ダラーズの行く先

 午前 池袋 某路地



 折原さんが仕事場へ行くのを見送った後、初日から決して怠らないと決めた掃除とその他雑用を終えて、私は池袋の街へと繰り出した。
 行き先は今朝あの人へ話したとおり、帝人くんと杏里ちゃんの元である。しかし、前もって連絡を取ろうとして帝人くんの連絡先を知らない事に気が付いた。
 住んでいるアパートの場所は何となく覚えている。だから、訪ねる事は可能と言えば可能だ。
 さすがにアポを入れないまま行っていいものだろうかと首を傾げつつ、とりあえず帝人くんのアパートへ向かう事にした。
 ちなみに杏里ちゃんには連絡済みで、午後1時に会う事を約束している。午前中は委員会があるらしく、学校に行くのだそうだ。
 そのときの杏里ちゃんのメールが可愛かったので(心配してもらっていたのに可愛いと言うのも能天気な話だが)ぜひとも朗読したいのだけれど、さすがにやめておこうと思う。

 そんなことを思いながら一年前の記憶を辿って帝人くんのアパートに向かっていると、来良学園から少し離れた交差点で、見覚えのある黒髪男子高校生を発見した。
 朝寝坊をした不運(?)はこの幸運のためにあったのかもしれない。  


「帝人くん!」


 携帯電話の画面を熱心に覗いていた帝人くんにそう声をかけると、信号待ちをしていた彼は驚いたような顔でこちらに振り返った。


「え、あ……ユウキさん?」
「うん、久しぶり。ええと……元気、そうだね」


 先程の様子からして決して不健康なようには見えなかった。だからそうして声をかけると、彼は穏やかな笑顔で「お陰さまで」と頷く。
 何か帝人くんの事で気に掛けなければいけないことがあった気がしていたため、その変わりない表情に良かったと安堵した。
 しかし、帝人くんはすぐにころりと表情を変えて、「それより、ユウキさんは大丈夫なんですか?」と心配そうな顔をした。


「池袋でも全然見かけませんでしたし、折原さんが刺されたって報道もありましたから……何か事件に巻き込まれてるんじゃないかって」


 帝人くんとは杏里ちゃんほど関わる機会がなかっただけに、改めて無断失踪は周囲の人に心配をかけるのだと認識し直した。
 それと同時に、何か最近似たようなことを言われた気がして、内心首を傾げる。やっぱり、私は何か重要なことを忘れているんだ。 
  
 
「いやもう、それはほとんど解決してるから、問題ないよ」


 私の怪我も完治に近ければ、一応犯人も特定されている。動機も個人的なもののようだし、また襲われることはないだろう。
 そう考えての言葉に、帝人くんは少し訝しげな顔をして「それなら、いいんですけど……」納得していなさそうに呟いた。
 私は何か疑われるような仕草をしてしまったのだろうか。何だか申し訳なくなって本当に大丈夫だと言うと、彼は少し躊躇うような間をおいて口を開いた。
 

「……でも、ユウキさん。本当に気をつけてくださいね」


 どこか悲しそうな声でそう言う帝人くんに、何か変だと感じる。漠然と心配しているというより、何か明確な理由があって、それを警告しているような気がした。
 そんな私の疑心に気づいてくれたのか、実は、と彼は話を切り出す。


「ダラーズの掲示板で、最近頻繁にユウキさんの話題が上がってるんです」
「――どうして」


 あまりにも唐突な話題へ、一瞬言葉を失った。
 あの折原さんと生活をしているのだから、それで全く目立った生活をしていないとは言わないけれど……それがどうして今なのだろう。
 

「最近って、いつ頃から」
「……表だって目立つようになったのは、ここ一カ月の間です。ゴールデンウィークが終わって、しばらくしてからの話なんですけど」

  
 真剣な面持ちでそう言う帝人くんの言葉に、また私は引っかかりを覚える。


「それまでにも何かあったってことかな、その言い方だと……」
「そう、ですね。ユウキさんって平和島さんや折原さんと親しいから、物珍しさによる書きこみは偶にありました。でも、それは別に危険でも何でもないんです」


 ――珍しいものを面白がってるだけなら、何も害はありません。
  
 
「ただ、定期的に個人掲示板やコミュニティで、ユウキさんのことを熱心に探ってる人達がいたんですよ」
「それって……」
「……これ以上のことは、少し怖い思いをさせてしまうかもしれないんですけど……大丈夫ですか?」


 純粋に心配してくれているような声でそう言い、帝人くんは口ごもる。
 ここまで来て、怖いから聞かないだなんて、そんなこと言えるわけがない。私が大丈夫と頷くと、彼は少し周囲を見渡してから口を開いた。


