Dear heart
友情の限界 愛情の証明 1
コテージに戻って、何事もなかったかのように食事と入浴を済ませたふたりは、今夜もすっかり疲れ果てて、早々に休む事にした。
「ヒーター切るぞ」
日比野は緒方の返事を待たずに、ヒーターのスイッチを切ってベッドに入った。
「え?夜は冷えるだろ。昨夜寒かったぞ」
「乾燥して喉痛めるだろ」
「寒くても風邪ひくよ」
「だあ────っっもう!!」
緒方を黙らせるにはどうしたらいいか。
その解決法はすぐに浮かんだ。
日比野は、自分の布団をめくって緒方を誘った。
「来い。暖かいぞ」
緒方は、突然やって来たぬくもりの確認行為に狼狽した。
しかし、よくよく状況判断してみると、今はただ単に、一番良い方法として提案しているにすぎないと解釈出来る。
「来ないのか?」
急いてくる日比野に緒方は応えた。
自分のベッドを抜け出して、日比野の懐に潜り込む。
まともに顔を見る事が出来なくて、緒方は日比野に背中を向けて横になった。
すると、日比野は背中からすっぽりと緒方を抱きしめてきた。
「ふっふっふっ………思う壺」
邪なふざけた笑いで、緒方の耳をくすぐってくる。
緒方の全身が思わず戦慄した。
「──図ったなぁ!?」
抵抗しようにも、緒方の手は封じられて、日比野に抱きすくめられる。
「おまえだって暖かいの好きだろう。ぬくもりちょうだい」
日比野はうなじにキスをして、また緒方の戦慄を誘った。
「抱っこするだけだから……」
なだめられて大人しくさせられる。
こんな、よく分からない行為に付き合わされて、なぜ自分の方が諭されなければならないのか。
緒方は理不尽さを覚えた。
それでも、背中に伝わってくる体温は、正直言って気持ちいい。
人肌の伝えるぬくもりは、母親の胎内の温かさにも通じて、きっと人はそこに安心を見出だすのだろう。
……などと、高尚な感性で現状の不自然さを何とか整理したかったにも拘らず、日比野の邪な下心が緒方に伝わってきた。
緒方の腰に、熱く硬いものが当たる。
「──なんだよ。おまえ何考えてんだよ」
緒方は途端に不安になって、ふたたび抵抗し始めた。
「あ……あまり暴れられると、余計に刺激が……」
日比野の一言で、緒方はピタリと大人しくなった。
「うん。本当にこのままでいいから、暴れないでいてくれよ」
日比野は緒方にささやいて、赤くなった耳元にキスをしてきた。
そんな事をされると、緒方にはよく分からなくなってくる。
独り身は寂しいし、寒さは孤独感を煽る。
その気持ちは分かるし、自分も日比野に触れられるのが嫌な訳ではない。
自分の感情を知ってしまった今では、さらに余計な独占欲を自覚して、こんなふうに傍にいる事の方が安心できた。
それでも、どうしても女性といる日比野の方が楽しそうに見えて、自分の立場が心許ない。
何だか女性の代わりに使われているようで、酷く悲しくなってきた。
友人である自分の立場は判ってはいても、恋だと自覚した今はそれが辛い。
いつの間にか育ってきた独占欲が、緒方を追いつめて、感情が走り出すのを止められなくなった。
「どうして、こんな事するんだよ」
「おまえが好きだから」
以前にもこんなやり取りがあったような気がする。
「──適当にごまかすなよ」
緒方は投げやりに応えた。
日比野はあり得ない言葉に驚いて、緒方の身体を返した。
見下ろした緒方は、今にも泣き出しそうな表情で日比野を睨んでから視線を逸らした。
「俺を切り捨てたくせに……」
呟いた緒方の目許が赤く潤んできて、震える息がこらえきれない悲しみを伝える。
日比野は狼狽した。
緒方が示唆するところの意味が解らない。
「寂しくなったからって……俺を女の代わりにするのかよ」
「待て……。どういう意味だ?」
困惑する日比野の声に誘われて、緒方は視線を戻した。
「──ちょうど寂しかった時に、たまたま俺が現れた。それだけなんだろう」
愕然とする日比野に、緒方が信じるところの事実を突き付けた。
「今日だって女ナンパして……。慰めになるならなんだっていいのかよ」
「待った。……ちょっと待った」
