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▽雨の王▽


彼は冷たい冷たい瞳で空を仰ぐ。
"空を仰ぐ"だなんて言葉が適切では無くとも、やはり彼は見下ろすべき空をあの冷めた視線で見上げているのだから。矢張り、彼には"空を仰ぐ"と言った言葉が適切であるかもしれなかった。

▽雨の王▽

つららと小さく冷たい雨粒が頭上から降り注がれる。
ポツポツ、しとしとぴっちゃん。さあさあ、ザアアザアア。雨の音は様々なスケールを描いて鼓膜へと響くから一護はゆっくり慎重に雨粒の描くメロディに耳を澄ませる。そうしなきゃ彼の言葉が分からないからだ。
青い青い、まばゆいくらいの晴れ渡った冬の青空から滴り落ちる雨粒はそれはもう冷たく冷たく、日光に照らされキラキラと瞬きながら冷たく冷たく世界を濡らし始める。
通り雨程厄介極まりないものはない。

「…あんにゃろ…っ」

ひくりと口角を器用にあげて空を睨みつけながらダウンジャケットのフードを目深く被り帰路を急いだ。
ポツポツ、とっとっと、しとりしとぽと。
服に当たる雨の小さな音色、アスファルトに浸透していく染みた音、屋根にぶち当たる大袈裟な音、車体に当たる無機質な音と様々な雨音が一護の鼓膜へしっとりと染み込んでいく。
冷たくも青々しい空から降り注ぐ12月の通り雨はしっとりと世界を濡らしていくのに。持っている温度の冷たさに肝が冷える思いがかじかんだ指先から徐々に徐々にと体温を奪いつくしていく。既に左手の指先から麻痺を起こしている感覚に一護は足を早めて目的地へと到着した。

灰色のアスファルトからにゅうっと生えてきたかの様な同色のビルディング。
築数十年の古びたアンティーク紛いなビルの所有者は冷たい金色の瞳を持った男。
目深く被ったフードから視線を上へ上へとあげて目的の階、その大きな窓を睨みつける様に仰いだ。いつだって太陽の光を拒否する真っ黒いカーテンは雨の日限定で開かれ、窓の縁に座りながら本を読んでいる男の姿が視界へ映し出された瞬間、一護の口元からはお行儀の悪い舌打ちが盛大に鳴り響いた。
チッ。
悪癖とも言える舌打ちは男の元へ届いたらしい。
フと下げられた視線。手元にある本(きっと嫌味ったらしくも英数字がびっちりぎっしり詰まった洋書に違いない)から視線を反らして階下を見下ろした男の瞳と一護の瞳がカチリと綺麗に合わさった。
なんて冷たい瞳。
見ようによっては金色、けれどよくよく見るとうっすらとグリーンがかかる冷たい冬の様な色彩を持っている事が分かる。ああ、確かに。彼は冬に生まれてそして冬で死んだ男だ。
目と目が合わさった後、彼は何事もなかったかの様に一護から視線をフイと外して元の位置へと視線を戻した。
「俺より洋書かくそったれめ」
届く筈がないと分かっては居ても憎まれ口を叩かずにはいられない。
フードにぶち当たる雨の染み込んだ音と、世界を支配した小さな雨音が耳に煩わしくて、唇をキュっと噛み締めながら通い慣れたビルの中へと入り込んだ。
手も足も髪の毛も、何もかも。温度という温度全てを奪いつくす冷たさが全体へと浸透した一護の体はあの男と同じ様に世界の温度全てを拒否している。それがやけに癪に障ったので古びた螺旋階段を上っている最中に数回の舌打ちをしてしまっていた。

***

「よう、雨の王」

キイとこれまた演技かかったかの様にドアは唸る。
静寂そのものが住みついている彼の部屋に不躾な音が充満し、彼の眉をピクリと上げさせた。
それでも尚、男の…浦原喜助の視線は洋書へと注がれる。まあこれもいつもの事だ。男が演じ切る"日常"は一護にとっての苛立ちの種。きっと分かってやっているのだろう。そう思ったら余計に腹が立って腹が減ってしまうから、一護はフウっと一呼吸して扉を閉めた。

「浦原」

ギイと古めかしい音を立てて閉じた扉は静寂を再び植え付ける。まるでそう細工をされているかの様にこの重たい扉は外と内の境界線をぴっちりと引いてしまうから一護はやっぱり嫌いだった。男の部屋がこの世界で一等に嫌い。
案の定、うんともすんとも言わない男に溜息を吐いて近寄る。

「浦原」

いつもは薄暗い室内も、今日ばかりは男が降らせた雨で世界が濡れているからカーテンは開かれ外の健康的な光が室内へと漏れてきてるからやや明るい。なんて健康的な光が似合わないのだろうこの男は。
大きな大きな窓の外、視界いっぱいに見える空の青と日光の白さが彼を飾る背景としては出来損ないに感じる程、男は青が似合わない。それもその筈、男はいつだって真っ黒尽くめなのだ。
黒のタートルネックのニットに黒のデニム、足元を飾る革靴だって黒。明るい色彩を持ってるのは男の冷たい金色の瞳と髪の毛だけ。しかしその髪の毛も瞳と同じくしっとり冷たい。
近寄れば一層、雨の匂いが濃くなった気がして一護はキュっと小さく小さく唇を引き結びながら男の髪に触れた。サラリと滑る様な質感に指先が慄く。ああ、冷たい。

