お医者様でも草津の湯でも
榛名の脳みそが肉まんで喋る





二ヶ月前に発行された野球雑誌。
それを「貸してくれ!」と頼み込まれたのが昨日。
「は?その雑誌持ってっし」と追い返されたのが今日。

榛名の気紛れなど、今に始まったことではない。

しかし、この寒空のなか野球雑誌一冊のために骨折ってやって来た俺に対して、あの態度はあまりに失礼ではないか。
そもそも俺は榛名などに雑誌を貸したくなかった。

貸したくなかったのだが、榛名が柄にもなく真摯に頼み込んでくるものだから「仕方がないな」と首を縦に動かしてやったのだ。

それなのにあの態度。

悪魔に仏心を見せた俺の間抜けさを嘲笑うかのように、冬の冷たい風がコートを通り抜け体を突き刺す。


ふと、どこからか「タカヤッ!」と馴染みある声が聞こえた気がした。
ハッとして振り返ってみるが誰もいない。
当たり前だ。
アイツが今さら罪悪感に苛まれて追いかけてくるようなタマかよ。

少しでも期待した自分が恨めしく、ため息混じりに向き直った俺の顔になにかが張り付いた。

「タカヤ!」

今度は間違いなく聞こえた。
見ると、肉まんが喋っている。

「タカヤタカヤ!」

その声は間違いなく榛名のものだ。
肉まんはぼよーんと飛び跳ね、俺の頬にもちもちと擦りつく。

「どこいくん?俺んちこの近く!寄ってけよ!!」
「えーっと……。元希さんですか?」
「昨日まではな!」


彼(肉まん)の話によると、肉まんは昨日まで榛名の脳みそであったらしい。

榛名にとって無駄な感情を多く有してしまったため、その役を解任されたそうだ。

「どうせ逃げ切れない感情だってのに、それを認められないんだ。馬鹿げてるぜ」

皮肉っぽく肉まんは言う。

「さっきから同じ話何回するつもりですか。ほら、退いてください」
「あ゛?」
「アンタがそこにいると、温風が広がらない」

部屋を暖めるヒーターのド真ん前に陣取った肉まんを持ち上げる。

「あんだよー!俺が風邪引いたらどうすんだ」
「脳みそって風邪引くんですか?」

顔に張り付いてきた肉まんは、そのまま俺にまとわりつき、ついには部屋までついてきた。
ヒーターをつけるまでは「さみぃさみぃ」とうるさく、つければつけたでヒーターの前から動かない。
この傍若無人さはまぎれもなく榛名だ。

「そいで、アンタはこれからどうするつもりですか?」

肉まんとともにベッドへと腰かける。「タカヤのベッドー!タカヤの匂いー!」と肉まんが奇声を上げた。

「どうするって、なにが?」
「肉まんとして暮らしていくんですか?まぁ、ろくに使われてないだろう元希さんの脳みそとして生きるより、肉まんとして生きた方がずっと有意義だと思いますけど……」

