四月馬鹿ログ1
名前変更機能付けれたらと思ったのですが、できませんでした



夢をみた。
まだ中学生だった頃の夢だ。
漠然と広がるグラウンドに阿部は立っていた。内野も外野も皆陰る世界で、小高いマウンドに上るただ一人だけは内側から発光するようにキラキラと輝いていた。阿部の足は本能に逆らえぬまま自ら炎へと飛び込む虫けらのように動いた。
踏み出した一歩がグンニャリと地面へと沈み、場面転換。
突き上げられる衝撃に内臓が呻く。
『タカヤ』
今思えば、声変わりをしたばかりであろう低い声が飼い犬か、もしくは奴隷の名を呼ぶような傲慢さで阿部を呼ぶ。
それに答えようと阿部の口はパクパクと動き、彼の名前を繰り返す。そのあとに続く言葉は言えない。
『逃げんじゃねえ、離れんじゃねぇぞ』
あのときの記憶そのまま、喉はヒューヒューと鳴くのに流れる汗の冷たさを感じないのは、これが夢だからだろうか。
それなら、なぜ。

頬を伝う涙の冷たさに阿部は目を覚ました。
点けっぱなしになっていたテレビに、夢のなかでみたより幾分か大人びたつり目を人懐っこく細めた勝ち投手が映っていた。
夢はこれのせいか……。
阿部は苦々しい思いでテレビの電源を消した。
もう何年も前のことだ。童貞の前に処女を捨てただなんて平凡な大学生には不似合いなエキセントリックすぎる過去だが、悪夢にうなされるほど嘆くには今更すぎる。
頬を伝う筋に阿部は苦笑して手の甲でそれを拭ったが、次から次へとぽろぽろと零れ落ちる涙は止まること知らず、阿部の手を濡らした。
あの夏、ひねくれた言葉ながらも謝ってくれた榛名を阿部は彼を許そうと思った。
榛名に対して感じていた特別な感情をすべて捨てることに決めた。それから榛名は阿部のなかに貯蔵される膨大なデータの一つと化した。武蔵野第一の主将。四番。エース。これ以上なく分かりやすいチームの要。ここを叩けば、勝利は確実だ。
榛名が高校を卒業して、そのデータさえも阿部のなかから消えた。
先輩と後輩でもなければ、対戦相手でもない。関係の脆弱さを表すようにぽつぽつと交わしていたメールが『地元を離れる』と伝えたことに、阿部は何年がぶりに情事の最中榛名が言った言葉を思い出した。
逃げたのは俺だけど、離れていくのはアンタだ。
目に見えない糸がぷつりと断たれるのを想像しながら、阿部は携帯電話から榛名の名前を消した。
あれから幾年。阿部の予想通り、榛名と阿部が再開することは兆しの一つもなかった。
それでよかった。榛名も、そして阿部も若さゆえの狂熱が起こした過去の過ちに縛られたくはない。
しかし、今、阿部の涙は止まらない。
阿部の手は自然とテレビの電源をつけた。先程と同じ阿部の知らない笑顔で榛名は微笑んでいる。
ぎゅうと胸が締め付けられ、無意識という最も惨めったらしい形で露出した感情に阿部は唇を噛み締めた。
阿部は榛名のことが嫌いだ。シニアの時からずっと。
彼は嵐のごとき強引さで阿部の心を攫い、嵐のごとき呆気なさで二人の関係にピリオドをつけた。阿部の心はあの時のまま、彼に奪われているのに。
元希さん、元希さん、元希さん。阿部は夢の中のように榛名の名前を繰り返し読んだ。
元希さん、……好きだ。



以下、おまけ



……ぐすっ!

聞こえてきた鼻をすする音に榛名は目を覚ました。
絶賛遠距離恋愛中の恋人に何かあったのかと不安になり、急いで受信機に飛びつく。
「クソッ……!」と自分の叱咤する呟きの奥に薄くテレビのものであろう音声が聞こえる。ニュース番組のようだ。
榛名はますます心配になる。『わんにゃん大特集(再)』の感動の動物コーナーでないのなら、阿部を泣かせる原因は何だろう。
ガキ大将にいじめられたのか、それとも腰巾着にラジコンを貸してもらえなかったのだろうか。
榛名が傍にいたなら、そんな奴ら殴ってはやれないけれど、知りうる限りのつてを使って社会的制裁を加えてやるのに。
最愛の恋人と離れることとなったのは今から随分前のことで、榛名はよっぽど「ついてこいよ」と言いたかったが、その当時阿部はまだ高校生だったし当の榛名の未来もまだまだ霞がかっていた。
未だ未来に保証はないが、今なら言える。
「タカヤ、俺と結婚してくれ」と。


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あきゅろす。
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