2 夜中でも蝉が煩い真夏の熱帯夜、節電だエコだ環境対策だと色々言われて一定の温度で数時間しか機能しなくなったエアコン。同じ意味の言葉ばかり立て並べても要は金が勿体無いとか思ってんだろうが、乱暴な言葉遣いを内に秘めて茹だる熱さのビルから早々に脱出したくてエレベータのボタンを押した。と、そこでエレベータが1階からではなく最上階の20階から下りてくる事に気付いた。 ゴースト、一護の頭の中はたったひとつの単語で埋め尽くされる。初めてお目にかかれるかもしれない期待と、ほんの少しの気まずさを胸に秘めて時計を見た。現在時刻は22時30分と少し過ぎ、結構遅くまで残ってんのな、一護の気持ちに返事をする様にエレベータはチンと小さな音を発して止まり、そして開く。 中に居たのはたった一人のゴースト。身長がやけに高く、金色の髪を後ろでひとまとめにしている。黒のジーンズに黒のTシャツ、スーツ姿の一護と違いカジュアルな装いの彼は端正な顔に似合わない黒縁眼鏡をかけていた。一瞬、遅れて会釈をしながら乗り込んだエレベータ。一護が入るまで「開」のボタンを押していてくれた彼にもう一度会釈して小声で「お疲れ様です」と身に沁み込んだ挨拶を投げかけた。それに対して男は無愛想にもコクンとひとつ唸っただけで後はエレベータの扉が閉まるのをただ黙って待つ。 なん、無愛想だなあ…。 一護も入社当初は散々言われて続けてきた言葉を敢えて男にも押し付けてみる。チラリと横目で見た男の横顔、切れ長の目尻にうっすらとクマが出来ているのが見えた。噂通り、生気の無い表情で口を閉ざしながらエレベータの扉とにらめっこ。 おい…これ、ホンモノじゃないだろうな…。 最上階にはゴーストが居る、皮肉とユーモアを込めて付けられたあだ名の他に、このビルにはとある類の話も頻繁に耳にしていた。 5階、一番端っこにある女子トイレには白い着物を着た女が出るとか。 真夜中の閉ざされたカフェテリアですすり泣く声が聞こえたとか。 どこの職場でも学校でも馴染みのある鳥肌物の話は後を絶たない。このエレベータだってそうだ。とある残業組みが22時過ぎのエレベータに乗り込んだ所、一人の社員と乗り合わせる。たった二人っきりの密室、1階まで下りるわずか数秒、突然、エレベータは止まる。 ブウン!話を思い出している途中、一護達が乗り合わせていたエレベータが不穏な音を発しながら突如、機能を停止した。 「っ!」 急停止したエレベータでかかる重力に息を飲み込む、上からも下からもかかった重力が胸を締め付けあげ、更に思い出していた話の顛末を脳内へと反映させたから背筋から走り抜ける様に鳥肌が立った。 一瞬、目の前が真っ暗になる。おあつらえ向きに停電もしでかしたエレベータを恨んだ。 「大丈夫っスか?」 慣れない暗闇の中、どこからともなく響いた声に肩を揺らす。ヤベ、ちょう怖い…。ホラー映画を観るのも、小説を読むのも漫画を読むのも、そう言う類の話だって本当は耳にする事も嫌いな一護は縮んだ心臓を押さえつける様に手で覆う。 バクンバクン、急に忙しなく心臓が鳴り始めて呼吸が荒くなる。 あ…、過呼吸…。 二酸化炭素を吐きすぎたせいで起こる症状の類が脳を突き抜けてなんとか落ち着かせようとしゃがみこんだ。 「ちょっと、キミ」 「ごめ、…俺…か、こきゅう持ちで…」 「マジかよ…口、抑えて。両手で」 未だに暗闇が続いている中、良く響く声は前方から聞こえ始めて徐々に一護へと近付いてきた。ふわり、何かが頭に乗る。暗闇に慣れた視界から段々、黒以外の色彩が見え初めてきた。ぼんやりと暗闇に浮かんだ金色がキラリと一護の前で輝く。 言われた通りに口を両手で抑えれば頭に乗っかっていた手が滑り肩に触れ、それから腰まで下りてきた。ドアに凭れていた体制を変えられる。 頭を彼の膝に乗せ、リラックスできる様に足を伸ばす。そうしたら幾分か呼吸が楽になった気がした。 「ゆっくり、吸って」 今度は頭上から降り注ぐ声、素直に従いながら荒れてきた呼吸に焦らず息を吸いこむ。過呼吸を起こした患者が居る場合は周りが焦ってはいけない、医者でもある父親が言っていた言葉をフと思い出す。 良い声だなあ。 いつしか恐怖は通り過ぎ、彼のよく響く低い声に耳を傾けていた。背中ではなく、腕を擦る手が優しい。少しだけ冷たいその手は火照った体には気持ち良かった。 息を整えている間に手探りで緩められるネクタイ、第一ボタンと第二ボタンを片手で意図も簡単に外してのけた器用な指先に場違いな感動をした。 「…は、…う、」 「大分良くなってきました?」 未だにバクバクと心臓は波打つけれど、呼吸が浅くなる心配はもう無かった。彼に言われた通り、大分楽になった呼吸。ひとつだけ頷けば反動で分かったのか彼の手がポンポンと二の腕をリズム良く叩くのが分かって何故か笑ってしまう。 このゴースト面白え。 名前も分からない人間に対して多少失礼な命名をして心中で笑う。 それから数秒も経たない内に電気が点き、こちらを覗き込む彼の瞳と対峙した。目と鼻の先、想像していたよりも近い距離で金色を視界に入れた瞬間、正にあの時に恋に堕ちたのかもしれない。 「…単純だよなあ…吊橋効果ってヤツ」 停電も一時停止も無くスムーズに1階まで下りたエレベータはチンと変わらない音を発してゆっくりドアを開ける。 "時々あるんスよ、人が乗ってるのに点検モードに入るの" あの時、エレベータ内で言われた言葉を思い出してフと笑いながら一護は職場を後にした。 next>>> |