阿部と榛名と俺と奴
10月の阿部くんの幸せを考える会に、間に合わなかったブツ

間に合ったとしても、糞面白くないからボツにしたけどね!



「俺は絶対ェお前を幸せにしてやんねぇ」

榛名元希は猫のようなつり目を醜く歪ませて宣言すると、阿部隆也の唇に了承も無しにキスを落とした。
いや、違う。それは、キスなどという生易しいものではなかった。
榛名の離れた阿部の唇にはルビーのような赤い玉が付着していた。血だ。
ウサギの目と人間の唇が赤いのは血管の色が透けて見えるからだ。それほど薄く脆弱な彼の皮膚を榛名はまるで獰猛な肉食獣のように食い破ったのだ。

「ぃって……!」

苦痛に顔を歪めた阿部は手の甲で乱暴に唇を拭うと、文句の一つでも言ってやろうと榛名を睨み付けた。
しかし、睨んだ先の榛名は幼い子供が今にも溢れ落ちそうな大粒の涙を堪えて虚勢を張るような表情をしていた。
く、と阿部の喉が突っ張り、怒声は苦しげな息に変わる。

「……アンタ」

気づいているのか?俺の思う幸せに。
愕然とする阿部を榛名は眉を下げて見つめ返した。
続く言葉が見つからず、黙り込んだ阿部の強ばった頬に榛名は慎重な仕草で手を伸ばした。
戸惑う阿部の頬肉をむにっと引っ張る。

「ぶせーくー」

子供のようにケタケタと笑う榛名の声は、一瞬前までの緊張した空気を吹き飛ばした。

「……離ひてください」
「離さねーよ」

そう言って榛名は阿部の頬から手を離した。
細められた目には少しだけ悔恨とたしかな決意が滲んでいた。
阿部隆也を不幸にするための決意。
ふざけんなそうはさせるか!
そのやり取りに俺は榛名元希の丸い後頭部にドロップキックを決めてやりたい衝動に駆られた。
長期にわたり彼の幸せを追求し続けている俺にとって、阿部隆也を幸せにすることはヴァイキングがヴァルハラへの航海図を手に入れることと同等といえた。

阿部隆也の思い描く幸せ。
皮肉なことにそこには榛名元希がいた。
まだ誰も足を踏み入れていないゲレンデのような照り返しのきつい白いタキシードに身を包み、頬を紅潮させて微笑んでいる。その隣には、色とりどりの光を集めた宝石のようなブーケを持った美人がしおらしく佇んでいる。
阿部隆也は異様に坊主率の高い招待客に混じって榛名の顔面目掛けて生米を投げつけいた。
俺の記憶が正しければ、これはライスシャワー。新郎新婦の子宝を願って行われる海外の風習であり、間違っても応急処置の一種ではない。わかるな、水谷?
つまり阿部隆也の幸せは榛名元希の結婚だ。
即ち榛名元希との別離。懸命な判断だと思う。榛名元希という男は、凶暴で自己中心的で早漏で『クズ』というに当たらない点がもち米似でないところしか見つからない。

榛名は阿部を幸せにしない。阿部は榛名といることに幸せを感じない。
このように考える二人が共にいる理由などあるだろうか。
あるはずがない!もしもあるというのなら、酢豚に入ったパイナップルもハンバーガーに入ったピクルスももっと世間から愛される存在であるはずである。
そのように考えた俺は早速阿部隆也を幸せにしてやることにした。
手始めにすれ違った誰もが振り返るような美しい女を用意。無論、巨乳。
次にロマンティックなシュチェーションを少々、最後の仕上げに運命の出会いを飾る。
不本意ではあるが、彼女は榛名を気に入るだろう。榛名だって、彼女を悪くは思わないはずだ。一部の特殊嗜好を持った個体を除き大抵の男は女以上にカワイイもの好きであるからだ。
俺の作戦は概ね上手くいった。
彼女は去り行く榛名の後ろ姿をいつまでも眺めていたし、榛名は終始彼女の胸の谷間に釘付けであった。
馬鹿め!六十年幸せに暮らした後、今お前の愛するその肉まんは所詮婦人用サスペンダーなのだと知れ!
榛名の背中が人混みに紛れて消えた頃、彼女は足元に携帯電話が落ちていることに気がついた。
どこかで見た覚えのあるものだった。それもそのはずで、先ほど出会った青年の手にそれは握られていた。
今追いかければ、まだ間に合うかもしれない!
彼女は運命を感じながら、先程挫いた足を圧して走り出した。
その拍子に、細く白い指が携帯電話のボタンに触れた。しまったと思い、携帯電話に目を落とした彼女が見たのは、一分おきに並ぶある人物への着信履歴であった。
心臓が高鳴り火照った彼女の顔から血の気が引く。執拗なストーカー行為は百年の恋を急速冷凍させるのに十分であるらしい。
……という三流喜劇を五度ほど繰り返した頃だった。
どうにか榛名の変態性を包み隠し、高らかに坂,本,,龍,一を奏でられないか頭を悩ませる俺の前に、奴が現れた。

