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特別書物
はじまり〜再起〜




聞こえる





「もう彼女の目は覚めたの?」


聞き覚えのある少女の声。
名前は確か…、…。



「いいや、まだだ。思った以上に傷が深くてな」



もう一人の老人の声。
こちらにも聞き覚えがある。

私の唯一の肉親…祖父の声。


どうやら眠っている私の横で二人が話し合っているようで
会話の内容から察するに私の事で意見を交わしているようでした。


「そう、私から聞きたい事があったのだけれど…」

「それは私もだ、お前にはカイライの事で聞かなければならないことが山のようにある」

「あなたの質問?お断りよ、私は『サーヴァント』の言葉しか聞かないわ…それに彼女が目覚める前に私は準備しなければならない」

「準備だと?」

「ええ、その娘が真に力を有するものだとするなら…放っておけないもの」

「…彼女を、あなたの孫を悪の道へと向かわせていいのかしら?」


悪の道―――。

誰が決めたと言うのです
何が悪なのか

貴女は天秤を持つものだとでも?
貴女は全てを裁けるのですか?



「―――――」


「嫌そうね、だったら私の道を阻まないで。私はこれから眠らなければならないの」

「…ねぇ、リリン。私は…あなたをどうすればいいのかしらね」


私は―――
貴女を許せない

彼を奪った貴女を…決して…




――――――――――



――――――――――





「とても良い夢を見られていますねぇ…」


誰でしょうか?


知らない声が響き渡る


男性の声に聞こえるけれど、どこか違和感を感じる


「私の事など良いのです、大事なのは貴女だ」


私…?
私がなにかしたというのですか


「いえ、貴女自身が何かをした訳ではありませんよ。ただ…これからの身の振り方と言いますか…生き方をですね」


生き方…

だとしたら余計なお世話だと言い返します
私が、私であり続けることに異議があるならハッキリと言って欲しい
他者であるあなたにそこまで干渉されるいわれはないのですから。


「失礼致しました、なにぶん…高貴な方とお話するのは慣れていなくて…」


不愉快です
今の私が高貴?…汚点ひとつない潔白な乙女だと?
姿も見せずに一方的に囁く臆病者が、なにを偉そうに。


「然り、私はとても臆病なのです…故に力持つ貴女がとても恐ろしい」

なら大人しく消えなさい
私は以前と違い、命を奪うことに対しての躊躇ためらいは薄くなってきています
その気になれば引きずり出すことも簡単にできますよ

「いえいえ、それでは意味がない。」

「私はただ、貴女に気が付いてほしいだけなのですよ」

世迷言を。
あなた風情に諭される様な事など有る訳が――――


「やれやれ、何を言っても冷やかしに聞こえてしまうご様子。では…そうですねぇ」

「スレイブ、サーヴァントでしたか…彼への気持ちが今も揺らいでいますね」


――――。


「彼に会えるとしたら、私の言葉も多少は信じてもらえるのでは?」


ありえません
あの戦いで彼は失われた。
それに、『願いの力』を有している私に彼が会う道理がありませんから


「それはケジメ、というやつですか?」
「今、ご自分で彼に会うことは簡単にできるが敢えてしない…そう言っていることに気が付かれていますか?」


――――いちいちしゃくに障る。


「まぁまぁ。でも…彼の方はどうでしょうね」

「貴女に何かを伝えたがっていますよ?」


戯言を。
彼が今の私に会いたがるわけ―――
私は、彼に嫌われて――――


「いえいえ、それは貴女が自己嫌悪に陥っているだけ。」

「彼は今も貴女を慕い、守りたいと思っている」

「故に彼は貴女にそう告げたはずですよ?」


――――、本当に―――?



「ええ、彼が待っています。お話の続きはその後でも問題ないでしょう」



―――。



「なにを躊躇うのです、彼が待ちくたびれていますよ…さぁ!」




―――――――――――



―――――――――――



正体不明の悪魔に誘われるかのように私は口車に乗って意識をより深い眠りへと落とし込む。

暗い海へと身を投げたかのように勢いよく
けれどもゆっくりとした落ち着きのある夢の微睡まどろみに体は悲鳴をあげることなく溶け込んでいく。




声が聞こえる



どこか遠い場所から
心地よく、温かな気持ちにさせてくれる声たち。


ああ、懐かしい家族の声…


私は今、とても嬉しい気持ちで満たされている。


体が羽のように軽く感じられる。
ふわふわと、漂うように舞っている

視界が晴れやかになり景色が暗闇から鮮やかな青へと移り変わった。



「――――すごい」


これは…夢、なのでしょうか?

空を飛んでいるのできっとそうなのでしょう。
足元を見ると広大な土地に息吹くヒトの営みの情景

見覚えがある


ここは、マヌカン

私が産まれ、育った場所…

でも何かが違う
既視感があるけれども、建物の造形にどこか違和感が…


もっと詳しく調べてみることにしましょう




「―――これは…?」


地に足をつき
道行くヒトたちを避ける様に歩を進める

…ここで新しい異変を感じ取る


私は、マヌカンの王族。
自意識過剰かも知れないけれど、民達には認識されていたはず…
なのに、この世界では私を見るものは誰一人としていない…


「当然ですか…夢なのだから」


近くの店のショーケースに手を触れると、ガラスを突き抜けてしまう

これではまるで幽霊。
もっとも、夢なんてどれもそうなのかもしれませんけど…


「ん…?」

ふと、ショーケースに掲示されていた貼紙に目が留まる

リリン・マヌカン姫の生誕祭…?



それも私が七つの時の…?

「どうして十年前の夢を…しかも、この時期だなんて」


悪趣味

先ほどの『アレ』がしでかしているのでしょうか?
自分が見ている夢とは言え、あの事件を蒸し返すだなんて…

ともかく、今見ている夢が過去のものであり、どの時代なのか理解はできました。

最初に感じた街並みの違和感はこれだったのでしょう

今はない建物が散見され
民達の身だしなみも、当時の流行りもの。

故に現代を生きる私には異変として認識された


「…、」

手が突き抜けたままのガラスケースを再び見つめる
そこにうっすらと写る景色は背後を反射させたもの。


マヌカン族のヒトたちが行き交う街の流れ
そして、それを見つめる私の姿


ガラスには姿は写っているものの、相変わらず他者には認知されていない

不思議な感覚…
いっそのこと、この状況を受け入れて
吹っ切れて楽しんだ方が良いのかもしれませんね。


だって、この後の惨劇を追体験しなければならないのなら…


せめて…せめてと
良い思いを少しでも感じなければ




この世界を、きっと…呪い殺してしまいそうなのだから…











――――――――――



――――――――――






グルメ


ファッション


映画


遊楽



どれも微かに記憶に存在する
セピア色に染まった思い出たち


子供の頃には輝かしく見えて
ああ、いつか私も早く大人になりたい

そう思わせてくれてたものが色褪せて見える


陳腐化したワケではない
これは、きっと私の価値観の問題なのでしょう

マケットとピース
二つの世界と手を携えて、交易した結果にマヌカンを含めたそれぞれの国は豊かになりました


物が増え
選択肢も、見える世界さえ拡がった


望めば手に入る
掴めば成し得る


……想いを言葉にすれば、全てが意のままに。


エゴかもしれない
それでもいいのでは?

