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【つばき狐】












泣いている。
家中が深い悲しみに満ち満ちている。魂の慟哭が聞こえる。糧となる筈の負の感情が酷く煩わしいのは、きっと僕も悲しんでいるからだろう。不本意ながらも。
屋敷を護る破邪の鬼がまるで、子供のように泣いている。涙の一つも零せぬ刀の癖に、誰よりも。


何故だ、欽十朗――…!


何故、どうして、と。嘆きは尽きない。何故、お前は死ぬのに私は死なぬのかと、世の理不尽を詰っている。
道理の解らぬ子供以外の全てが涙を零す中、僕だけが家中を淡々と歩き回る。
「…賭けは、とうとう僕の負けだったな」
呟いた言葉は古びた柱に吸い込まれて直ぐに消えた。
















【つばき狐】
















「丘山、賭けをしないか」
そう言い出したのは欽十朗の方からだった。
「珍しい事もあるものだね。まさか君の口から賭け事の話が出てくるとは…」
書斎に入るなり、いきなりそんな事を切り出されたものだから、正直に言って少し驚いた。が、然し、椿欽十朗という人間はどうにもこうにも、何時まで経っても子供っぽいというか青年らしい所があって、正式に当主となった今も、時々こうやって悪友ごっこをしたがった。
常日頃から他人の面倒を見る立場である反動かも知れない。
「それで、やるのか、やらないのか」
「君のあの怖い守護を介入させないという条件でなら」
「ああ分かった。契約書だ。書いておいた」
と、三つ折りに畳まれた紙が差し出される。
妖と賭け事をする時には、例え相手が自分の使役する遣い魔…眷属であっても、きちんと契約書を書き、賭けの内容を決めねばならない。後々揉めないようにする為だが、そもそも妖と、それも眷属と賭け事をしようなどという馬鹿は滅多に居ない。賭け事は、隷属を強いられる妖に取って、自由になるまたとない機会だからだ。内容をしっかりと把握しておけば、復讐も容易だ。
現に丘山も、欽十朗と賭けをする度にその陽の気の溢れるような極上の魂魄を取って喰おうとしている。即ちそれは、丘山の死によって欽十朗の命が尽きるという事に他ならない。
鍔鬼は気付いていないようだが、欽十朗は普段の堅実さに反して、思い切った事を何食わぬ顔でやってのけるような所がある。
尤も、丘山には関係のない事なのだが。
「それで、内容は?」
「壱、勝ったものは負けたものに何でも一つ要求が出来る。弐、負けたものはその内容を拒否出来ない。参、勝負の最中に相手を殺傷してはならない。肆、この契約に於いて主従の別はない事とする…」
「まあ無難なところか。乗った。で、勝負は何でするんだい?」
茶化す丘山に対して、欽十朗は尚も、暗記しておいたのだろう契約の内容を朗々と唱い上げる。
「宝探しだ」
これはまた、酷く子供っぽい遊びだ。
「互いに一つ、宝を決めて探し合う。これだと思ったなら相手の元に持って行って宝かどうか尋ねる。その場合、絶対に嘘を吐いてはならない」
一見、成立しなさそうな勝負内容だが、契約を交わしている限り、約束が破られる事はない。破れば、魂に疵が付くからだ。
「で、何時から始めるんだい?」
「そうだな…半刻後でどうだ?」
「じゃあ、また一時間後に」
す、と障子を閉めて、指先で顎をさする。
さて、一体何を何処に隠そうか。




一時間後、準備が整って宝探しが始まった。
「これかい?」
「いや、違う」
「これかい?」
「それも違う」
「これかい?」
「違う。俺にも少しは探しに行かせてくれ。それと、少なくとも今、この部屋にはない」
元は大学の同輩であった間柄だ。丘山が食えない性質の狐であるのは勿論、欽十朗もこういった場面で何の変哲もない鉛筆やらを宝に決めるような性格であるのは、互いに承知している。
「今は、という事は、ここにある時もある、という事だね」
「そうだな」
にたり。笑った丘山に、欽十朗は何時もの仏頂面で返す。
「…君、まさか、あの守護を宝にした何て事はないだろうね?」
いや、と欽十朗が精悍な顔を横に振る。相変わらず、目立つ所がない割に造りの良い顔だ。
「最初に考え付いたが、面白くないから止めた」
丘山は、この人間が本気で賭けに臨んでいると悟った。




