花井おめでと
阿部くんの心が海。

花井→阿部総受?









いまだ寒暖の差が激しい昨今ではあるが、季節はもう春である。
今月に入ってやっと、阿部の心でも潮干狩りが解禁されたらしい。ニュースキャスターが喜び勇んで砂浜を熊手で掘り進めていくのだが、掘れども掘れども砂しか出てこない映像が夜のニュースで流れた。
ニュースはその後、見落とされがちな潮干狩りの危険性について厳格に述べ、麦わら帽子の着用、定期的な水分摂取、子供から目を離さないことを啓蒙し、「エコロジー」と鳴く白クマの赤ちゃんの話題へと移って行った。


この速報に一番に喜んだのは三橋だ。あいつは阿部が大好きだし大喰らいなので、たくさんの貝を獲るのだろう。
大きな麦わら帽子をかぶった三橋が手に持った網をいっぱいにしてにっこりと笑う姿が、鮮明に頭に浮かんだ。
ついでに田島も同じようなものなので、奴もまた大きな麦わら帽子をかぶってほほ笑むのだろうと思った。
しかし奴らは、潮干狩りには超過量がかかる場合があることを知っているのだろうか。まあ、当の阿部もあの二人なら少しくらいの超過は見逃すのだろう。

「俺この前行ったんだけどさ、入場料にコーラ払わされたよ〜」

そういう水谷の隣にはいちごミルクが置かれている。
本来、俺たちには阿部の心への年間フリーパスが渡されており入場料はいらない。しかし阿部は水谷を苛めたかるので、コーラもその一環であろう。だからといって人に奢られっぱなしというのも許せない律儀な男だからあのいちごミルクは阿部からのお礼なのだろう。

「そのとき、毒のある貝つかまされてさ」

そう、阿部の心にも貝毒は存在する。そして、俺と水谷がそれに多く中る。三橋や田島は絶対に中らない。それは阿部の優しさに違いないのだがあの二人はそれが不満で仕方がないらしく、下痢でひーひーいっている俺たちをジトっとした目で見る。

甘えられている優越感…を感じないわけではない。



水谷に刺激され、週末に阿部の心に行ってしまった。

潮干狩りに行くと言ったのに、家を出るとき母に「せっかくだから大物釣ってきてよ」と釣竿を渡されそうになった。
母は知らないようだが、あいにく阿部の心は驚くほど釣りに向いていない。
いたるところに、鮫がいるからだ。
映画に出てくる鮫のように人を食らったりすることなどないが、どんな浅瀬にも現われて足払いをかけてくる。
釣りなど行おうとした日には竿ごと海に引き込まれ、全身水浸しになることだろう。


「おお花井」
「よう」
「お前らっていっつも一人でしか来ねえよなあ!」

「友達いねえのか」と笑う阿部に悪いがお前には言われたくないと思った。

入場料を払っていた頃も、フリーパスをもらってからも俺たちが、連れだって阿部の心へ行ったことは一度もない。いつもつるんでいる九組だってそうだろう。連れ立ってくるような場所ではないのだ。ここは。

「ま、楽しんで行けよ。今はアサリがお勧めだぜ」
「この前水谷が中ったって言ってたぜ」

そう聞いた阿部は顔をこわばらせた。近年、阿部の心に対する密漁が問題となっている。貝毒が増えた原因もそれだろう。
阿部の心にゲリラ的にやってきては砂浜を掘り返し、法外な量の魚介類を獲り去っていく輩が現れたのだ。現に、厳重に固められた入場ゲートに榛名重工と書かれたブルドーザーがめり込み、柵を壊している。

「…仕方ねえだろ。最近荒されてんだから。嫌ならくんな」
「ヤだったらこねーよ」

ぎくりとした阿部に、俺もぎくりとした。普段の俺や水谷に対する態度からは考えられない繊細さを、阿部は時折みせる。
変な遠慮なんかしないで、いつもの傲慢な態度で甘えてくれればいいと思う。俺も、(多分水谷も)嫌がったりしないから。


ゲートを抜けて少し歩くと、すべてが光り輝くような豊かな海岸が広がる。

始めてきたときの阿部の心は不法投棄物に犯され、どこかくすんだような人を拒絶する気配すらある海岸だった。
しかしこの一年、西浦ホールディングスによる阿部の心清浄化計画が少しずつ少しずつ進められてきた。
また、それと平行するように阿部の心のほうも開拓計画を進めてきたらしい。
去年それらの計画を知ったとき一体どこが、と思ったと同時にそんなことしなくていいと思った記憶がある。単に客の増加を嫌った俺のエゴである。

開拓計画の方は、急速にとは言い難いが沖や栄口の指導などにより、去年に比べ大幅に進んでいる。
そこを付け込まれ、密漁の被害にあっていると思うのだが。



俺が危惧したように、阿部の心の盛況ぶりはまあまあといったとことで、部員の顔こそなかったが見覚えのある奴もちらほらいた。
キラキラと光った水面が人を誘っているが、皆、一心不乱に熊手を動かしている。
まだまだ寒い時期である。無理矢理海まで入っては地獄突きやジャーマンスープレックスを引き起こす可能性があり危険なので、本格的な阿部開きはもう少し後になってからということなのだろう。

俺も波打ち際に陣取り、熊手を動かしているとザクザクとあさりが出てきた。
人を見て収穫量が変わる阿部の心での大漁は、誇らしいような気持ちになった。しかしこの半分の貝は毒に侵されているのだろう。

だからといって、貝を選んで持ち帰るなんてことを俺はできない。
出た量を出た量だけ網に積めていくと、一時間も経たないうちに網がいっぱいになってしまった。あまりの早さにすべてが毒貝なのではないのかと不安に思ったが、やはり俺はすべてを持ち帰ってしまう。

「お疲れー、はえぇな」

アイスキャンディー片手に顔を出した阿部に網を渡し、重量チェックを受ける。
俺はいまだに超過量を超えた量の貝を獲ったことがない。
先に述べたように、三橋や田島になら阿部は多少の超過を見逃すだろう。田島と三橋に限らず、部の奴等になら見逃すに違いない。
しかし、俺は?
俺も同じ野球部員なのだから、見逃してくれるはずだ。しかし万が一、認められなかった場合が恐くて、俺は無意識にセーブしている。

「おー、重量オーバーだな」
「なっ!?」

自慢じゃないが(本当に自慢じゃないが)俺は超過量をギリギリ下回る重みを見極めることができる。
こんなミスは初めてだ…、と呆然としながら阿部の無機質な横顔を見た。
何を考えているのかわかりにくいその顔をこれほどまで憎らしく思ったことはない。

「ま、いーよ」
「お、ぉう」

阿部から返された網には明らかに見覚えのないサザエが五つと正露丸が入っていた。

「…阿部、」

心をくすぐられたような気がして思わず声がでたが、そのときには阿部はすっかりそっぽを向いてしまっており、その表情はうかがえなかった。




フライング花井の誕生日記念



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あきゅろす。
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