ぼつ
リクエスト『大人になって余裕のあるプロ榛名に甘やかされるダメ大人阿部くんと阿部くんへの恋心を引き摺る不憫な花井』のボツ
次はがんばる
ピンポーン……。
間の抜けた電子音が豪奢な扉の奥へと吸い込まれて消えていく。
郵便受けからドアの取っ手の形まで、なにもかもが並外れたマンションであるが、インターフォンの呼び出し音は家賃四万五千円の俺のアパートと同じなんだ、と花井は意味のない安堵を覚える。
「英語教えて」と高校時代から変わらない横柄な態度で頼まれ渡されたメモには、駅前で一番背の高いマンションの名前が書かれていた。
執事のような男に(コンシェルジュというらしい)案内されて「榛名」と阿部のものと思われる字で記された付箋の貼ってあるドアの前へと辿り着く。
「おう、お前がハナイ?」
ガチャリ、とドアが開き、現れた榛名に花井は思わず後ずさった。
いやに広い玄関に立つ榛名の姿は花井の記憶にあるよりずっと大きく、威圧感がある。長い前髪から覗く目は、プロの世界で研磨され突き刺すような鋭さを持っていた。
一方で険はなく緊張に体を強張らせた花井をあっさりと部屋の中へと招き入れた。
「話は聞いてる。ワリィな、タカヤの奴まだ寝てんだよ」
廊下を歩く榛名は申し訳なさそうに言う。
「お前が来る前にちゃんと起こしとくつもりだったんだけど、俺も寝坊しちまってさ」
振り返った榛名が恥ずかしそうに言いながらも放った笑顔は、うっかり核ミサイルのスイッチを押したのだとしても許されてしまいそうなほどの愛嬌がある。
花井の頭になんとなく田島の笑顔が浮かぶ。彼もまた生まれ持ってのスター性というべき愛嬌を持っていた。
「い、いえ、大丈夫です」
「でも、タカヤお前がくるの楽しみにしてたぜ。昨日からお前ん話ばっかしてさー……」
「ウゼーのなんのって!」と榛名は愚痴っぽく言う。
「お前のこと好きなんだろうな」
「へっ!?」
「タカヤの世界には、好きな奴と興味ねぇ奴しかいねぇもん」
「俺ゃどっちなんだろうなぁ」と榛名は呟く。
寂しげなその声に、花井はドキリと震えた。
もしかして二人、上手くいってない?
三年前……、花井が高校二年生の秋ごろから、榛名と阿部は付き合いだした。
部外者である花井が何故そんなことを知っているかといえば、当の榛名が野球部員全員の前で「俺、タカヤと付き合ってっから」と宣言したからであった。
「だから手を出すな」
言われた通り、花井は恋心を捨てた。捨てた振りをした。
榛名の隣を歩く阿部の背中を見送りながら、意気地がないと自分でも感じた。
しかし、今なら……。
暗い喜びに震える胸を、花井は唾を飲み込むことで諌めた。
真実が如何にしても、他人の不幸を喜ぶなんて最低だ。
しかし一度膨らんだ都合のいい妄想は萎むことを知らず、花井の心を浮かれさせる。
「"あずさ"っつうんだろ」
見計らったように打ち込まれたコンプレックスを抉る言葉に、浮かれた心が現実へと落ちる。
「その顔。からかいやすいって」
赤くなったり青くなったりを繰り返す花井の顔を指差して、榛名はいたずらに笑う。
「タカヤー、花井クンが来たぞ」
リビングを抜け寝室へと入っていく榛名に、花井は客である自分が入ってもいいのかと足を止めた。
「こら、タカヤ!」
大きなベッドの中央にできた山を榛名は揺さぶる。
山は「あー」とか「うー」とか模糊な鳴き声をあげてその身を小さくする。
「たーかーやー」
ベッドに乗り上げた榛名が無理矢理に布団を剥がすと、毛布に足首が生えた生き物が残った。
「ったく……、コイツは」
利かん坊の子供をもった母親のように、榛名は大きなため息を吐いた。
「ん?お前、なんでそんなとこ突っ立ってんだ?」
花井の方を向いた榛名が「こっちこいよ」と手招きをする。
「あ、スンマセン。失礼します」
「んな、気ぃ使うなって。ゆっくりくつろいでけよ。俺もう行かなきゃいけねぇし」
ベッドから立ち上がり、早足で寝室を出ていく榛名に花井はギョッとした。
「はっ!?えっ!!?ちょっと、榛名さん!」
眠っている阿部と二人きりだ、と邪な意識が働く。
「タカヤもう少しで起きると思うから。あ、朝飯はそこ置いてあるから食えって言っといて」
花井が先ほど抱いた醜悪な妄想など知らない榛名は、いっそ申し訳なさそうに言う。
「いや!あのっ……!ちょっと……」
それは不味いのではないのでしょうか、何が不味いのかは言えないけども!
