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震えた小さな声で「優しく、」と言われたのに、浦原は青年を酷く激しく攻め立てた。
何度も執拗に愛撫した、何度も熱を吐き出させた、何度も求めさせた。時には意地悪な事も口に含む。意地悪等と可愛く形容するには些か厚顔だが、甘そうな瞳からホロリと透明な雫が伝う度に浦原の嗜虐心をムクムクと育てさせる。きっと初めてな筈なのに、頑なに慣れている等と言う青年からしてみれば浦原の施す行為は酷薄であった。
それでも青年は最後まで浦原を拒絶しなかった。それが意外だ。浦原から見ればビギナーな筈なのに、気持ち良いとかそんな感覚は少しだけだったかもしれない、逆に浦原の施す行為は青年にとって苦痛にしかならなかった筈なのに。青年は下唇を噛み締め、浦原の施す行為その物を、まるで浦原その物を受止める様に耐えていた。
キスはしない。今更純情ぶる訳では無いが、一番粘膜を感じる事が出来る唇と唇を合わせる行為そのものが人間臭く、浦原自身があまりキス自体を好まないからだ。それでも、青年が下唇を噛んで行為に耐えているのを見て、凄く柔らかそうな唇だ。と少しだけ思った。でもそれだけだ。結局、唇の性交は無いまま、一夜限りの営みは終了した。

ああ、今日はゆっくりと眠れそう。そう思うのは実に久しぶりだ。常に頭の中を様々な言葉が巡るので時々は脳を休ませてあげないといけない。
セックスは快楽だけを追うのに集中し、馬鹿になるから、何も考えずにただ行為に没頭するだけで良い。酷使した脳を休ませる為には馬鹿にならないといけない。
やっと眠れる、そう思った矢先。どこからか聴こえてくる歌に耳が集中してしまう。
しまった、先に帰らすかこちらが出て行けば良かった。そう思いながら重たくなっていた瞼を開き、上体を起こした。
暗い室内にポウっと浮かび上がる蛍光灯の安っぽい光り。シャワールームの扉の隙間から逃げ出すようにしてフローリングを青白く染めたそこから僅かだが声が聞こえる。なんだろう、メロディを紡いでいるんだろうか?近付くに連れ、その声もメロディもはっきりと浦原の鼓膜に入り込んだ。
In other words darling kiss me.
懐かしい。一瞬そう思った。3拍子の単調なメロディ、今はタイトルが変わり数々のアーティスト達がリメイクして歌い続けられている彼の名曲が、安く草臥れたラブホテルのシャワールームから聞こえてくる。
私を月に連れて行って。なんとも大胆で且つメロウなんだろう。
キィ、古ぼけた耳に痛い音が響き扉が開かれる。白のシャツだけを羽織った状態で青年はそこに居た。シャワーを流すでも無く、浴槽に水を溜めるでも無く、ただ冷たいタイルの上にべっとりと座り歌を紡いでいた。白いタイルの上、明るい蛍光灯に照らされたオレンジ色が眩くて浦原は一瞬、目を顰める。

「……あ、ご、ごめん……起こしたか……?」
「何してんの。眠れない?」
「…え、……うん……」
「どこか痛む?」

普段の浦原からは想像も出来ない。一夜限りの相手をベッドまでエスコートするだけの為に甘い言葉を吐く事はしても、情事後のピロートークまで面倒は見切れない。やり終えたらハイお終い。と言う風体で相手を帰らせるか自分が出て行くかのどちらか。浦原にとってセックス相手とはそう言う物だ。あとくされの無い関係。
それなのにどうした事か、眠りを妨げられるのは一番嫌いな筈なのに。この、どこか懐かしいメロディに引き寄せられるかの様にメロディが浦原の内に浸透し、メロディと同じ様な優しさをその内に生産する。自分だって鬼では無い。軽薄だと良く言われるが、初めての相手に無理をさせ、終わったらじゃあバイバイと言う程冷たくは無いつもりだ。何故か自分に言い聞かせた。そう、これはただの優しさ。同情の類だとも言う。

「なんか無理させちゃったみたいだし……」
「ち、がう……大丈夫だから……俺は、平気…」

浴槽の縁に腰掛け、タイルに座り込んでいる青年の顎をスイと撫でた。その際、上目使いになった琥珀色に吸い込まれる。綺麗な色だと思う。甘いけれどどこか儚い、いつか溶けて無くなってしまうのでは無いかと危惧する様な危ない色素。それは飴玉と同じ様に打算的な甘さだけを舌先に残したまま、跡形も無く唾液と共に流れ体内に取り込まれる。糧になる訳も無し、それでもその甘さが時折は必要不可欠。

「そう?………随分、声枯れてますね」
「………大丈夫だから……」
「……ねえ、どっかで会った事、あります?アタシ達」

不意にそう思った。彼の口から出てくるあの歌、遠い昔に誰かが歌っていた様な気がする。その時の記憶はあまり良い物では無かった様な気がするけれど。あまり耳にしない昔の歌が、浦原の中の何かを燻る。それと青年の持つ色彩全てにどこか懐かしみを感じる。
浦原の言葉に、青年は今日初めての笑みを向けた。
嘲笑。その言葉が似合っている。およそ青年には似合わない微笑だった。浦原の胸がキシリとおざなり程度に痛んだ。

「やっぱり…覚えて、ない…か…」
「……どこで会いました?」
「覚えてないなら良い。お前にとってそれ程大事な思い出じゃなかったんだろう………俺、帰る…」

フ、笑った後で彼の表情が歪んだ。
透明な涙が一粒、二粒、溢れ出したら止まらない雨の様に。白のタイルに落ちて砕け散ったそれが小さなガラス玉みたいで、浦原は黙ったまま、その砕け散った涙の粒を眺めていた。
フワリと香る柑橘系の甘い香り、砕け散った涙、淀んだ琥珀、フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン、蝉の声、夏の茹だる様な暑さ。オレンジの髪の毛。

「…………い、ちご?」

浦原の声と共に部屋の扉が閉まる音がした。
真っ白いシャワールームに彼の有名なメロディが残響する。音が、排水溝へと吸い込まれ消えていった。


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