結局、家中をひっくり返してみたが、生憎と当たりは出て来なかった。
そうこうする内に欽十朗が庭を探した後、外に出て行ったので丘山は焦った。
規則上宝に決めるのは自分の所有物でなくてはならないなどという制限はない。だからこそ、自分とは無関係のものを宝に決めたのだが…そこまで読まれると予想していたとはいえ、真っ先に外を探されるとは思ってもみなかった。
待てよ、真っ先に外を探したという事は、同じ発想で外にある何かを宝に決めているのか?だとしたら、絶対に相手に持って行けないものを指定するのではないか?例えば、家だとか、木、だとか―――
はっ、と思い付いて、丘山は狐の姿に戻り、町を駆けた。長い石の階段を下り、疾風のように六地蔵の前を通り過ぎ、幾つも立ち並ぶ家々の門を曲がり…向かった先は雀群と書いた表札のある家の中庭で、高く聳える、枝葉が丸く切り揃えられた木を見た。薄ぼんやりと不思議に光る木は、ちゅんちゅんと雀の小妖怪どもが囀る声に溢れている。
「おや…こんな時分に一体どちらさまでしょうか?」
ぴたりと囀りが止んで、恐る恐るといった様子で嗄れた声が尋ねてくる。狐の匂いを嗅ぎ取ったのだろう。
「僕だ、椿欽十朗が眷属の丘山青だ」
自ら眷属だと名乗るのは屈辱以外の何物でもないが、仕方ない。ここは雀群。雀が編む千鳥の囀りを守護とする家。椿の分家で、先頃欽十朗が結婚した雀群が女当主、沙紀子嬢の実家だ。
奇妙な話ではあるが、遠縁に当たる椿家の当主欽十朗と、雀群の当主沙紀子は、互いに婿にも嫁にもならぬままに結婚したのだ。両家の反対はあったが、二人子を成して初子を椿家の、次子を雀群の籍に入れれば良いとして話が決まったのだ。この時代には真に希少ではあるが、夫婦別姓の別居婚という、所謂公認の内縁関係であった。加えて、沙紀子嬢が怪異を見て佳く聴くという所が重要であったから、両家は呪術上に於いても強い繋がりを持っているのだ。
「ああ、丘山様でございましたか。一体、どのようなご要件でしょうか?」
「申し訳ないんだが、その雀群木の小枝を一つくれないか」
「お安い御用です。くれぐれも、欽十朗様によろしくお伝え下さい」
ぱき。一本の小指程しかない小枝が折れて地面に落ちた。丘山はすぐさまそれを口に咥えて、雀達への礼もそこそこに走り出そうとするが、
「ん?なに?それを早く言わぬか、お前…ああ、丘山様!」
「…何だ」
厭な予感がする。
「昨日、うちの者が、欽十朗様からもしもあなた様がいらしたら、六地蔵の前まで来るように言ってくれ、と言付かっていたようでして…」
「……分かった」