焦って引き止める花井を榛名は無表情で見つめる。
そして
「お前、ホントからかいやすいわ」
にぃとした侫悪な笑みを向けた。
残された花井の耳を阿部の寝息がくすぐる。
さらりとした衣擦れの音が妙に艶めいて聞こえた。
「阿部……」
二人で寝てもまだ余裕がある広いベッドは音をたてることもなく、花井の体重分沈みこむ。
『何から何までごめんな』
脳内で聞こえた榛名の声に花井はハッとしてベッドから立ち上がった。
俺今なに考えてたんだ!?
頬を叩き、霞んでいた理性を叱咤する。
三橋ではないが、榛名さんはいい人だった。たった数分話しただけだったが、榛名に対して抱いていた傍若無人なイメージは完全に覆された。
「阿部!起きろ!!」
花井は意識して荒っぽく阿部を起こす。
「ぐぇ」と色気も何もない声が上がり、毛布がグニャリと起き上がった。
「テッメーなにす……!……あれ?花井じゃん」
「起っきんのおせーよ!」
「え、なに?なんでそんな怒ってんの」
若干頬を赤くした花井に怒鳴りつけられ、阿部は目を丸くした。
「元希さんは?」
生まれたてのひよこのように阿部はキョロキョロと振る。
「もう出てった。スゲー申し訳なさそうにしてたぞ」
「えー?もと……」
ハッと阿部が目を大きくした。わざとらしく咳払いを二回。
「榛名が?ありえねぇだろ」
「こんな時間まで寝てるお前の方がありえねぇっての。ほら、そこのメシ食えってよ」
「取って」
阿部は大口を開けて欠伸をしながら、手を差し出す。
「取ってって、……ベッドの上で食う気かよ」
「わりぃか」
「お前んちのベッドじゃねぇだろ」と阿部は屁理屈をこねる。
「そういう問題じゃねえだろ」
「と、言いつつ取ってくれる梓ちゃんだぁい好き」
「やめろ、気持ちワリィ」
朝食の並んだトレイを受け取ろうと阿部が両手を伸ばした拍子に肩にかかっていた毛布がストンと落ちた。
「っ!?」
毛布の下の阿部は全裸だった。
赤くなった花井に、阿部は「初心な梓ちゃんには刺激が強すぎたかな」とニヤリと笑う。
「っざけんな!」
同性の裸を見たからでは花井の反応に疑問を持つことなく、カラカラ笑う阿部の鈍感さに花井は感謝した。
裸ということは、昨夜ナニがあったということだろうか。
しかしベッドには汚れ一つないし、阿部は平然としている。
「……お前、寝るとき裸なの?」
「うん」
「布団冷たくてきもちーぞ」と阿部は勧めるが、それはこの部屋であの布団にくるまるからこそいえることで、すきま風の厳しい自分の家では凍死するだろうと花井は思った。
「お前いっつも、そんな感じなの?」
「そんな感じ?」
「こんな時間まで寝て、ベッドの上でメシ食って……」
言いながら、花井は既視感を覚えた。その正体はすぐに判明した。
花井の母、花井きく江が小言を言うときの口調に似ている。
「別にいんだよ。学校ある日は榛名が送ってくれるし」
抗いがたい血の濃さを感じ、ショックを受ける花井に阿部は続ける。
「服とかも俺が選ぶより榛名の方が評判いいし。料理もな。榛名本人だって喜んでるからいいんだよ」
「お、お前、榛名さんがいなきゃ生きていけねぇんじゃね?」
母親染みた自分を払拭しようと、冗談半分で花井は聞く。
当然阿部は、顔をしかめて「んなわけねぇだろ、愚図!」と言うだろうと予想していた。
「――そうかもな」
榛名の顔を思い浮かべたのか、阿部はうっとりと微笑む。
内側から輝くようなその顔に、花井は長年未練たらしくも大切に抱き続けた恋心が砕けるのを感じた。
阿部は憎まれ口を叩くが、榛名のことを心から慕っている。そこに花井の割り込む隙間などない。
榛名の残した侫悪な笑顔の意味を、花井はやっと理解した。
榛名はおそらく、わざと期待させるような言葉を吹き込み、花井と阿部と二人きりにしたのだろう。
理性を忘れた花井が眠っている阿部を襲うことすら想定していたかもしれない。
例えそのようなことになったとしても、阿部が花井に靡くことなど絶対にないからだ。名実ともに阿部はもう榛名がいなければ生きていけない。
あの笑顔は、それを花井に見せつけるための笑顔だったのだ。
敗因
・榛名に余裕がない
・阿部君のダメ感が薄い
・花井の不憫感も薄い
ハッ…!いただいたリクエストのどれにも沿えてねぇ
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