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Definition of equal happiness2


浦原喜助は表面だけ見ればモーセ五書に出てくる天使みたいな男だ。
初めて出会った時なんて、天界の輩がとうとう死神に配属されたか、と半ば本気で思ったくらいだ。
死神が属するソサエティと天使が属する天界、そして悪魔が属する魔界と咎人が属する地獄。その丁度真ん中を綺麗に埋める様に現世は存在している。
一番上から順に創造主があり、天界がありソサエティがあり現世があり魔界があり地獄がある。世界は思った以上に狭くて窮屈だ。
浦原は隊長格へ成るに相応しい霊力を持ち、尚且つキチガイじみた頭の良さを持っていると言うのに何を思ったのか隊長任命を辞退し、今では一護と共に現世のサラリーマン宜しく安月給で日々、浄化業に明け暮れている。

「一護さん、ちゃんと掴まってないとおっこっちゃいますよ?」

赤信号で停まったと拍子にそんな事を言われたが聞き流す。
ヘルメット越しの声は鈍く濁っていて若干ではあるが聞き取りにくい。それでも人間よりは遥かに五感が発達している自分達には容易く耳に届く。
歩道を歩くカップルの会話だとか車のエンジンが燃える僅かな音、それと悲鳴をあげる霊の気味悪い泣き声。

「……っせーな別に良いだろうが。つか男同士でバイク乗って尚且つお前の腰に腕なんて回してみろ!薄ら寒いだろうが!」

ヘルメット中、眉間に皺を寄せ業と大声で言う。
一護の耳に届いたのは浦原の少し苛立った霊圧の振動と、青信号になった為に吹かされたエンジンのけたたましい騒音。

「ホラ!青だ!青!それとそこの交差点右に曲がれよ!」
「………はいはいはい」
「ハイは一回!」

後部座席の手摺に手を置きながら前のヘルメットを叩く。
やる気が感じ取れない声色を出した後、浦原は夜の道路でパフォーマンスをするが如く、ギアをセカンドに入れ時速5キロのアクセルワイドオープンを決めて見せた。
ぐわんと視界が上がり、上体が保てなくなる。
発進と共にウィリーを決めた馬鹿を責める前に一護は両腕で浦原の腰へと掴みかかる。

「ばっ、!ばかあっ!!急に、急にウィリーするやつがあるかっ!落ちるかと思ったわっ!」
「だから掴まっておきなさいって言ったでしょう」

あー言えばこう言う。こー言えばあー言う。浦原は頭の回転も脳みその出来も良かったが、口の悪さも減らず口も一級品だった。一護が勝てる訳が無い。
ふふん。と勝ち誇った様な含み笑いが聴こえた気がしたので両腕を巻きつけたまま、被っているヘルメットをコツンと背中に当てた。
なんか、これじゃあクリスマスではしゃいでいるカップルと同じではないか。
第三者側から見るバイクの二人乗りの構図が目に浮かぶ様で居た堪れない。
車と車の間をすり抜ける様に走られると目を閉じたくなる。だって、……見てるかもしれないじゃないか。そう感じてしまったら後は気恥ずかしさで頭の中は一杯一杯になってしまう。
見てんなよ……。通り過ぎた横断歩道の信号待ちの人々の視線が全てこちらに向けられている様な被害妄想が脳内へ蔓延る。

「……クソッ」

悪態を吐いてもきっと浦原は意地悪く笑うだけだろう。
案の定、小さな含み笑いが背中越し、聞こえたので憎たらしい。



「ここが最後?本当に?もうなんかアタシつかれグハッ!!」

先程のウィリーみたく荒々しい運転が嘘の様に静かに停車したバイクから降り、頭から取ったヘルメットを思いっきり浦原の腹へと投げつけた。

「お前!今度ウィリーしたら殺す!」
「……ててて、……一護さんの来年の抱負はお淑やかに慎ましくをモットーにしましょう……」

対して痛くも無い癖に、そうやって被害者面する浦原を横目にスルーしながら最後まで言葉を聴かず、一護は目の前のビル入り口までズカズカと足を運び入れた。

埃臭い。最初に鼻腔をくすぐったきな臭さが一層拍車をかける。
草臥れたビル内には業者も入ってなく、人っこひとり居ない。ガランと静かに静寂だけが存在していた。
見た目にもあからさまなお化けビルは都内の端っこにポツンと佇み、息を潜めながらにも人々の心の底に漬け込み誘惑する。
ひゅうひゅうと鳴るのは隙間風が乱入してくる些細な音。か細くも耳鳴りに似たその音源に一護の鼓膜は震える。上、か…。直感とまではいかないにしろ、研ぎ澄ました神経全てが一護に語っていた。知らずの内に手の平は斬月のエナメル気質なスライド部分を撫で上げている。

