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お前の命は諭吉二枚分だよ。そう俺に言った下品な笑みを浮かべる人買いの男は真夏のある夜、旋毛から股にかけて真っ二つにされた。それはそれは見事な太刀筋だったものだから人々は物の怪の仕業だと噂した。

「貴方の噂はかねがね伺っておりましたが、ほほう、こりゃまた随分と色違いなお人だ。」

人買いが殺されて3日目の熱帯夜。目の前に現れた男は珍しい饅頭笠を被って素顔を隠しながらひとつお辞儀をした。すらりとした長身を黒の紬に包み、その腰には刀が二つ。饅頭笠には黒の正方形な布地が垂れ下がっていて、一護は一瞬、死神と見間違えた。否、もしかしたら本物の死神かもしれない。それでも不思議と恐れは無かった。

「……誰?」
「さあて、誰でしょうね。アタシも随分長い間名前と言うのを呼ばれていないので自分が誰だったかさえも分らなくなってしまった。歳っすかね〜?ところで貴方は、黒崎一護さんで間違いありませんかね?」

やけに饒舌だな。と思う。熱帯夜に咲いた満月を背に負い、チャリリと手持ち無沙汰な左手は刀を弄ぶ。刀同士がぶつかり合うか細い音がしんと静まり返った辺りに響いた。空蝉が啼いている。

「そうだけど。俺にあなたみたいな知り合いは居ないよ」
「ええ、アタシも貴方みたいなかわいこちゃん、知り合いには居ませんよ」
「……俺を、殺すの?」

言葉に成した事で死を実感した。後から来る震えは期待からくるやつだろうか?それとも純粋な恐怖心ってやつだろうか?一護は分らなくなった。元より、自分が誰との間に生まれ、どこの地に産み落とされたのかさえ分らないのだ。黒崎一護と言う名前も売りつけられた廓で貰った名前だから、本当の名前では無いのかもしれない。否、寧ろ初めから自分には名前なんて無かったのかもしれない。そう考えるといよいよ自分が何者であるのかさえ分らなくなってしまいそうだ。目の前の男と一緒。自分が何者であるか、分らない。

「ああ、考えないで。」

男は一護の思いを読み取った様に人差し指を一護の唇にくっつけた。
なんて冷たい指先だろう?こんな熱帯夜に男の指先だけはこの世界とは全く別の場所にある物体みたく冷め切っていて、一護は一瞬だけ肩を揺らした。

「考えたって答えなんざ出やしません。余計に糸が拗れるだけだ。あなたはあなた。アタシはアタシ。例え本物の名が無くとも、例え名が無くとも、ひとつの身体にひとつの魂があれば十分ですよ。それにあなたは何か勘違いをしている」
「…勘違い?」
「ええ、しかも大層悪い勘違いだ。それじゃあアタシが悪者になっちまう。そりゃあいけない。あなたを殺す?まさか、そんな冗談は流石のアタシでも笑えませんよ。黒崎一護さん」

饅頭笠の前にある黒の布地を指先で捲り、男は初めて一護の前に素顔を晒した。
淡い月の光りでなんとかぼんやりと男の顔を見やる事が出来たが、その金色の瞳だけはギラリと威嚇する様に色彩を主張したので、一護ははっと息を飲んだ。まるで目の前に月が二つあるようだ。男の背後には本物の月が青白く光り輝いているのに、本物の存在さえも煙らす様な色彩だった。

「下手な台詞を紡ぐのは苦手なんです。だけどこれだけは言っても良い?」

アタシと一緒においでなさいな。そう囁かれた。
鳴いている空蝉の羽音も、夜の足音も、月の歌も、黒猫の呼吸も、世界中のどの音にも聴かせないように、一護だけにしか聴こえない様に、男は耳元でそう囁いた。それは酷く甘いメロディーとなって一護の鼓膜を優しく愛撫する。すとん、と胸の中に蟠っていた何かがその音によって掻き消された気持ちよさを感じた。
差し伸べられたその冷ややかな手に手を這わす。

「ああ、あなたの手は暖かいね。」

ニコリと微笑んで男はゆったりとした動作で歩み始めた。
もう、この街に戻ってくる事は無いのだろう。もしかしたらこの世界に戻ってくる事さえ無いのかもしれない。
繋ぎ合わさった手から男の冷ややかさが伝わって、それが一護の手の平に傷を残す様に刻まれた、様な気がした。















ザワザワと、夏の暑さが耳に煩い




あきゅろす。
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