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火曜日の2時限目と木曜日の5時限目。
選択科目の化学の授業。
化学室での授業の為の移動で理系クラス前の廊下に差し掛かるといつも感じる視線。
視線の先を辿ればそこにいるのは小学生の時から想いを寄せる、彼の姿。
私を射抜くような、見透かすような鋭い視線を向けてくる彼。
目が合っても怯まず私を追い続けるその視線を、私はいつも真っ直ぐに見返す事が出来ずにいた。
こんなに好きなのに…。
どうすればいいんだろう…?
小学生の頃は、仲がよかった。
よく一緒に遊んだし、家も近くて登下校も一緒だった。
物心の付いた頃には他の人には抱かない特別な感情を彼に抱いている事を、幼いながらにも理解していた。
このまま仲良く、大人になっていけると何の疑問もなく過ごしていたのに。
中学に上がって少しした頃から、彼は私と距離を置き始めた。
一緒だった登下校も、朝は既に家を出ていて、帰りは他の人と既につるんでいたりで、いつの間にか別々になっていて。
特別な想いを抱いていたのは私だけだったんだと感じ、淋しさと切なさを知った。
結局中学の3年間、学校でも家でもロクに会話することもなく卒業。
進学した高校は同じでも、私は文系特進クラス、彼は理系特進クラスを選択した為同じクラスになることはない。
このまま、顔を合わすことすらないまま卒業して、そして大人になるのだろうと…色々な物事に諦めを持ち始めたのに…。
最近感じる彼からの視線に、正直私は戸惑っていた。
「…次は、化学か…。」
思わず出る溜め息にますます気が滅入る。
「サクラ、化学室に行くよー。」
「すぐ行くー。」
いのの呼びかけに重い腰をあげる。
何となくいのには気付かれたくなくて平静を装ってはみるものの、足取りは自然と重くなる。
今日も、あの視線は、向けられるのだろうか…?
もうすぐアイツが廊下を通る。
今日は火曜日。
アイツは火曜の2時間目と木曜の5時間目にある化学の授業の為、このクラス前の廊下を通って化学室へと向かう。
アイツとオレは家が近所で小学生の頃から割と仲はよかった。
桜色の長い髪が風に吹かれて揺れるのを見るのが大好きで、よく外に引っ張り出したのを覚えている。
あの淡い桜髪と翡翠の瞳、そしてアイツの笑顔が何よりも大切だったのに。
中学にあがって暫くした頃、アイツは突然背中まであった髪を肩上までバッサリと切った。
…アイツがオレを好きな事はわかってた。
そしてオレの好みのタイプが髪の長い女だと思い込んでいることも。
実際には髪の長い女が好みなのではなく、アイツの長い髪が好きなだけだったのだが。
その思い込みがあるからアイツが髪を切ることなどないと、あの長い桜髪もアイツの笑顔もずっと見ていけると思っていたのに。
突然長さを失くした桜髪に戸惑いを隠せなかった。
アイツは髪を切った理由を言わなかった。
どう聞き出そうとしてもはぐらかされていたある日。
アイツの親友から理由を知らされた。
…そして、オレはアイツから離れた。
すぐ傍で見たかった笑顔も、アイツの笑い声も、柔らかな桜髪も全て諦めて。
そしてそのまま中学を卒業した。
進学した高校も同じで、でもクラスは違って。
離れたままいようと思っていたのに、週2回教室前を通り過ぎるアイツを久々に見た瞬間、そんな思いはどこかへと消え去っていた。それどころか目を離せない。
変わらず肩上までの桜髪はやはり愛しく、翡翠の瞳に惹きつけられる。
それに何より、アイツは綺麗になっていて。
オレへの反応からアイツもまだオレを好きな事はわかったが、中学時代の事が頭を掠めるとアイツの傍に行くのが怖くなった。
…オレらしくもなく。
傍に行けない代わりとでもいうかのように、気付けばアイツを目で追うようになっていた。
…そしてアイツはそんなオレから目を逸らす。
…どうすればあの頃に戻れるのだろう…?
「サスケ、そろそろあのコが通る頃じゃないの?」
「…ッ!!」
水色の髪のクラスメート‐水月‐がニヤニヤしながら声をかけてくる。
コイツはオレの日課を気付いているらしく、時々オレをからかうように口を出してくる。
オレは無視して廊下に目を向けようとした時、今度は赤い髪の女がオレの前に立った。
「誰だよ、あのコって?もしかして女か!?」
「…香燐には関係ない。邪魔だ、どけ。」
「どかない。なぁサスケェ、それって女なんだろ!?」
赤い髪の女‐香燐‐はオレの視線の行く先を遮るように立っている。
…もうアイツが通る頃だ。
「…どけ。」
「いやだ!!」
香燐が動かずにいると水月がニヤニヤと笑って横から香燐の腕を引いた。
「…っちょっ…何すんだよ、この野郎!!」
「邪魔するなよ。それともサスケを怒らせたいの?」
「…うるさい!離せ!!」
ギャーギャー喚く香燐を水月に任せ、オレは席を移動した。
移動した先は廊下傍の席で、そこには小学校からの同級生、IQ200の天才がいた。
「…どーした?サスケ。珍しいじゃねえか。お前がオレの所に来るなんて。」
そういう天才‐シカマル‐もニヤニヤしてオレを見る。
コイツも水月と同じだ、多分。
わかっててやってる。
でも今のオレにはそんな事よりも大事な事がある。
「…でさ〜、シカマルったらー。」
「…オレがなんだよ!?」
「…え!?やだ、もう理系クラスまで来ちゃってるじゃない!」
聞こえてきた声の主はアイツの親友でクラスメートの金髪女、山中いの。
シカマルと幼なじみ。
…この2人は幼なじみなのに小学生の頃と変わらず仲がいい。
…オレ達とは違って。
「で?お前はオレの悪口をそんな大声で言いふらしていた、と。」
「ちょっ…違うわよ!そんなんじゃな……あれ?サスケくん?」
「え…?」
オレの名前を耳にしたアイツの微かな声が聞こえた。
オレは予定通りアイツ‐サクラ‐を真っ直ぐに見据えた。
「!!…っ…。」
目が合うとすぐにサクラは顔を背ける。
それでわかる。
サクラは、オレを好きだ。
顔を真っ赤にして目を逸らす。
オレの目を見ない。
オレに笑顔を見せない。
…なぁ、いつからオレ達はこうなったんだ!?