「あー畜生、…コイツだけは使いたくないなあ……」

今日初めて感じる嫌な予感。
まだ可愛らしい子供の霊を浄化させるだけで仕事が終われば良かったのに。
忙しい任務を終え、マンションに帰って風呂浴びて甘いの食べて…それからぐっすりと眠りたい。静まらない街を背景に、ゆっくりと眠るんだ。
脳内で浮かぶビジョンがうっかり睡魔を呼び起こしたが頭を振るって散らす。ビビビっ、と指先から走り抜ける電流に似た振るえが武者震いだと思いたくなかった。
屋上に繋がる階段を見つけ、一歩一歩足を踏み入れる。
その度に鳴る寂れた音と阻む音。一護を拒絶せんとする霊圧がチクチクとスキニーの上から刺さる。くすぐったい。けれど殺気は十分に含まれている。
薄暗がりの中、階段を踏み外さない様慎重に(もう気づかれているかもしれないが)自身の霊圧を最小限に抑え、数階程の階段を上りきった後に見えるドアノブをゆっくりと回して開く。
ぎぎぎぃ、なんとも醜い音が静寂を犯し、一護の耳にも意地汚く入り込んだ。
錆びた風の香りがする。

「…っ!」

息を飲んだ。居ると想定してた筈の虚は居なく、代わりにフェンス越しに立ち呆然と立ち尽くす女が居たものだから迂闊に声を上げれない。
まさか飛び降り自殺の現場に居合わせるとは……予想外な出来事に生唾だけが口内で溜まる。虚相手ならまだなんとかなるかもしれないが…これは流石に…
一護は気配を完全に消し、ゆっくりとフェンスに近付く。足音を立てない術をきちんと心得てはいるが、果たして自身が近付く前に目の前の女が飛び降りてしまったら。そう思うと足が震えてしまう。

「死神のおでましだ」
「…………」

時間が止まる程の緊張感をプツリと途切れさせたのは他でも無い目前の女の一声で、濁った声色が一護の神経を全て揺さぶった。
ひゅうひゅうと吹くビル風が橙色を揺らす。勿論、目前の女の艶やかで長い茶色の髪の毛も共に。
ゆっくりと振り返った女の顔を見定めた際にピクリと眉が上がる。
瞼はしっかりと閉じているのに、口元だけがニヒルに笑んでいるからとても歪だ。

「この女が落っこちるまで、休戦としないかい?」
「…ざけろよ……彼女は関係ねーだろう」
「大有りだよ。参ったね。こりゃあ新米死神が引っかかった模様だ」
「……生憎、新米でもなんでもねーよ。残念だったな」

なんだか噛ませ犬っぽい台詞だな。浦原だったらきっと鼻で笑っているかもしれない。場違いな事を思った。

「この女で333人なんだ。良い数字だろう?どうだい、身震いするくらいに素敵だろう?これで俺はただの自縛霊から悪魔へと昇進だ」
「その前に俺が地獄に送り届けてやるよ」

身体の奥底に封じていた霊圧を一気に解放、そして両手に練り上げた霊圧を保持したまま、ホルスターから二丁のベレッタを手に持った。
黒のエナメル質な物質の冷ややかさが心なしか暖かいと感じる程。それほど、今の一護の霊圧は極度に冷え切っている。ああ、彼はもの凄く腹を立てている。固体となる斬月と白は思いながらも口角を僅かに吊り上げた。

「おっと。その前に、」

この女が目を覚ますぜ。
下品な笑みを浮かべたまま、勝ち誇ったかのように台詞を発し、唐突に一護の目前からその気配を消し去った。

「っ!」

息を飲むよりも早く一護の足は駆け抜ける。地面を三度だけ蹴り、フェンスを上る。女が目を覚ますのが早いか、もしくは一護が女を引き寄せるのが早いか。
真っ黒な夜空に光る星達が見守る中、一護の手が届く前に女は目を開き、突如として視界に入った一護に怯え後退した。

