浮かぶ不幸せ 厄介事を頼まれたものだ。 目の前の男を見て、阿近は内心毒吐く。 先程から一言も話さず、床を一点。じーっと見ている。(きっとその瞳には何も映ってはないのだろう) 一体これをどうしろ、と? はあ、不満を音にしてさっさと移動したかった阿近は床に腰を降ろしたままの修兵の腕を掴み、瞬時にぎょっ。とした。 おいおい…まじかよ… 声も無く、ただ涙の音がハラハラと落ちるだけで。阿近はこの時、初めて大の男が流す涙を目の辺りにする。 ハラリ、ハラハラ そんな音が直に聞こえてきそうで、うっかり、掴んだ腕を手放すタイミングを失う。阿近の動きすらも固まってしまった。 勘弁してくれよ…… とんだ厄介事を押し付けられた物だ。 局長、怨むぜ? そう内心で舌打ちをしながら、捕まえた腕に力を少し込めた。 「おい、」 「……なんすか?」 驚いた。 彼はもう話す力も残って無いくらいに放心してると思ったから。これは予想外だ。 瞳からはハラハラと涙を流し、宙を見てるのに、声だけははっきりと。筋の通った音だと感じた。 「何時までも座ってんな」 「…なら、放っておけよ」 あ、これは想像通りだ。 大抵のヤツが言い放つ台詞、一人になりたくて他人に投げ付ける八当たりだ。格好悪いったらねえな。 「行くぞ」 「聞いてましたか?俺ぁ放っておけって」 「そんなに一人になりたいならな、人前で涙なんざ流してんな。」 説得力無いぜ? 笑えば、本来彼自身が持ってるであろう感情そのものが表情に出たので。 ああ、少しづつ。 「あんだと?」 「吠えるな。余計弱く見れるぜ?」 かああっ。音が出る程赤くなった顔に、少し笑ってしまった。 なんだ、そんな顔もするのか。 へえ、楽しいな。そう、心が動いたのを阿近自身、どこか他人事の様に捉えて。 新しい玩具発見。 にまり。 修兵は見た、技術開発局だなんて余り近寄りたくない場所のある意味で有名な男。 その男が目の前で笑って見せた。音が鳴るくらい、口角が上にあがり。瞳はどこかの狐の様に細められていて… 嫌な笑みだ。 そう、背中が唸りを上げた。 「檜佐木修兵…ねぇ?」 「……なん、だよ…っ」 「くくっ、どもってんぞ?」 うるせぇよっ! そう言おうとした瞬間、こちらより少し高めの瞳が再び笑い、目元の溢れそびれた涙を拭われた。 なんて冷たい指先だろう…? 「…なんだよ?」 「なにが?」 「馬鹿に…してんのか、よ…?」 「なんで?そんな何のメリットも無い事。俺がするとでも?」 馬鹿馬鹿しい。そう呟きながら、人差し指に救い上げた涙を舐める。 びくっ、少しだけ揺れた肩を視界の片隅で見ながら。 ま、暇潰しには…なるか? もうひとつ、その涙を今度は舐め取ってやろうか?と考えた時。パサパサと黒の羽を揺らめかせながら右肩に止まった蝶を見て、少しだけ残念だと思った。 「檜佐木修兵」 「………」 「またな」 相手が何かを発する前に、普段使ってない瞬歩でその場から退場。 全く、うちの局長は…一体何をしてるんだか。 何時もなら腹立たしい筈の存在も、あの揺れた瞳を思い描けば、足取りも軽い。 成程、面白い玩具だ。 気を抜けば、舌舐めずりをしてしまいそう。まだ残る塩辛さに舌が小さく刺激された。 浮かぶ不幸せ |