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瞳が真っ赤だったから名前に紅が入っているのだと言う。安直過ぎるネーミングに少しだけ呆れたけれど、姫、と呼ばれるのは気分が良かった。

彼だか彼女だか分からない。きっと性別が無い。両生類。まあ、蛇なんだからそう呼ばれても仕方が無いが、彼と呼ぶか彼女と呼ぶか浦原は常に迷っていて、機嫌が良い日は彼女、機嫌がすこぶる悪い日は彼、と呼ぶ事に決めていた。

姫と呼ばれるのは気分が良い。と話した彼はにんまりと笑っていた。それが酷く卑猥な笑みでゾクリと背筋が唸ったのを覚えている。
鮮明な程に真っ赤な瞳が上弦の月みたく歪んでいて、シンメトリーな顔付きにマッチしていたからとてもじゃないけど美しかった。初めて具現化が成功した際に彼が見せた最初で最後の笑みがそれだった。

誰に名付けられたのか、もう昔の事過ぎて分らない。と彼女は答える。初めて名を持った事に人間っぽい感情を覚えた事も、あるのか定かでは無い心が宿った事も、全て覚えているが、やはり誰に名付けられたのかだけは覚えていない。それが少しだけ、寂しいのだ。と彼女は語った。
常より寡黙な彼は時折、箍が外れた様に語りかけてくる時がある。それは時間、場所関係なく唐突に語り始めるのだから、浦原はどんなに好きな実験でも手を止めて彼の語りに耳を傾ける。
久しく聞いた彼女の声は透き通る様な、鈴みたいな音色だった。

「…、で、……子供、……喜助、…い、…るの?」
「ええ。そうですねぇ。うーん……どうかな?」

蚊の泣く様な声だ。細心の注意を払いながら耳を傾けないとうっかり聞き逃してしまう様な、そんなか細くも綺麗な声だ。

「子、……も、喜助、……てる、から……照れ、……視線、……………い」
「そりゃあアタシだって気付いてますとも。とても熱いっスからねえ」

付けていた帳簿を机の脇に追いやって、煙草盆を取り出し、かませから愛用の煙管を出して一服の準備をする。
久しく語り出した彼の話は長い。語らない月日の穴埋めをするが如く囁きかけられるその言葉の一言一句を全て聞き入れ、丁寧に答えてやる。きっと好きなだけ言葉を放てばまた長い眠りにつく事になるだろう彼女との束の間の世間話に華を咲かせる。それが喜助の楽しみでもある。

「喜助………こ、ど……も……好……、て、る……知っ、……から」
「……おやおや。そんなに分りやすいっスか?いやあ、姫に内緒事は通用しませんねぇ」

照れ臭いのか困っているのか検討がつかない表情で吸い口に唇を寄せ、煙を呑む。
吐き出される灰色の煙が部屋の天井まで達した後、空気に溶けて消えていく様をどこか客観的に眺めて、ひとつ息を吐いた。

「…ども、……も、……名前、よ、……の……ら?」
「まだっスよ。そんな事しちゃったらきっと彼、顔を真っ赤にさせちゃうでしょう?アタシの声に弱そうですしね」
「ちが……のも、……喜助、……る癖、……て」

彼女の声は蚊の泣く様なささやかな音だが、必ず、喜助。と強めに呼ばれる。浦原の名前だけははっきりと音に成した。そんな彼を可愛くも愛しく思う。

「くく、意地が悪いですか?…アタシが意地悪いってのは姫が良く知っているじゃないですか。」

そう笑って柄の部分を人差し指で撫でた。
白い尾っぽがぐにゃりと曲がり、彼女は舌なめずりをするみたく真っ赤な舌先をチロリと出して浦原の人差し指を舐めた。冷たい。まるで氷の様な冷たさに己の低温がビクリと震える。炎を司る彼のその身体は氷の様に冷たいと言うのに、真っ赤に染まった瞳だけが酷く熱い。

「喜助、……好、……子、……わっち、も……喜助、喜助、喜助……」
「……ええ、知ってますよ。……もう、おねむですかね?姫?」

人の形を成していた頃の彼女は形容しがたく美しかったであろう。いつから獣の類になったのか、剣として振るわれる様になったのか、そんな下世話な話は遠の昔に捨ててきて、紅姫は今、浦原の手の中に居る。
彼の言葉が要領を得なくなってきた所で、きっと睡魔が襲ったのだろうと察した浦原は、火皿に残った灰のカスを盆に捨てて最後の煙を吐き出した。
リン、と鳴った音を最後に彼女の声は聞こえなくなる。
わっちも主の事を慕っておる。そうぶっきらぼうに言い放った彼はまさしく、あの子供とどこか似ていて、愛しい者が増えたな。と浦原は思いながら部屋の掛け時計を見て、重たい腰をよっこらしょと上げ店先へと向かった。
きっと、学校帰りの子供が白い息を吐きながら、こちらへ向かっている頃合だろう。そう思ったら笑いが止まらず、ジン太に気色悪いと言われる始末だ。
わっちも主の事が、

「ああ、笑いが止まらない」

愛しい姫と、愛しい子供の事を思いながら、浦原は店先に立った。


























アタシの愛しい姫君達




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