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ヒト喰いと悪党とアイの噺




ヒト喰いと悪党とアイの噺。




痛々しくて脆くて愚かでどうしようもないもの達の話をしよう。
始まりはスラムの路地裏、それかその近くを流れるヘドロ塗れの排水溝。粘つく暖かな汚濁の中から。
スルクという少年はそこからやってきた。
彼に取って世界は最悪なクソッタレで反吐が出そうなものだった。彼は娼婦の息子に産まれて母親から熱く灼けた煙管を押し当てられて育った。そして十歳の誕生日を迎えたその日に、太った豚野郎に金で買われて犯された。売ったのは勿論母親だ。気絶するまで汚いナニを突っ込まれて目覚めると同時に果物ナイフをたるんだ腹にブッ刺してから彼は母親に顔の形が変わるまで殴られてとうとう道に捨てられた。酔っ払い親父が倒れた彼に小便を掛けていった。立ち上がろうとしたら尻から汚いザーメンがごぽごぽ出てきて頭から掛けられた小便より不快で。だから彼は自ら溝の中に身を投げ出した。
汚濁が不快なら高潔な汚濁でそれを塗り潰してしまえば良い。光科学スモッグの母体にまみれて彼は生まれ直した。咆哮。俺には母親何て居ないもし居るとしたらこの溝がヘドロが母親だ。折れた骨と痣の散る肌を泥の鎧で隠して立ち上がった。
スルクは古語で毒を指す。今日から俺はスルク。排水路のスルク。今日からまともな人生の始まり。どこに行こうと俺の自由。盗み殺し詐欺に恐喝。何でも出来るそうさ何だって。
決めた通りに彼は盗んで殺して騙して奪った。誰よりも狡猾に冷酷に卑劣になった。裏社会の住人からも恨まれるようになったが、誰も彼を止められない。女を騙して娼館に売り、男を殺しては金を奪い、子供を拐かしては指を落とし目を抉った。
街を追われる前に街を出た。貧富こもごも治安の良し悪しに拘わらず彼は街を駆けた。街を移る度一時間に擦れる財布の数は増え口は貴族から農夫にまで化けるようになり足は警吏を追い抜くようになった。僅か十七にして彼は大悪党の仲間入りを果たした。
だがある日彼は道に迷った。小さな街から隣国の大都市に移る途中、深い霧に阻まれて先に進めなくなった。俺とした事がやっちまったとうとうヤキが回ったかさてこれからどうしてやろう。考えていると森から干物のようなジジイが現れた。胸糞悪ィ。彼はその老人の首にナイフを突き刺して殺した。持ち物を奪ってやろうとしたが最低限の食料しか持っていない。チクショウ、最悪だ。いや待てこれは近くに家があるに違いない。
探してみれば獣道はあっさりと見付かった。彼は喜んで進んでいった。猟師小屋なら毛皮のひとつもあるに違いねぇ。ついでだ全部頂いてゆくとしよう。
だが獣道の先にあったのは猟師小屋ではなくひたすら可愛らしい家だった。苔むした丸みのある円錐形の屋根に蔦の這う白い壁。家を囲むように繁茂するのは様々な薬草だった。ハーブが大半を占める。高級なものはありそうにない。彼はがっかりして扉に手を掛けた。
中に居たのは一人の娘とひとつの死体。棺桶に眠る美女の亡骸に花を添えながら、娘は退屈そうにしていた。年の頃は彼よりも一つ二つ下に見えた。かなりの上玉だきっと売れば良い金になる。
彼は腰のナイフを抜いた。「おいお嬢さんこっちに来な。死にたくないなら言う通りにするんだな。俺はお前をそこの棺桶に詰めてやっても構わないんだぜ?」彼女はこう言った。「こんにちは。あなたはだぁれ?どうしてここにいるの?」彼女は天使のような笑顔で首を傾げて聞いてきた。怖がる様子も見せずに彼に近付いてくる。「ねぇ、これはなに?」白い指先で躊躇う事なくナイフの刃に触れてきた。裂ける皮膚。伝い滴る血。「なんだかへんなかんじがするわ。これはなに?」娘が無知な事を彼は悟った。「殺すぞ」「ころすってなに?」彼女はナイフをぎゅっと握り締めてきた。イカレてる。年端もいかない子供よりも子供じみて無垢な目。恐ろしい程澄んだ青。
「しぬってなに?ないふってなに?いたいってなに??」
スルクは答えられなかった。二番目の質問以外の答えを知らなかったからだ。死とはなんだ。痛みとはなんだ。目の前の少女はそれを知らない。死にかける程殴られた記憶がフラッシュバックする。答えは見つからない。尚も質問を繰り返してくる指をスルクは解いた。「これがナイフで、それが痛いってことだ」「いたいって、あかいのね」娘の名はカルマといった。棺桶の中身は彼女の母親で、昨日急に「起きなくなってしまった」らしい。カルマは何も知らなかった。いっそ神々しい位に無知だった。スルクはカルマのそんなイカレ具合が最高に気に入った。見ろ!世界一の馬鹿はこんな奴なんだ!これなら教会で偉そうに講釈垂れるクソ共をそっくりそのまま畑に埋めて、こいつを据えた方がよっぽどじゃねぇか!彼は気付いていなかったが本当は違っていた。彼は産まれてからずっと汚濁しか知らなかった。スラムを出て溝から這い上がってもそうだ。どんな人間の目の奥でも皆一様に濁っていた。どんな子供でも聖人でも皆、汚い色をしていた。カルマだけが違った。清浄で無知で無垢で愚かでそして、それ故に美しかった。打算も何もない。簡単な計算も読み書きも出来ない。脆弱な生き物だ。だがその皮肉な迄の無害さがスルクを癒やした。彼の魂は磨り減って疲弊し切っていた。
「わたし、スルクがすき。ずっといっしょにいようね」
何も考えない時間を彼は初めて持った。昼間は花を摘み夜はカルマの口から飛び出す「なに?」の相手をした。悪くはなかった。彼は幸せという単語を知らなかった。
数日後、食事の最中にカルマが吐いた。原因は分からなかった。スルクが作った料理を怪訝そうな表情で食べて、そして。もしかしたら、俺は本当に毒になったんだろうか。彼は恐怖した。この日この時になるまで、カルマは彼女の母親が貯蔵庫に残していた料理を食べていたのだ。逆にスルクはそれを食べていなかった。香辛料の強さに耐えられず、自分で作った不味い料理を食べていた。ごく普通の材料を使っている筈だった。ナイフを握ってきた手が毒になったのだとしか思えなかった。