「テメー、最近こっちのシマ食い荒らしてくれてるじゃねぇか」

奴は俺の一つ先輩の"クズ"で、榛名元希の幸せを追求している。

「俺はただ自分の仕事をしているだけですが」
「それが目障りだって言ってんだよ」
「誰かが幸せになれば、誰かが不幸になる。当たり前でしょ。諦めてください」
「そっちが諦めろよ」
「ふざけんな」

幸せは誰もに平等に手にする権利を持ちながら、その数には限りがある激安スーパーの広告品と同じだ。早い者勝ち。
彼を失ったことでどれだけ榛名が不幸になろうと、阿部隆也の幸せのみを追求する俺の知ったことではない。

「それをタカヤが望むのかよ?」

にやりと頬をつり上げ、奴は言った。傲慢なその笑顔は、望むわけがないと知っている。
本当はわかっていた。
阿部隆也の望む幸せは、単純に榛名元希と別れることではない。
ただ榛名から離れたいのであれば結婚などというまどろっこしい方法を望む必要はない。別れを望むだけなら、榛名がドブにはまってるあいだにでも逃げ出せばいいのだ。
わざわざ相手の結婚などという方法を望むのは、彼が榛名に幸せになってほしいと思っているからだ。
男の自分と一緒にいるより、女と結婚してごく一般的で真っ当な幸せを手にしてほしい。
それが真に阿部隆也の望む幸せだ。

「タカヤ」

俺を呼ぶ奴の意地悪くつり上がった目から力が抜けたのがわかった。

「……元希さん。アンタじゃ俺を幸せにできませんし、俺はアンタを幸せにはしません。もっと、元希さんに、……相応しい人が、他にいるはずですよ」
「俺は幸せなんて望んでねーよ」

とくに阿部の考える幸せなど、榛名はそれがどんなに有益なものであろうといらない。
たとえ災厄を運ぶパンドラの箱だったとしても、榛名は阿部が欲しい。
それを教えるように榛名は阿部の首の後ろに腕を回し、グッと引き寄せた。

「好きだぞ」

雪の降り積もるより密やかに榛名は囁いた。
なぜそれほど小さな声なのかは簡単で、榛名の顔は茹でた蛸のごとく真っ赤だった。
その赤さは四百字詰め原稿用紙より雄弁に榛名の言葉が真実なのだと語る。
冗談じゃねぇ、と阿部は思った。

「最悪だ……」

神に訴えかけるように阿部は天を仰ぎ愕然と呟く。
幸せと不幸せというのは、生きとし生けるすべての生物へ平等に分配されるべきだ。しかし、今自分はミミズク一匹分ほど多く不幸せを受け取っている気がする。

「言っただろ?俺はお前を幸せにはしねぇって」

巻き付いた疫病神の腕を神は振りほどいてはくれない。
それができるのは他ならぬ阿部自身ただ一人である。
だからといって力強いその腕に抗うことは物理的に難しく、阿部はしかたがなく(本当にしかたがなく!)榛名の胸へ身を寄せた。

「…………離すなよ」

誰かの耳を気にするように小さく呟いた阿部に、榛名は声を大きくして「離さねーよ!」と応えた。

「不幸だ……」

再びぼやく阿部の胸のなかに灯る暖かな光の名は幸せという。


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