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「はー。」

 学校帰りの道端で。
 あたしは今日何度目になるかわからない溜息を吐いた。
 だって、これが溜息を吐かずにいられるだろうか。
 幼馴染みの親友には、親友の彼氏があたしを好きになったという理由で絶交宣言され、今日が三年目の記念日の彼氏には、突然「好きな人ができたから」とフラれる。
 悲し過ぎて涙も出ず、出るのは溜息ばかり。
 なんであたしがこんな目に遭わなければならないんだろう。

「はぁ。」

 何だか無性に腹が立ってきた。あぁ、本当になんであたしがこんな目に。
 目の前には石ころ。幸い周りには人がいないみたいだ。

「――。」

 蹴っちゃえ。
 今日こんなに嫌なことがあったんだ。
 大丈夫。神様も許してくれる。

「なんであたしが――!」

 思いきり石ころに狙いを定める。

「どうしてこんな目に――!」

 石ころに狙いをつけたまま、加速するために距離をとる。

「遭わなきゃ――!」

 あたしは駆け出した。

「なんないのよ!」

 石ころを蹴り上げると勢いよく飛んでいく。
 爽快。

ガシャーン!

 大きな音がした。
 そちらを見れば、みすぼらしい服を着た男の子の足元に壊れた壺がある。そして、あたしが蹴った石ころも。
 割れた壺からは緑色の透明な液体が流れ出していた。それはオリーブオイルに似ている。

「あ。」

 きっとあたしが割ってしまったんだ。思わず足が竦む。

 男の子は、割れた壺を見ながら年に合わない冷めた表情を浮かべていた。
 そして、ゆっくり首を捻るとあたしに気付いてあたしの方に歩を進める。

「君、魔法学校の生徒だよね?」
「え? あ、そうだけど?」
「だったら当然、これの価値もわかるよね?」

 男の子は緑色の透明な液体を指差す。
 けれどそれが何かわからなくて、あたしはそれに近付く。
 それに近付くと、あたしはその液体の色に少し赤が混じっているのを発見した。

「もしかしてこれって――?」

 あたしの予想が当たっているのなら、これは大変なものだ。

「そう。黒蠍の血だよ。」

 黒蠍の血。希少な毒であり、薬にもなる素材。
 生き血でないとその効力はないし、その生き血は月の石を薄く加工した特別な容器に入れないとその効力をなくすため、希少度が増す。
 あたしは魔法薬学の授業を思い出して顔を真っ青にした。

「弁償、してくれるよね?」
「でもあたし、そんな学生だし大金持ってな――」
「体売るなり臓器売るなり方法はあるだろうが!」

 男の子には似合わない怒声。
 ――いや、この子は本当に男の子なんだろうか。
 身震いするくらい冷たい目をしている。

「まぁ、僕も鬼じゃないから支払期限なんて決めないから。気長に返すしてよ。」
「あ、あ――。」
「返すよね?」

 大人顔負けの低い声。

 その日、あたしは最悪なことは本当に重なるのだと知った。





「はー。」
「ベティ。最近大丈夫?」

 机に伏して溜息を吐いていると、メリッサが声をかけてくれた。
 メリッサは高校から一緒になった子で、少々良い子すぎるのが難点だけどよく一緒にいる。

「バイト辛い――。」
「もぅ。学生の本分は学業なんだからバイトばかりしてたらダメだよ。」

 メリッサの言うことはわかるけど、今のあたしには借金があるから仕方ない。
 だからその言葉には何の悪意も無いだろうけど少々腹が立つ。
 借金がある、と声を荒げて怒鳴れたらどんなに楽だろう。石ころを蹴ってできた借金なんて恥ずかしくてそんなこと言えないけど。

