっただろう。
「いや。いやいやいや……。違うよ、違うよ!?」
「……別に口外しようなんて気はないッス」
「違う!違うってば!」
隙間なく閉まっているカーテンの向こうを見せれば、タカヤは勘違いに気づいてくれるだろうか。
「そうだぞ!」
ヒーローは遅れてやってくる。それを体現するように寝室の扉が壊れんばかりの勢いで開いた。
「俺が好きなのは、タカヤ!お前だ!」
高らかに宣言する榛名はやはりそういう星のもとに生まれているのだろうなぁと俺は眩しく思う。
台詞、タイミング、共にドラマのようだ。寝癖で乱れた髪すら、榛名の熱を引き立てる演出となっている。
「…………謀ったな」
しかしタカヤは雰囲気に流されるタイプではないらしい。
あまりに出来すぎた展開に騙されたと思ったらしく、ざわざわと目をつり上げる。
「あ?なに言ってんだ。お前が勝手に勘違いしたんだろ。なぁ?」
まったく潔白というわけではないが、鋭い眼光に迫られ、俺は黙って首を縦に振る。
「ち!違います!俺は、ただ……。アンタが付き合っている人がいるのに、俺にあんなこと言ったってのが、情けなくて……」
無理がある。それは無理があるぞ。
「俺はこれでも真面目で意外と一途なんじゃねーの?」
「知らねぇ!んなこと……!言ってねぇ!」
「言う通り、俺は真面目かどうかはわかんねぇけど、一途だぞ」
誇らしげに榛名は言うが、それは執念深いとも言い換えられる。
「でもよ。後悔してベソかくくらいなら、さっさと素直になればいいのに……」
「そ、そんなんじゃねーよ!」
湯が沸くように顔を赤くしたタカヤのパンチが榛名の頬でパチンと弾けた。
これが長い長い俺の悲劇の始まりだ。
この一発が大変気に入ったらしい榛名は、ことあるごとに俺を呼び出してタカヤを妬かせようとする。タカヤは流石に泣き出したりしないが、それでも苦々しい表情を隠せない。
前回の好評を経て、今日もまた駅前に大型モニターが登場した。そこに映る榛名を横目に俺は「藪から蛇を出して、当て馬になった」とため息を吐くのだ。
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