カルマは目に見えて弱っていった。どんな食事を用意しても、体が固形物を受け付けないようだった。辛うじて水は飲めるが、他には茶しか無理だった。まろく滑らかだった頬がこけてゆく艶やかだった髪が褪せるばら色だった唇が乾く。ありとあらゆる食材を使って思い付く限りの調理方法を試してそれでも駄目で、彼は縋るように嘗て彼女の母親が使っていた部屋の本に貯蔵庫に残されたメモのレシピに希望を見出そうとした。しかし辺鄙な場所にある家だ。獣は滅多に寄り付かず、土が悪くて野菜も碌に育たない。彼は何度も何度も、本来行く筈だった大都市に行って食材を買っては戻ってきた。とうとう何の手段も思い付かなくなり帰路に就いた時に、小さな国に行こうとしている痩せた旅人が現れた。悲嘆する彼は激情を以て旅人を殺した。以前のような悪意からではなく、悲しみと嘆きとで人を殺した。
何故、そんな事を思い付いたのか――…
啓示だった。小麦を練って伸ばして、中に香辛料を沢山使った餡を包んで塩茹でにした。彼が作ったラビオリを彼女は食べた「おかあさんのりょうりとおなじあじがする…」カルマは綺麗にそれを食べた。スルクはただじっとそれを見ていた。カルマが眠ってからスルクは、別な部屋に行って一人で泣いた。滂沱するしかなかった。何でだ。どうしてだ。産まれて初めて零す涙は苦かった。母親に殴られても豚のような男に犯されても頭から小便を掛けられても何もかもから蔑まれても零れなかった涙が。スルクは殺した男の肉を切って持って帰って、ラビオリにしてカルマに食べさせた。臭い肉だった。香辛料を沢山使わねばならなかった。まだ余り知恵の回らなかった頃にやった空き巣の時を思い出して同じ要領で家中をひっくり返した。地下の貯蔵庫の床下で見つけ出してしまったのは日記だった。汚らしい藍色の装丁。最後のページには神経質な文字で「彼女が死んだ。私は彼女に変わってあの子を養うのが恐ろしい」書いたのは男だった。若く美しい妻を娶ってここに移り住んだ。男は妻の家族を借金漬けにして自殺に追い込んでから女を奪った。妻にされた女は精神を病んで家から出せなくなった。娘が産まれる頃老いた男は足が弱ってもう街まで行けなくなった。困窮した家族は旅人を殺して食うのを覚えた。最初に人を仕留めたのは妻だった。妻は乳離れしたばかりの娘に旅人から剥ぎ取った肉を食べさせた。これが始まりだった狂った母親は娘に人肉だけを食べさせて育てた。
スルクは知っている。産まれた時からずっと同じものだけを食べて育った人間は他の食物を受け付けなくなる。十の年を五年も過ぎてしまえばどうやっても修正は利かない。カルマは驚く程無知で無力だ料理ひとつ洗濯ひとつ出来ない。自分の口に運ぶものがどうやって作られているのか知らない。道理も道徳も死も痛みも全て。花の名とやさしい言葉しか知らない。それだけしか母親から教わらなかったのだ。思えば来る途中殺した爺さんは彼女の父親だったろう。棺桶で眠る美女は彼女の母親だったろう。どちらもボロを着て手は荒れていた。彼女だけが人形のように可憐な衣服を纏っている。そう育てられた。母親の為に。だからあんな瞳が出来た。
カルマ、カルマカルマカルマ!
世界の何もかもが敵で誰も彼も汚らしかった。カルマ以外全て醜かった。カルマだけが美しく優しかった。カルマだけが自分の面影を微塵も持っていなかった。青い瞳に映る世界だけが憎らしい程清浄だった。
「カルマ、お前の食事は俺が作るよ」
母親の味が戻ってきたのを喜んで、カルマは沢山母親の話をした。一緒に暮らしていた老人が居た事も話した。「おかあさんがおしえてくれたの。ここにあるはな、ぜんぶ。あとね、あいしてる、と、だいすき、もわたししってるよ。いつもおかあさんがカルマ、だいすきだよってあいしてるわっていってたから」凡そ、人が理想とする母親の姿がそこにはあった。スルクが鼻で笑って切り捨てた、幻想の。毎日料理をして食事を食べさせて愛を囁く柔らかくしなやかな手の持ち主。
毎日、青い瞳はスルクを捉え、名を呼んで微笑む。街で人を仕留めるのは山で鹿を追うよりも簡単だった目立たずに人を殺すようになって料理の腕さえ上がっていった。料理をした後に必ず吐いた。カルマと同じものを食べようとしても体が受け付けられない。胃から酸っぱい液と混ざってせり上がり喉を突いてしまう。ひたすら悲しかった。
とうとうある日、ヒト喰いを探す警吏がやって来た。スルクはいち早くそれを察したがもう遅かった。家の中しか知らないカルマの足では逃げられない。スルク一人なら逃げられる。するとどうだ?考えてみろ。カルマはどうなる?人間しか食えない娘がどうなるのか。蔑まれて殴られて犯されて?ガキだった俺と同じように?あの目が濁って汚れて穢れてしまう。何時から俺はこんなに弱くなったんだ。昔なら良かった何もかも汚いだけの世界なら何処までも強くなれただけど駄目だもう知ってしまった。世界は、カルマはきれいだ。どうしようもない位、きれいだ。細い肩を掴む「出てこい!人喰い!」「ねぇスルク、あれはなぁに?」「カルマ、聞くな」「どうして?」「どうしてもだ」「わたしみてきたい」「なぁカルマ、お前、俺に聞いたよな?」腰からナイフを抜く「今、教えてやるよ」銀色の刃が白い掌の皮膚を裂いた「これが痛い、だ」証の傷「それで」舌を這わせて滴る血を舐めた。彼に取って最初で最後の食人。
「これが死ぬ、って事だ」
左手で抱き寄せて右手で喉を貫いた。ぶつり。引き抜くと同時に脈動と連動し流れる赤。臭みはない。香辛料の齎す効果。
「カルマ」
そっと体を床に横たえて瞼をそっと閉じさせて涙を一粒添えて、口付けた。まだ温かい。
殺しには慣れている今日もしくじらなかった。大丈夫だ苦しまなくて済んだ。大丈夫だ。もう、怖い事など何もない。
「そこまでだ!人喰いの悪鬼め!」
彼にはもう、何をする気もなかった。何処へも行きたくはなかった。








