子供の玩具
「榛名さん、気を付けてください」

そう言われ目の前に置かれた段ボールを榛名は覗きこんだ。
その男の顔を見るのは一年ぶりだった。
その男は榛名が一年と半年前に契約したシークレットサービスのエージェントだ。ブラックスーツにサングラスという出で立ち、ではなくよれよれのグレースーツに眼鏡というごく普通の格好であったが、抑揚なく高圧的な話し方は彼が只者ではないと感じさせた。

「只今、鋭意調査中ですが、榛名さんの前に現れる可能性もあります」

だが、榛名にはそんなことどうでもよかった。
目の前に置かれた小型カメラ、防犯ベル、スタンガンなどの玩具に榛名は目を輝かせた。

「別料金になりますが、ボディーガードをつけることもできますが」
「ああ、別にそれはいいっす。ところでこのカメラってどこにでもつけてもらえるんですか?」



自宅にとかげの尻尾が入った封筒が届くようになったのは先月末からだ。消印はもちろんない。

はたして、これをいやがらせといっていいのか、悪いのか阿部は迷っていたのだが、一応榛名に報告すると大袈裟に驚いた榛名は「相談してみる」と手際よく防犯会社に電話を掛けた。

防犯会社の対応はとても早かった。
昨日しばらくぶりに帰ってきた榛名の手には防犯ベルと催涙スプレーがあり、今日にも玄関とベランダに監視カメラを設置するために電気屋が来るらしい。

カメラの取り付けくらいなら阿部にもできるのだが、なぜか榛名に断固として反対された。

阿部はコツン、と指で催涙スプレーを弾いた。
これといくつかの防犯グッズを置いて、榛名はとんぼ返りしてしまった。

大切な時期だというのに、忙しい時間の合間にこの件と、阿部にキスを二回するだけのために家に帰ってきた榛名の馬鹿さ加減を思って阿部は甘いため息をついた。

ひさしぶりに会った榛名が元気そうでよかった。
やはり催涙スプレーも榛名に持たせておくべきだったかもしれない。

実は一年前にも今回と同じようなことがあったのだ。あのときはカミソリの入った手紙が届いた。犯人はすぐに捕まったものの、その年、榛名は調子を崩して散々なシーズンとなった。
原因はそれだけではないだろうが、阿部はそのときのことを榛名以上に気に病んでいる。
幸いにも、というべきか今回、榛名はストーカーのことなど微塵も気にしていないようで開幕以来、安定した成績を修めている。
そのことがより、ストーカーの行動を過激にするのではないだろうかと阿部は危惧したが榛名は「そんな気にすんなって!」と暢気に笑ってみせる。



今日はこれから電気屋を迎えなければならない。とはいっても急なことであるので、阿部は出迎えと見送りをするだけで、あとは外に出払ってしまうのだが。
デリケートな時期に家の中に他人をいれることに阿部は躊躇したが、その電気屋には以前も世話になっていた。
一年前のストーカーは監視カメラに映った映像を元に逮捕されたのだ。今回もそのときのように素早く捕まってくれればよいと思う。
テレビをつけると去年の冬くらいの榛名の仕事をニュースが伝えていた。
野球をしている姿ではなく、携帯電話を片手に微笑んでいるところだったので阿部はちぇっと思った。

しばらくテレビを見ながら食パンを食べていると、ぴんぽーんという音に呼び出され阿部は立ち上がった。



「はるなせんしゅぅ!」という黄色い声に愛想よく笑顔で答えた榛名は、その光景をしっかりと映すテレビカメラに意識を向けた。
そのときにそばにいた女子アナウンサーと目があってしまい榛名はゲッと思った。

「榛名選手、ちょっといいですか!」

練習を邪魔されるのが榛名は嫌いだ。いまさらそんなことを顔に出すほど子供ではないが、できるならインタビューは別に時間をとって欲しいと思っている。

「ちょっとよろしいですか!?本当にちょっとですんで!」

せっかく捕まえたイケメン投手を逃がすまいとすごい勢いでアナウンサー達が迫ってくる。

「はぁ…」

アナウンサーとカメラマンが目配せして、インタビューが始まった。



その当日の夜、阿部はその様子をテレビで眺めた。

嫌そうな顔してら…。

榛名と離れているあいだの夜は、缶ビールを一本飲みながら榛名元希投手の情報を集めるのが阿部の日課だ。
パブリックな状態の榛名の可笑しさは何度見ても飽きることがないと阿部は思う。
我慢する榛名、というものが阿部にとっては珍しいものなのだ。できもしないのに人に気を使ったり、作り笑顔をしたりする榛名を阿部は一般人の気楽さで楽しんでいる。
意地の悪い楽しみ方だということは、自覚している。



