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あと、もう少し…。
――俺は千宏の息に感じてる。
触れる!
俺の手の位置からの推測。
生憎、目を閉じているから実際の距離はわからない。
もうすぐ手に入るんだ。
俺の…。
「は?」
気づいたら目を開けていた。
千宏の声が、俺を正気へと戻させる。
「俺、何しようとした…今」
言葉がおかしい。
自分で言ってて、自分でもわかる。
「何って…私に聞かないでよ」
なんなんだろう。
この心の中の変な空気は。
こんなこと、今までなかった。
「あえて言うなら…キス?」
「キッ…!!」
「何顔赤くしてんの? アンタから仕掛けてきたのにね」
千宏の顔が俺から離れていく。
ああ、もうダメだ。
こんなチャンス、滅多になかったのにな。
「ねぇ、何?」
俺は知らないうちに千宏を睨んでいたらしい。
気の抜けた声が俺の耳へ響いた。
「そんなにしたかったの?」
「んなわけ、」
Crを手に入れられるなら、是非したかった。
だけど、手に入らないなら、こんな女となんか誰が――。
刹那、透き通るような、俺が一生で一度も聞いたこともない音が聞こえた。
「ッ!?」
頬に残る、ぬくもり。
誰のものでもない、それは…
「可愛いなァ。こんなに顔赤くしちゃってさ。何、今時の中学生ってこんなもんなの?」
千宏が怪しく微笑む。
え、今、コイツ何を…――。
――俺の記憶はここで途切れた。
感動したのか、ショックを受けたのか、有頂天なのか。
認めたくなないが、頂天状態になったんだと思う。
「ねぇ、知ってる? 昨日日高が骨折したでしょ」
「うん、体育祭の練習張り切っててねー」
暗闇の中で、女子の声が聞こえる。
クラスメートか…。
「っておい!」
俺はイスから立ち上がった。
イス?
学校の備品だ。
俺の手の下にあるのも学校の机。
昨日のあのときから、記憶がない。
どうして今ここに――。
「やっと起きたんだね、眞人」
美鶴が優しく微笑んできた。
何のほほんとしてるんだよコイツは!
「美鶴」
「何?」
「俺は何でここに――」
「昨日、千宏が眞人を担いできたんだよ。自転車に乗りながら」
昨日?
え、ということは今、朝…。
「うん、もうHRが始まるね。昨日は大変だったんだから」
俺か?
俺の話かそれは!
まぁ座りなよ、と美鶴は言う。
仕方がなく、座る。
「放課後日高が体育祭の練習やろうって妙に張り切っちゃってさ。そしたらリレーの練習中に『俺も100m走る』とか言い出して、走り始めた矢先に転んで骨折。全治6ヶ月の複雑骨折だって」
――俺の話じゃないのかよ!
まぁいい。
日高が骨折か…。
あんな歳取ってんのに無理するからだな。
「それで今日から――」
美鶴が話を続けようとした途端、教室中から女子の黄色い歓声が聞こえた。
今度は誰だよ。
千宏のときとはまた違う声だな。
って、思ったまではよかったらしい。
「今日から副担任のはずなのに、何故か担任になった、」
笑ってなんかいない。
いつもの仏頂面。
大人の姿へと化していて、眼鏡をかけている。
どうせ伊達だと思うけどな。
髪は相変わらずの黒髪。
伊達眼鏡の奥の瞳の色のごとく涼しい顔をした男。
「水城歩だ」
名前を言う頃には、生徒はほぼ全員席についている。
何かムカつくのが担任になったなっ!!
「水城センセー! 何歳ですか?」
女子の1人が手を挙げて質問する。
水城は数秒悩んでいる。
確かに、正確な年齢は覚えていないんだろ。
「さ…24歳だよ」
今明らかに36(水城のCrの番号)と言おうとしただろ!