立ちどまって足踏みするより
誰かの助けを待って自分から動かないよりはマシです

でも…
自らの足で歩いたからと言って、良い結果が付いてくると言うわけでもなく、



「――――結局、ここに行きついてしまうのですね」


その証拠と言わんばかりに来たくなかった場所へと訪れてしまう。


マヌカン城
そこに用意されている、特設の祭場はとても華やかなものでした


一瞬だけ、その場所が焼きただれ
鮮血と焦げた肉によってけがされた醜悪な場所に見えたのは
後に起きる、その事実を知っているからなのかも…



「私に何を見せたいのです」

「何をさせたいのですか」


先の戦いで失ったはずの顔の左側に触れる

肌とは違う
冷たい感触


手に伝わる、微かな振動は『彼』のものと似ているはずなのに
どうして、こうも凍てついているのでしょうか


抱く感情は嫌悪。


この景色はきっと
空洞と化した左眼が見せている
悪趣味な『アレ』が手を回したにしては精巧すぎる夢。

戒めか
それとも懺悔でもさせたいのでしょうか


悪辣


自然と歪む右側の頬肉が刻む表情が自分でもわかる
許されるならこの空洞を爪でえぐり、脳髄まで掻き出してしまいたい


邪魔

邪魔…っ!!!



「あら、リリン…こんな所にいたの?」


「――――!?」


突然の呼びかけに背筋が凍りついたかのようだった

見つかった?
誰にも存在を知られることはなかったのに…?


どうして

いいえ、そんな事よりも今の声って―――


リコリィ「ほら、そんなところでぼーっとしてないで…こっちにいらっしゃい」


「お…母さま…?」


間違いない
今はもう居ないはずの私の母親…

あの時のままの母がそこに居る。


溢れ出そうとする感情の渦を、どうにかして胸中に留めるべく地に膝をつき、深く呼吸をする。


「ハァ―!、―――ハァ!」


落ち着いて

落ち着きなさい、リリン・マヌカン。


これはきっと好機


夢とは言え、母が目の前に居る
伝えられなかった想いを、言葉にすることだって叶うはず…

願いの力などいらない
ただ、純粋に想いを伝えるだけなのだから――――


リリン「うん、お母さま!」



「――――え?」


私の中から聞こえる
幼い少女の声

信じてやまなかった微かな希望は音を立てて崩れ去る


母の元へと駆け寄る幼子の姿もまた―――


「わた―――し?」



あの頃の私のまま…。




―――――

わたし
  ――――

――――わた、し

   ――――わ  ―――   ――
リリン
  ―――

リ――――わたし

――私、私私!
 ―――――

私は         ――――リリン

―――――


ちがう


―――――――


頭の中を駆け巡る自問自答の言葉

絶えず私が私であることを認めようと訴えても私がそれを許さない


私が頭を抱えてうずくまっていても母は助けてはくれない



リコリィ「ふふ、あなたももう七歳なのね…おっきくなって…」

リリン「むぅ、それなら軽々と持ち上げないで欲しいです!」

リコリィ「あらあら、じゃあこの辺にしておきましょうか?」

リリン「もっと抱っこしてください!」






    

         
 

             



      
  








「……」     

重かった体が急激に軽く感じられて、何事もなかったかのように立ち上がることができた。

深くため息をつく。
乱れた心はいつの間にか落ち着きを取り戻し、心臓の鼓動も大人しくなった
 

ピースの友達から聞いたことがある
仲人族は昔の家庭の記録を映像媒体に記憶させ
後に思い出として見返すのだとか

それらをヒントにマヌカンとマケットも魔法で似たような事が出来るようになったのだけれど
この頃にはそんな話はまだなかったから…

きっと、ホームビデオ…というものはこういう感じなのかなと。
ただ違うのは…


手を伸ばせば触れられる距離なのに

実際にその場の空気を感じられるのに何もできない


そんな…もどかしさだけが募るばかり



「もういいでしょう?」

「これ以上私の心にまであなを空けないでください」

「望みはなに?」

「こんなことをしてどうしようと言うのです。」

「私にヒトのココロを棄てさせるための前段階とでも言いたいのでしょうか」



もう十分に…充分に…


右側の頬が濡れていて気持ち悪い
手持ちのハンカチで軽く拭い、見ているのが辛くてこの場を立ち去ろうとした時だった



「こちらにいらっしゃったのですか、姫様方」



リコリィ「あら、あらあら!!」


声の主の方へと視線を向ける。
そこには朱色の髪をなびかせた男物のスーツを着こなす大人びた印象を持った少女が立っていた


もしかして…


リコリィ「キショウブちゃん、あなたも来てくれたのね…嬉しいわぁ…」

キショウブ「リーフェ様にとって良き日である様に願ったまでですよ」


やっぱり…
幼さを少し残してはいるけれど
とても豊かな体つきに、知りうる彼女に通じるお淑やかな雰囲気

彼の姉は、この頃からしっかり者だったのですね…


キショウブ「貴方たち、挨拶をなさい…要人の前ですよ」

彼女の後ろから二つの影が姿を現す

気配が感じられなかった
もしかして何かの魔法で姿や気配を消していたのでしょうか


でも…そんな事なんてどうでもいい程に現れた二人がとても衝撃的で、思わず固唾を呑んでしまう


ネメシス「うっす、兄姫あにひめ

スレイブ「……どうも」


彼らは……、いえ…




スレイブ「―――――」




魔力の波長からして…彼が…以前の…



「サーヴァ…」


思わず走り寄ってしまいそうになるも
まるで自分以外の誰かが制止するようにその場に踏みとどまる。



声を掛けてはならない、と…。



「どうして…」


歩を進めたくても、体が言う事を聞かない
目の前に透明な壁が立ち塞がっていて邪魔するかのように
私と彼の距離を一定に保ち続ける


近づきたい

触れたい


気付いて欲しい


私はここだと

貴方のすぐ傍にいる


お願いだから




絶えず言葉を口にしようとしても
唇は一切動かない

舌も回らず
悪戯に呼吸を乱すだけ


彼への問いかけは届くこともなく、声を発する為の一切の余地もない


そして、私がもがいている間
時が止まったかのように誰も動かなかった

失意の末、膝を着く

どうしようもないほどに、この夢は残酷で…。


いっそ舌でも噛み切って死んでしまおうか
そう悩んでいた時にまた新たな声が聞こえてきたのです


「お前達…まともな挨拶くらいできないのか…」


リコリィ「あらっあらぁ!」


目を輝かせて駆け出す母の姿に驚く
あんな表情を見せる事もあったんだ…

母が向かった先には一人の青年がいる。
髪は純白に等しく
今日の為に着こなしたスーツがとても似合う爽やかな立ち姿

誰だろう

私の家族にはあのようなヒトはいなかった
母の友達…?

マヌカン族に見えるけれど…


リコリィ「その声、あなたアレースね?」

アレース「流石です、よくぞ見破られた」


彼が…?
アレース、確か彼の兄弟機で…後に敗れてオアシスへと変貌したはず…

トガタであるはずの彼がどうしてヒトの姿を…


リコリィ「とっても似合ってるわぁ…、魔法かしら?」

アレース「スレイブの魔法で視覚に干渉してるものらしいです、私は原理までは把握しておりませんが…」

アレース「半日程度でしたら、この姿を維持できるとの事。」

アレース「祭事は私が補佐させて頂きます故、どうぞ存分に羽を伸ばされて結構ですよ」



知りませんでした…。

母の表情もそうだけれど
彼の兄…アレースも楽し気に話していて

戦う姿しか見ていなかったからか
こうして落ち着いた雰囲気で饒舌じょうぜつに語り合う姿を見ていると…


「まるで…ヒト。」


トガタとは一体なんなのだろうと、そう考えざるを得なくなっていました…

ヒトとなんら変わらない思考
思いやりの見える配慮
敬愛

私が彼に感じていたものと変わらない

いいえ、ヒト同士の交流と変わりないものがそこにある


トガタは―――ヒト、なのですか?



