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「いらっしゃい。」
でも、その魔法の効果はあたしが想像したものと違っていた。
艶っぽい声を耳にして、あたしは恐る恐る目を開ける。
そこにいたのは、例えるなら猫のような妖艶な女性だった。
病的に青白い肌に、大きな藍色の猫目。唇は薄く笑みを湛えている。
長く黒い髪は遊び放題。だけども纏まりがある。
豊満な胸に括れたウエスト、大きなお尻。女性らしいラインが印象的だ。
「あなたは――?」
「私はガッタ。この猫眠堂の店主よ。」
「猫眠堂?」
ぐるりとその場所を見渡す。
なるほど。確かにお店のように怪しい品々が陳列してある。
「ここは何のお店なんですか?」
「ここは願いを叶えるお店よ。」
「願い――?」
今のあたしには切実な願いが多すぎる。
借金を全額返済したい。学校に戻りたい。マイクとよりを戻したい。ミリーと仲直りしたい。
「――どうしてあたしを呼んだんですか?」
そう。
あんな高等魔法まで仕掛けておいて。
お金のある人の方がいい。借金を抱えるあたしと違って。
「かわいそうだったからよ。」
「かわいそう?」
ガッタさんはお店にかかっているアンティーク調の鏡を指差した。
思わず、叫び声を上げそうになって息を飲む。
そこには、醜いあたしが映っていた。
肌はボロボロ。ファンデーションでも隠しきれないクマ。髪はパサパサ。化け物のように濃い化粧。頬はこけて、目は虚ろ。
気付かなかった。気付こうとしなかった。
学校に通っていた頃のあたしとは全く違う。
なんて、醜い。
ガッタさんは唖然とするあたしの肩に手を回す。
「アナタの願いを一つだけ叶えてあげる。対価があれば、の話だけど。」
細い指で、猫のような仕草でガッタさんはあたしを撫でる。
「でもあたし、お金なんて――」
「知ってるわ。」
ガッタさんの目が細められる。
「お金なんていらない。私が欲しいのは魂や時間、寿命、存在とかよ。」
「魂――。」
あたしの脳裏に浮かんだのはメリッサ。憎い憎い女。
あの女さえいなければ、今も私は幸せに――。
「あたしの魂じゃなくてもいい?」
「えぇ。もちろん。」
「メリッサの魂をあげる。だから――。」
だから。
「時間を戻して。メリッサなんかいない時に。幸せだった時に。」
「安心して。時間を戻しても、魂を取られた人間は生き返らないわ。」
――良かった。
これであたしは幸せになれる。
「さぁ、アナタの頭の中を見せて」
ガッタは細くて綺麗な手をあたしに伸ばす。
白魚のような指なのに、禍々しい黒く長い爪が伸びている。
その手を、あたしを救ってくれる手なのに、あたしは、なぜだか、怖い、と、感じてしまった。
ガッタさんの手があたしに触れる。
その手はまるで氷のようにとてもひんやりしていた。
「痛ぁい。」
本当最悪あたしは溜息を吐いた。
せっかく念願の高校に受かったのに。
その入学式当日にこんなことになるなんて。
石に引っかけてスカートは破けちゃうし、膝はめっちゃすりむいて痛いし。
本当最悪。
「もう帰るしかないなぁ。」
悔しくて、涙を堪えながら一人呟く。
でも、スカート破れてるのにどうやって帰ろう。
と。
「大丈夫ですか?」
「え?」
そこにいたのは、人のよさそうな女の子。
真新しい制服を着ていることからたぶん同じ新入生だろう。
「まぁ、大変!」
女の子はあたしの怪我に目を止めると眉をひそめて鞄から清楚なフリルのついた白いハンカチを取り出して、あたしの怪我にそれを当てた。
「ダメだよ! 汚れちゃうよ!」
「ハンカチなんか洗えばいいんです。」
「でも白だし――!」
「落ちなかったらまた洗えばいいんです。」
「――ありがとう。」
優しい子だ。
この子が同じクラスならどんなに楽しいだろう。
「保健室に行きましょう。歩けますか?」
「うん。でも――。スカートが、破れちゃって。」
「じゃあ先生に何か借りてきます!」
そう言うとその子はあたしにハンカチを渡して立ち上がった。
「あの!」
「はい?」
走り出そうとするその子を呼び止める。
「私ベティ! あなたは?」
「メリッサです!」
「最近さー、ベティなんかムカつかない?」
「わかるー! 彼氏いるからってなんか見下されてるかんじ?」
「ちょっと非彼氏持ち! あたしはどうなんのよ?」
「ミリーはまだ友達優先じゃん?」
「それに魔術の成績いいのにあたしらには何にも教えてくれないしさー。
「――。」
夕暮れの教室。
マイクとデートがあるから先に帰ったんだけど、忘れ物を取りに帰るなんて間違いだった。
いつも一緒にいる友達。みんながそんなふうにあたしを思っていたなんて。
「ちょっと! みんな言い過ぎよ!」
メリッサ。
いつも穏やかなメリッサに似合わない荒々しい声。
「そりゃ、メリッサはマイクにぞっこんだから寂しいし、魔術の成績優秀だから嫉妬もするけど――。そんな言い方って!」
声が震えてる。
もしかして泣いてくれてるの。
「ちょ! もう冗談だって!」
「そんなに怒ることないじゃん。」
メリッサ。
あたしは小声で囁いた。
「ありがとう。」
「ベティ!」
初めての薬草学の実習。
ペアを決めろと言われた途端にメリッサが駆け寄ってくる。
「一緒にやろ!」
「うん!」
「私薬草学の授業苦手だから――。ベティが一緒なら安心!」
「そんなことないよ。メリッサだって良い筋してるって。」
「そうかなぁ?」
「そうだよ。」
「やった。ベティのお墨付きなら間違い無いね。」
私とミリーとメリッサ。
ファミレスで泣き続けるあたしに、ミリーは少々うんざりしているようだ。
一方でメリッサは心配そうにずっとあたしを擦ってくれている。
「もー。ベティ。あんたが悪いんだからさっさと謝っちゃいなよ。」
「で、でも、マイク、もうあたしの顔も見たくないって――!」
喧嘩の原因は本当に些細なこと。
マイクが女の子とご飯に行って、謝るマイクにあたしが逆上し続けて。
「ベティ、わたしも一緒に行くから。ね?」
「で、でも――。」
と、ケータイをいじりだすミリー。
あたしがこんなに苦しんでいるのに。
「ごめん、彼氏から呼び出しだから。」
そう言ってミリーは立ち上がる。
「本当にごめんね? 彼氏束縛激しくてさぁ。」
「――うん。」
メリッサはあたしに微笑む。
「じゃあついでに一緒に外出てマイクの家まで謝りに行こう?」
そう、謝らなきゃいけない。
「で、でも、出てくれなかったら?」
「大丈夫だよ。きっと一生懸命謝れば許してくれるよ。」
「――ありがとう。」
なんで。
なんでこんな簡単なことにも気付かなかったんだろう。
「ふふふ。」
あたしを支えてくれていたのは、ミリーでもマイクでもなくて。
「メリッサ――。」
「最期には気付けて良かったわね。」
気付かなければ良かった。
膝の力が抜ける。
ごめんなさい。
言葉にもならなくて、あたしはただうなだれていた。
End.
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