1 「私が殺しました。」 その美しい少女は、王子の屍の傍らで微笑みながらそう言った。 奇跡の王子。そう呼ばれていた王子の葬儀はしめやかに執り行われた。 美しく、凛々しく、聡明で、慈悲に溢れていた王子。 誰もが彼がこの国を良い方向へ導いてくれると信じていた。 しかし、悲劇は起こった。 年頃になっても恋人の一人も作らない王子を心配して、王と王妃は王子のために舞踏会を主催した。 三日三晩の舞踏会。 最初、私は王子に相談された。「私に選ぶ気はないのに」と。 私はこう返してしまった。「一目惚れとて侮れませぬ」と。 私の言葉通り、王子は美しい少女に恋をした。 世にも稀有な硝子の靴を履き、嫁入りするかのように純白の清楚なドレスを纏った少女。 王子の横にいた私は、王子が彼女を一目見た時から恋に落ちたことを感じた。 恐らく彼女もそうだと思っていた。 互いに頬を染め、潤んだ瞳で見詰め合う二人は傍から見ていても似合いの二人だった。 十二時を告げる鐘が鳴ると、彼女は弾かれたように王子と踊るのを止める。 そして、純白のドレスのスカートを翻して駆けて行った。 その時の王子のうちひしがれようと言ったら。 私は王子に一言もかけることができなかった。 初めて王子の胸を焦がした相手。 一晩で終わらせるのは、惜しい恋だと思った。 王子が彼女を待って胸を高鳴らせた二夜目の舞踏会。 その日も、彼女は現われた。 昨夜と同じ硝子の靴。昨夜よりも落ち着いているがこまやかな刺繍のされている純白のドレス。昨夜の飾り気のない髪型とは違い、大粒の真珠が彼女の髪に編み込まれていて、化粧も昨夜より薄い。 彼女は、昨日よりも美しかった。 彼女が現われただけで舞踏会の雰囲気が変わる。 言葉も無く自然と歩み寄る二人。誰もが道を開ける。 ひざまづく王子の手を取る少女。 少女がステップを踏む度に硝子の靴が光る。 昨日よりも、遥かに惹かれ合うのが感じられた。 少女は、その日も十二時の鐘が鳴ると駆け出した。 けれど、昨日と違い王子は幸福そうだった。 王子は私の元へ来ると笑顔を向けた。 「明日も踊ると約束したんだ」 美しい王子の美しい笑顔。 きっと、王子はあの美しい少女と結婚するのだろう。 光に包まれたように美しい王と王妃。 それも悪くない、とその時は思った。 最後の、三夜目の舞踏会。 予告通りに少女は来た。漆黒のドレスを纏って。 シンプルなドレス。だけれど少女が身に着けるとこの場のどんな女性のドレスより美しく見える。 少女はこの三日の中で一番美しかった。 しかし私の胸には不安が込み上がった。なぜだろう。 その漆黒のドレスが私には喪服に見えて仕方なかった。 踊る少女の足元で光る硝子の靴。今日に限ってそれは、鉛のように鈍く光っている。 けれども踊っている当の二人はとても幸せそうに見つめ合っている。 ひとしきり踊った後二人は会場から消えた。ただ単に休むためだったのか、秘め事を行うつもりだったのか。今はどうでもいい。 王子の上に、抱き付くかのように跨がっている少女。 最初、私はそれを見て秘め事の邪魔をしてしまったのではないかと思った。 しかし、乾いてソファにこびりついている赤。 目を開かない王子。 少女の、悲しみを孕んだような美しい笑み。 王子は、奇跡の王子は、ただ一人愛した女性に殺されていた。 とうとう明日になった。 明日には美しい少女は火焙りとなるのに、名前はおろかなぜ王子を殺したのかすら喋ろうとしない。 このままでは王子が殺された理由がわからないまま少女は死んでしまう。 私の足は自然と地下室に向かっていた。 湿っぽい薄暗い地下室。蝋燭の灯が一本しかない。 鉄格子の向こうで、白っぽい物体が蠢く。 「あら、貴方は。」 