リコリィ「助かるわぁ、あなたが居ると行ける範囲がグッと拡がるの」

リコリィ「この子の補佐も頼めるかしら?」

アレース「もちろんです、リリン姫もいかがですか…?」


リリン「――――?」

幼い私は母の表情を見てから
同じ目線まで屈むアレースを次に。

そして見下ろすように立ち尽くしている残りの二人を見て
一言、こう告げたのだ


リリン「コワイです」


ネメシス「ぶ、わっはははは!!」

ネメシス「コワイです、だってよぉぉ!ひひひ!」


アレース「−−−−−−」

額に手を当てて仰け反り笑うネメシスを横目に
兄であるアレースは笑みを浮かべながらとても怒っていた


リリン「とくにあなた、あなたです」

スレイブ「―――ん?」

リリン「もっと、こう…笑えたりしないのですか?」

ネメシス「ヒャぁあ!こりゃ傑作だぜ、姫ちゃまっソイツにゃ無理な話だ!」

ネメシス「ぶっへぇ!?」

ひとり笑い転げる彼を、言葉の通り蹴り飛ばすのは
今まで傍らに立ち、辺りの気配を探っていた彼女だった


キショウブ「失礼、姫様方そろそろ向かわれた方がいいかと」

リコリィ「あら、もうそんな時間かしら…」


アレース「とんだ失礼を、奴には後で言い聞かせて置きますので…」

リコリィ「いいのよぉ、弟君はあれで…元気が一番よ?」

アレース「…奴には勿体ないお言葉…恐れ入ります」


それぞれが話を進める中、幼い私はあの日の彼へと歩み寄る


リリン「あの…」

スレイブ「なにか?」


なにを尋ねるために向かったのでしょう
再び彼を恐ろしい存在とさげすむ為に近寄ったわけではないと思いたい


リリン「手を、引いていただけますか?」

スレイブ「――――」

リコリィ「あら、あらあらぁ…」


、そうでした…

私は、あの頃から彼の事が気になっていた


笑えなかった彼を、どうにかして笑わせるために…

キッカケはそれだけかも知れないけれど
そこから一歩、また一歩と私はあなたの事を知って…好きになる

彼は幼い私の申し出を受け入れ
小さな手を握り、立ち上がる――――



リリン「………おょ…?」


アレース「ば、莫迦バカか貴様!?早く降ろせ!静かに、丁寧にだ!」

リコリィ「うふふ…」


慌てふためくアレースを他所に彼は、幼い私の片手を握り
特に意に介さず、そのまま立ち上がっただけ

つまり、身長差のある少女ではそれにぶら下がる形となり


リリン「―――ちゅうぶらりん…」


まるで振り子のように揺られていた




――――――――――



――――――――――




ギギ…
、っ」


突然の頭痛が襲う
ただの痛みではなく、何かがおかしい

視界が湾曲する、というか…見ているものとは違った景色が見えてくる
そんな感じがとても強くて、気持ち悪い

それに耳も―――変な雑音が混じっていて耳障り…


倦怠感を拭えないまま
立ち去る皆を追うように祭場を一度後にして城内へ向かう。

ここで化粧や装飾を済ませて再び祭場に戻る手筈となっている


城内を進む一向はとても微笑ましい雰囲気に包まれていた


リコリィ「あなた達も、とっても素敵な紳士に見えるわぁ」

ネメシス「ッけ、そうですかよ…はいはい」

金色の装飾がされた黒のスーツに黒髪
紅い瞳が特徴の男性がネメシス

そして、その傍らにはもう一人


スレイブ「―――」


銀の装飾をされた黒のスーツに身を包む彼。
ネメシスと酷似した姿だけれど瞳の色と髪の色が違う
蛍光色に近い緑色の瞳とアレースと同じ白髪。

彼の腕の中で幼い私は抱きかかえられたまま、寝息を立てている


リコリィ「すっかりあなたの事気にいったみたいね」

リコリィ「安心して眠ってて…ふふ…」


リコリィ「まるで、小さなころの私とアレースみたい」

ネメシス「ぁ?、なになに兄姫は昔のコイツ知ってんの?」

アレース「ネメシス」

母が不意に溢した言葉に食いつくようにネメシスは質問をし
隣ではアレースが低い声でそれを律していたが、話し始めた母の目に再び星が煌めいていた。

リコリィ「そうねぇ、私はマヌカン家に嫁いで来てからアレースを従えたのだけれど…ほら、私って一般の出でしょ?」

リコリィ「王族としてのマナーだとか教養を教え込まれたりして結構参っていたの」

リコリィ「そしたら、アレースがね『憂さ晴らしに軽く拳を交えませんか?』って」

ネメシス「ほーん、お前…子供相手に暴力とか…それ露呈してたら首飛ぶぞ」

リコリィ「あ、ごめんなさい。さっきのはあくまで『小さな私を抱っこしてるアレースを見てるみたい』であって嫁いできたのは大人になってからよ?」

アレース「―――姫様、それ以上は。」

母が語る昔話に興味津々な面々。
ネメシスはニヤけながらアレースの行いを非難し
幼い私を抱く彼は傍らでその光景を眺めるだけ

肝心のアレースは無表情を貫こうとしているけれど頬が微かに紅潮し、恥じらいか
複雑そうな面持ちで母にそれ以上語らないように願い出るのに懸命でした

リコリィ「私はね、あなた達トガタとヒトが寄り添える世界が作れればいいのよ…」

リコリィ「その点で言うとネメシス、あなたとリーフェはとてもいい関係…って、」

リコリィ「そういえば、ネメシス…リーフェはいつ頃来るのかしら?」

母は、眠っている幼い私の頬を撫でながら
背中を丸くして不良のように歩くネメシスに彼の主で私の叔母であるリーフェの所在を尋ねた途端に彼の態度に大きな変化が見られた


ネメシス「あのガキならあと数分で来る、用意は出来ていたので祭事には間に合うか―ってとこだな」

リコリィ「流石ね、以心伝心…というやつかしら」

ネメシス「っハ、腐れ縁だよ小娘とは。」

アレース「無礼だぞ、いい加減口をつぐめ」

ネメシス「事実だ、俺はあいつをガキと思ってるし、あいつは俺を…遊び相手にしか思ってねぇ」

リコリィ「あら、それなら私もアレースとのバトルはお遊びよ?」

ネメシス「お遊びって―――アンタまさか」

リコリィ「ええ、アレースったら演技派でよく殴られたふりをしてくれるの…優しいわよね?」


スレイブ「−−−−−」

ネメシス「−−−−−」

今までの会話で何かを悟ったのか二人はその場で歩くのをやめて後方で佇むアレースを眺めている


アレース「−−−−」

俯いたまま
感じる視線を受け流すようにしつつも、顔は真っ青。

どうやらアレースの反応を覗う限り、八百長などなく
本当に母に負けているというまたもや奇想天外な話だった


スレイブ「アレースって、演技できるのか」

ネメシス「できねえよ、特に闘うことに関しては絶対だ」


彼も意地があったのでしょう
決して他者に知られたくない事実を公言されてしまって今すぐにでも逃げ出したい、そんな様子で目に涙をためていた

リコリィ「ど、どうしたのアレース?…私なにかした?」

アレース「―――、いえ…なにも…」


ネメシス「おい、兄姫って実はやばいんじゃねぇの」

スレイブ「…あの細身でアレースに勝てるのか、だとしたら名実ともに主だね」

ネメシス「テメェな…ってかこの視覚干渉、気持ち悪いぐらい感情が表現できてんな…原理はなんだ?」

スレイブ「―――さぁ、ボクもわからない」


「―――」

二人の会話に耳を傾けながら思いふけ
彼ら三兄弟は決して仲が悪いわけではない

こうして何気ない会話ができているのだから…

そんな彼らを、ただ争わせる環境を作り出した原因…
きっと、この後の事件がキッカケなのでしょう

命を奪い尽くし
生き残った者からも際限なく奪い尽くす

私は―――そんな彼らになにをしてあげられるのでしょうか
…いいえ、驕るな。

できることを