「その人達はユウキさんの経歴を含めた個人情報に友好関係、折原さんとの関係性、それぐらい細かな事を知りたがっているみたいでした」


 ――そして、ここで問題なのは。


「情報を求める人達に、情報を与えている存在がいたことです。僕の知っている情報屋の人達ではない、もっと別の誰かがユウキさんの情報を流し続けていたんです」


 やはり悲しげな表情でそう言う彼に、さすがの私も閉口する。
 あの折原さんと一緒にいるのだからとは言ったけれど、まさかそこまでのことを探られていたり、すでに知られていただなんて予想していなかった。
 そういう意味では平和島さんの言っていた通り、私には危機感が足りなさすぎたのかもしれない。
 いつだった沙樹ちゃんが、折原さんは池袋に関する厄介事へ私を巻き込んだことはないんじゃないかと言っていたけれど、それは本当にそうだったのだ。
 あの人の傍にいるには、物事の裏側を知らなさすぎたとも言える。特に暴力団やヤクザといった組織絡みのことへ、私はあまり知識がない。   

 だからこそ、警戒心が足りなかった。
 意識した事がないものを、怖がることはできないから。

  
「でもそういう書きこみは、大抵すぐに削除されていました。本人が消したのか、別の人が消したのかは分かりませんが……」
「それで、その書き込みが最近表立ってるってこと、なんだよね」 
「ええ、興味本位なものに混じって、たまに恐いことを言う人もいたりして……本当に、すみませんっ」


 そう言うと帝人くんはいきなり頭を下げて、僕の力不足なんです、と心底申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にした。
 帝人くんがダラーズの創始者だというのは知っているけれど、何もそんな連中のために頭を下げなくても……。
 私が慌ててそう言うと、彼はゆっくりと頭を上げて、もう一度だけすみませんと呟いた。

 そしてその言葉を区切りに、ただただ真摯な瞳でこう続けた。


「だからそういう人達は、ダラーズにいるべきじゃないと思うんです。ユウキさんのような、メンバー外の人にまで迷惑をかけることなんて、絶対にあってはいけないことなんです」


 ――こんなのは本来あるべき姿じゃない。


「時間はかかるかもしれませんが、僕は必ずダラーズをもっと良い場所にします。だから、もしよかったら――」


 今までの表情とは一転して、彼は少し照れるように言った。


「そのときはユウキさんも、ダラーズに入ってもらえませんか?」
「……え」


 目まぐるしい帝人くんの変化について行けず唖然としていると、「いや、その、よかったらで構いませんっ」そう年相応の慌てた表情で、言葉を続ける。


「ユウキさんは正臣や園原さんに慕われてますし、ゴールデンウィークのときは僕のことまで庇ってくれて……ユウキさんのような人こそ、ダラーズには必要だと思うんです」
「――別に私、そんなに褒められた人間じゃないよ」


 極端に言ってしまえば、やりたいことをやっていると言った方が近い。
 帝人くんを助けようと思ったのは、彼が知り合いだったからで、知りもしない赤の他人だったならどうしていたか分からない。
 それにそもそも、帝人くんが思っていそうな『いい人』は、折原さんのやっていることを容認したりしないと思うのだ。

 どこか様子がおかしい気がする帝人くんに、私は包み隠さずはっきりとそう言った。
 言い方は悪いが、今の彼は何かに憑かれているような感じがする。ここはしっかり本当のことを伝えるべきだと、そう思った。
 
 しかし次に彼は、信じられない言葉を口にした。


「何言ってるんですか、ユウキさん。臨也さん自身が親切で優しい人なんですから、傍にいるユウキさんだって十分にそうですよ」


 穏やかな笑顔でそう言い切った彼に、私は自分の耳を疑った。
 その言い方だと、まるで折原さんが『いい人』みたいじゃないか。
 
 私はあの人の傍にいると決めたし、そのスタンスを潰すようなことはしないけれど、彼が言うような親切で優しいだけの人だとは決して思わない。
 むしろその裏に隠れている物が本分だ。
 この一年を経たからこそあの人は私のことを気にかけてくれるようになったが、決してそれまでにされた酷いことを忘れたわけではない。
 あの人のそういう面もよく知っている人間からすれば、帝人くんの言い方には背筋の凍るものがあった。
  
 
「あの、帝人くん」


 その認識は間違っている。
 そう考えて発した言葉は、帝人くん本人の「あ!?」という声にかき消された。
 

「すみません、僕これから学校でッ」

  
 手にしていた携帯電話の画面に一瞥した後、彼は慌てたように横断歩道を渡って行く。


「臨也さんも帰ってるなら、よろしく伝えてください!」
「ちょっと待っ――」


 急いでその後を追おうと足を踏み出しかけて、すぐに聞こえた車のクラクションに慌てて身を引いた。
 車道の信号機を確認して見れば、まだそこは赤。それなのに、まるで図ったかのようなタイミングで信号無視の車が立て続けに行く手を遮った。
 せめて連絡先を聞いておけば。僅かに苛立って車が途切れるのを待ったが、そのときにはすでに帝人くんの背中は見えなくなっていた。



 (ダラーズの行く先)


 
 竜ヶ峰帝人の向かう先は、

*前へ次へ#

あきゅろす。
無料HPエムペ!