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俺は肩で息をしてる。
足は止まった。
潮臭い風が吹いている。
波らしき規則的な音も聞こえる。
「結構早かったね」
千宏に言われて、なぜか背筋がゾクッとした。
「何ボケッとしてんの? クソ男」
む。
いい加減、俺を名前で呼ぶ気にはならねェのかよ。
とてつもなく歩きにくい砂浜を俺達は歩く。
別に仲良く並んで歩いているわけじゃないから、お互いに無言のまま。
何で俺はわざわざこんなところに連れてこられたんだ?
「さぁ、そこに座れ」
と、いつの間にか俺とずいぶん離れていた千宏が指し示したのは、数週間ほど前まで使われていたであろうベンチ。
ま、夏である数週間前になら、泳ぐ奴はたくさん来るからな。
仕方がなく、腰を下ろす。
すぐ隣には千宏がいる。
「ねぇ」
千宏が話しかけてきた。
何だよ。
2人きりにならないといえないようなことを言いに来たんだよな?
ここに。
「Cr、水城からもらったんでしょ?」
それは期待を裏切るような、裏切らないような返答だった。
とりあえず黙っておくわけにもいかないから、「まぁな」とだけ答えた。
季節はずれの冷たい風が、俺の顔面に直撃する。
「結局、私じゃなくて水城…しかも男…」
千宏が俺から顔を逸らして、笑いをこらえていた。
よくわかんないけど、何かムカついた。
「いい気味…プッ」
「文句があるなら水城に言え」
「拒否することが出来なかった、アンタが悪い」
まっとうな意見。
確かに俺はそれを否定できない。
それは事実。
でも、したかったわけでもない。
「人工呼吸だと思ってれば?」
「そうするさ」
それしか方法がない。
そうじゃなきゃ、俺は狂ってしまう。
◆
私は何を考えてるんかな?
どうしてクソ男なんかをここに連れ出したのか、全然わからない。
つか、男同士でキスだなんてさ、考えただけも痛い。
水城は何考えてるんだか…。
「お前、またヴァルセーレに行く気なのか?」
唐突に、しかも簡潔にクソ男が質問してきた。
「だとしたら?」
私はどんな答えを期待してたのかな?
『俺も連れてけ』?
…違う。
そういう奴じゃないことは十分わかってる。
じゃあ、『いつ行くんだ』?
何かそういう気もするなぁ。
で、結局何も聞かれなかった。
その代わりに、命令された。
「もう、戦うなよ」
何を言い出すのかと思えば、そんなことか。
私に戦うなって?
無理だね。
そう言ったら、
「お前、本当は人を傷つけるのが嫌いなんじゃねぇのか?」
なんて、私のことをすべて知ってるかのように言ってきた。
「指図しないでよ」
「そうでもしなきゃ、お前はまた、血だらけの獣になるんだ。いいや、血だらけの獣に"戻る"といった方が正しいのか?」
私が大人しくなったのは言うまでもない。
なんでクソ男なんかに黙らせられなきゃいけないんだ。
「この間だって、あの蜘蛛みたいな女を全力で倒そうとする気なんかなかったんだろ?」
――脳内に、幼い頃の記憶が再生される。
「その前の…俺と喧嘩した時もそうだった。得物はちゃんと持ってても、闘気だけで俺を威嚇してた」
――シロクロの何かが動くだけの、モノクロームの世界。
「おまえ、本当は人を傷つけるのが嫌いで、それがヴァルセーレにバレて、逃げてきたんじゃないのかよ?」
五月蝿い…五月蝿い!!