私が為せることをしてあげるだけ…


胸の奥に掛かるもやを拭い切れぬまま
遅れていた二人はようやく追いついてきた

リコリィ「お待たせ、アレースったら普段はとても勇猛なのに…」

アレース「面目ない」


遅れを取り戻すかのようにテンポよく歩く二人をネメシスは黙って見つめていた

彼の心から流れ込む気持ちが汲み取れる
ネメシスは、二人の姿を自分と主であるリーフェに重ね見て思ったのでしょう


ネメシス「―――、兄姫。」

リコリィ「なにかしら?」


彼は深く息を吐いた後、母へ真っすぐな視線を向けながら口を開く。


ネメシス「俺はニンゲンが嫌いだ、だがなアンタ達…姫君達は別だ。」

ネメシス「殺しをやる俺達に分け隔てなく接するアンタ達は紛れもなく異端だが嫌いじゃねぇ…だからよ、アンタ達を害する奴がいるなら、それは俺たちの敵だ。」

ネメシス「アレースはアンタを守るし、リーフェは俺が守る。」


リーフェ「――――――、ええ。これからもあの子のことお願いね…ネメシス」

ネメシス「御意に、必ずや。」

リコリィ「よしなに…」

言葉遣いは微妙に荒々しいが、こと契約者たるリーフェの話となると
丸めた背中を正すらしい

その姿を見て、母は笑ったりせず
とても安心した表情のまま頷いていた



――――――――――


――――――――――


控え室を兼ねた一室で一同は腰を落ち着かせていた
相変わらず、幼い私は彼の腕に抱かれたまま眠っている


リコリィ「ふぅ…やっぱりあなたの淹れる紅茶は美味しいわぁ…」

アレース「ありがとうございます」


先ほどたくさん話したからでしょうか、特に話題は持ち上がらず
アレースが淹れてくれた紅茶を皆で飲んで枯れた喉を潤し過ごしていた時でした


キショウブ「お連れしました」

「っっふうううう、危ない危ない…遅れるところだった、の!」

扉が勢いよく開かれると
キショウブに連れられた車椅子に乗る女性が一人、
とても軽快な声を上げて入ってくる


彼女は、とても似ている…

もしかして…


ネメシス「遅刻だ、トロトロしてっからこうなるんだよボケ」

「あー!またそういう言い方して、あるじに対して失礼よ君ホント、ふ!」

深く腰掛けて休んでいたネメシスが誰よりも早く立ち上がり車椅子の女性のもとへと寄り添いながら悪態を吐く
その様子を眺めていた母は、口元に手を添えながら微笑んでいた


リコリィ「ふふ、長旅ご苦労さまね…アレースの紅茶、飲む?」

「のむのむぅ!アレース君の紅茶、ほんと好きなの、ん!」

アレース「畏まりました、少々お待ちくださいリーフェ様」


アレースが口にした名前、

やはり…
赤毛に整った顔立ち
マヌカン族の女性は確かに、私の友達であるシンシアに似た雰囲気を持っている

このヒトが私の叔母であり…マケット王妃であるリーフェ…。

でも…
当時全く気にしなかったけれど
叔母は、足が悪かった…

なぜなのか
理由を知りたくてもあの頃の事を知る者はほとんどいませんし

聞けたところで口を開いてくれるかどうか…。


アレース「どうぞ、姫様」

リーフェ「ありがと、アレース君っ頂きまーす、…あちちっ」


……

いいえ、そんな事気にしなくていいのでしょう

彼女はそんな不利を背負っても
こうして元気に笑っているのだから




――――――――――


――――――――――




数分後、マケットからの長旅を労う為の小休憩を堪能した彼女は
大事な祭事に備えて着替えてくると言う

そう
この祭事にはあの日の私の生誕祭に加えてもう一つ、大切なものがある

キショウブ「ご案内いたします、ウェディングドレスの用意は既に。」

リコリィ「いよいよね、楽しみにしてるわ」

リーフェ「ありがと、行って来る、の」


マケット王と、マヌカンの姫たる彼女の結婚式
既に娘であるシンシアは産まれていて
当時の私と同じ七歳になる

今更だけれど、争いをしていた二つの種族が手を携えるには
こうした政略結婚に等しいものが必要なのだと
後に私は知ることになる

…本当の愛っていったいなんなのでしょう…



キショウブ「私がご案内いたしますので、皆さまもどうか祭場にてお待ちを…」

リーフェ「待って、同行者はネメシスに頼むわ、ん…」

キショウブが車椅子を押そうとした時だった

彼女から付人ならネメシスが良いと
そう申し出た時、キショウブから懐疑な視線がネメシスに投げかけられていた


キショウブ「しかし彼は一応男性ですし…」

リーフェ「――――――」


キショウブ「…わかりました、ネメシス。彼女をお連れしなさい」

ネメシス「あいよ、安心しな。扉までだ後は中に侍女共がいるんだろ?」

キショウブ「もちろん、あなたは送り迎えだけになさい」

ネメシス「肝に銘じておくよ、副責任者様」

彼女の、リーフェの視線に耐え切れず
キショウブは申し出を受け入れるほかに選択肢はなかった


ネメシスは彼女の申し出に嫌そうな表情ひとつ見せず
キショウブから車椅子のハンドルを預かると、部屋をあとにする


キショウブ「―――大丈夫かしら」

アレース「問題はないだろう、普段の素行はどうであれ…リーフェ様に関しては奴ほど信頼できる者はいない」

リコリィ「そうよぉ、彼ならどんな場所にだって連れて行っても安心できるもの」

リコリィ「私もお化粧しなきゃ、アレースは外の警備を…スレイブは娘をお願いね」


アレース「御意に」

スレイブ「――――」



リコリィ「ねぇ、スレイブ」


母は部屋を出る前の彼を呼び止める

彼は表情を一切変える事無く
母の方へと向きを変え、ただ立ち尽くしていた


リコリィ「あなた、娘の契約者にならない?」

スレイブ「―――――」


リコリィ「返事は今すぐでなくていいの、ただその子もそろそろね…」

リコリィ「あなたなら任せられる気がする、だってアレースやネメシスの弟なんですもの」


彼は応えなかった

ただジッと、腕に抱かれたまま眠っている幼い私を眺めたままでした


アレース「答えろ、姫様の問いだぞ」

リコリィ「いいのよ、私が無理強いしてるだけだから…あなた達にも断る権利はあるわ」


スレイブ「ボクが…」


スレイブ「ボクが殺すことしかできないから…」

リコリィ「……」

彼の声はとても小さなものでした。
少しの風でもかき消される、囁きのようで…自分を信じられず、なにも出来ないと決めつける弱者そのもの。

母は彼の言葉を遮ることなく、黙って聞いていました


スレイブ「殺すことでしかきっと守れない」

スレイブ「誰かを守る為に戦うのはボクには不要なことだから」

スレイブ「だから…できません」


暫しの間、一室が静寂に満たされる
普段なら彼の兄であるアレースが咎めるのでしょう。

けれども、誰も言葉を口にしない
全面的な肯定の証である無言は、
以前の彼が本当にただ殺す事しか知らないことへの裏付けでした。

そんな重い空気の中でも、母だけはずっと微笑んだまま


リコリィ「いいのよ、あなたはそのままでも」


スレイブ「え―――?」


リコリィ「私が言えるのはただひとつだけ。」


リコリィ「あなたが必要になったら契約なさい、それがキッカケになるわ。」

リコリィ「娘もあなたに守ってもらうための対価を差し出します」

リコリィ「故に、必要なのはあなたの環境なの」


スレイブ「環境…?」

リコリィ「言葉通りの環境だったり心の変化も入っているわ」


スレイブ「―――、すみません…やはり、よくわからないです」

リコリィ「…いいのよ、それで」


リコリィ「あなたが自分を見付けられていないのは成長しているから」