「ば!馬鹿!」
「きゃあっ!!」

間一髪の所で女の腰を抱き、左手でフェンスを掴む。
瞬間にブワリと鼻腔を掠めたのは甘ったるい香り。女のシャンプーだろうか、はたまた香水か。否、これは……死の匂いだ。一護は直感的に思った。
甘い甘い、バニラエッセンスにも似た甘やかな香りは死の誘惑。麻薬の様に脳内をボロボロにして心を蝕んでいく。紛れも無い、これは死の匂い。少なからず、この女は死のうと思っていたと言う事だろうか?虚に操られていたんじゃない。自ら身を投げようとしていたのだ。一護は下唇をぎゅうっと噛み締めた。

「おい……」
「あ…」

女の身体は震えていた。カタカタと大袈裟な音が鳴る程。今、彼女を支配しているのは死の誘惑でも虚の霊圧でもなんでもない。ただの純粋な恐怖だ。

「下、見てみろ」
「え……き、きゃあっ!!」

未だバランスを保てない。女の右足だけは宙ぶらりんな状況だ。
その下を見る。少しだけ低く唸る様な声色に怯え、施されるように伺ったそこは、地上ではなく真っ暗な暗闇。最早暗闇と形容するには暗すぎた。無だ。それは何も無いぽっかりとした大きな穴。底の見えない、唯一の存在はその色彩だけ。そこから数々の腕が伸びている。太い腕から細く骨張った腕。醜い腕、綺麗な腕、白い腕、黄色い腕、多種多様な腕だけがうようよと伸び、歪ながらもこちらに向かって手を伸ばしている。
ある筈の地底が穴に変わり、現実味帯びないその光景に女は再び悲鳴を上げた。今度こそ、恐怖で縛られた悲鳴だ。

「お前がしようとしていた事はな……簡単に言えばこういう事なんだよ」

死を決意した人間の説得なんて、天使じゃあるまいし。一護はそう思うが、これを見せればこの先死のうだなんて浅はかな事は思わないだろう。まあ、彼女の気分次第でどうなるか分らないが。
頼むから、咎人だけにはならないでくれよな。
自分殺しも罪になる。墜ちればそこは苦悩の日々だけが経過する未来永劫の拷問室。地獄だ。

「分った?」

少し腕を緩めて女の顔を覗き込む。
もう下を見ていたくない。女の黒い瞳は涙と恐怖で濡れていた。
一護の琥珀色した瞳を見て、女は言葉無くコクコクと何度も何度も頷く。それを見てヘラリと笑んだ。良かった。まだ大丈夫だ。

「じゃあ一緒に墜ちれば怖くないんじゃない?」

冷え切った声色が神経へと届く前にガクンと身体が重力に逆らってその重みを知らしめた。

「っ!!」
「きゃあああっ!!!」
「くっ、そっ!」

忘れていた。すっかり虚の存在を忘れていた。自身に腹を立てるも、一瞬でも気を抜いてしまっていたから自業自得とも言えない。
下で蠢く腕の群れの中へ墜ちる前にビルの塀に手をかけて落下を塞ぐ。文字通り、今の一護達は宙ぶらりんな状態だ。足の裏側がひんやりと冷えたみたいに寒い。一護の首に縋りついた女は圧倒的な恐怖で声も失っていた。ただ、縋り付く力だけは緩めない。

「おお、頑張るねえ」
「て、……っめ……、っ」

伸びてくる腕から目を背ける様に宙を仰ぎ、フェンス越しににやけた面を出した虚をギトリと睨んだ。ここまで言葉を話せる様になると霊圧はそこら辺に居る霊よりもかなり高いだろう。心の醜さを表す仮面が半分だけ出来ているのが何よりの証拠だ。
厄介なのに捕まった。
トリガーを引かない事には始解さえも出来ない。どうする。両手は塞がったままだ。考えるも得策が浮かんでこない。
浦原っ!!
悔しいけれど心中では咄嗟に男の名前を叫んでいた。