「最近のベティ、本当に辛そうだよ? どんな理由があるのかわからないけど、しばらく休んだ方がいいよ。」
「休めない。」

 最近は親に内緒で夜のバイトも始めた。だから、本当は学校へ来たくないくらい疲れてる。
 でも来ているのは、絶交宣言された親友と、フラれた彼氏と仲直りできるかもしれないから。
 あぁ、眠い。
 親に相談できたら楽だろうけど、それだけは絶対にできない。

「ふぁあぁ。」

 あくびが出る。
 気付いたらあたしは、夢の世界に旅立っていた。





 今日は夜のバイト先で、おっさんに絡まれた。ある程度は予想していたけど、やっぱり堪える。
 あぁ、家にもしばらく帰ってないし、眠い。
 学校に着いたら寝よう。
 と。
 楽しそうな声が聞こえた。あの人の、マイクの声だ。
 そのマイクの楽しそうな声に、女の声も混ざっている。
 つい睨むように、あたしはマイクの姿を探す。

「あ――。」

 メリッサだ。
 楽しそうに笑い合い、寄り添っている、マイクとメリッサ。
 あの女か。
 マイクが好きになったのは、あたしからマイクを奪ったのは、あの女か。

「あ、ベティ!」

 あの女はあたしに気付いて寄ってくる。

「おはよう! あのね、ベティ最近疲れてるみたいだから魔法薬学の先生に聞いて疲労に効く薬を作ってきたんだよ!」

 無邪気な顔。あたしとマイクの関係を知らないわけないのに。
 この女の良い子ですって態度が嫌い。
 この女の鈍いところが嫌い。
 この女の純粋なところが嫌い。
 この女の笑顔が嫌い。
 この女が嫌い。
 この女がマイクを奪ったことが憎い。
 この女が憎い。

「あれ、ベティ?」
「いらない。」

 あたしはメリッサの手を振り払った。

 痛い。苦しい。嫌い。憎い。

「ベティ!? どうしたの!?」

 気付けば溢れていた涙。

「んた、せ、」

 上手く言葉が出ない。

「何?」
「あんたのせいよ!」

 何かがあたしの中で切れた。

「あたしがミリーに嫌われたのもマイクにフラれたのもあんたのせいよ! あんたがあたしをミリーの彼氏に会わせなければミリーはずっと上手くいってたしあんたがマイクの前に現れなければあたしがマイクに捨てられることはなかった! みんなみんなあんたのせいよ! あんたのせいよ! あんたがいなければよかったのよ! そしたら石に八つ当たりして壺を割ることもなかったのよ! あんな法外な借金背負うことなかったのよ!」

 メリッサを突き飛ばす。

「あんたのせいであたしの人生は目茶苦茶! あんたのせいよ! 責任取ってよ!」
「ご、ごめん――。ベティ。わたし、そんな、そんな――!」

 メリッサは真っ青で泣きそうな顔で肩を震わせていた。
 何よ。あたしがあんたを泣かせてるみたいじゃない。
 泣きたいのはあたしなのに、被害者はあたしなのに、まるであたしが悪いみたいじゃない。

「ごめ、ごめん、ベティ、ごめん。」
「あたしはあんたのそんな良い子ぶってるところが嫌いなのよ!」
「ベティ! 言い過ぎだ!」

 マイクがあたしをはがいじめにしようとする。
 あなたもやっぱりメリッサの味方なのね。

「うるさい!」

 マイクが吹っ飛んだ。
 あぁ。
 あたしは心の中でどこか冷静に思った。
 魔法の暴走だ。

「嫌い! 嫌い!」

「ベティ!」

 あぁ、ミリー。あなたはあたしの味方だよね。親友だもんね。

「何やってんの!」
「だってメリッサがマイクを――」
「あんたもあたしの彼氏寝取ったくせに自業自得でしょ!? なのにメリッサに当たるのは間違いよ!」
 ――お前もか。
 なんで。なんであたしの味方は誰もいないの。
 メリッサばっかり。
 ちょっと可愛くて良い子ぶってて。
 嫌いだ。メリッサなんて大嫌いだ。
 それに味方するマイクもミリーも嫌いだ。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 あぁ、なんて魔法の暴走って気持ち良いんだろう。