畜生。あの野郎。


小枝を口に咥えたまま、だらだらと石段を登ってゆくと、悠々と煙管から紫煙を立ち上らせた欽十朗が、六地蔵の横に立っていた。
「畜生。騙しやがったな」
「悪いな。お前の方が駆けるのが早いから、演技をした」
「…この雀群木は宝かい?」
「いや、違う」
最早駄目元で、と言ってみるが、矢張り当たらない。もう駄目だ。詰んだな。
「所で丘山、お前の宝はこれだろう?」
ひょいと欽十朗が地蔵の前から取り上げたのは、一個の饅頭だった。丁寧に個包装された、上等な漉し餡の饅頭だ。
「…そうだ」
毎日、近所に住む老婆が地蔵に供える饅頭。これならば、いざという時には食ってしまえば良い。相手の前に宝と思しきものを持ってきて尋ねるのが条件なのだ。まず、宝と決めたものを持って来れないようにしてやれば良い。そうすれば後はじっくり、相手の宝を探すだけだ。
「お前が度々ここの饅頭を食っているのは知っていたからな。多分、こうくると思っていた」
「眷属の性格をそうまで把握しているとはね。嬉しくって涙が出るよ。でも…僕には他にも、和菓子屋と煎餅屋にあてがあるんだが…そちらはどうなんだい?」
「いや、それは初めて知った。お前、余所の家に上がり込んでいたのか」
どうせ手回しが済んでいたのだろう観念して言ってみたというのに、実際は、笊。
「余り粗相はするなよ」
「僕が?する筈がないだろう」
呑気に眉を寄せ渋い表情を浮かべるその顔の下、喉笛を喰い千切ってやりたいと思ったのは一度や二度ではない。今もそうだ。非常に殺したい。
そういえばそうだった。椿欽十朗とは、こういう人間だった。いっそ薄気味悪い位に勘と運が良い。だからこそ尚の事、負けた時に腹が立つ。
「で、一体何を願うんだい?」
「その前に種明かしをするのが筋だろう。まずは一旦家に帰ろう」
もう要はないとばかりに小枝を捨てて、丘山は人間の姿を取る。釣り目が涼しげな、二枚目役者が如くに変化する。欽十朗にはもう見慣れた顔だ。髪はこの所、長くしているのが多かったが久々に短く化けたらしい。服装はこれもまた珍しく洋装で、白いシャツに黒いズボンという、初対面の時と同じ、学生服にしている。
ふ、と、思わず口角が上がった。
「おい丘山、悪趣味だぞ」
「何がだい?君の趣向に合わせた迄さ」
それより、そのなりで煙管を咥えている君の方がよっぽどだ。お馴染みの、嘲笑めいた物言いで丘山が皮肉る。
「ああ、そうだな。確かに学生服で煙草は無理があったな」
「全く、若作りも大概にしたらどうだい?」
「お前よりはまだ若い」
「人と妖は違うのさ。所詮、すれ違うのが関の山だ」
く、くくく。笑う丘山につられて、欽十朗も喉の奥から笑いを漏らした。馬鹿だなと思う。何年経っても、鍔鬼に隠れて煙草を喫ったり、賭け事をするのが楽しくて仕方ない。
「で、君の要求は、矢張り鉦継絡みかい?」
「察しが良くて助かるな。お前が俺の名前に呪で繋がれているのは承知の上で頼むんだが…鉦雅も鉦唯も怪異を知らない。だから、丘山、お前が鉦継の教師になってやってくれ」
「僕には向かない相談だな。鬼の方がよっぽど適任だ」
「いや、鍔鬼では駄目だ。駆け引きはお前の方が上手い。それに…鍔鬼は決して椿を裏切らない。時々、俺を騙したように鉦継を騙してやってくれ」
煙管が手渡されて、素直に受け取っておく。狐狸の類は本来ヤニが苦手な筈だが、丘山は特別で、人に混じって暮らす内に煙草の良し悪しが判るようになっていた。そして、欽十朗の持つ煙草は、決まって高価い。
「とんだ不良の曾祖父だ」
長い長い石の階段を上り切ると、そこが梅花皮町一の旧家、伝統ある武家屋敷である椿家だ。
門を潜って裏手に周り、鍔鬼が根城とする倉が見えてきた所でよたよたと小さいものが駆けてきた。まだ歩き方が拙い、人間の子供だ。
「ひぃじぃ!」
「鉦継」
欽十朗がしゃがんで、鉦継と呼んだ曾孫の頭を撫でる。
「ひぃじぃ、わかぁー」
曾祖父が若返っている、と言いたいのだろう。目を輝かせて、大きく口をぽかんと開けて見上げてくる。
「ど、してー?」
「鉦継、これからひぃじぃは長く歩いて行かなくちゃならないんだ。年寄りが長く歩くのは大変だろう?だから、若返ってから行くんだ」
「ひぃじぃ、かく、いー!」
興奮したまま、きゃあきゃあ叫びながら、未だ通夜の終わらぬしんみりとした空気に満ち満ちた母屋へと走ってゆく。
「…君、年を取って少し頭が悪くなったようだね」
「そうだな」
「僕も最初、鉦継じゃないかとは思ったけれど、本当に鉦継にしていたとはね」
「却って、盲点だっただろう」
呆れて、言葉も出て来ない。


とん。


地面に微か、赤く明滅する小さな塊が落ちる。
吸い殻を下駄で擦って消して、軒下に押しやると、欽十朗は煙管を縁側に置いた。
「行くのかい?」
「ああ」
「…倉には?」
「行けば、鍔鬼が泣く」
「もう疾うに泣いているさ」
「行けばもっと泣くだろう」
裏庭の中心まで、足を遊ばせるように歩いて、天を仰ぐ。藍色に染まった空に金星がくっきりと光る。




「…良い人生だった」




綺麗に欽十朗が逝ったのを確認して、丘山は家の中の様子を窺うべく、ゆっくりと足を進めた。










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あきゅろす。
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