見えぬ白い鎖
(ウィダカイ)






「う、…っはぁ……」


夜。
ガヴァダの街を歩いていると、また眩暈がした。
世界樹の守護が弱まっている証拠だ。
この世界も、三つの街を残してあとはギルガリムに飲み込まれてしまった。

ボクのことを思ってか、モルモはこの眩暈のことには触れてこない。
でも、ボクだってもう気づいている。
世界はそう長く保たないってこと。
マナが急激に減っているから、世界樹と繋がってるディセンダーの身体にもこんな症状が起こるんでしょ。
今の世界の情勢を見ていれば嫌でもわかるよ。

はやく、一刻もはやく決着を付けないと、テレジアは消滅してしまう。
カノンノのことも気になるけど、次に狙われるのはドープルーンだってウッドロウに伝えなきゃいけない。
ボクが駄目になってしまう前に…。


倒れないよう、建物の壁に手をつく。
足元はまだふらつきが治まっておらず、視界も暗いままであったが、ゆっくりと深呼吸をして身体を落ち着かせる。

心を強く持たねば、あっという間にやられてしまう。
たとえ危険な状況になっても、心だけは負けるもんか。

そう自分に言いきかせ、足元に力を入れた。
その瞬間、暗い路地から伸びてきた腕に勢いよく身体を引かれた。


「わ、なっ…!」


突然のことに抵抗することもできず、強い力にされるがまま奥へと連れ込まる。
そして、どん、と身体を壁に押さえつけられた。
一体何なのだ、と文句の一言二言でも言ってやろうと顔を上げた瞬間、一気に血の気が引くのを感じた。


「あ…、っ……」


だって、目の前にいたのは…


「久しいな。テレジアのディセンダーよ」


誰でもない、この世界の脅威であるウィダーシンだったのだから。







身体が震えているのが嫌というほどわかってしまう。
先ほど力を入れたはずの足元は、言うことを聞かない。
攻撃手段である杖も宿に置いている。
この状況で逃げ切られる可能性はゼロに等しかった。

ギラギラと光る、血のように紅い眼がボクを見下ろす。
押さえつけられている肩が痛い。
心臓が煩く鳴る。
息ができない。

ウィダーシンが少しだけ身を屈め、ボクとの距離を詰める。
しかしボクはそれどころではなかったので、そんなヤツの動きに気づけないでいた。


「震えている、な」
「お陰様で…、力が弱まって、きてるんだよっ…」


せめてもの抵抗。
声までも震えてしまっていた。そんなボクを見て、ウィダーシンがふっと笑った。


「口だけは肝が据わっている。

……益々気に入った」


その言葉の意味を理解する前に、無理やり顔を上げさせられた。
そして、噛み付かれた。
否。
噛み付かれたにしては情を感じ、攻撃的ではない熱っぽさを持っていた。

こういった行為は知っている。
人間が、愛情を表現するときによくやることだ。
唇を触れ合わせ、互いの愛を確認する、あれ。


ぬるり。
熱くて柔らかいものがボクの口内に入ってきた。
それに驚いて、身体がびくりと大きく震えた。
頭は少し上向きで壁に押さえつけられていて、びくともしない。
一種の生き物のように口内で動き回るそれは、歯列をなぞり、奥で縮こまっていたボクの舌を絡め取って軽く吸った。


「ふ…、ん、んっ…」


鼻から息が抜ける。
でも吸うことができなくて苦しくなってきた。
どうにか離れさせようと、手をウィダーシンの胸元に持っていき、力を込めて押す。
しかしその手も取られ、頭上で一纏めにされ壁に押し付けられた。

ふと、口内にあたたかいものが流れ込んできた。
正体がわからないまま、それは喉を通ることなく、身体に浸透していった。


酸欠と生理的な涙によって視界がぼやけはじめた頃、ゆっくりと離れていく熱。
すっかり腰が砕け、自らの足で立つこともままならないボクを、ウィダーシンが支える。
冷たく感じる空気を目一杯吸い込むと、肺も驚いたのか、盛大に咽せてしまった。
げほげほ、と咳き込むボクの背中を、ウィダーシンの大きな手が擦る。
敵なのにどうして、とか当たり前のことが口にできない。
今はただ、乱れた呼吸を整え、目の前の男の腕の中にいることしかできないでいた。

大分落ち着き、力が戻ってきたころ、突然ウィダーシンが口を開いた。


「私のマナを少量、お前に与えた。これで少しは楽になっただろう」


え…?
そういえば、暫くは続く眩暈が治まっている。
それどころではなかったので全く気づいていなかった。
あのとき感じたあたたかいものは、ウィダーシンから送られたマナだったのだ。

驚いたボクは、勢いよく顔を上げた。

男の整った顔が近くにある。
二つの紅は先ほどのそれとは異なる印象を受け、じっと見つめられると胸が苦しくなるのを感じた。

男の真意が知りたくて、眼を見ないよう顔を反らして言葉を形にする。


「なんで…こんなことするんだ、よ…」


マナのことも、口づけのことも。
だってボクはお前を、お前はボクを消すために此処≪この世≫に在る。
それなのにお前は、ボクを救うようなことばかりをやっているんだ。
いくら憎むべき敵でも、そんな、愛しいものを慈しむような眼で見られると、憎めなくなるんだよ。

今にも泣きそうなボクを見て、ウィダーシンはふっと笑みを浮かべた。


「何故、か…」


ボクの背に回っていた手が、ゆっくりとした動作でボクの頭に乗せられる。
そして二、三度髪を梳き、ぐい、と前髪を掻き上げた。
そうすると顔が上がり、自然と向き合う形をとってしまった。
再び紅い双眼とぶつかる。
反射的に眼を反らしてしまいそうになったが、男はそれを許さなかった。


「私を見ろ」


身体の奥底に響くような声で言われたら、逆らうことなんてできない。
魂を吸い取られそうなほど、見つめられる。
ゆっくりと近づいてくる男の顔。

二度目の口づけは、額だった。

思わず強く、眼を瞑ってしまった。
すっと熱が引くと、男の身体も離れていった。

解放される、迷い子。

男はそのまま奥へ数歩歩くと、未だ放心状態のボクを横目で見て、唇に弧を描いた。


「お前なりに答えを導き出してみろ」


そして、闇へと溶け込んでいく。
月光を纏い、仄かに光を放つ銀髪が見えなくなった途端、闇が揺れた。


"その熱が冷める前に、再び見えよう"


そう、頭の中に響いた。

暗い路地裏にひとり。
先ほどの男の言葉が頭の中で響き渡っている。


ふ た た び ま み え よ う


いけない。
あいつは敵なんだ。
あんな、人間らしい眼をしていたとしても、だめなんだ。
ボクはこの世界を守るためだけに生まれてきたのだから…。

力を取り戻した脚を動かして、この場を去る。
身体の中に在る男のマナを、あたたかく感じることに戸惑いながらも、必死に、明日からすべきことを並べていく。
まずはドープルーンに行かないことには何も始まらない。
世界にはボクが必要なのだから…。


この時のボクは、蒼白い月光が背中を照らしていることに気付くことなく、無意識に闇へと身を委ねようと傾き始めていたのだった。





fin...




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