「なにしにきたの」

疑問符なんて無しに、まるで独り言の要領で呟く浦原の視線は未だ洋書が独り占めしている。

「雨、降ってたから」
「直ぐに止みますよ」

男の言葉にちらりと窓の外を見る。
青が描かれた空が少しずつ灰色に溶け込んでいるのが垣間見れて、少しだけ物悲しくなった。この感情にはアンニュイと名付けられている事を一護は知っている。知っているからこそこの男の傍は居心地が悪いとも思う。なんだかそれも酷く寂しいではないか、物悲しいではないか、…アンニュイでは、ないか。
やだな、声までも冷たいんだもの。
再び引き結んだ唇の音に男の視線が泳いで流れて上へ上へとあがってはピタリと一護の視線と合わさった。
パチリ。そんなメロディが雨音の中で聞こえる。

「止むよ」
「強くなってる」

一護の言葉に今度は男が窓の外を見た。

「…いずれ、ね」
「いつだってそうだ」
「なにが?」

窓の外を眺めていた冷たい金色が再び一護の元へと戻ってくる。冷たい冷たい、金色に近いグリーンアイズ。全てを拒否してるかの如く冷たくて寂しくなって胸がキュウウっと絞られるみたいに鳴いては泣いた。
なんだってこんなに悲しくなるんだろう。

「今日も、冷たい」

男の髪の毛に触れた指先が漸く震えた。12月の凍てつく寒さの中、しっとりと一護の体を濡らす雨はべっとりと体に張り付いて離れなくて温度を奪い去る。流石は雨の王、いつもいつもいつだって冷たくて意地悪でそしてちょっぴり愛しい。
毛先を弄ぶ一護の腕を取った手だって爪先まで冷え切っている。
じとりと冷たい瞳で見られて、目尻に触れる人差し指はひんやりしていて若干熱くなった皮膚を一気に冷やした。

「泣くな」
「泣いてない」

そう、一護は泣いてなんか無いのに。いつだって男はそうやって全てを誤魔化す様に子供扱いをしてみせる。先週訪れた時なんて終始あやされる様に冷たいベッドの中で抱かれた。

「お前と居ると寂しくなる」
「なぜ?」

見えない涙を追う様に目尻を撫でた男の手を取って指と指を絡めてキュっと握った。温度が彼に移れば良いのに、その小さな願いもこの男の冷たさは叶えちゃくれない。
一護はゆっくりと首を横に振るう。

「分かんない。けど…悲しくなる」
「泣いてないのに?」

こくん、ゆっくり頷く。

「むなしく、なる」
「じゃあ来なきゃ良いのに」
「っ!だ、って…、だって…今日も雨、降らせた。俺…おれ…帰ろうと思ったんだ、けどお前が雨…降らせるから。だから…っ!」

言葉を紡げば紡ぐ程に、男の冷ややかな声と言葉を拒否する様に、誤魔化す様に言葉を紡ぐのになんだか安っぽい言葉しか紡げないでいる事が酷く…とても…とてもとてもとてもとーっても、空しくて悲しくて寂しい。
どうしたらこの男に伝わるんだろう。
声も凍ってしまって心も瞳も全部全部凍ってしまった、冬に生まれて冬に死んでしまったこの男に。
どうやったらこの気持ちを全て受け入れてもらえるのだろう。何度も何度も試行錯誤して迷っている段階でまた、来てしまった。
苦しいよ浦原。
キュっと唇を引き結べば男は本を閉じて立ち上がり一護の耳元に小さなキスを贈って手を引く。
おいで、とも来いとも何も言わずに。ただただ冷たい温度を保つ手で一護の手を引いて誘うから一護に拒否する術はないし況して拒否する理由も元より一護にはない。やっぱり空しいじゃないか、悲しいじゃないか、辛いではないか。
だってだって、…俺だけがお前の事…、好き、みたいだ。
一護の手を引く男の揺れる金色の髪と大きくて広い背中だけを睨みつけながらキュっと唇を引き結んだ。
背後では雨の音が強く強く唸る。一護の心音と共鳴するみたいに、ザアアザアアと物悲しいメロディを刻む。