リコリィ「あなたは自分が信じたことをすればいい、リリンの為でもない」

リコリィ「あなた自身の為に…ね。…頼んだ私が言うのも烏滸おこがましいのだけれど」


キショウブ「それはありません、姫様からの貴重なお言葉…彼には勿体ないものばかりです」


リコリィ「いいえ、キショウブちゃん…彼も心がある。だからヒトと変わらないのよ?」

リコリィ「ホントの事を言うとね、私…リーフェとネメシスが結ばれると思っていたの」


キショウブ「は?」


母の突然の言葉に彼女は素っ頓狂な反応をしてしまう
私にとっては特に意に介することではないのだけれど、普通の…ごく一般的なヒトからしたら当たり前の反応でした。


リコリィ「馬鹿なことって思う?でもね私はそうは思わないの」

キショウブ「…ありえません、彼らはヒトではなくトガタ…」

リコリィ「いいえ、その心にあるものはヒトそのものよ」

キショウブ「理解できません、彼らは所詮モノだ…感情も演出的な立ち振る舞いもすべて組み込まれた――――」


リコリィ「あなた、恋をしたことある?」


キショウブ「――――ありません」

リコリィ「では、愛は?」

キショウブ「―――さっきからなんなのですか、恋や愛などと…それと彼らになんの関わりが…」


彼女の問いはもっともでした
しかし母はそれに臆することなく自身の気持ちを打ち明け続ける


リコリィ「私ね、夫に見初められてここに来たのだけれど恋はしてないわ。むしろ彼―――、アレースを見た時に心が動いたの」

アレース「む」

キショウブ「―――それはそれで問題がある発言かと」

突然のカミングアウト
その場に残っていたアレースまでもが意外と言う反応を見せる
キショウブからの糾弾もなんのそのと言わんばかりに母は、くすりと笑って見せるのです

リコリィ「ホントにね、でも事実よ?ただ…淡い恋心を抱くだけで終わり。」

リコリィ「彼も、私もお互いに思いやり、慕っているの」


キショウブ「それで、どうしてリーフェ様がネメシスと結ばれる話になるのですか」


リコリィ「リーフェは逆ねぇ…」

キショウブ「逆―――?」

リコリィ「そう、あの子はネメシスに愛を。マケット王には恋してるわ」


リコリィ「あの子、マケットに捕縛されたことがあったの…足が悪くて逃げられなくて」


母は語る
マケットとマヌカンの争いの中に起きた出来事を。

表情はとても穏やかなもので、絶えず微笑み続けながら叔母とマケット王の出会いを教えてくれました


リコリィ「戦争だからって、一方的になぶり殺すのはマケットの意に反してるって―――食客にして受け入れたのよ」

リコリィ「リーフェは馬鹿にされてるって、マケット王の寝首をかこうとしたのだけれど驚きの事実が明らかになってね?」

キショウブ「驚きの事実…、それはいったい…?」

リコリィ「王の寝室にいたのはリーフェと同い年くらいの女の子が寝てたのよ、ひとりで。」

リコリィ「夜伽よとぎの娘なら関係ないと立ち去ろうとしたのだけれど、その娘が言ったんですって…『怖気づくとはマヌカン族も丸くなったものだな』って…」


キショウブ「―――え?」

アレース「姫様、もしやそれは―――」

スレイブ「―――――…、」


多くの者達が母の話を聞いて驚いていた

ひとつの世界を治める王の素性
恐らくは聞いてはならない真実のひとつであろうという内容を口にしてしまったのだ


マケット王は―――


リコリィ「ええ、マケット王…フィチュアちゃんは女性よ?」




――――――――――




リコリィ「彼らの事、お願いね…?」


キショウブ「…善処しま、す…」


母から告げられたマケット王の正体
立て続けに語られる愛や、恋の素晴らしさに流石の彼女も気疲れを起こしたのでしょう

心なしか顔色もよくない
再三に渡る母からの願い出についに折れるしかなく、この場は障りない返事で収めることにしたようでした。



異なる価値観
見出すもの

性別や種族、垣根を超えた感情を見た私の心は抱えていた靄を払うことはなく
より一層深く、厚いものへと仕上げたような感じがして…


そして

私は、自分の意志とは別にこの場を立ち去ることにした





――――――――――


――――――――――






「広間…?」


城の外で立ち尽くしていた私は、
いつのまにか祭場近くの花がたくさん植えられた広間へと来ていたことに気が付きました


「……」


見渡す限り広がる一面の花の絨毯。
時折聞こえてくる鳥のさえずりが、心地よさを誘う

こんな所が城の敷地内にあったなんて…

今の私の記憶にない、ということは
きっとこれから起こる事件によって何かしらの被害を受けて消えた場所のひとつなのかもしれません

惜しい

こんな美しい場所が消えねばならないなんて…



「―――――― 」


「―――  」




「―――声、?」


遠くから声が聞こえる

それも会話しているようだった


「あれは…」

特に誰かに見られる、という訳ではないと言うのに
何故か物陰から覗き見てしまう自身の卑しさに苛立ちつつも
その視線の先には、二人の男女が花を眺めていた


リーフェ「きれいね、ぅ」

ネメシス「……」

リーフェ「なにか言ったらどうなの、ネメシスくん、ん」


先程から気になっていた

叔母のリーフェの話し方に違和感を感じる
必ず、言葉の最後に体を揺らしたり、一種の痙攣に近い仕草を見せている

何かの病気…?
でも母からそんな話なんて聞いたことがなかった


ネメシス「いや、こうしてお前と居られるのもあと少しと思うとな」

ネメシス「ガキの頃から面倒見てたが、情が移ったんだろ…目頭が熱くてよ」

リーフェ「あはー、そっか…スレイブ君より君の方が姫君を守るの長いんだっけ、ぃ…」


彼は空を眺めながら、自分の気持ちを一切隠さずに話している
ヒトは見かけによらない

あれだけ暴れていた印象を持つネメシスが、一人の女性に心の断片を溢しているなんて…


リーフェ「そっか、私が居なくなるの…寂しく感じてくれてるのね…っく」

リーフェ「でもね、私が嫁げば…きっと二つの世界の交流は盛んになって良くなるわ…ぅ」


ネメシス「俺が心配してるのはオメェだけだ、他の誰がどうなろうと知らねぇよ」

リーフェ「まぁ、素敵…、言葉遣いが丁寧ならもっといいのに…ぐぅ、」

ネメシス「っるせぇなガキ、ひっぱたくぞ」


彼はそう言いながら彼女の頭部を軽くはたいている
てっきり痛がって口論になるのかと思ったけれど
彼女の方はとても笑顔に頭を摩っていた


リーフェ「…」

ネメシス「おい、無理すんな…祭事にとっとけ」

何か意を決したように彼女は表情を硬くすると
車椅子に手をつき、腕を振るわせながら立ち上がる素振りを見せる

彼はそんな彼女を止めようと宥めるが、すぐに手を退かせた
とても力強い眼差しだからだ

いくら安静にして欲しいとはいえ、何かを成し遂げたいという気持ちを奪ってまで気遣うのは間違いだ


リーフェ「黙って…見て、な―――さっい…ぅぅ」

額に玉のような汗を浮かべながら
彼女は引きずる様に体を立たせると、彼の方へと振り返る


ネメシス「…リーフェ…?」

リーフェ「っ…、もうすぐ私は、その名を隠さねばなりません…マケットの王妃として、そして王の影として男性の名を冠することになります…」

リーフェ「リーフェル・マヌキア・マケット…それが新しい私の名…」

リーフェ「彼――、ううん…彼女が死した跡を継ぐ王として私は―――」


不安定な立ち姿のまま彼女は語り続ける
今にも崩れ落ちそうになりながらも

これから自分が嫁ぐ先で、どのような扱いを受けるのか
