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優しい優しい沈黙


まるで昨日の事みたいに感じられる。


優しい優しい沈黙


長らく封じ込めていた記憶が一斉に戻った感触を一護は味わっていた。
秋の冷たい小雨はつややつややと夜空から降り注がれ、町の安っぽいネオンを吸収しては光輝く。疎らに開かれていく傘の様々な色彩と模様が徐々に広がっていき、少しだけ濡れた肩を引き寄せる手の温度は小雨よりも冷たかった。
ああ、なんだってこうも変わらないんだ。
不自然じゃない男の動作や仕草は昔と対して変わらない。否、もしかしたら少しは変わっているかもしれないが、2年と言う歳月の中では然程の変化は見られないのが事実として一護の視界に映し出されていた。そうか、もう…2年も経つのか、と感傷に浸るので精一杯。
"もう一杯飲みましょうか、それとも雨が降ってきたし…寄って行きます?"
ヘラリと変わらぬ笑みを見せようが、この男が柄にも無く緊張を含んでいる事を知ったその時から一護はもう覚悟を決めていたのだろう。男の…、浦原喜助の誘いにこくりと静かに頷いてはいつも通っている帰路とは正反対の道へ歩みを進めた。誘い文句も変わっていないだなんて、この時ばかりは少し、この男が可愛く見えてしまう。

***

カチャリ、鍵が閉まる音を背後で聞き流して靴を脱ぎ踏み入れたそこは当時と同じ香りで包まれていた。アメリカ製芳香剤のきつい香りと煙草の香り、そして仄かに香る背後の浦原の香りに昔の記憶が刺激される。
香りは記憶を悪戯に刺激してしまうから、部屋の芳香剤を全て日本製に変えてしまった2年前の今日。自身の生活習慣を全て、自分自身の手で変えてしまった2年前の今日。当時は心穏やかではなかったと、一護は思い出と共に背後を振り返る。
玄関、ドアを背に突っ立ったままの浦原は心なしか泣きそうな面持ちで一護をジっと見つめている。ああ、その目は嫌いだ。一護は思う。思って、ヘラリと不器用に笑んでみせた。一護の笑みを見た瞬間、浦原の目は丸く見開かれ瞬時に歪めては唇を強く噛み締める、なんとも情けない表情を作り上げて見せた。
チクリと痛んだ心臓。心なんて曖昧な物を刺激する思い出の中のヴィジョンと香りと浦原喜助に体内のアルコールが一気に蒸発した気がして、恐る恐る浦原の頬へ手を伸ばした。触れた肌、少しだけざらついているのは男の不精髭がちくちくと手の平を刺しているせい。お前、仕事行く時くらいは髭剃れよだなんてこの場では到底不釣り合いなセリフを途中で塞がれた。
捕られた手首、強く引き寄せられてはバランスを崩して胸にダイブ。腰に回された腕は思った以上に頑丈で太い。着痩せするタイプの人間なのだと知ったのは何年前だっけ。初めて肌と肌を重ねた夜、あの日を思い出した瞬間に一護の肌はブワリと粟立っていた。初めてじゃないのに初めての感覚が強く表に出てしまう。重なり合わさった唇も、口内を弄る冷たい舌先も、抱き寄せる腕も触れる指先も、ハフと息を荒げる前の呼吸音も全てが全て、記憶も刺激して止まない。ああ、なんだってこうも泣きそうなんだ。心が荒れてしまって、嬉しいと歓喜してしまっては誤魔化しようもない。なんだって、なんだってこうも…こんなにも、壊れそうに好きなのだ。自覚してしまい、認めてしまい、意地っぱりなプライドを壊してしまえば簡単に縋る事が出来た。

「うら、はら…」
「一護さん」

名前を呼ばれただけで心が騒ぐ。
蜂蜜色の瞳で見られただけで心が暴かれる。
冷たい唇から零れる非難に心が切なくなる。

「君は、なんて意地悪なんだろう…」
「…そんな、こと…ハ、言う、ぁ…なよ」

ごめんの一つも素直に出てこないではないか。
それよりも何よりも、彼の手が欲しくて、彼の温度が欲しくて、彼の熱が欲しくて彼の言葉が欲しくて、甘い視線が欲しくて欲しくて溜まらなくて心臓が悲鳴をあげてしまう。ああ、触れよ浦原。だなんて狡賢くも誘ってしまう。足を絡めてしまう、抱き寄せてしまう、暴いてしまいたくなる。

「ら、はら…らはら…なあ、なあ…ごめん。ごめんな?」
「…一護さん、もう、黙って下さい」

吐き出した謝罪は唇ごと彼に奪われて飲み干されてしまった。
ああ、野蛮なキスはとても久しぶり。
ゾクリと背中が戦慄いて熱に浮かされ悲鳴をあげた心の中で2年前の過ちは全て清算された。

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あきゅろす。
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