手首に嵌る木と鉄の枷は存外軽かった。
長い道を裸足で歩いた。乾いた石畳の道。見物人が投げた石の幾つかが頭に当たって血が出たが気にならなかった。木で組んだ台が見える。太陽に鈍色が煌めいている。
階段を上る。首と両手に枷が嵌る。跪いて。
「カルマ」
あいしてる。
縄が切断されて巨大な刃物が真っ直ぐに落ちて、残響で最後の言葉は誰の耳にも届かなかった。歓声が轟く。
ただ雲一つない空だけが、ヒト喰いの瞳と同じ色をしていた。
































排水路のスルク、人喰いのスルクが処刑された跡を、一人の男が見ていた。
男は警吏の長で明晰だった。部下に捕縛されるスルクを横目に、家の中を見回して、離れた林の中にある夥しい数の髑髏を見た。
彼は聞いた「これは本当はお前の仕業ではないだろう。お前は盗みも殺しもしたがただ食人だけはしなかった。第一、街を転々としていたお前がこれだけの数を殺して食える筈がない」ちらりと殺された娘を見やると、少年は泣きながら「違う。全部俺がやった全部俺が食った。あの娘もこれから食うつもりだった。俺はスルク。人喰いのスルク。稀代の大悪党に出来ない事があると思うか?全部俺がやった。全部俺がやったんだ。頼む。後生だ。俺がやったんだ。あいつは関係ない。あいつは俺が殺したんだ。全部全部俺がやったんだあいつの目は俺なんかとは違うんだ。なぁ頼むよ頼むから」彼は少年に質問するのを止めた。少年は少年でしかなかった。
諾々と刑場に引きずられていって、ギロチンが彼の首を跳ねた。
空は青く澄んでいて、雲一つなかった。
彼は知っていただろうか、最期に見るものが、自分の目と同じ色をしていたのだと。







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