マケットの王政に隠されたしきたりを語る彼女の目は、とても辛そうだった


リーフェ「そこに、私はっ…、独りで向かわねばなりません…娘が居るとは言え…周りは皆、知らぬ者ばかり…」

リーフェ「もちろん、皆良き心の持ち主たちです…しかし…そうでは、ない…っ」

リーフェ「私は、淋しい…あなたと離れるのが、とても辛い、の」


車椅子に手を置きながら、ただ見届けている彼へと手を差し伸べる
その姿がとても美しくて、私は目が離せなかった


リーフェ「ネメシス、我が従者よ…契約者であるリーフェ・マヌカンが命じます…、」

リーフェ「契約が続く限り、私を守り続けなさい…世界の壁を越えてでも供にあると…ここに誓いなさい」


つかの間の静寂
彼は、ジッと彼女を見下ろしていた

馬鹿にすることも、あざけることもせずにただ静かに。


そしてネメシスは、深く呼吸をすると自身に掛けられている魔法を解いて元のトガタへと姿を変異させ、
彼女の手を取り、目の前に静かに跪く


ネメシス「我が躯体は姫様の為に…この契約、例え何を失ってでも果たして見せます…全て御身の為に…我が主よ」


リーフェ「よしなに…っ」

リーフェ「では、早速の任務です…、私を車椅子に座ら…せて…む」


疲れきったかのように彼女は車椅子へと身を預けてしまう
そんなリーフェの体を支えながら
ゆっくりと座らせる素振りはとても慣れてたもので、彼は普段からああやって彼女の補佐をしていたのでしょう


「―――お邪魔、でしたね…」

申し訳なかったと、軽く一礼をしてその場を立ち去る
最後に振り返って二人を見た時、とても温かな笑みを浮かべながら共に手を握り
咲きほこる花々を見て回っていた






――――――――――


――――――――――






祭場では既に多くの者達が参列していた
見たことがない顔ぶれが多く

きっと彼らは今までのマケットとマヌカンを治めるのに尽力した面々なのでしょう
誰もが凛とした顔だちで、とても良き日である一日のはずなのに少しの余裕さえ感じていない




…だから滅びるのです。
あなたたちは、もっと…平和を知るべきだった。




「マヌカン王家の方々、入られます!!」

衛兵の声に合わせて開かれる門を重い足取りで進む複数の影

その姿全てに見覚えがあった



スクワート「―――少し出遅れたか」



マヌカン王の第一子で私の父。スクワート・メルト・マヌカン



ヘル「いいや、これでいい感じだ…既に三機のトガタ達も配備してある」



カイライの総統として立ちはだかった叔父、ヘル・メルト・マヌカン



トランジェント「マケット王はまだ来ていないらしいな、小童こわっぱは寝坊か…?」

日景「いえ、細事があったとのこと対処に手間取ったようでもうすぐ来られるかと…」


若き日の祖父、マヌカン王と…その傍らには今と変わらない日景陽輝の姿…


そして…


プレジエント「吉日だってのに…どうしてこうもギラついてるのかね」


「――――っ」


彼と、サーヴァントと同じ顔をした青年…
叔父の子である…プレジエント・マヌカン…



ヘル「マケット王は私達が迎えにいく、父上は席にてお待ちを」

トランジェント「構わんよ、お前達も座れ…それよりリリンに会せてほしいものだな」

スクワート「娘なら、そう遅くなく妻と共にこちらに来ますよ…ほらあそこに。」


トランジェント「おお、人込みの中でもみくちゃに…かわいそうだ…」

スクワート「いえ、私たちが囲まれてるだけです」

ヘル「ん…、リリンは居ないみたいだな」


トランジェント「なんと…せっかくの楽しみだというのに…悲しいな」


慌ただしく祭場は動く

挨拶を交わすもの
杯に酒を注ぎ語らうもの

書類に目を通し、難しい顔をしたもの


先程も感じた、どうしても納得ができなかったものがあります


それは…



キショウブ「誰も笑ってませんね」

リコリィ「そうねぇ、せっかくの良き日だと言うのに…勿体ないわぁ」


遅れて到着した母たちが私の代わりに言葉を口にする

そう
誰も、この席で笑うものがいないのです

同じ種族でも
他種と酒を酌み交わしても

誰も油断していない


アレース「仕方ありません、今も小規模ですが戦闘は起きている」

アレース「国、世界単位では終戦しましたが細かな場所では未だに衝突が絶えない…」

リコリィ「そのための融和…いいえ、宥和が正しいかしら」

リコリィ「私達って外交や政治の道具でしかないのかしら?」

リコリィ「結局のところ、リーフェが差し出されたことになる理由ってそれだけ…?」

リコリィ「あの子の純粋な想いは…」


母の話を聞いて思い出す
たしか…母は一般の出から父に見染められたとのこと
教養が乏しかった故に結婚するまで随分と長い間城の中に拘束されたのだとか…

やっと合点がいく
そんな強制された世界で息詰まっていたのならアレースとの些細な憂さ晴らしも納得です

叔母もきっと自由が乏しい世界で見つけられた自分の気持ちを、政治に利用されてとても心苦しいはず。


それに…もう一つ気になることがある
マヌカン王家の一員として参列している彼だ

この場の雰囲気に合わせ、大人しくしているようだけれど、どう見ても居心地が悪そうで
今すぐにでも立ち去りたい…そういう顔をしていました

リコリィ「プレジエントも辛い想いをしてるはず…王子でありながら継承権を落とされて…」

リコリィ「きっと彼はリリンを良く思っていないわ…」


アレース「姫様…」

リコリィ「…ねぇアレース…誰が敵で誰が味方なの?」

リコリィ「私にはわからない…、派閥というよりももっと混沌としたものに成り果てている…」


母の苦悩はもっともだった
この時に浮彫となった勢力の見誤りと大きな溝が今になっても埋まらないまま
大きな誤算として後に響くのだから。


マケットには戦いを良しとするものと争いを収めたいもの…
マヌカンには従来の生き方こそ唯一と考えるものと他種と共に手を携えようと掲げるもの…

どの種族にも、ヒトが生きるのであれば考えは複数存在する

故に争い、傷つけあう…



「まったく…姫様は堕落なされた…マケットに嫁ぐからと気の持ちようが軽すぎる!」

「ええ、こうも遅刻するとは…いやはや…実に同じマヌカンとして恥ずかしい…」

「アレはもうマヌカン族ではないよ、ただの道具さ」


聞こえていないつもりなのでしょうか
いえ、あれは意図的に話している…。
よくも傍で王族の悪態を…

一番最初に気が付いたのは母でした。


リコリィ「…始まった」

キショウブ「これは…」

リコリィ「これが今のマヌカンよ…高潔であるらしい血をより高みへと昇華させたいだけの愚者…」

リコリィ「私が…ヒトではなく彼ら、トガタを大切するのもヒトがニンゲンとして生きられないからよ」

キショウブ「ヒトが…ニンゲンとして生きられない…」


母の言葉を重く受け止めるキショウブを他所に高官たちの嘲笑は絶えない。
こちらの雰囲気を察知したのか、叔父のヘルがゆっくりと近づいてきた


「愚かなリーフェ様…いや、下等なマケットに嫁いだ下種の娘よ…」

ヘル「貴様ら…、今なんと言った…」

同族から上がるリーフェへの疑念の声
彼女自ら志願してマケットへと嫁ぐ事を決めたことに、多くのマヌカンの高官たちは反対していた

それを押し切って実行したリーフェはマヌカンにとって裏切者に等しいでしょう

幾ら祖父、トランジェントが後押ししたからとはいえ
本人たちが決めたはずの婚約は政治の掛け金としてすり替えられ利用した形になり、一部のマヌカンの高官たちのご機嫌取りとなってしまった