教室中で「まだ狙える!」とか、「若ーい」とか言う声が聞こえるが、俺は無視だ。
何でこいつが先公をやってんだよ。
俺からしたら、そっちの方が大問題だ。
「他に質問は? ないならHRを始める」
「血液型を教えてください!」
また女子か。
言っとくけどな、お前らと水城は生きている世界が違うんだよ。
――口には出さないけど。
「知らないな。調べてないから」
「誕生日は?」
「…3月6日」
――今の間は何だ、今の間は。
絶対偽装しただろ。
いや、絶対とはいえないか。
なら、90%偽装した。
「好きな女性のタイプは?」
水城はこんな質問に答えるのか…。
答えても、なァ…。
隣に目をやる。
相変わらずつまらなそうに机に突っ伏している千宏がいた。
俺の方にも、水城の方にも目を向けやしない。
そんなに机が好きかよ。
◆
昨日、クソ男の頬に口付けたあと何か知らないけどクソ男が気絶した。
仕方がないから、私が片手にクソ男を持ちながらチャリを漕いで、家へと帰った。
通りすがりの人達には変な目で見られたけど、結構楽しかったよ。
1日経った今でも、少し思い出しただけで笑えてくるね。
「昨日、結局聞きそびれましたが、黒薔薇の夢幻の方はどうですか?」
呼びかけた茜が右手に箸を構える。
そして見事に一発でゆで卵をしとめた。
もちろん、刺してなんかいない。
ちなみに、本日の夕飯のメニューは鰤と大根と卵の煮物、ひじきの煮物、漬物、と煮物尽くし。
「――残念なことに、この町にはいなかったよ」
「でも俺は1、2週間前に会ってるよ」
子供の姿の水城がご飯を口に運びながら、口を出す。
「水城が以前いた組織の奴をつかまえて聞いてみたらね、どうやら捕まってるみたい」
鰤に箸を刺す。
そしたら茜に「はしたないですよ」と怒られた。
私的には食べられればいいから、そのまま口へと運ぶ。
「ヴァルセーレとも、水城の前の組織んとことも違う、別の組織にね」
「名前は?」
今度はクソ男かよ。
昨日の夜と今日の朝は何も食べなかったくせに…
そっちの方が人形みたいでよかったよ。
「隼」
私が一言だけ言えば、私が思っていた通りに「は?」と、クソ男が語尾を上げて反感する。
「ファルコーネ…ファミリア」
「ニーヤ当ったりー」
「何でイタリアのマフィアが…」
箸をおいた茜が再び話に入ってくる。
茜はファルコーネを知ってるんだ。
「イタリアの現・最大勢力であるヴァルセーレに立ち向かうおうとしてるか、この桂木を潰そうとしてるか、どっちかじゃないの?」
だってこの辺に他の勢力はないしと、付け足す。
桂木を潰そうっていうのなら都合がいい。
でも、このままヴァルセーレに行かれたら、私達がヴァルセーレに殴りこみ出来ない。
そこへ水城が口を開いた。
私の方を見てる。
何、文句?
「この際だから、はっきり言わせてもらうよ。俺は祖先が何をしたいのかがわからないな」
文句か。
「ヴァルセーレから逃げてきて、なのに何故ヴァルセーレを潰そうとする? まずその理由を説明してもらおうか」
水城だけじゃない。
ニーヤ以外、みんな思ってるに違いない。
そんなニーヤはきょとんとして首を据わらせていた。
癒し系…って、そんなこと言ってる場合じゃないね。
「ヴァルセーレはボスと、その補佐である私の父親の2人によって治められてた。それが10年位前まで。私も別に、まだ嫌じゃなかった」
そのあと。
そのあとにアイツが現れた。
「そんでその10年位前、ヴァルセーレに1人の女が現れた。それが」
「水城殺(みずき あやめ)、だろ? だから対抗するために、俺をヴァルセーレへと連れ出そうとしている。目に見えてるよ」
その通り。
言わなくても知ってたんじゃん。
「続きは?」
美鶴が味噌汁を手に取ろうとしながら言った。
そうだね、続き。
「その水城殺がヴァルセーレを大革命した。スパイの配置とか、戦闘力の計算とか、その他諸々。そんであの女が…」
下唇を噛む。
あの女さえいなければ――!
「ヴァルセーレの全実権を担うようになったんだよ。ボスも形だけになっちゃった。そのボスも、原因不明の死を今から5年前に迎えてる。今のボス――先代の息子は、はっきり言って形だけ。未だに実権はあの水城殺のまま」
「お前の父親はどうしたんだよ。何でその女を止めない?」
またクソ男か。
めんどくさいんだよなー。
コイツの質問に答えるのがさぁ。
「愛人関係、って言えばわかる?」
ごちそうさまーと、私は手を揃えた。
話してたから1人だけ遅いんだよね。
別にいいけどさ。
「私の目的は水城殺を倒すこと。そんで、今のボスをちゃんと自立させる」
ニーヤだけは知っている。
ボスの素顔。
ボスになる前は笑いあえたのに、今では笑顔一つ見せなくなった。
…あ、なんか、雰囲気が暗くなっちゃったよ。
とくに茜が…。
水城殺のこと――水城(歩)以外にまだ残っているみずしろの奴のことを知らなかったから、ショックなんかな?
いや、それはないか。
もしかしたら同情してくれてるのかもね。
じゃ、ここは明るく締めるか!
「――つーわけで、夢幻を捕まえて、とっととヴァルセーレに殴り込みに行きたい」
「わかりましたです。私達も全力を尽くさせていただきますですよ」
茜が微笑んだ。
やっぱり、茜は笑ってる方が似合ってるね。
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