▽▲▽▲

アっ!と泣いた少年はゆっくりと朽ちる様にシーツの海に埋もれて意識を手放した。
散々泣かせて散々高ぶらせて散々腰を打ちつけて、生理的涙をボロボロと零す琥珀色の温かい瞳に舌打ちを鳴らしながら何度も何度も犯して甚振った。
雨になると不安定になってしまう。
別に用意された冷たい寝室、そこに設置された小さな窓からは灰色と雨の粒が日光に照らされてアンニュイに光っているのが見える。
ざああざああ、強くなった雨音はきっと夜を超えても変わらない冷たさと音を保つかもしれない。分かりきった事に酷く苛立ったので悪癖でもある舌打ちを鳴らしてはベッド脇で煙草を拭かす始末。だってもうこれは…無理だろう。浦原は薄い唇から紫煙を吐き出しながら窓の外の雨に呟いた。
止むと思った。
眩い程に晴れ渡った綺麗な冬の青空だったのに。突如として涙した空に心底嫌気がさしてしまった。
カーテンを開いてガラス越しに雨を眺めて舌を打ち鳴らして彼を待つ。この時間が酷く長ったらしくて暇を持て余した自身が呆れてしまう程には退屈。浦原はこの時間が何よりも誰よりも世界よりも嫌い。
"分かんない。けど…悲しくなる"
馬鹿みたいに素直な言葉を思い出して意識を飛ばした彼を見た。
オレンジ色の太陽みたいな派手な頭、ふわふわと柔らかい。健康的に焼けた肌に少しだけ白い、服の下に隠された素肌のギャップが卑猥な綺麗な体。残念な事に今は隠されているが、閉じた瞼の中には甘くて暖かい琥珀色が存在している。
最初は冷たかった琥珀色。
短くなったシガレットのフィルターをひと噛みして最後の一口を肺へ招きながら灰皿に押し付けて火を消した。
煙草の匂いが染みついた指先で頬を撫でれば眉間に皺が寄る。それを見てフと笑いながら今度は唇へと指先を這わした。ふにに、まだ温かいしそして柔らかな感触が指先へ伝わる。
この唇が言葉を紡ぐ。寂しいだとか悲しいだとかアンニュイだとか辛いだとか苦しいだとか好きだとか。散々な言葉を痛々しいほど健気に告げてくるからこっちも同じ痛みを味わう羽目になるのだ。だから少々手荒に抱いてしまう。

「馬鹿だね君は」

行為の最中、生まれてきてくれてありがとうと途切れ途切れに発した子供は泣きそうな顔で微笑んだ。
ほんっと馬鹿だね君は。
彼の言葉にそう返せば甘い琥珀色の瞳からはポロポロと涙が次から次へと零れてシーツを濡らす。雨だ。咄嗟に感じれば外の雨も強く強く音を鳴らした。
彼は言う。
お前の冷たい温度も冷たい瞳も冷たい指先も冷たい声も全部好きだと、気狂いな言葉をつらつらと立て並べる。
彼は笑う。
笑えない表情で不器用に笑う彼に自分は何も返してあげれない存在だと言うのに。それでも彼は懸命に浦原へ告げた。
確かにこれは恋なのだと。
太陽の香りを持ち、心を雨の匂いでべったりと汚した雨の王は告げる。

「勘違いだ」

そう。勘違いなのだ。
雨の王様は彼で、自分はどこにでも居る死の神。
ご大層にも神の名前を借りてはいるがちっとも珍しい物ではない。
冷たい声も瞳も体温も心も指先も死を纏い心を楔でぐるぐる巻きにしてしまった者のほとんどがそうなのだ。浦原だけではないのだ。
だから12月31日のこの日が誕生日だとか命日だとかは全く以て関係の無い事。
世界にとっては大晦日でありニューイヤーズイブであり12月の末日である。ただそれだけの事なのだ。
それなのに、ああ、ああ。それなのに。
浦原の指先が暖かい彼の目尻を撫でた後で戦慄き、手をギュウっと強く握り締めて拳を作りあげる。
どうしたって彼は都合の良い勘違いを永遠と繰り返して健気にも同じ時間軸を廻って廻って気付かない間に王へと君臨しては温度を持たない怪奇になってしまった。
それ程までに彼の神に焦がれてしまった。可哀想な元少年兵。

「雨の王よ、」

うっかり涙声になってしまいそうになる。
彼の心にべったりと沁みついた雨の匂いが浦原をアンニュイな気持ちにさせた。

「小さき雨の王よ。」

くったり動かなくなった彼の華奢な手を取り、甲へと口付けながら丁寧に言葉を紡いでいく。願わくば、自身が生まれて死んだこの日に奇跡を。彼の見る透明な記憶にこの言葉が届くと良い。

「君が望むのならばアタシは世界が枯れたってかまやしない。君の夢を終わらせる事が出来るならば」

永遠と廻って廻って遠回りも近道も全ての通路と言う時間軸の道を歩み続ける可哀想で可愛い小さき王の夢見るハッピーエンディング。

「この雨を止ませてあげる」

既に動かなくなった心臓へと口付けて、一護をギュウっと強く抱きしめ眠りについた。
サアアア、少しずつ小さくなる心地良い雨の音にみみを傾けながら雨の王が見せる雨の夢の中へと落ちていく。




I want to wish you a Happy Birthday, from the bottom of my heart!




あきゅろす。
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