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折り鶴がおっこちていた。
道ばた、椿の赤と一緒におっこちていた。それを拾い上げてみる。なんとも高級そうな和紙で出来ていた。折り目も付かず、キレイに折られた折り鶴がちょこんと寂し気に地面へ伏せっていた。埃と土で汚れた和紙の折り鶴。椿の花の赤がとても絵になっていたから感嘆の息を吐く。これは、一体誰が。思うにもきょろきょろ周りを見渡してもここら一帯は山の手だ。
一本道を両端から隔てる様にずらーっと武家屋敷が続いている。
それにしても見事な椿だ、見上げた視界に映る空の青さに重なって椿の赤が視界を埋め尽くす様が何とも形容しがたく美しい。
少年は再度、周りを見渡し、門の隙間から中を覗いた。
なぜ学生の身分である自分がこの様に他人様の家を覗く無礼に走ったのか、その時の心情は少年自身でも定かではない。
ただ、空が真っ青だったのと、椿が赤かったせいだ。
手にした折り鶴がカサリと風に揺られて手の平を擽る。
手相を見てやろか、少年。くちばしで突かれたと思った、その瞬間。空の青さや椿の赤、薄汚れた高級質の折り鶴なんかよりも一瞬にして目を奪われた。目だけではない、奥底の何か、五臓六腑の中の何か、体のどこかに位置する心の中の何かをギュっと鷲掴みされた感じが全身に広がった。
縁側にだらりと足を伸ばしブラブラとさせ宙を煽いでいる青年が1人。薄緑色の浴衣に身を包み素足で宙を蹴飛ばす。季節は夏ではない、肌寒くさせる秋だ。学生服の自分でも二重廻しが無ければ吹く秋風に寒気を催すと言うのに。あの青年はなぜ。
鮮やかなオレンジ色がてらてら日光に照らされて目映く反射する。着物から出る肌の白さに驚愕する。青と白、空と雲の反映。オレンジと太陽、青年はまるで夏の風景その物だった。
目を奪われてしまった光景に心までも奪われてしまう。ハっと息を呑んだのと同時に青年がこちらを向いた。一直線に、その眼差しが少年に向けられる。
鋭い、まるで虎だ。中国に生息する虎の様な鋭い眼差しに少年の心臓がどきりと呻いた。人間の心臓と虎の心臓の構造は全く持って同じ筈。血液を循環させ体内中へと流すポンプの役割を持つ心臓。全く同じ筈なのに青年は違う様に感じさせる。
獣と言うよりはもっと違う生き物みたいだ。
何ら少年と青年との違いは見られない。同じ手を持ち足を持ち目を持ち心臓を持ってる筈なのに、なぜこんなにも少年の心は青年に捕らわれてしまうのだろうか。
青年がにっこり微笑んだ。
え、音を発するよりも先に手の平の折り鶴がカサリと手中を突く。声を出せば夏の風景が一瞬にして崩れ消えてしまう様な気がした。少年は空いた左手で口を塞いでみせる。青年はそれを見て笑みをにっこりと深めた。
良い坊やだ、まるでそう言われているみたい。少年は吐息すら漏らすのもできず青年から視線をそらす事もしない。体が、ここから動かない。いや、動きたくない。少年の体はそう心に告げて機能を停止させていた。
ヌ、縁側の向こう、家の中からか、少年の死角になった場所から白い腕が伸びて青年の首元をゆっくり撫でる。撫でた後で頬を撫でて耳裏を撫でる。その仕草は全てにおいて流れる様に青年の肌を這う。なまっちろいなんて形容できない白さに少年の口もあっけらかんと開かれる。
青年よりも白い腕が青年の白い肌に吸い付く様に撫で、青年の首元を猫を愛でる様に撫でた。
ぐるるる、青年が気持ち良さ気に喉を鳴らすのが目に見えて分かる。
未だに笑んだままでいる青年は白い腕を愛おしげに手に取って甲へと口づけた。チュ、啄む様に口づけて手首へと唇を流す。愛しい、愛しい、哀し愛しいと彼の唇が囁きながらの口づけみたいだ。真っ白な肌に真っ赤な唇。ああ、ありゃあ椿だ。手中の鶴が鳴いた。
少年は見とれていた。まるでそこだけ風景が切り取られたかの様な、絵画みたいな夏の風景を。秋の爽やかな青空が広がる下で交わされる口づけは少々卑猥じみていていつぞや隠れて見た春画を思い出した。否、それよりも卑猥でいて神秘的だった。
次に少年が取った行動と言えば目の前に広がる神秘的な風景を瞼の裏に焼き付ける。映写機が出始めた時代、きっと記憶として残るだろう記憶と言う名のメモリは少年の瞼と同時にシャッターを切る。
カシャ、カシャ、頭のうらっかわからシャッタ音が途切れ途切れに反響した。
青年が口づける姿が1枚1枚のフィルムとして仕上がる。
死角になる襖の向こう側に見え隠れする人の姿を象る人影がゆらりと動いて姿を覗かせた。
ア、今度は叫びそうになる声を必死で飲み込む。
金髪だ。
金には近しいが日光が当たってテラテラ輝いている。淡い、何色だろうあれは。少年はゴクリと生唾を飲み込んだ。
まるで打って変わった夏の風景。
襖から姿を見せたまっちろい腕の持ち主は藍色の着物に身を包み、青年とは違う色彩の髪を持っていた。藍色の着物、白の羽織をはおった成りの男は長身を屈めて青年へと口づける。ここで本当の接吻が繰り返された。
胸が躍る光景だ。
今まで男女物の恋愛ドラマだったり、出始めたばかりのモノクロ映画だったり、春画だったりは少年でも目に耳にはしていた。だが今少年の目前に広がる光景は一体なんだ。
夏と、冬が口づけしている。
中原中也が好みそうな文面だ。中傷でも無ければ比喩でもない文章になぜか泣きたくなるセンチメンタルなリズムが取り込まれている。
少年の胸が急激に痛んだ。
生きていない肖像画を見ている感じがとても切なく、それでいて美しいと感じて更に切なくさせる。青年の白い頬が仄かに赤く染まったのは熱がこもったからでは無く、青年の頬に反映された椿の赤がそう見せているだけ。きっと彼らは生きてはいない。心臓を機能させ、呼吸をし、言葉を吐き、手と足を動かし、二足歩行し、二酸化炭素を吐き出しているけれど、きっと彼らは生きちゃいないのだ。
長く続く接吻の内、男の手が青年の襟元へと侵入したのを見て少年は踵を返した。
くしゃり、手中の折り鶴が潰れる。
















折り鶴、センチメンタル、哀愁に然様なら




あきゅろす。
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