肉まんとして生きていくのなら、食べてもいいのだろうか。

「タカヤは肉まん好きか?」
「中華まんのなかで一番好きです」

だって肉だし。

「ばっ!お前、そんな!はっきり……!」

雷に打たれたようにびりびりと体を震わせた肉まんは、何がそんなに嬉しいのか今にも破れかねんほどの興奮をみせた。

「あのな、タカヤ、俺な。お前んこと好きだ!」

「オメーにゃあ迷惑かけたし、今更かもしんねーけど」と湯気を出しながらごにょごにょと言う。

「そりゃ、ありがとございます」
「テメー本気にしてねぇな!?」
「してますしてます。元希さん変わりましたね」

俺の知る榛名は冗談でも「好きだ」などと言ったりしない。

「当たり前だろ!言うだろ。"それ"をすると人は変わるって」
「ふーん」

手近にあった雑誌をぺらぺらとめくる。
20**年度ドラフト徹底解剖。

「きけよ!」

「俺がただの肉まんになったのもお前のせいなんだからな」などとぶつくさ言いながら肉まんは膝によじ登ってくる。

「その雑誌、次、俺な!」

怒りついでに肉まんは宣言する。
俺が読んでいるのは、榛名に貸すはずだった雑誌だ。

「この雑誌、持ってるんじゃないんですか?」
「持ってるけど。でも、それが読みてー。つーかそれじゃなきゃ意味ねー。それを貸して欲しい」

この肉まんは昨日まで榛名だったので当然だが、昨日の榛名がもっていたのと同じ熱心さで言ってくる。

「……わかりましたけど、なんでこれなんですか」

今日の件といい、俺をからかうつもりなのだろうか。

「タカヤの雑誌貸してもらえば返すときにまた会えるだろ!」

これは俺の想像だが彼は今にっこりと笑っているのだろう。
ハートマークを振り撒きながら跳ねた肉まんは「絶対貸せよ!」と俺の胸にダイレクトアタックをかました。

肉まんの意思は昨日までの榛名の意志だ。
つまり、昨日までの榛名は俺と再会したいがために既に持っている雑誌をわざわざ頼み込んで借りたことになる。

「……なんか、アンタの考えてることが前にも増してわかんねーワ」

だったら普通に呼び出せばいいだろ。たしかに普通に呼び出されたんじゃ俺も行かないかもしんねぇけど、なんでそんなわけわかんねー遠慮をしてんだ。

俺の知る榛名はいくら断ろうとも「それでも来い!」とのたまうようなこっちの都合など全く考えてくれない糞野郎だったはずだ。

具体的にいうなら、寒天のもとわざわざ来てやった俺を無下に追い返す今日の榛名のような野郎。
この肉まんのようにやたら「タカヤタカヤ」と懐いてくる発情期の犬ではない。

「全部タカヤがさせてんだろ?」

俺を臆病にさせてんのも、発情させてんのも。
どこかうっとりと肉まんは答える。

昨日までの榛名と、今日の榛名の決定的といえる違い。
それを説明するのが肉まんが榛名の脳みそを解任された理由である『ある感情』なのだろう。



次の日は一段と冷え、目覚めると窓の外には雪がちらついていた。
肺も凍りそうな早朝の空気のなかで、肩に乗った肉まんだけが暖かい。

「アンタ凍ったりしないんですか?」

この肉まんには自己発熱機能がついているようだが、なんとなく不安に思い聞く。

「タカヤが暖めてくれりゃあ、平気だぜ!」

起き抜けとは思えないテンションの高さで肉まんは言う。
高血圧なのだろうか。

踊るように降る雪は、登校するころになっても授業時間になっても止むことを知らず、昇る太陽を隠すようにどんどんその強さを増していった。

昼頃にはついにグラウンド全体を白く染め、今日の練習は全て中止になった。

「んな、しょげんなって。寒いなか練習したって体動かなくてアブネーだけだぞ」

口惜しく思いながら外を眺めていると、肉まんが慰めてくれた。

「そうですね」

もし肉まんに腕があったなら、俺の髪の毛は今ごろはあの大きな左手でグシャグシャにされているのだろう。


いつもより早く家路につくと、自宅近くに見覚えのある影を見つけた。

「タカヤ!」

この声、この台詞。
馬鹿の一つ覚えとはこの事だ。いくら脳みそを取り替えたところで馬鹿は馬鹿ということか。
そこには生身の榛名がいた。

「おっせーよ!」

降り積もる雪に当てられたのか、榛名の頬が赤らんでいる。
どれくらいここで突っ立っていたのだろう。

「今日アンタと会う約束とかしてましたっけ?」
「してねぇ。……しなきゃ、ダメかよ」

こちらの様子をうかがう子供のような表情に驚く。
俺の知る榛名はこんな顔をしない。

「いえ、別に」
「ちょっとハナシ、あんだけど」

「いいか?」と最寄りの公園まで拉致される。


「オレもやっと認める気になったらしい」

榛名に連れられて白い公園に足跡を並べていると、肉まんが満足そうに、しかしどこか寂しげに言った。

「もう俺の役目は終わりだ」

そして、肉まんは光に包まれる。手のなかの質量がみるみる軽くなり、それに反比例して光の強さは増していく。
まるで、肉まんが光のなかに溶けていくように。

待て。
なに勝手に自己完結してやがんだ。お前は榛名か。あぁ、元は榛名か。
だからっていきなり消えるなんて自分勝手すぎる。また俺を置いていくつもりか。
まだ、さよならも……

「それ肉まん?一口ちょーらい」

返事も聞かずに俺の手から肉まんを奪い取った榛名はガブリと一口。
『自給自足』という言葉が頭に浮かんだ。

「ん?どーした」
「や、なんでもないです。その肉まん、大切に食べてやってください」

それこそが真理だ。
榛名は不思議そうな顔をしながらも「ラッキ」と肉まんを平らげる。
南無阿弥陀仏。

「で、なんか用っすか?」
「あぁ、あ、んな!タカヤ。今から言うこと、笑わずに聞けよ。俺だって信じられねぇんだから」

ビクリと跳ねた榛名は背筋を伸ばし、妙に畏まって言う。

「オメーにゃあ迷惑かけたし、今更かもしんねーけど……」

榛名の頬を染めていた赤が耳まで広がっていく。
その様子は、肉まんを思い出させた。

一昨日の榛名が持っていた『ある感情』。昨日の榛名が捨ててしまった『ある感情』。
それは、たった一日でまた榛名の元に宿った。

「あのな、タカヤ、俺な。お前んこと――」






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