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あれは一体何時の頃だったろうか。
親父が子供を拾ってきた。痩せっぽちのちびで、恐ろしく無愛想な子供だった。凡そ子供らしさというものがなかったが同時に恐ろしく見てくれが良い子供で、恐ろしく珍妙な名前をしていた。親父に「お前と同い年だ」と言われて酷く驚いた覚えがある。確かに俺は大柄な子供だったが、いっそ貧相とすら言える体型の子供はどう見ても年下としか思えなかった。
名を一条ヌイと言うその子供は、旗本の落胤だった。妾腹だが本妻に子がなかったので父親の息子として正式に嫡子となったものを、赤穂浪士は浅野長矩が如く、いやそれより遥かに陰惨な罠に掛けられ、当主は切腹、お家取り潰しの憂き目に遭った。おまけにそれだけならまだしも、嫡子としてお家再興の種火としての身の振り方があっただろうに、妾腹であり、その母親が異民族の血を引いていたから、家人の対応は冷たかった。ヌイという異民族の名前も災いしたに違いない。然し彼の母親はまさか息子が正式の跡取りとなるなど思ってはいなかったのだろうから仕方がない。その母親は一体何処に居るかというと、ヌイが本宅に引き取られて程なくして労咳を病んで世を去ったという。そうして身寄りすらなく途方に暮れている所を親父に声を掛けられて付いてきた、という次第らしい。
成る程、これは良い拾いものをしたものだ。幼心に納得して頷いた。
俺の親父は何者かというと、しがない旅芸人だった。旅芸人、といっても割りかし上等な部類に入る種類で、望まれれば武士や地主やらの屋敷に行って芸を披露した。内容はといえば歌に踊りに芝居に軽業にとまぁ中々に上品なもので、そうすると女受けも重要になってくる。先述した通りヌイは――透けるように白い肌に漆黒の絹が如き髪、形良い涼やかながらも幼い瞳に、桜色の唇といった面に、少年特有の細く、しなやかさを備えた長い四肢を持った――恐ろしく見てくれの良い子供だった。加えてこの生い立ちと境遇とくれば、将に打って付けだ。格式ある武家屋敷にも上げられるし、何より経歴がそれだけで魅力的な口上になった。これからどんな芸を仕込むのか知れないが、口上はどんな芸人にも必要な武器であるから、あって損はない。大仰であればある程良い。
「ヌイか。お前、同い年だけど俺の方がでかいし先輩だから、今日から俺の弟分だな」
「……」
ヌイは恐ろしく無口な子供だった。
誰がどんな風に話し掛けようとも滅多に返事をしない。どんな陰口を叩かれようが容姿に関する賞賛を受けようが、素知らぬ顔をしていた。場面に寄っては賢しい子供と取られる時もあれば、生意気だと取られる時もあった。恐ろしく狂言回しに向いていないこの子供を親父がどうしたかというと、煌びやかな着物を着せて、女形にしたのだ。愛想の欠片もない子供にそれをやらせるのは賭だったが、しかし大当たりした。
元より終始無言の鉄面皮にも関わらず、他の人間と交流が可能だった時点で、動作の端々に滲む表現が多彩だったのだ。ヌイは頭も悪くなかったようで、直ぐに様々な舞を覚えた。
まだ年端もいかない小さな子供が、化粧と着物を替えるだけで若々しい青葉のような町娘になり、絢爛な牡丹の如き花魁になり、花散るらむ未亡人になる様は、壮絶ながらも幻想的だった。女形から始まってはいたが、成長に従って骨が固まってくるだろうと、途中からは牛若丸やら森蘭丸なども演るようになった。真剣を使った立ち回りが上手かった。流石は武士の子よと客はこぞってヌイを誉めそやし、同時に不幸な生い立ちを思い出して涙した。齢十二を数える頃には、立派な一座の花形へと成長を遂げていた。
一方、俺はといえば、それとはまた違った芸をしていた。まず目隠しをして、それから鼻と、耳だけを頼りに隠れた人や物を探したり当てたりするのだ。これは幼い頃から行っていた訓練の賜物で、つまらない宴会芸に過ぎないが、それでも剣舞や演武しか出来ないよりはましであろうという気休めだった。芸は身を助けるのだからと、親父が俺に仕込んだのがそれだった。