それも結局は火に油を注いで終わりになってしまったけれど…


「王家の方々も…そんなだからいけないのです…我らは毅然として勝利した国の立ち振る舞いをすればいい」

「敗けた国に慈悲など与えるからつけあがる…リーフェ様をよこせと言うのも、そういう所なのですよ」


スクワート「あまりに不敬、貴様らマヌカンの者としての意義を無くしたか…」

叔父の追求に、一時冷や汗をかいた高官でしたが焦りの表情もすぐに不気味な笑みへと変化する
その有様に何かを悟ったのでしょうか
すぐ近くにいた父もやって来て初めは憤慨こそしては居ましたが、諦めの意志が籠った物言いで彼らを咎めます


「不敬!?これは異なことを…崇高なる血脈を堕落させたのはあなたの娘ではないか!」

「言の葉の力など抱えこませ…王は未だに過去の事を引きずっておられる」

「争いが不必要?なら何故今になって孫娘にそのような力をもたせる必要があると言うのか!」



とても醜いものが見える

ここに居るマヌカン族は―――、何かが違う
私の家族から感じられるのは、今のマヌカン族と変わらないものだけれど…

彼らからは…邪悪な気配しか感じ取れない
なにか…微かに黒い靄のような…いえ、霧が辺りを覆い始めていました


「我らはリリン姫の言の葉の力を防げるから良い、でなければ弱小国に懐柔されかねないからな!」

「然り、婚儀の祭事など所詮仮初めだ…此処にいずれマケット王も来る…いい加減決着をつけようではありませんか」

「マケットの全てを滅ぼし、我らマヌカン族こそ優れた種族なのだと知らしめるのです、今ここで!!」

ついに放たれる魔弾は、近くに居合わせたマケット族の給仕の頭を射抜く。

今日の祭事に合わせてきた彼らには一切の武装は見られない
対抗できる魔法を扱える者はきっと居るはず

だけど、マケット族は決して最後まで力を使うことはない


彼らは、戦うためにここに来た訳ではなく
本当に…今日という日を望んでいたのだから―――



「――――ぅえ…」


魔弾を撃ったマヌカン族の高官から、奇妙な声があがる
視線を合わせると、その者の首は体にはなく
ただ床に転がり落ちて、瞬きをしていた


日景「失礼、此度のマケット族の護衛は私に任されているのでね…覚悟はいいか、逆賊共」


暴徒とかした者の首を跳ねたのは彼だった

祝いの席は二つ目の血だまりを作り
紅く装飾された争いの場所へと変化する


スクワート「父上、これは駄目だ退避なさってください」

ヘル「そうだ、ここは俺達で抑えるからマケット族と共に逃げろ」


トランジェント「……」


降りかかる火の粉を払うのでは遅い。
父と叔父は祖父へ流れた攻撃が当たらない内に避難するように促すも、反応がよくなかった
この争いの光景を眺めている

けれど、その瞳にはなにか別のものが映っているようにも感じられて…

見ているだけ…そのように私には見えたのです。


プレジエント「お爺様、俺が案内します…リリンを連れて一緒に」

見かねたのかプレジエントが祖父の手を握り歩き出す
立ち去る最後まで争いの場を眺めたままの祖父の眼は虚ろなままでした

この場を後にする、その行動を見ていた高官から罵声が飛びます


「都合が悪くなったら逃げるのか、貴様が何を願って争いを始めたのか…我らは知っているのだぞ老いぼれぇ!!」

日景「―――黙れ」

彼らが言葉を発する度に二点、三点と血しぶきがあがる
その最中にも何人かのマケット族が床に伏せているのが伺える


スクワート「アレース、プレジエントと共にリコリィを頼む!」

アレース「御意っ、離脱後すぐに参じます」

ヒトの姿を取り払い、元のトガタへと戻ったアレースは母を抱きかかえ
戦場から退避する
指示を受けてからの動作がとても速い
母も阿吽の呼吸か、戦場では足手まといになるのを熟知しているため素早く彼に身を預けて指示通りアレースと共に離脱した。


ヘル「キショウブ、お前は応援を頼めっカイライから、ありったけのトガタを出させろ!」

キショウブ「はい、この場の三機も全て解放し指揮を執らせます…スレイブ、聞こえて?」


居残ったキショウブは遠くにいる彼へと会話をしている
その後ろから忍び寄る、マヌカン族の男―――

危ない

そう声を掛けようとした時だった


ファインベルド「―――むぅん!!」

大柄な男が現れ、あっという間にその巨腕で大の男一人を叩き潰してしまう
若き日の姿であれ、今と大差を感じられないその雄姿…

間違いなくマケットで最強の将―――キファード・ファインベルド…


ファインベルド「まったく…友和派しか連れんから一方的に蹂躙されるのだ…無事か、お嬢ちゃん」


キショウブ「感謝します、将軍…カイライから増援を寄越します。」

キショウブ「マヌカン族に対して殲滅戦となりますのでマケット族とマヌカン王家の方々退避を」

ファインベルド「心得た、しかし…これは霧の類か」

キショウブ「はい、黒き霧の残滓ざんしかと…王のツケですね」


黒き霧…ツケ?

彼女たちはいったい何の話をしているのですか…?


ファインベルド「それにしても数が多すぎる、伝染か…それとも謀られていないか貴様ら」

キショウブ「ありえます、王は彼らを鎮めなかった…最悪状況を鑑みてスクワート様に判断を求めるのもいいかと」

ファインベルド「――――老いか、それとも血迷ったか…トランジェント・マヌカン」


祖父が…お爺様が、この事件を引き起こした―――?

なぜ…、なんの為に?

思考はグルグルと回る
意味もなく、答えを導き出せないまま
私を愛してくれた、最愛の家族が…

…この惨劇を…?

それに…黒き霧って…確か…今世今生の悪の名前では―――



日景「ファインベルド」

ファインベルド「おぉ、小僧来ていたのか」


先陣を切ってマヌカン族の高官達を斬り伏せていた日景が戻ってくる
どうやらファインベルドを見かけたからこちらに寄ったらしい


日景「手が足りん、俺は左へ行くアンタは右だ」

ファインベルド「っは、お前と肩を並べて戦うなんてな…」

日景「無駄口はいい、行くぞ」

ファインベルド「おうさっ」


血生臭い

とても、気味が悪い
どうして…覚悟できていたのに


この場所がこうなるって知っていたのに…

私は黙って見ているだけなのですか…?



