2/14 マリーと呼ばれていたダンサーは巷では兎に角有名で、水兵の間ではマリー、空軍兵の間では愛しのマリアと呼ばれていた。 綺麗なブロンドにウェーブをかけて、ぷっくり唇には真っ赤なルージュを塗る。大きい瞳にはふんだんに盛り付けされた睫毛が瞬きする毎にフサフサと鳴る。華奢な身体からは想像も出来ないくらいの声量で場末のbarを拍手喝采で埋め尽くす。茶目っ気たっぷりに笑っては見え隠れする真っ白い歯並び、彼女がウインクすると男達はこぞって今夜はマリーを、と狂喜するのだ。 巷で噂のマリー。彼女が人知れずひっそりとカーテン裏に消えたのは約13年前。 うんざりしていた。もう兎に角うんざりだと一護は呟いて痛む頭を抱えた。 チャイムを鳴らされ、作曲中だった手をわざわざ止めて玄関に向かいドアを開けた数秒前を悔やんで、ドアを閉じられぬ様入れられた足を見て溜息を深く吐く。 「ヘイ…この足はなんのつもりだい?…そしてその…薔薇も…なんのつもりだよ」 ローズマリーに花束を! 去年の暮れに迷惑極まり無いバースデイを迎えた喜助は15歳になった。身長168センチ、体重49キロのまだまだ華奢な子供。トレードマークであるくすんだ金髪は無造作にはねて首元をくすぐるからいつも後ろで一纏め。同じく金色の瞳はよくよく見れば中央に濃い緑が浮かぶ。誰もが認める美少年の彼は大人びた正装で薔薇の花一輪を手ににっこりと微笑みかけた。 「貴方に、と思って」 三年前から付き纏う彼に頭が痛む。 ふう、短い溜息を吐き出して眉間を指先で摘まんだ。作曲中だったにも関わらず、玄関のドアを開いた自分を殴りたい。 「ゴーホーム」 「なんでですか?貴方の言い付けを守って夜中の訪問は控えてる。今日はバレンタインですよ?特別な日だ」 「まあ、特別だろうな。カップルに限り」 「求愛の日だって僕は思うけど?」 「ガキが、何言ってやがる」 うんざりだ、再三思う。 何が悲しくて恋人達に用意されたも同然なこの日に、子供から求愛されなきゃならんのだ。無邪気に微笑む彼の口端に出来たえくぼ。無邪気さ故の非道に、彼本人は気付く由もない。それがとてもじゃないが苛立つ。 脳内で想像していた音符が重なり合い、メロディになっては不協和音を奏でてより一層、頭痛を酷くする。 イライラするんだよ、お前の無神経さに! 「帰れ」 「嫌だよ。もう二週間だ、貴方に会ってない」 「だから何だ。もう二度と来るんじゃねー。ここにも、BARにも」 変声期前の声が鼓膜を揺さぶり、力任せにドアを閉めようとした。…したが、子供の手に腕を取られて容易くも侵入を許可してしまう。 ああ…、なんだって! やや乱暴に壁へ押し付けられて背中に痛みが走り、掴まれた腕がミシリと痛む。ゾク、っと唸った背筋にドキリと泣いた不甲斐ない心に舌打ち。 真摯に見上げてくる金色の瞳はグリーンの憂いを宿して、未発達甚だしい声色で名前を呼ばれ押し殺していた筈の感情がぶわりと心中に滲んで行き場を失った。 イライラする。頭が痛い、心が痛い。 作曲中のメロディラインが感情によってどす黒く変化しては不器用な恋を歌い上げた。 「なにがしたいんだ…お前はっ!いてーだろうが!」 「貴方が!…貴方が僕を拒否するから…」 下がった眉に潤んだ瞳。 一丁前に悲しみやがって、一護の心が更に荒ぶった事を喜助は知らない。 「ガキが…一丁前に傷付くんじゃない」 「じゃあどうしろと?追えば貴方は逃げる。引いても貴方は逃げっぱなしじゃないか!」 噛み付かれると思った近付き過ぎた距離に後退を試みても、後ろは壁で扉は閉まって前には必死な形相で吠え続ける甘ったれの子供が居るから逃げようにも逃げれないこの状況に大人としての立場も、歌い手としてのプライドも何もかもをぶっ壊されそうになって、一護はパンク寸前な思考回路を遮断させた。 「…なあ、なんでお前等ガキがポップティーンなんて呼ばれてるか知りたいか?」 極力優しい声で、歌うように囁いた一護を見上げる。 ヘーゼルナッツ色の瞳には熱も冷たさも感じられない。淡々としていて感情を押し留める言い様が嫌いで仕方ない。まるで駄々をごねている子供をあやす母親のソレに似ているから、彼との距離が何マイルも離れてしまう感覚を味わってしまう。 「愛だのセックスだのなんだの…ポップに且つクレイジーに生きてるから大人は皮肉ってポップティーンなんて呼ぶんだよ」 you understand me? 不敵に笑んで強要する口ぶりに子供は感情線を断ち切る。分かっているんだ、彼が態と自分を怒らせようとしているその理由を。 分かっちゃいるけれど感情と頭がついて来ない。きっとこれがポップティーンと呼ばれるに相応しい性。 大人ってズルい。喜助は思って眉間に皺を寄せては一護を睨みあげる。 「愛ですよ」 「なにが愛なもんか」 「愛だ!これはライクじゃない!正真正銘のトゥルーラブだ!」 「うるせーよ!良い加減にしろ!良い加減に、してくれよ…!」 変わらないやり取り。出会った頃から何ら変わる事のない子供の成長にほとほと、大人は疲れ果てて感情の縺れるままに壁を殴る。目元を手で覆い隠したのは子供の怯え切った…そして落胆した顔を見ない為だ。決して、潤んだ瞳を隠したい為ではなかった。 「俺…俺は今年で30だ…お前といくつ離れてると思ってんだ…15だぞ?15!クレイジーにも程がある!…帰れ」 「一護さん…」 「やめろ。名前を呼ぶな」 子供の声には魔法がかけられている。子供は魔法をかける術を持ち合わせているのにも関わらず、それを解く術は持ち合わせてはいない。だから聞きたくない。戯言だと、最初っから決めつけてしまえば魔法はかからない。それが、大人の唯一使える魔法だ。 「帰れ。そしてもう…二度と俺の前に姿を見せるな坊主」 指の隙間から蛍光灯の灯りが入っては瞼の裏をオレンジ色に染めた。 グ、と息を飲む音と腕を掴んだ手から力が弛み始める。彼は、泣きそうに顔を歪めているだろうか?それとも怒りに震えて顔を真っ赤にしているだろうか。考えれば考える程に、自身の心が積み重ねた嘘によって脆く壊れてしまいそうになってる事を知る。 早く出ていけ早く出て行ってくれ。切に願っては新たな嘘で心を重たくさせた。 「いち、」 「get out of here!!!」 もう沢山だ!心が悲鳴を上げたと同時に叫んでいた。 叫んだと同時に離れてしまった子供の体温と、去っていく感覚と、階段を降りていく足音が夜の中に響き、一護はズルズルと腰をおろしてしゃがみ込む。目を覆ったのには理由があった。 「ちくしょう…っ」 泣いている不様な姿を、夜に見られたくなかった。 next>> |