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Smells Like Teen Spirit


目覚ましのアラームでも無く、況してや煩わしいコール音でも無く。パチリと目が覚めた瞬間、浦原は朝の微睡みの中に居た。
久しぶりにすっきりとした目覚めだ。脳内に小さな氷を直で入れられたみたいな感覚。すーっと溶けていく冷ややかさが瞼裏に染み、僅かに残る惰眠を全て消し去った。
うつ伏せ状態から横向きへゆっくり寝返り窓にかかるグレイのカーテンを暫し眺めながら瞬きを何度か繰り返していくうちに眠気はすっかり過去へと追いやられた。
足と腕を思いっきり伸ばして身体中の節々を慣らす。ひんやりとしたシーツの気持ちよさを充分味わった後、ベッドから足を出して座る。
サイドテーブルにはフィルターシガレットとマッチ、そして愛銃が置かれている。定位置と化したそこから彼等は微動だにしていない。ボックスから一本だけ取り出し口に咥えながらマッチを擦る。シュ、ボッ。単調なリズムを刻んで点いた火に煙草の先端を近付けて葉っぱを焦がす。
焦げた匂いが鼻腔を燻り、後は馴染みの動作で深く肺へとニコチンを誘った。
最初の一口目はマッチ独特の苦い味が舌先を刺激する。それは酷く鉄臭くて一瞬だけ血液の味を錯覚させるから、浦原はフと微笑を浮かべた。
サンデイモーニング。充電器へと突っ込まれたモバイルフォンの示す時刻はAM7時。ファミリーデイでもある曜日にこの時間帯は少々早過ぎた様で室内は勿論の事、外もやや静かだ。きっとまだ世界は就寝中。惰性的な睡眠が心地よいのだと起きる兆しを見せないでいる。もう一眠りしようが誰も浦原を責めないだろうが、彼の脳内はニコチンの次にカフェインを欲したので咥え煙草のまま腰を上げ寝室を後にした。



吐息を奪い合うような獣じみたキスの嵐。どちらとも離れず漏らす声は喉奥で唾液と共に飲み干され消えた。
鼻で呼吸を取り、甘く篭った声を発するキスの方法を二人は上手い具合に心得ている。
腕は背中へ回すのがセオリーであり、瞼を閉じるのが礼儀。けれど浦原は何度も盗み見た。眉間に皺を寄せながら「ん、んっ」と懸命にキスの応対を施す青年の顔を。見つめて、瞳だけで笑む。
トレードマークの皺は厳ついイメージを彼に与えるが、こう言う場面での苦し気に刻まれた皺はとてもセクシーだ。
密着した肌と肌。伝わるのは温度と鼓動のリズム。
悪戯な指先が青年の鎖骨を撫で、左心房の左斜め下の際どいラインに出来た傷痕へと触れた瞬間、彼はピクリと瞼を痙攣させる。既に瘡蓋も綺麗に剥がれ新たな皮膚が表面を覆い尽くし完成された傷痕を指先で辿れば体が恐怖で戦慄くのだと浦原は知っていた。生死の境を彷徨った程の深い痛手を、身体はトラウマとして覚えている。浦原も同じだからだ。



珈琲の香りが室内に充満し、いよいよもってサンデイモーニングの演出が濃くなった。辛うじて平和的な印象をぶち壊しているのは左脇腹から斜め真っ直ぐに鎖骨下へと伸びた醜い傷痕。浦原の統一された身体に歪な皹を入れた刀傷。
短くなった煙草を灰皿に押し付け、ジーンズの後ろポケットに手を突っ込んでバルコニーへと出る。
ドアを開いた瞬間、朝の香りが一気に浦原を包み込み上半身を冷やした。春と言えどまだ明け方近くは肌寒いらしい。淹れたての珈琲の暖かさが五臓六腑へ染み込む。
はは。朝だなあ。当たり前の事を思う。
とっくに時効は過ぎている。束の間に見た夢の幻は浦原をアンニュイにさせた。朝が来れば容易く消えてしまう残像に傷痕が痛んだ。
彼は紅茶を飲んで出て行った。ただそれだけ。交わす言葉はとても少ない。「問題ない」とか「そうか」とか曖昧な相槌。憎まれ口も少しだけ混じっていた。
もう覚えていない昔に傷痕を残して去った人物が彼、黒埼一護だ。
均等に整った浦原の肉体に致命的な傷をつけ、そして同等に致命的な傷を受けた彼。
命を奪われる事も奪う事も無かったが確実にある物もバッサリと斬ってくれた。心だ。
不透明な代物を見事な太刀筋で真っ二つにされた。手放した筈の、心を。

浦原は昨晩見た夢の残骸を掻き集めた。途切れ途切れに繋がる映像の類は本気で心臓に悪い物ばかり。
彼の腕が背中に傷を残す。ひくりと上下した喉仏が芸術的に美しい。涙の透明に覆われた琥珀色が刺激的で情熱的。
さて、本物の彼はどんな表情で鳴いてくれるだろう。お行儀悪く音を立てながら珈琲を啜る。
初めて見る彼の夢を呼び起こした原因は、一年に一度の割合で訪れる古傷の疼きと昨晩手にかけた男の髪の毛。
オレンジ色の髪の毛は彼を連想させたからだ。あそこまで綺麗じゃない安っぽいオレンジだったが記憶を抉るには丁度良い材料だった。まあ、彼の命はたったの2000ドルで安売りされてしまったが。
思い返してみれば黒埼とは似ても似つかない男だった。自尊心だけが一丁前に高く、余所見ばかりする男だった。既に顔の作りも覚えていない男のポジションに黒埼が現れる。記憶の中、唯一美化された曖昧なシルエット。
不器用に口角を上げた笑みがやたら面白かった。下手くそ過ぎだろう、笑い方。
久しく思い出せた彼の笑みを脳内に浮かべて浦原は笑う。既に6年が経過していた。今日で丁度6年目だ。
浦原が黒埼に傷を負わされた日。
黒埼が浦原に傷を負わされた日。
あの頃はアタシも若かったなあだなんて年寄りみたく過去を振り返る。
最後に見た黒埼の記憶。不味そうに紅茶を飲んで音も無くこの部屋を出て行ったあの後ろ姿。
早いのか遅いのか、もう6年も経った。
良い加減、時効でしょう?黒埼サン。
心中で問いかけた言葉に返答するのは歪に痛んだ傷痕だけだ。
ひきつった様な痛みを誤魔化すために珈琲を飲み干した。


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