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「こんにちは」
先ずは様子見として、挨拶をしてみるが返事はない。アヤカシを仕留めたばかりで油断しているのか、いないのか。無視をしているようにも思えるし、単に興味がないから無視をしているようにも思える。或いはその両方かも知れない。
「こんにちは。一条ヌイさん、ですね」
名を呼んでみると、漸く此方を向いた。否正しくは見下ろしたと言うべきか。一条ヌイは仕留めたばかりの巨大なアヤカシの上に座って、足をぷらぷらさせていたのだから。
「……」
無言のまま一条ヌイはアヤカシの上から飛び降りて目の前に降り立った。見事に表情というものが窺えない無表情で、何が面白いのか此方の顔をじっと見据えている。
「申し遅れましたが、私は利天という者。ご覧の通り旅の修行僧というやつで、学者紛いの事もやっています。この度、あなたと街の噂を聞いて調査に来た次第なのですが、お話を伺ってもよろしいでしょうか?」
「……」
踵を返して、一条ヌイはふらふら歩き出した。見ている者が不安になるような、例の歩き方だ。
「あの…一条さん?」
「エムシに、きいて、くれ」
利天はヌイの声が美しいのに驚き、また返事が出来た事にも驚いた。確かにアヤカシを狩る時はまるで鷹のようだが、それ以外ではまるで頼りない。正直、狂人ではないにしろ、おしか知恵遅れではなかろうかと考えていたのだ。
「いえ、私はあなたに聞きたいのです」
何故ならば、一条ヌイの方がエムシよりも狩人としての年期が長い。最早この地に於ける一条ヌイの名は、北へ南へ離れれば離れる程都市伝説のように語られている。見掛けは若いが、一体何時から狩人をやっているのか。
アヤカシが突如として現れたのは今より十年前。当時刀を持ち、何も知らぬままに戦った侍は次々と肉塊と化した。夜間はアヤカシの動きがないと分かるまで多大な犠牲を払ったのだ。もしもその時から戦い、一歩も退かず生き残ってきたのが一条ヌイだというのなら、彼以上にアヤカシについて知る者は居ない。
「ヌイさんっ…!」
来る途中にアヤカシを始末してきたのだろう。返り血を袂に散らしたエムシがやって来た。おやおや、そうでないかとは思いましたが、過保護というか何というか。
「お前、さっきの技は一体何だ」
「長年に渡る研究の成果です。ご説明したいのは山々ですが…」しゃらん。輪の飾りを外した錫杖が槍に姿を変え、背後から迫ってきたアヤカシに突き刺さる。矢張り闇雲に投げた訳ではない「千客万来、のようですね」「さっきの術は何だ」「日が暮れてからご説明しますよ」「札でどうにかなるのか」暗に、どんな高僧の加持祈祷も効かない筈だと滲ませるエムシを無視して「それにしても、一条さんは酷く優しい太刀筋でいらっしゃる」「ヌイさんに何の用だ」「噂とは当てになりませんね。あんなに穏やかな方とは思ってもいませんでした」おい、お前それはどういう意味だと言いかけるが、押し寄せる小型のアヤカシを捌く方に気を取られて、問い詰められなくなる。
「うん、矢張り、うつくしい方ですねぇ」
見た目が、というよりは剣捌きも勿論、変な気負いや欲がないのが良い。確かに、アヤカシを斬っておきながら童子のように微笑むのは如何なものかと思うが、精神の在りようは禅の求むる処に近い。長らく下卑た狩人達に紛れていたので、余計にそう感じるのだろう。
横からじっとりとした視線を感じるが、ひとまずは気付かなかった事にしておこう。




「改めましてご挨拶致します。アヤカシの対策・研究をしております利天、という者です」
日が落ちて、三人は蕎麦屋に居た。片側にヌイとエムシ、もう片側に向かい合うようにして利天が座っている。
丁度エムシと利天が頼んだざる蕎麦がやや遅れて揃った所で本題が切り出された。話の成り行きに興味もないらしく、ヌイは先に出てきた五目蕎麦を啜っていたが。
「それで、あの札は何なんだ」
「教典や仏典を中心として、神道や陰陽道、道教の呪術形式を盛り込んで作った特殊な札です」
「嘘だろう」
「嘘ではありません」
利天の話を要約すると、経や札にはアヤカシに対する効果がないというのは大きな間違いで、正しくは力を持ってはいるが、それを発揮出来なくなっているだけだ。術を発動するにはきちんと手順を考えた上で無駄なく神道、仏教、陰陽道、道教などの要素を組み合わせ編み込む事が必要になるのが長年の研究によって明らかになった。という事らしい。
「あなたの前で使ったのは、札を貼ったものがアヤカシに取っての大好物に見えるようにしたものでして。要は、札に美味しいよ、と書いて貼ってやった訳です」
「おいお前、明らかに己れを見下しているだろう」
「いえいえとんでもない」
多少余計な所を省いた迄ですよ、と嘯き呑気に蕎麦湯を啜る利天に、エムシは無性に苛立ちを覚える。さっさと食べ終わって席を立とうとするヌイの袖をはっしと掴むと、気を利かせた蕎麦屋の女将が葛切りを出してくれた。ヌイが席に戻って、ちゅるちゅると食べ始める。
「それで、私は日々市政の皆様の安全に貢献しようと日夜アヤカシ研究に励んでいる訳ですが、ふと風の噂でそちらの…ヌイさんの噂を耳にしまして。何か参考になればと此方に足を運んだのです」
ご本人には、どうやら話す気はないご様子ですが。
「何か話せない事情がおありのようですし、私は私で独自に調査をさせていただく所存です」
ごちそうさまでした。
律儀に手を合わせてから、利天は自分の食事代だけを席に置いて、すっと出て行ってしまった。まるで滑るように音も気配もなく歩く男だ。眉を寄せるエムシが醸し出す険悪な空気に、ヌイは僅かに首を傾げた。