だが、そんな或る日、座長である親父が死んだ。突然倒れて動かなくなった。死には幾つも不審な点があったが、誰も問い質す事は出来なかった。副座長であった男が、親父亡き後一人で全ての実権を握っていたからだ。一座の運営を出来るのは、最早その男だけしか居なかった。俺もやろうと思えば出来るだけの知識はあったが、元服前の餓鬼ではそうもいかない。倒れた親父の姿を見て「手前がやったのだろう!」掴み掛かって鼻の骨を折ってやった。だが結局は縛られて荷台に転がされる羽目になった。
暫くそうして俺の身動きが取れなくなっている間に、奴は街の土地を買って小屋を持った。悔しいが商才があったんだろう。金策は上手くいっているようだった。俺が縄を解かれた頃にはもう後戻りが出来ない所まで来ていて、仕方なく俺は奴を出し抜く機会を狙った。前座長の息子である俺に奴とその取り巻きからの風当たりはきつかったが、気にはならなかった。奴らに出来るのは、下らない嫌がらせが関の山だ。それよりも、以前は仲の良かった仲間達の態度がぎこちなく、よそよそしい事の方が堪えた。
だが、ヌイだけは違った。元々他人と親しくもならないが人の好き嫌いもしない人間だったが、あんな事があってからも俺を避けたりはしなかったし、また同情を寄す事もなかった。無頓着といえば無頓着。怖いもの知らずといえば、それも本当の話だろう。どっち付かずではあったが取り敢えず、ヌイは必要だと判断した事を淡々とこなすような奴だったから、自ずと俺の怪我や何やらを手当てする羽目になり、唯一味方のようになった。普通なら俺共々爪弾きにされただろうが、一座きっての稼ぎ頭に口出しするような馬鹿は居ない。
俺は心底感心した。芯の強い奴だ。考えていたよりもずっと鼻っ柱の強い奴だ。そう思った。見ているだけで小気味良くて、調子に乗って、暇な時だけでも剣術を教えてやろうかと誘った。ヌイは黙ったまま頷いた。
剣術を始めて間もなく、ヌイは見る間に上達した。俺程ではないがチビだったのがめきめき身長が伸びて、同じ年頃の子供に追い付いた。痩せっぽちなのは相変わらずだったが、もう年は十五。本当の女形や陰間でもない男なら、女形では通用しない年だというのに、未だ女形をやらされていた。もしかすると鬱憤が溜まっていたのかも知れない。
当時はそんな所にまで思考は回らなかった。ただひたすら、互いに竹刀を交えるのが楽しくて仕方なかった。縦横無尽に、型など決めずに飛び跳ねる。どうすれば刃を相手の懐に潜り込ませる事が出来るか。ヌイは竹刀を握っている時にだけほんの微かに笑っていた。
だが、或る日例の副座長にそれがばれた。野郎、これ以上育てば女形として使い物にならないとのたまって、ヌイから竹刀を取り上げた。小部屋を与えて蟄居するように言い付けた。対して、俺は舞台に立てなくなった。来る日も来る日も雑用ばかりさせられた。
後から知ったが、あの野郎はヌイに懸想していた。だから執拗に女の着物を着せたがったし、俺に近付くのを良しとしなかった。俺は鈍感な質であったから、反抗してやろうと奴の部屋から竹刀を盗み出して、ヌイの部屋に窓から投げ込んだ。だがそれが却ってヌイを追い込む羽目になった。
「このっ…阿婆擦れが!手前を食わせてやったのが誰だと思ってやがる!」
次に顔を合わせた時、ヌイの顔には青黒く痣が散っていた。煌びやかな着物を留めるのは腰紐のみで、仕立ての良い辛子色の帯で手首を後ろ手に縛られていた。ずるずると引き摺られたせいで、尖った白い膝頭には破れた皮膚の間から血が滲んでいる。俺は俺で荒縄で後ろ手に縛られた上、散々殴られ蹴られ、冷水を頭から浴びせられた後だったから体の節々が痛んだが、体格の良さと鍛え上げられていたのとで、まだ体力は残っていた。だからかも知れん。ほんの数発しか殴られてはいないだろう、貧弱な体躯のヌイの方が危ういように見えた。
鴉の濡れ羽色をした長い髪が無造作に掴まれぶちぶちと千切れて緑の畳に落ちた。
「止せ!死んじまう!」
また、必死に叫んだのがいけなかった。男は友を心配する声を、念友を庇う声と解釈したらしい。掴んでいたヌイを取り落とし、歪な笑みを浮かべた。最早完全に狂っていた。









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あきゅろす。
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