日景「っち―――妙に手練れだな…」

ファインベルド「気を付けろ、嬢ちゃんが霧の力だと言ってたぞ!!」

日景「第二の…?、だとしたら分が悪いぞ…いずれここのマヌカン族全てが変化することになる」

ファインベルド「あぁ!?なんて言った?」


日景「マヌカン族全てが霧の影響を受けると言ったんだ!」

ファインベルド「なんだと…嬢ちゃん、早く王家の方々を逃がせ!」


慌てふためくファインベルドを横に通り過ぎていくマヌカン王家の面々。
彼らの目に映るのは、マケットとのマヌカンの真なる和平に仇なす者たちだ


スクワート「いや、その心配はないよ」

ヘル「俺たちは対策できてる…」


キショウブ「無論、私もです」


ファインベルド「そ、そうかよ…」


数多の敵をこの僅かな時間で斬り伏せた日景は合流のために再び戻ってくると、少しばかり乱れた呼吸を正す


日景「―――、ふぅ…、俺達はマケット族なので影響を受けることはない、が…」

ファインベルド「この数…本当に参るな…倒した奴も起き上がってる」


スクワート「俺とヘルは別れて殲滅戦を強行する」

ヘル「お前たちはマケット族を守ることに注力してくれ」


着々と追い詰められる面々。
いくら強大な力を有する彼らでも消耗戦となればいずれ、すり減らされる

疲弊してから押し込まれたらどうしようもない

ゆかりある者達が敗北し、命を奪われる様を易々と見届けるわけにはいかない
なにか、なにかしなければ

私が出来うることを模索している時でした


ネメシス「奴の視覚干渉が解除されたからと見に来てみれば…、なんだこれは…」

リーフェ「これ―――って、ぐ」


叔母が付き添いのネメシスと共に現れたのです


ファインベルド「リーフェ様!?…何故ここに…戦いの音で気付くはず―――」

日景「謀られてるなっ…下がれ!彼女も毒されるぞ!!」

二人が慌てるのも無理はない…
一帯に蔓延はびこる黒い霧は意思を持っているのか、ネメシスと叔母に目掛けて飛びかかります


ネメシス「冗談じゃねぇ…俺だけならいざしらずコイツが居るんじゃ―――」

ネメシス「行くぞ、リーフェっ」

リーフェ「う、ん…急いで…」


祭場を出て逃げようとする彼女たちを黒い霧は先回りして逃しません

目敏い

とても美味な獲物を見付けたかのように、霧は叔母の体へと纏わりついて蝕み始める
彼女の体に走る痛みは想像を絶するものなのでしょう
瞬く間に額に汗が滲み出て呼吸を乱している

苦しみが…とても強く伝わってくる


リーフェ「っぐ…ぅぅ…」

ネメシス「っち…貸せ、俺が全部吸う」


とっさの判断で彼女の首元に手を添えたネメシスは、汚染しようとしてきた霧を全て吸収する。
苦悶に歪む叔母の表情はたちまち回復の兆しを見せて無事で済む。

状態の変化に、なにより叔母が一番驚いている様子でした


リーフェ「…え、今のってもしかして魔力吸収…?」

ネメシス「だな、ってことは…この霧は魔力ってことらしい」

ネメシス「俺の出番だ…一気に抜けるぞ」

リーフェ「う、うん…、ネメシス…お願いがあるの…リコリィのところまで…連れてって…」

ネメシス「兄姫の…、この状況で…なんでだ?」

リーフェ「説明している時間がないの…リコリィならなんとかできる…信じて。」

ネメシス「――――わかった、案内を頼む」

リーフェ「ありがとう…」


屋外の祭場から離れ、城の中へと二人は突き進む
リーフェの案内はとても的確で、魔力探知が出来るネメシスよりも正確に目的地を言い当てていた

そんな彼女の案内を、ネメシスは疑うことなく突き進む


やがて…
彼女たちの行きついた先には、一人の老人が立っていた




トランジェント「――――」


ネメシス「マヌカン王…なんでここに…」


リーフェ「―――っ―、ふ、…、」

ネメシス「お、おい…リーフェむやみに立ち上がるな…」


目の前には…私の祖父…彼女の父たるマヌカン王…トランジェントの姿があった

リーフェは何も語らず、車椅子から立ち上がると
手のひらに魔弾を携え、覚束ない足取りでマヌカン王へと駆け寄る


リーフェ「答えてください…父上、あなたがこの惨劇を仕組んだのですか」

トランジェント「――――」

リーフェ「答えなさい!!!」

彼女の問いかけにもまったく反応を示すことはなく
祖父は窓の外に広がる同族、他種を問わない殺し合いを眺め―――


トランジェント「あの霧も、失敗か…」

リーフェ「―――っ」

トランジェント「回りを取り込むのみで完全な孵化へと至らん…やはり、黒き霧の復活は難しいものか…」


言葉の終わりと同時に、祖父の眼前を魔弾が通り過ぎていく
彼女が先ほど手に携えていたものを放ったのだ


リーフェ「やっぱり私たちを―――」

リーフェ「私達を…私達の子供を弄ぶ害悪め…ここで滅べ…滅べ!!」

ネメシス「―――っ…リー…フェ…?」

彼女の声はとても低く、今まで見て来た姿の中でとても悍ましいものだった


怒り
憎しみ
怨み

黒い感情のみが込められた視線と言葉は背筋を凍らせる

抑することができなくなった心の渦は歯止めが利かず
もう一方の手からも魔弾が放たれる

しかし、想いが乗せられた魔弾はマヌカン王を貫くことはなく、ひらりと避けられた。
射撃の際にバランスを崩したのか叔母は地へと倒れ込んでしまう


リーフェ「―――起きて、起きろ…この出来損ないのカラダめ…今だけでいい、いいの…アレを殺す力を私に…私に!」

リーフェ「私にできないのならせめて…この事実を知らないスクワートとヘルにも知らせないと…私が、たとえ―――死んでも!!」


想いは殺意へと変化する

なぜ…そうまでして
実の父であるマヌカン王を殺したいのでしょう…


トランジェント「もういいだろう…、お前も疲れたろうに…休め」

ネメシス「おい―――何をするつもり―――だ、・・・?」

彼女の元へと近づく祖父を阻むネメシス。

しかし彼の眼から灯りが消える
明らかに不自然で突発的な停止…

魔力切れにしては早すぎるし、他に思い当たる理由がない


トランジェント「駆動できなくなったか…試作品らしいな…魔力を食われるとは」

トランジェント「まぁいい、無駄な抵抗をされるのはつらいのでな…お前もリーフェと一緒に送ってやろう」


祖父は、そう呟きつつ
動けなくなったネメシスの首をそっと折り曲げる
ガタリ、という音と共に彼の躯体は大きく歪みひしゃげた


リーフェ「ネメシ―――、この…黒き霧の犬…私達の父の姿をした害め…害めぇええええええ!!!」

リーフェ「返せ…私達の世界を……未来を返せぇえええ!!!」


リーフェ「かえ―――」


ネメシスと同じように彼女もまた
突然と声を断たれる

マヌカン王は彼女から離れる様に立ちあがると事を為しえたのか
ゆっくりと歩み、遠くへ歩き去っていく



「――――」


リリンの…知らなかった一面


アレがマヌカン王祖父


惨劇。

祖父の…家族の手で、いとも簡単に命を奪うその姿に

ただ、眺めていた私…

いえ…『リリン・マヌカン』の中で何かが蠢くのを感じられた


リーフェ「ゆ、る―――せ」

リーフェ「ない…、ね…め、し…す」


まだ生きている

とても強靭な精神なのでしょう

首がぐるりと後ろにねじ曲がって尚、肺から息を吐き
声として言葉を発し

最後の意地か
腕を使い地面を這う姿は、もうヒトの最期のものではない


リーフェ「―――…、」

今際の際いまわのきわ
彼女は倒れ込んでいるネメシスの躯体に触れて何かを呟き
この世を去った




空気が一変し
懐かしささえ感じる戦慄がこの身を震わせる


はじまる


彼と同じ、トガタであるネメシスもまた…その力を有しているのだから――――



ネメシス「―――――リーフェ」


倒れていた躯体を徐に起き上がらせて
ねじ切れそうだった首は強引に引き戻される

ぐらり、ぐらりと揺れる彼の頭からは多量の血が流れていた


「―――え…?」

傷からではない
血の出所は…彼の…眼からだった



ネメシス「――――お前だけ逝かせない…俺もすぐに追う」

ネメシス「待ってろ…全部、お前の願いの通り…消し去ってやる」


彼の躯体が赤紫の炎を纏い
駆けだすのと同時に城の廊下を焼け焦がし、歪める




瞬く間に去った跡には
生きるものが誰一人としていない虚無の空間


廊下には機械的な音声が、遠くから反響して聞こえてくるだけ




『躯体名、ネメシス』

『限界稼働を開始』



血涙・怨けつるい・えん

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あきゅろす。
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