二人用のソファーに広く腰かけた阿部はビールを片手に低く、笑っている。
その視線の先にあるテレビには昼間の榛名が映っていた。
その様子を見て、榛名は胸が暖かくなるのを感じた。

榛名は昨年の秋に携帯電話会社とコマーシャル契約を行った。
コマーシャル自体は今日からの放送らしいが、撮影は冬頃に行われた。そのときに渡された最新型の携帯電話を榛名は使っている。その際、その会社の人間に携帯電話のさまざまな用途について説明してもらった。

最新の技術というのは凄いと榛名は思う。
少し工夫をすれば、監視カメラの映像を携帯電話に送ることができるのだ。

離れているあいだ榛名はずっと寂しかった。広がった物理的な距離を少しでも感じないようにとたくさんの努力を榛名はしてきた。だが、所詮榛名には阿部の姿を見る術はないのだ。今までは阿部だけがテレビを通じて榛名の姿を見ることができた。

しかし、これからは違う。阿部にはリビングとベランダにしかカメラを取り付けるとしか言っていないが、実は家中の全ての部屋にカメラを仕掛けてある。
無論、阿部の許可はとってはいない。

リビングでくつろぐタカヤも、台所で薫製をつまむタカヤも、トイレも風呂場も榛名には全て見ることができるのだ。



淫夢をみた。榛名の夢だ。
一度寝返りをうって、もう一度寝返りをうつ。三度目の寝返りをうったとき、阿部は辛抱たまらなくなって目を開けた。
ティッシュ片手にパソコンの前に飛びつく。お世話になっているフォルダを開き、ネタを選ぶ。
しかし、いざ出してみても足りない。

丸めたティッシュをごみ箱に放り投げる。
これはいけない。体が熱暴走を起こしている。
これを解消する方法を阿部は知っている。もっと直接的で即物的な方法だ。
時計は午前4時30分を指していた。
日は昇っている。

阿部はなるだけ小綺麗な格好に着替えると、財布だけを持って家を飛び出した。



「お前、なんかケータイばっか見てんなあ」

背後から急に声をかけられた榛名はギクッとして携帯電話を閉じた。

「遊ぶのもいいけど、あんまうつつぬかしてっと監督に怒られっぞ」
「俺に限ってそんなことありません!」
「自分で言うな!ま、そうだけどよ」

そう、遊びではない。
昨夜、就寝前にトイレに行ったタカヤの可愛らしさといったらなかった。

是非、今日の朝も見たいと榛名は思っていたのだが、なぜか朝から阿部の姿はなく、榛名はとても不安になった。
榛名の見ていないうちに阿部は家を出てどこへ行ってしまったのだろう。

榛名は阿部が、朝起きてパンを食べ夜には風呂に入って寝る、普通の生活を送っていると思っていた。
しかし、今日は朝から阿部の姿は家になかった。つまり、榛名も眠っている日の昇りきらぬような時間のうちにどこかへ出掛けたということだ。

どこへ…、どこへ出掛けたのだろう。

考えれば考えるほど、榛名の心に暗い影がおちる。

そのとき、榛名の携帯電話に防犯会社から電話がはいった。

「もしもし、榛名さんですか。今朝あなたの家に侵入しようとしていた女が捕まりました」



スッキリとした気分で帰宅した阿部はドアの前で立て膝をつき、ノブをいじる女の存在を見つけ、血の気の下がる思いがした。

「なにしてんだアンタ!」

学生時代、大きい大きいといわれた阿部の声はもちろん今でも大きく、阿部の声は防音設備が整っているはずのマンション中に響いた。



手続き的なことで警察署に呼び出された榛名は、見たこともない女の顔を見せられよくわからない話をされてとても不機嫌になった。

良いことといえば、今夜一晩は自宅に泊まることができ、つまりは一晩阿部と楽しめることくらいだ。

でも、その前に聞き出さなければいけないことがある。
今朝どこに行っていたのか。


しかしそれでも榛名は悔しくなるくらいに嬉しい。タカヤに会える。
凶暴で危うい感情も阿部にぶつけるとなれば楽しみに変わる。

不機嫌な顔のままの笑顔はひどく歪んだものとなったが、ポケットの中に入れたスタンガンを握り直すと、これからどうしてくれようと榛名は軽くスキップした。














手紙出してる人と捕まった人は別人です

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あきゅろす。
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