「さて、先ずは…目立つ所から当たるのが無難でしょうねぇ。ああ、そこな刀自殿、この辺りに、古くからある碑などはございませんか?」




広い街だ。士農工商、全ての人間がこの街に暮らしている。墓や寺に神社、全てが揃っていて大変好ましい。
だが、気になる点が幾つか見受けられる。例えば、北東、北西、南東、南西、それぞれにアヤカシと戦い命を落とした狩人達の慰霊碑が置かれている。だとか。街を十字に走る大通りの真ん中、×印の中心部が、妙な気配を漂わせている。だとか。そういった細々としたものを探してゆけば、まだまだ出て来るに違いない。来て三日目にしては成果は上々だ。
問題は、あの、蛇の目…
腹は丹田。人体の中心部に刻まれたのは、張り番としての蛇の目なのか、はたまた餌としての的なのか…腹に飼う本人も知らない可能性があるが、最低限、あれがどちらかなのかは突き止めておきたい。
「やあ、今日も精が出ますね」
適当な屋根の上に失敬して、文字通り高みの見物とさせて頂く。普通の人間ならこの距離では何も聞こえない筈だが、一条ヌイならば聞こえていてもおかしくはない。
今日もまるで、千両役者が筋書き通りに動くように、無駄のない動きで次々と仕留めてゆく。方法は基本的に太刀をただ核に突き立てるだけのようで、引き抜いた先から次々と濁った血が短く柱を上げる。生臭い水芸だ。面白いように屠ってゆく。
うん、困った。
「どういう術式なのか、皆目見当が付きません」
見ている内に、余りにも見事で容赦がないから、目が離せなくなるか目を背けるかしかなくなる。目くらましの一種のように思えてきてしまう。ああ、いけませんね、散漫で。
「さて、エムシさんには申し訳ありませんが、少しいじらせて頂きますか」
屋根から柱を伝って降りると、利天はゆっくりと歩いてヌイの元へと向かった。血溜まりが点在する道の真ん中に立つヌイは、酷く不安定に立っている。
「一条さん」
声を掛けると、ヌイが振り向いた。
「ご協力願います」
ぱしっ。まるで突くような動きで、利天はヌイの腹に札を貼り付けた。並みの人間では有り得ない素早さに反応したらしい。ヌイがほぼ反射的に利天の手に指を食い込ませ、すぐに離した。利天の手からは食い込んだ爪のせいか、痺れたように血が滲む。
「あなたの息子さんは私に何者かと再三に渡り質問されていますが…こうして私からするのは初めてですね。あなたは、一体何者なのですか?」
地を踏み鳴らし、無数の口を体中に備えたアヤカシが、涎を垂らして背後からヌイに襲い掛かる。だがヌイは眉一つ動かさず、左斜め上から首を食い千切ろうとしてきたアヤカシの首をスパリと跳ねた。利天はその隙にすかさず飛びすさり、再び高台に逃げる。
遠くから、人外の奇形達がやってくる。足音が地鳴りのように鼓膜を軋ませる。奇しくも場所は街の中心地。これ以上の機会は望めない。
異形の軍団が、波のようにやって来る。美味なる餌を追い求めて、我先にと。
「ここで、その笑顔ですか…」
ヌイは笑っていた。心の底からアヤカシを歓待していた。堪らなく好きな玩具や甘味を買い与えられた子供のような顔だった。
確かに、狂っている。
「おい!」
「戦慄って…本来はああいう意味なんでしょうかねぇ」
「答えろ!あれは何だ!」
息を切らせたエムシが、利天の肩を掴み、怒鳴った。アヤカシと交戦中だったらしく、手にした刀の刃は血に汚れている。異常をいち早く察知して駆け付けたのだろう。優秀な狩人だ。人の胸倉を掴むのは如何なものかと思いますが、ね。
「…先日、お見せしたものと基本は同じです。但し、書いている内容は異なりますが」
「何を…」
「ご存知ですか?どれだけのアヤカシを解剖して暴いてみても、彼らには雄しか居ないと」
「まさか…!」
察しが良いですね、利天は微笑んでみせる。
「あの札には、妖之雌也、と書いてあるのですよ。今の一条さんは、彼らに取って堪らなく魅力的に映るでしょうね」
実に興味深い。そもそもあの札は強力過ぎて、真価を確かめる迄もなく事が終わってしまっていた。正に瞬く間の出来事で、奪い合う内に踏み殺されているのかと思ったが、一条ヌイに貼ってみて初めて分かった。アヤカシ達は、明らかに雌を食おうとしている。
「今すぐ止めさせろ!」
「無理ですね。トリモチで接着しましたから。そもそもあそこまで近寄れませんし、それに…」
ちらりと、利天は視線を横に遣る。
「一条さんは、取る気もないようですよ?」
赤と肉の散る、それは他ならぬ地獄絵図だった。アヤカシの屍を踏み越えて新たなアヤカシがやって来る。
「ヌイさんを殺す気かっ…!?」
道に溢れんばかりのアヤカシの軍勢が犇めき合って、道添いの商家の瓦を落とし、戸を軋ませる。ヌイさんは基より、このままでは街が保たない。
「寄越せ。己れが行く」
「何を…」
利天が腰に下げた竹製の携帯筆を千切り取り、エムシはアヤカシの渦へと飛び込んでいった。覚束ない足取りではあるが、川底の石を踏むようにして、跳ねるヌイの元まで渡ってゆく。
手の中で、筒を握り壊し、溜められた炭を指に滴らせる。
「ヌイさんっ!」






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