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厄日。その言葉が瞬時に思い浮かんだ。
思い起こせば今日は朝から不運続きだった。週末の穏やかな朝、顔を洗おうと部屋から出た瞬間に足がもつれ階段から落ちた。そりゃあ漫画みたく豪勢な音を立てて転げ落ちた。反射神経は良い方なので大事にはならなかったが、右眉上を少しだけ切ってしまい、絆創膏を貼られた。なんだか悪ふざけして怪我をした小学生みたいで恥ずかしい。
今週の土曜、家に来れますか?と週の初めにそう聞かれたので素直に頷いた。そうしたら彼は凄く優しくフワリと笑ったので一護は内心、全曜日を吹っ飛ばして早く土曜が来ないかと思っていたくらいだ。浦原から誘われた週末、それこそ小学生宜しく楽しみにしていた土曜だと言うのに朝からツイてない。そう思い、家を出た瞬間、あんなに晴れていた空が急に雲行きが怪しくなり、家から数歩出た所で土砂降りに見舞われる。容赦無く降り注ぐ雨はまるでシャワーの様で、「行くな」と言われているみたいだった。負けず嫌いな一護が家に戻り傘を取らずにそのまま猛ダッシュで浦原商店へ向かうのを見透かすみたいに、雨は延々と振り続ける。


「く、黒崎さん……すみません……」
「……ああ、大丈夫だって……」
「うう……本当に、すみません…」

濡れ鼠。正にそう形容するに相応しい井で立ちで一護が浦原商店へ赴いた時、ありゃま。と言う表情で当の店主は目を見開きタオルを取りに急いで奥へと引っ込んだ。猛ダッシュによる体力の低下で息を荒げた一護に対し、ウルルが目にも鮮やかなスカイブルー色の飲み物を運んで来たのがそもそもの始まり。もう本当、今日はとことんツイていないみたいだ。
ウルルの持って来た飲料水は人魚の涙だったのだと、店主は言う。


「……いつ止まるんだよ…コレ…」
「……さあ…まさか本物だったなんて……アタシも予想外でした」

濡れた服を脱ぎ、浴衣に着替えた一護は通された浦原の部屋で未だ濡れたままの髪をタオルでガシガシとやや乱暴に拭きながら溜息を吐く。浦原曰く、出先で見つけた骨董屋の主人に押し売りされた品らしい。通称人魚の涙。本物かどうかを調べる前にすっかりその存在自体を忘れて冷蔵庫の中に入れっぱなしにしていたと言う。これはどう考えてもウルルのせいじゃない。コイツのせいだ。

「もうお前ん家やだ……ちゃんと管理しろよ……なんでこんな…厄日だ畜生…」

いっぱいいっぱいだ。今朝出来た眉上の傷が今更痛み出し、濡れた身体が少しだけ冷えている。夏だって言うのに空は汚い灰色だし、まだ雨降っているし。おかしな液体を飲んでしまったが為に先程から涙が止め処なく溢れポトポトと畳に落ちる。水分を吸収した畳の色が濃くなり、涙の形をはっきりと映し出す。
悲しくも無いのに涙が出る。自分の意思と反し、溢れ出た涙は別の生物みたいだった。

「うーん……今回はアタシが悪かった…ごめんね一護さん。楽しいお泊り会になると思ってたんですが……どうやったら止まるかなあ…目、痛い?」

浦原の細長い指先が一護の頬に添えられ優しく撫でる。まるで猫を撫でている様な手つきはきっと癖なんだろう。彼の幼馴染が猫なんだから仕方無い。

「痛くは、ない…」

フルフルと頭を振ったら涙も飛び散った。パタパタ。涙の音が煩い。ついでに雨音も。

「…一護さん?」

悲しくも無いのに涙が出る。こんなのは初めてだから上手く浦原の瞳を直視出来ない。俯いた瞬間に視界へと飛び込んでくる濡れた畳と零れ落ちる瞬間の透明な雫。悲しくなんてないけれど…なんだか変な気持ちだ。……胸が、痛い。

「……やっぱ痛い…」
「えっ、どこ?どこが痛い?」

極力小声で言ったのに、浦原の耳は一護の声を逃さず受止める。ゆっくり一護の両頬を包んだ手の平の体温に安心した。合わさった瞳と瞳。溢れ出る涙のせいで歪んだ視界に浦原の金色はまるで道標の様に輝く。多少大袈裟な表現だったかもしれない。
悲しくもナンとも無いのに涙が出るから、きっと心が悲しいと勘違いしてしまったに違いない。

「…どこが痛いかも分んない……もう本当いやだ。なんだよコレ、なんで止まらないんだよ……責任取れよおっさん」
「おっさんは酷いなあ……じゃあ、」

苦笑しながらペロリと舐められた。溢れ出る涙を、舐め取られた。唇は冷たい癖に舌先だけは熱い。冷血非道に見えるこの男の根っこが本当はクソがつく程甘くて暖かいと言うのを一護は知っていた。

「…しょっぱい」

そう言いながらも止まる事のない涙を舐め取っていく。まるでそれが糧だとでも言う様に、舌先に乗せては飲み干す。コクリ、一護の目前で浦原の喉仏が上下するのが見えた。なんだってこんなにも扇情的なんだろうか。

「あ」
「…あらあら、流れた涙にも何かしらの成分が入っているらしいっスねえ」

一体どういう仕組みなんだろう。あっけらかんと言う。浦原の瞳からも流れ出る涙に一護の心臓がまたドキリと鳴った。その金色を溶かさんとするばかりに涙は止め処なく溢れ、零れ、一護の手の甲を濡らした。冷たい……
浦原の涙を初めて見る。

「うーん…特に身体に害は無いと………一護さん?」

咄嗟に浦原を抱き締めていた。少しだけ困惑した様に浦原が耳元で囁く。どうしたの?まだどこか痛いの?それとも甘えているの?優しく囁かれた。
彼が泣いている。生理的な涙では無いのに、別の生き物みたく流れるソレは確かに彼の物なのに。でもどこか技巧的で。だけど、苦しい。
泣くな。そう強く思った。泣くな、浦原。悲しくなった。まるで彼の涙に「お前は無力なんだよ」って言われている様で辛くて。

「……大丈夫。きっと直ぐに治りますよ」

背中を優しいリズムで叩かれ、至極優しく囁かれたから違う意味で泣きそうになった。
大丈夫。浦原が言うとどんな逆境でも本当に大丈夫だって思えるから不思議だ。
一護はコクリと小さく頷くとそのまま静かに目を伏せた。
ぽとり、同時に二人の涙の粒が畳へと吸い込まれていく。



















涙を半分こ




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