サクラを見ながら思考を巡らせていると、山中が話しかけてきた。
「サスケくん、なんか久々ね。」
「…ああ。」
「相変わらずモテるんでしょ?」
「知るか。」
そうしてる間もオレの目は山中を通り越えてサクラだけを映す。
見えるのは、桜色の後頭部だけだが。
「…とっとと化学室に行けよ。もうチャイム鳴るぞ?」
シカマルの声に山中は時計を見た。
「キャー!やっばーい!!サクラ、行こっ!!」
「うん。」
じゃーまたねー!と明るく去ろうとする山中の後をひっつくようにしてついて行くサクラの手を、オレは思わず掴んだ。
「…えっ…!?」
「…………………。」
サクラは漸くオレに顔を見せた。
どれくらいぶりだろう。
こんな間近で顔を見るのは。
「…は…なして…っ。」
「………………………。」
「…チャイム、鳴っちゃう…っ。」
「……名前、呼んだら離してやる。」
「え……?」
サクラの目がオレを見る。
そうだ。
昔はそうやっていつもオレを見て、オレに笑っていたのに。
「…う…ちはくん…離し…。」
「違うだろ!?」
「……!?」
「名前、呼べよ。」
「………………っ……。」
今はそうやって、すぐに俯くんだ。
オレはそれが許せない。
「おいサスケ、そのくらいにしてやれよ?
本当にチャイム鳴っちまうぞ!?」
「………サクラ。」
「………っ!!」
「…オレの名前、呼べ。」
オレがサクラの名前を呼ぶと、サクラは驚いた表情を見せた。
でもそれも仕方ない。
オレがサクラに向かってサクラの名前を呼んだのは約3年ぶりなのだから。
「…呼べよ、オレの名前。」
「……………っサ、サス…。」
「サスケェ!!何やってんだよ!?」
香燐が水月を振り払ってこっちに来ていた。
…だけならまだしもサクラの前で抱きついてきやがった。
「…っ!!」
「…ッチッ…。」
思わず離したサクラの手。
すぐに掴み直そうとしたが、サクラは既に山中の方へと走っていた。
「…どういうつもりだ!?香燐。」
「今のが水月の言う“あのコ”か!?」
「…お前には関係ないと言ったはずだ。」
「ちょっ…サスケェ!!」
その時、ちょうどチャイムが鳴った。
サスケは香燐をすり抜け自分の席に着くと、頬杖ついて外を見る。
久々に触れたサクラを思い返す。
相変わらず華奢な手首。
あの瞳…昔はもっと明るく見えたのに。
「…何で……。」
胸が痛い。
その後の授業なんて、耳に入らなかった。
「…よかったの?逃げたりして。」
「…え…?」
化学の授業中、いのがこっそり尋ねてきた。
実験中って事もあって教室内がザワザワしているのに便乗して。
さっきの彼‐サスケくん‐の事を言いたいんだろうけど。
「だって…サスケくん、彼女いるし。」
「あの赤髪のヒトの事言ってるの!?」
「…今更どんな顔で何を話せばいいかわかんないよ…。」
久々に間近で見たサスケくんは凛々しくて、目を見たら吸い込まれそうだった。
今だって心臓はドキドキと鼓動を速めてて。
本当は今にも泣きそうな程に好きなんだ。
でも、サスケくんにはもう…。
「…あのヒト、サスケくんの彼女じゃないわよ。」
「…え…?」
「あのヒトがサスケくんを好きなのは確かみたいだけど。」
「な、何でそんな事知ってるのよ!?」
「シカマルに聞いたのよ。」
そういえばシカマルもサスケくんと同じクラスだったんだと今思い出す。
「…離れていったのは、サスケくんだから…。」
実験結果をノートに取りながら、中学時代を思い出した。
ある朝、既に登校していたサスケくんに突然目を逸らされたあの時のショックが蘇る。
「サクラだって、髪切った理由…言ってないんでしょ!?」
いのの言葉に手が止まる。
いのを見ると、私の髪をジッと見ていた。
「サスケくん、サクラが何で髪を切ったのか、随分気にしてたわよ?」
「まさか、言ったんじゃ…!?」
「い、言ってないわよ!!」
「や〜ねぇ!」なんて笑ういのの様子にもしかしたら、と思ったりもしたけど、そんな事は今更もうどうでもよかった。
「いのとシカマルとは違うから…。」
2人みたいにあのままずっと一緒だと信じていた頃に想いを馳せる。
「そぉ?私からすればただ素直になれていないだけにしか見えないけどね。」
「…誰が…?」
「2人とも。」
そう言ったいのの瞳は強くて、私は目を逸らせなかった。
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