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えらく楽しそうに獲物を狩る男だ。
今や一条美奈となった女は、一条ヌイを眺めそう思った。猫が鼠を狩る時もこんな感じなのだろうか。
「これが祭なら、差し詰め神使ってとこかねェ…」
人間技という域を越えている。あんな風に仕事をする狩人は、一人も居ない。少なくとも美奈は知らない。
軽く速く跳ぶ。はねる。風神の加護でも憑いているのではと錯覚する程度には。
「どわっ!」
いっそ幻想的な光景をぶち壊しにする、人間臭い声がした。声と同時に肉色の塊が二つ、左から右へと突進してくる。それより一拍前に過ぎった灰色と黒が消えて、そして。
跳んで、腫瘍のような頭を足蹴にして。そして突き刺した。赤子の手足を以て素早く這って動くものを、瞬きの間に仕留めた。
「何で…」
目が合う。言ったのはエムシだった。心底驚いた顔。それもそうだろう。ただの芸者が真昼の街に居て、呑気にアヤカシ退治を見物しているのだから。
「ぷっ…ふふふっ、右」
美奈に指摘され、エムシの目が右手から迫るもう一体のアヤカシを捉える。動きは完璧に見切っているようで、ひらりひらり、舞うようにかわしてゆく。 動きを見切っている癖、何時までも留めを刺そうとしない。奇妙に思っていると、真剣な表情から焦っているのが分かった。よもや、中核の場所が判らないアヤカシをどう捌いて良いものか戸惑っているのか。
「ふふ、はっ、あっ、あははははっ!」
全く、もう、人間技じゃないと思ってたのが馬鹿みたいだよ。この男二人、ただの大馬鹿者じゃないか。
びぃん。
弾かれた弦の一音に、アヤカシが動きを止める。
「アヤカシ用の毒、持ってないのかい?」
「毒?そんなものがあるのか…」
「ああそうさ。アヤカシの肉を樒の葉と混ぜて腐らせたもんさ。狩人なら誰だって持ってるよ。仕留めるのに失敗した奴には、断面にそいつをぶっ掛けてやりゃあ良い」
美奈は再び笑い出しそうになるのを必死に堪えた。ああ苦しい!息が詰まって涙が出てくるよ!ああ可笑しい!まさか、どんな二流の狩人でも、下手したら普通の町人でも知ってる事を知らない何て。あれだけの事をしておきながら、丸っきり玩具で遊び散らす子供じゃないか。
ズッ。
と、アヤカシに刃が突き刺さった。刺したのはヌイだ。白刃煌めく手入れの行き届いた太刀が、嘗て断面であっただろう場所を射抜いた。抜くと、小さく地を揺らしてアヤカシが倒れる。
「……」
「…お見事」
沈黙するエムシに対し、美奈はどうにか一言だけ賛辞を絞り出した。まさか、急所が見ただけで分かるのか。これこそ神業だが然し、恐らくこの男もアヤカシの肉から作った毒の存在など露ほども知るまい。気の遠くなるような経験と試行錯誤の成果なのだろうが、正気の沙汰ではない…と割り切ってしまいたいのは山々だが、正味な話、何も考えていないだろう。
「あぁ、もう、あんた達、馬鹿だねぇ」
「己れが馬鹿なのは否定出来ないな」
「……」
赤くなって無知を恥じる男と、こてりと首を傾げる男。どちらもそれぞれ破滅的に的外れで、何もかもどうでも良くなってしまう。
「じゃァ、ヌイさん、折角の獲物を散らしちまったお詫びに一曲やって、新しく客でも呼ぼうか」




べん、べべん。




「ヌイさん」
中に気配があるのを悟って、美奈は戸を開けた。かなり年季の入った長家は建て付けが悪く、途中で引っ掛かってしまうために半分しか開かない。その隙間から滑り込むように入ると、家主たる怪人にして名高き気狂いが何するでもなくぼうっと座っていた。
「ヌイさん、頼みがあるんだけど、聞いてくれるかい?」
こいつを適当な紙に書き写して欲しいのさァ。美奈は懐から紙を取り出し、そこに書いてある三行と少しの長さの文を見せた。ヌイが書いてくれたら、これを役所に見せに行こう。
「……」
ヌイは少し考える素振りを見せたが、美奈の顔を見るとこっくり。頷いた。