「黙れェェェ!!!」
いつの間にか頭に血が上り、私は吠えていた。
でも私は否定できない。
だってそれは、紛れもない事実だったから。
――18世紀、中期。
私はアルジェント・チャイオと竜堂千歳の1人娘として、この世に生を授かった。
生まれた場所は言うまでもなく、イタリアの中堅マフィア・ヴァルセーレ。
どうして日本人である母さんがイタリアなんかにいたのかは、未だに不明。
私は産まれてまもなく特殊な英才教育を施され、何事もなく成長していった。
――私にCrが宿ったことが判明するまでは。
どんな理由かは忘れたけど、その日の私は怒りに身を任せたまま、狂っていた。
そして感情のままに、腕が突如刃の形を帯びた。
私の怒りを抑えようとしていた人達は皆、瞬時の出来事に目を丸くし、呆然と立ち尽くして凶器に満ちていた私の手により絶命。
母さんは私と離れさせられ、拷問の日々を送らされていた。
それに私が気づいたときにはもう、母さんはこの世にいなかった。
たった数日間の出来事。
これにより、Crが母体から胎児へ移植されていたことが判明した。
Crを持ちえていた私の母さんなら、こんな簡単に死ぬはずがなかったから。
私と母さんのCrのコードネームである"24"は、科学物質『Cr』の元素番号であることからつけられていた。
事実、私の左肩には刺青の"24"を象ったようなアザがある。
でもそれは私が意識的に出そうとしなければ、人目に入ることはない。
多分それは、水城にもニーヤにもある。
確かに私は、母さんのその刺青を1度も見たことがなかった。
「クソ男」
私は頭の中での鮮明な映像を掻き消そうと、クソ男に話しかけた。
「私には…生きてる価値なんかないんだよ」
自らの手で、母親を殺してしまったも同じなんだから。
潮風により冷え切っていた私の体が、ふと温かみを感じた。
俺は何故こんな行動に出たのだろうか。
まず始めに説明すると、千宏の長ーい話が終わって、そのあとに千宏を俺の方へと向かせた。
もちろん、俺も千宏の方を向いている状態で。
そのあと。
何故かそのまま、俺は千宏を力強く抱きしめていた。
――そう、過去形。
俺にも何がなんだかわからない。
やっぱり、今日は千宏を意識しすぎてるんだな。
「俺の親は、俺も含めて無理心中を図って、死んだよ」
きっと、千宏は驚くかな?
俺はたまたま助かっただけだ。
加えて、お嬢の家(うち)に引き取ってもらえたのも幸運だったのかもしれない。
もしかしたら…一歩間違えれば、俺は今ここに存在しなかった。
「お前はそれでもまだ、生きてる価値がないなんて言えるか?」
「言える。いや、言うね」
たとえ言えるとお前が思っていても、俺はお前に言わせない。
絶対に。
だって…。
「この世にはお前を必要としている奴等がいるんだよ」
…ズバリ、俺だ。
でも絶対に言ってやらないけどな。
「黙れ」
「お前に指図される筋合いはない」
千宏が俺の背に手を回した。
今、俺は女と人生で初めて抱き合っている。
――今更ながら、恥ずかしくなってきたぞ!
照れ隠しに、負けまいと俺は腕に力をこめた。
それに敵対するかのように、千宏も無言で力をこめる。
数分間、普段の俺達らしくない競り合いをし、俺達は元の定位置へと戻った。
2人して海を見つめる。
たまに千宏の方に目をやると、何故か目が合う。
そして、お互いに咄嗟に目を逸らすんだ。
外から見れば、一般のカップルと変わらない。
千宏は俺より小さい。
お嬢よりは大きいが、決して背の高い方ではない。
クラスの背の順では中間辺りだろ。
"18世紀"。
コイツは俺の10倍以上生きている。
俺はこんな奴でいいのか、つり合うのかと内心苦笑した。
まさか千宏は、こんなことを考えてなんかないと思う。
俺の一方的な解釈。
でも本当に俺は、彼女を1人の人、女として――。
ずっと千宏を見ていたからかもしれない。
千宏が俺を不審な目で見てきた。
「何?」
俺に問うが、俺の反応はない。
悪いな。
で、どうやら諦めたようだ。
次に発した言葉は「帰ろう?」だった。
俺は立ち上がりかけた千宏の手首を掴んで、千宏を引き寄せた。
顔が近い。
コイツは珍しく自分が今どんな立場に置かれているかが理解できない様子で、きょとんとした顔をしている。
いつもの攻め的な笑みは欠片も見えない。
なのに、俺はこのあとどうすればいいのかわからなかった。
だからとりあえずベタに、俺のまん前にある女の頬に手を添えて、目を閉じながら顔を寄せていった。
この想いが届くまで、あと3p。
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