貴方を置いてゆくかなしみと、貴方に置いてゆかれるかなしみと。 暖かな日差しが、軒下に零れる昼下がり。 「ありがとね美月屋さん、また来るよ」 「ありがとうございました。お待ちしております」 店に訪れていた客を見送ると、徳勝は居間に戻って針箱を手にした。 台所から、湯呑みを持った陽七が現れる。短く礼を言うと、徳勝は煎茶を啜った。 「…美月さん…?」 その面持ちに、陰りを見る。 (朝から、ずっとこうだ) 「どうしました?」 「…何か、悩みとかあるんですか」 一瞬だけ目を見開いた徳勝は、すぐに手元の羽織に視線を戻した。その姿が、何故か小さく見えた。 「……先日」 躊躇いがちに口を開く。目を伏せたまま、続きを喉から押し出そうとする。 「……先日。お唐さんとお役所へ行った時」 「………」 「私は、刀を使ってしまった」 「…え?」 そう言ったきり黙り込む。陽七は慌てて、俯いたままの徳勝に近づいた。 「それが、気になっていたんですか?」 「………」 「で、でもあれは仕方なかったじゃないですか!使ったのもただの木刀だし、」 ゆっくりと、首を横に振る。いけないのです、と呟く声は酷く掠れていた。 「いけないのです。…暴力に、変わりはありません。私はお役人様方に、とんだことを…」 「お唐さんや美月さん自身を守るためですよ!何も悪くな」 「いけないのです、陽七」 今度ははっきりと、陽七の目を見て答える徳勝。その目がどこか泣きだしそうに濡れていて、陽七は思わず言葉を失った。 「如何なる事情であれ、人を傷つけるのはいけないのです」 徳勝はそう言うと、針箱から刺繍糸を取り出した。 (多分そこには、訳があるのだろう) それ以上は問わなかった。問うてはならないと、悲しい目が言外に物語っていた。 貴方を置いてゆくかなしみと、貴方に置いてゆかれるかなしみと。 (いつか、教えて貰えるだろうか) [*前へ][次へ#] [戻る] |