「はーい。お呼びですかね?」

頭上から落ちてきた暢気な声色に息を飲んだのは何も一護だけでは無い。
一護を見下ろしてニタニタと笑んでいた虚も背後から唐突に聴こえた声色とチャリと鳴った金属音に息をするのを一瞬だけだが忘れてしまったくらいだ。
全くと言って良い程、気配は感じない。
その存在も、呼吸音も足音も、況してやその霊圧も。
まるで空気と一体化した様な男の所業に一護は半ば呆れ、それからホッと安堵した。

「………おせぇ……」
「ま。この言い草」

場にそぐわないお茶らけた物良いが一護の冷静さを取り戻してくれる。

「だ、誰だ…お前、…」
「誰と聞かれましても……」

虚は未だに後方を振り返れない。なぜなら後頭部付近に感じる鋭い霊圧がそれを良しとしてくれないからだ。根本的な恐怖が今度は虚を包み込む。
心をぽっかりと失ったのに、恐怖心だけは健在で、一体この感情はどこから来るのか。チャキ、と鳴る金属音が耳に痛い。鋭くも冷ややかな霊圧、圧倒的恐怖。

「ただの死神ですよ」

意を決して振り返る事も、声を発する事も叶えてくれず、男の姿を目に焼き付けないまま、首が切断される感覚だけを味わい全てを消失させた。
命乞いも、断末魔の悲鳴も煩わしいものは全て聞きたくない。だから声を発する前に消し去る。これが浦原の戦術である。
一直線で綺麗な線を描いた右腕、その手の平に握られた刀は汚れず、変わらない鋭い色彩を放ちながらギラリと光り輝いている。それを静かな動作でもって鞘に収める。その際に鳴いた刀のか細い声が浦原の耳に届き、彼は一護に見られぬようそうっと笑んだ。

「ホラ、しっかりしなさいな」

二人分の体重を支えている右手がブルブルと痙攣し、もう限界だと感じた時、浦原の手の平が手首を取って引き上げる。
まるで重さを感じさせないその動作に悔しくなった。

「……っせーよ……」
「あら、憎まれ口。」

地面に足の着いた感触が未だに浮遊感を僅かに残しているのでオカシな感じ。
一護の尖った唇を人差し指と親指で挟んだ浦原はその気持ちを読み取っているのか定かでは無いが何も言わず、ふふと笑うだけで一護に抱きかかえられていた女を抱えて軽やかにフェンスを登った。
少しだけ黒のトレンチコートの裾部分が錆で擦られ、汚れが目立っている。

「アタシは彼女を送ってきます。一護さんは……、待っとく?それともタク捕まえて先に家帰っとく?」

フェンス越しに振り返る浦原の顔が鉄格子に遮られて良く伺えない。
一護は静かに首を横に振り小さく待っとくとぶっきらぼうに告げた。

「………ちゃんと、待ってて下さいよ」
「なんだよソレ……ガキじゃああるまいし……」

夜の色彩に負けない金色の瞳が真っ直ぐに一護を見ている。あまりに真っ直ぐ過ぎて目を反らしてしまう。未だ、一護の下には無数の闇と腕が蠢いている。後ろめたい事なんて無いのに、…時々、浦原の視線は一護に圧迫感を与えてしまうから。ちゃんと見れない自身が酷く情けない。

「……はあ…。一護さん。手、出して」
「え?」

大袈裟な溜息を吐いた浦原の口からは真っ白い息が出る。寒くなんて無いのに、偽者甚だしい白い息が闇の中に消えていく。
早く出して。少し苛立った様に瞳だけで施されたから、一護は恐る恐る手を出し、フェンスに触れた。
冷たい。
体感温度は人間と全く同じなのに、些細な温度を感じる度、偽者の身体の存在を思い知る。自身の温度はちゃんと暖かだろうか。フェンスの冷たさに思考を持っていかれていると、指先にちゅっと軽めに口付けられた。

「…な、にしてんだよ……」

驚きは無かったが疑問だけは浮かんだ。
浦原は唐突に、予想の範囲を超える事を極自然にやってのけるからこちらの心臓がいくつあっても足りない。
困惑するだけの一護の瞳を見た後、浦原は何も告げずに踵を返して足音を立てずに去っていった。その背中に闇を全て背負ったみたいにすうっと空気の様に消えていく様をただ呆然と眺めていた。

「なんだよ……」

意図が分らない小さな口づけ。浦原の唇が触れた指先は先程とは打って変わって熱い。寒さなんて感じない程、とても熱い。

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