拷問にかけられた跡が生々しいにも関わらず、少女は以前と変わらない美しさで微笑んだ。 その美しさに吐き気がする。 「貴方もなぜ私が王子様を殺したのか知りたいのですか?」 「えぇ。」 「王子様が信頼していた貴方になら――。話してもいいですよ?」 王子は、私をそんな風に紹介してくれていたのか。 唯一の愛した女性に。 憎らしい女の言葉。なのに素直に嬉しい。 「なぜ、殺したのですか?」 「頼まれたからですよ。」 「頼まれた――?」 頼まれたからといって殺せるのか。 「頼まれたからといって、殺せるのですか?」 命令でなくて。頼まれたからといって。 「貴女は、王子を愛していなかったのですか?」 「愛していました。」 「だったらなぜ!?」 無意識に鉄格子を握っていた。 なぜ、なぜ。なぜあんな素晴らしい人を、愛しているのに殺せる。 「――貴方は愛しても叶わない人を愛したことがありますか?」 「貴女は何を! 王子は貴女を愛していたんですよ!? 初めて! 唯一!」 「だから殺したに決まっているじゃないですか!」 暗い鉄格子の中から細い指が伸びる。その指には十本ともに爪が無い。 鉄格子に張り付いていた私の首にその指が張り付く。 「私は薄汚い溝鼠。あの人は美しすぎる。想いが通じていたら尚更――、愛し合っていたら尚更離れたくない! 殺して、自分のものにしたい!」 「王子は身分も乗り越えられる人です! 見くびらないでください!」 「私は暗殺者です! 何人も殺しました!」 暗殺者。 ただの美しい少女ではないとは思っていた。 だとしたら、少女は王子の命を奪う目的で近付いたのか。 愛は、詭弁なのか。 「それを知ったら王子様は私を嫌いになった。絶対に。あのままだとそれが知られるのは時間の問題――」 ゆっくりと、私の首から少女の指が剥がれる。 「今も――。あの人の香りが、息遣いが。こびりついて離れないのです――。」 あぁ。 王子を殺したとはいえ、少女はとても華奢だった。拷問のために体重もいくらか落ちているように見受けられる。 この首を。ひざまづいて顔を覆い泣いているこの少女の首を締めれば、きっと、容易く折れる。 憎い少女への刹那的衝動。 ――けれども、簡単には死なせない。苦しませて苦しませて、王子と出会ったことを後悔させるぐらい苦しませなければ気がすまない。 「貴女が王子を殺した理由はあまりにもくだらない。」 「――。」 「こんな女が唯一愛した人だなんて、私は王子が不憫でならない。」 私は少女に背を向けた。 吐き気がする。 本当に王子が不憫で、吐き気がする。 少女の嗚咽が激しくなった。 泣けばいい。 泣いて泣いて、後悔して死ねばいい。 いつのまにか、私の目頭も熱くなっていた。 紅い炎に照らされる美貌。 きっと、少女の犯した罪さえ忘れて、少女の処刑を見ていた者は見惚れていただろう。 爪の無い指。腕や足に刻まれた鞭の跡。首に残る縄の跡。 それらが照らし出される。 声も上げない。泣きもしない。 ただ、顔には諦めたような微笑みが張り付いているだけ。 それが無性に腹立たしい。 少女が絶命しても炎を消すことは許されない。 全てが燃え尽き灰になった時、やっと炎は消された。 奇跡の王子。そしてその王子を殺した類い稀なる美しさの悪女。 その話はころころと話を変え広まっている。 今では御伽話の次元になっている。 私は息を吐いて立ち上がった。 本当の王子とあの少女の物語。あの一件から宮仕え辞めた私は、それを少しずつ、本当に少しずつ記している。 出版する気もない。私だけが知っていればいい。 ただ。 はにかんだように笑いながら見つめ合い、踊る美しい二人と、少女の硝子の靴が未だに私の脳裏に焼き付いていた。 [戻る] |