緒方の指摘は日比野を混乱させる。
そもそも、一体どこからずれが生じていたのか。
日比野は冷静になって考えようとした。
緒方から離れて、ベッドに座り込んで考える。
しかし、なんだかよく解らない。
日比野は改めて緒方に訊ねた。
「おまえ、今なんて言った?」
間の抜けた日比野の問いに、緒方の感情が爆発した。
「惚けてんじゃねぇっっ!!」
勢いよく起き上がって、緒方は噛み付くように迫る。
「いいから、もう一度俺に恨み言を言ってみろっっ!!」
負けずに日比野が言い返した。
訳も分からず剣呑な感情を向けられて、ふたりは互いに苛立ちを煽り合う。
特に緒方は怒りすら覚えていた。
こんないい加減な野郎に、なぜ自分が怒鳴られなきゃいけないのか……と、八つ当たりモードに入る。
「俺を別れた女房の代わりにしやがって。代償行為なんてやってられっか!!」
日比野は愕然とした。
それははっきり言って濡れ衣だ。
「好きな女に手ぇ出せなかったって?……野郎にまで手ぇ出せる男が、しおらしい冗談言ってんじゃねぇっっ!!」
それは誤解だ。
それでも、なんとなく答えに近付いてきたような気がする。
日比野は黙って罵倒に耐えていた。
「大体あの時、おまえは俺を捨てたじゃないか!それなのに、どうして今さら好きだなんて嘘までついてやりたがるんだぁっっ!」
「それだっっ!!」
日比野はやっと答えを探し当てた。
散々罵倒された事でいささか心労したものの、それだけの価値はあったようだ。
「──それだ、緒方」
縋る視線にさらされて、緒方は怯んだ。
「何だよ」
「おまえを捨てたって、何?」
困ったように真顔で訊ねる日比野に、緒方はふたたび怒りを向けた。
「…んだとォォォォ!?」
威嚇してくる緒方に、日比野が逆襲する。
「俺がおまえに捨てられたんだろうがっっ!!」
その日比野の切り返しで、緒方の毒気が抜かれた。
「───え?」
ふたりは似たような憔悴しきった表情を向け合う。
じっくりと互いの顔色を窺いつつ、色々考えを巡らしながら、それでもよく解らないまま視線を逸らして考え込む。
緒方は、滲んでいた涙を手の甲で拭った。
その仕草に、日比野の胸が痛む。
もしかしたら、ずっと勘違いしたままで、互いに同じ痛みを抱えながら、今まで離ればなれでいたのではないだろうかと気付いた。
「──あの時、どうして俺ばかり誘うんだ…って言われて……。なんか俺、迷惑かけてるんじゃないかって……」
緒方はぽつりと呟いた。
「あの時の俺は学生だったし、おまえは社会人で忙しいから、もう会えないんだなって思っ……」
緒方が声を詰まらせた。
泣いている事に気付いて、日比野は狼狽した。
誤解の甚だしさに手も足も出ない。
「おまえと病院で会った時、信じられなかった。どうしてまた…って思ったけど。でも、俺はおまえが好きだし……。おまえとの時間を取り戻せて嬉しかった。……だからこそ、誰かの代わりなんて嫌なんだ」
高揚する感情にあえぎながら告白する緒方に、日比野は唖然とさせられる。
あの時の言葉の真実なんて少しも伝わっていなかったばかりか、ふたりの関係に亀裂まで生じさせていた事を知って、がっくりと脱力した。
ふたりに出来てしまっていた境界線。
その真相をつきとめた日比野は緒方に真実を伝えた。
「あの時、俺の言いたかった事はそういう意味じゃない」
諭すような日比野の口調に誘われて、緒方は視線を持ち上げた。
その泣き濡れた目許は、日比野にとっては可愛いすぎて、堪らない衝動に駆り立てられる。
日比野は緒方に寄り添って、そっと抱きしめた。
「おまえが好きだった。初めて会った時からずっと好きで、おまえしか眼中になかった」
熱いささやきが耳元に贈られて、緒方の悲しみを解かしてゆく。
「あの時は、おまえの気持ちが知りたくて聞いたはずなのに。おまえはあれから連絡よこさなくなって……。それで俺は振られたんだなって思っていた」
緒方は、暖かい腕の中で、日比野の真実をしっかりと胸に刻んだ。
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