美奈は元々、商家の娘だった。
蝶よ花よと育てられ、煌びやかな着物と豪奢なびらびら簪で身を飾り、白粉を叩いて紅を差してそうして育った。末に生まれた娘だったが故に両親の溺愛も凄まじく、芸事を習わせようと三味線を持たせた。或いは溺愛ではなく娘の将来を案じて手に職を付けさせようとしたのやも知れぬ。
両親の狙いは見事に当たった。美奈の腕はみるみる上達し、十六になる頃には街随一の腕よと誉めそやされる迄になった。丁度その頃に両親が次々と世を去り兄が継いだ店も潰れてしまったが然し、三味線があったので食って行く事は出来た。生まれた時から帳簿や金勘定、算盤へ遊んでいたのも良い方に作用したのだろう。美奈にはそれなりに、自分を売り込む商才があった。
特にこれといって結婚する理由もなかったので独り身であったがある日、そう、十年前、美奈は二十二だった。アヤカシが現れて、今まであった全てを奪っていった。誰も彼もが怯え、外から聞こえる悲鳴と殺戮の音に震えていた。次にあの化け物に食い殺されるのは自分ではないかと。
これはそろそろお仕舞いか。そう思って、美奈は一人家の中で三味線を弾いた。アヤカシが音に反応するかはわからなかったが、昨日一昨日で辺りの家は皆やられた。世話になった人も残らず死んだ。ならば最後に一曲位、良いだろう。
夜半から始めて、次の夜が来てからやっと美奈の手は止まった。知っている曲を全て奏でて、頭の中が先に尽きた。血の滲む指先が痺れたように痛く、疼いた。
「どうして生きているんだ」
町の惨状を確かめに来た侍はそう言った。結局、三つの日を跨いでこの無防備な町で生きていたのは美奈だけだった。死に損なった。何故だ、男は美奈に聞いたが、美奈だって聞きたかった。どうして。
後になって三味線の音色がアヤカシを退けるのではと何人もの芸者が一つ処に集められ小屋に閉じ込められたが、どの女がどんなに撥を掻き鳴らしても意味を成さなかった。目の前で同業の女達が肉塊になってゆく中、美奈だけが無傷だった。途中から奏でていなくては襲ってくると分かって、無我夢中で弾いた。
どうして。
美奈の三味線がアヤカシを退けると知られる度、美奈は町を終追われた。鬼女と蔑まれ石を投げられて逃げ惑った。アヤカシの跋扈する真昼に放浪するようになって、狩人と出会った。何度か柄の悪い一団と一緒に過ごしたりもしたが、裏切られ利用された。自分の身を守る為、アヤカシに彼らを食わせたりもした。意志とは裏腹に、上がってゆく演奏の腕前が美奈を助けた。自在に、まるで手足のようにアヤカシを操れるようになった。
だが、その能力から普通に暮らしてゆくのは困難を窮めた。噂は街を駆ける。新しい生活を初めても直ぐ駄目になった。
どうして。
何度も同じ質問を繰り返してみたが答えは出ない。ではどうするべきか。
自分の名が霞むようなものの影に隠れてしまえば良い。傘になるものを探した。
一条ヌイの名は圧倒的だった。遠く旅をしてきて、やっと見付けた。多少の暴力や迫害には目を瞑ろうと覚悟してきたのに、一条ヌイは、可愛い男だった。その弟子であり息子も、可愛い、馬鹿な子供だった。街の住人も、気狂いよ魔物よと蔑まれる男を気にしない。
なら、一人位変なのが増えても、気にしないでくれるだろう。
「ヌイさん、ありがとねェ。手間掛けさせちまって。今度、一緒に茶でも飲もうか」
「…うん」
初めて返事をしてくれた、魔物の声が嬉しくて、美奈は笑った。




「はぁ?」
「いやだから、ヌイさんあの芸者に三行半叩き付けたんだろう?女の方から役所に来たってのに、エムシ、お前知らないのか」
先日と同じように倒したアヤカシの懸賞金を受け取りに来たエムシは、前回とは真逆の宣告をされた。余りの事態に開いた口が塞がらない。受け付けの若い役人は「良かったな、父子家庭に戻れて」と心底どうでも良いと言わんばかりの態度でエムシを外に追い出した。狐に摘まれたような気分とは正にこの事だ。あの女一体何がしたかったんだ。
と、首を捻りながら帰路に着くと、丁度話題の女が向こうから歩いてきた。
「眉間に皺」
くすくす笑いながら指先で眉間をつついてくる。確かに皺が寄ってはいたが「おい…!」「良い男が台無しだよォ」「一体どういうつもりだ」「もう過ぎた事さァ」「待て説明しろ」「ああそうだ。あんたにも迷惑掛けたからねェ…」そうだ説明をしろ。話が纏まったかと思い、耳打ちをしようとする美奈に合わせて、エムシが首を傾ける。
「ヌイさんだけどねェ…項、弱いみたいだよォ?」
「……!!」
思い掛けない発言に度肝を抜かれて猫のように全身の毛を逆立てるエムシの肩を押して、笑いながら美奈が離れる。
「なっ、まっ…!おま…!」
「あははは、試してみりゃァ良いじゃないか」
顔を真っ赤にするエムシを見て、ああやっぱりきちんと離縁の手間を踏んで良かったと満足する。どんな経緯で親子になったのかは知らないが、養父養子の関係だけで厄介なのに、養母まで登場したら流石に可哀想だろう。子供には優しくするものだ。もしかしたら、そう万が一にでも、優しくしておいて将来良い男になったら儲けもの。割に有望株ではあるから、後はじっくり待つだけだ。
「うっ、うううう、うなっ、項っ…!」
その後、ヌイの項を見詰めては悶えに悶えるエムシの姿が目撃されたが、終ぞ長家の住人達を騒がせるような事件は起こらなかった。
「意気地がないねェ、全く…」
近頃この界隈で評判の美人芸者は溜め息を吐いて、三味線を弾いた。


べぉん。






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