 ひとしきり魔法を暴走させて、気付いた時にはあたしは学長室で退学届けにサインさせられていた。



 それからあたしは家に帰るのも止めて働きつづけた。



 あたしは借金を返すために男の子の事務所にいた。
 彼が何者かはわからないけど、あたしにとって彼はお金を返す相手。それだけだった。
 いつも男の子一人しかいない事務所。男の子は一番立派な椅子に座っている。
「はい、今月の分。」
 あたしは厚みのある茶封筒を男の子とあたしの間にあるテーブルに置く。
 男の子は黙ってそれを取ると茶封筒の中の紙幣の枚数を数える。

「うん。毎月ご苦労様。」
「それで、借金どれくらい返せた?」

 この四カ月、あたしは死ぬ気で働いた。きっと結構返せているはずだ。

「今月の分も合わせて、百分の一弱かな?」
「え?」

 あたしは呆然とした。
 百分の一。それも弱。
 だから全額返済するには今までの百倍超だから――。
 これからこのペースで働いて、三十年以上働かなければならないってこと?

「そんな!」
「ベティさん。」

 男の子は哀れむような、蔑むような目であたしを見る。

「黒蠍の血にはそれだけの価値があるんだよ。」
「――。」

 あぁ。
 これも全て、あの女のせい。
 なのになんであたしが働かなければならない。
 なんであたしばかりが嫌な思いをしなければならない。
「ベティさんまだ未成年だし、親に力を借りるってのはどうかな?」
「それだけはできません。」
 あたしは立ち上がった。
 お父さんやお母さんに言おうものなら、また要らない子だって罵られる。
「これから仕事だから。」
「そう。頑張ってね。」
 何の感情も籠っていない言葉。
 別に労ってほしいわけじゃない。私が悪くてできた借金だから。
 でも、少しくらい温かさがほしかった。
 あの日には出なかった涙が目頭を熱くする。
 冷たい。寂しい。侘しい。
 事務所を出ると、肌寒くなった風が肌を突き刺す。

「ベティ!」

 懐かしい人がいた。
 いや、懐かしくなんてない。この女は憎しみの対象。

「メリッサ――。」
「ごめんね!」

 あたしには許されない制服姿。それが腹立たしい。

「ごめんね! わたしのせいだなんて知らなくて! だから、これ――!」

 メリッサは学生鞄の中から封筒を出した。

「バイト始めたの。全然足りないと思うけど、また来月も持って来るから、だから! 受け取って――。」

 ――本当に嫌い。その良い子ちゃんですってとこが。
 一人にでも嫌われてたら安心できないのだろうか。
 それともわたしはかわいそうですなんてアピールして周りの同情を買いたいのだろうか。

「――偽善者。」

 あたしはメリッサの横をすり抜ける。
 メリッサは泣いていた。
 本当に甘ったれ。
 だけど。
 あたしも泣いていた。
 何が悲しかったんだろう。よくわからない。
 涙を拭う。
 自分の涙だけど。久し振りに温かいものに触れた気がした。

 さぁ、メリッサに構ってなんかいられない。仕事だ。
 あたしは手帳を開く。びっしりと仕事があたしの手帳を埋めている。
 次は、と。
「あれ――?」
 書いた覚えのない文字。しかも仕事じゃない。

「猫眠堂――?」

 その瞬間、魔法が発動した。
 使用者じゃないのに言葉にするだけで発動するなんて、これは高等魔法だ。
 あたしは光に包まれる。
 もう、ダメかもしれない。あたしは諦めて目を閉じる。
 借金まみれの人生だし、終わっても良かったかもしれない。
 あぁ。マイク。ミリー。最期に仲直り、したかったな。 


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あきゅろす。
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