近づく始まり

 面白くない。
 こうなることは半分以上、というより確信に近いレベルまで察していたが、それでも面白くないものは面白くない。
 そんな不快感のせいであからさまに表情が歪むのを抑え、臨也は紙袋の中を嬉しそうに覗き込んでいるユウキに「あのさ」と声をかけた。
 すると彼女はその嬉しそうな表情のまま「なんですか」と顔を上げ、その澱みのない声に臨也はまた面白くないと感じる羽目になる。

 静雄との仲違いで呆然という名の意気消沈っぷりを晒していたユウキは、今日の午後にいきなり外出してくると言い出した。
 そのどこか腹を決めたような表情にまず嫌な予感がしたのだが、行き先を聞くと新羅達のマンションだと言った。
 まだ帰ってきたことを言っていないから、会いに行く。そう彼女は言い張ったが、それにしては些か真面目過ぎる表情に臨也がすぐ頷けるわけもなかった。
 新羅達に会いに行くというのは、信じてもいいだろう。しかし、そこで静雄が絡んでくることはユウキの性格からして十分にあり得る話だ。
 何か仲直りのアドバイスでももらうつもりなのか、新羅達のマンションへ行った後会いに行くつもりなのか。
 そうすぐに考えを巡らしたが、ここで引き止めても遅かれ早かれユウキは静雄へ会いに行くだろう。彼女はかなり、諦めが悪い。
 そうして渋々この時間までには帰ってくるよう条件を出せば、この様である。易々と仲直りをしてしまったようだ。

 内心苦々しく思いながらやけに機嫌がいい理由を尋ねると、彼女は一瞬迷うようなものを浮かべて、すぐに元の表情に戻った。
   

「プリンを沢山もらったので」


 ほら、と言うように紙袋の中身を見せてきたので目線をそちらに向けると、紙袋の中にはプリンのパックが積み上げられていた。個数で数えれば悠に30を越えているだろう。
 こんなに食べきれるのかとユウキの身体を心配に思う一方、一体誰からもらったのかと眉を潜める。


「平和島さんにもらったんですよ。幽さんがCMに出るとかで、沢山あるからって」


 思いのほかあっさりと白状したユウキにまた不愉快を感じた。
 これなら多少言い淀んでくれた方がいい、そう思いながら「ふうん」と曖昧な返事をする。


「別にシズちゃんはどうでもいいけどさ、食べ過ぎるとまた太るよ」
「…………」


 舞流に太ったと指摘されたことをやはり気にしているのか、何でもなさそうだった表情が僅かに曇る。
 別段臨也自身は大して気にも留めていないのだが、本人からすれば相当ショックだったらしいのだ。
 これで何とかプリンを処分する方向に持って行けないだろうかと考えている臨也に対し、ユウキは「大丈夫です」と呟いて紙袋を持ち直した。


「これは平和島さんと幽さんからもらったものです、人からもらったものに余分なものはありません。だから余計な脂肪にもなりません」
「ユウキ、頭大丈夫?」


 バカなことを言っている彼女に思わず本音を洩らすと、彼女は「大丈夫ですよ、大丈夫なんですから……」そうブツブツと自分へ言い聞かせるように呟いた。
 そこまでして食べたいのか。いや、プリンが目的ならばいくらでも食べてくれて構わない。むしろ率先して買いに行っても良い。
 ただそれの元持ち主が静雄だというだけで腹が立つ。何なら今からひったくって、窓の外へ投げ捨てたいくらいだ。

 そこまでの苛立ちを感じてなお、臨也はそれを表には出さず「限度は考えなよ」と皮肉げに笑うだけだった。
  

 
 ♀♂



 平和島さんとまた話せるようになって嬉しいと思う一方、折原さんがあまり言及してこないことに少し驚いていた。
 もう少し何か言われるかなと思っていたのだけれど……いや、これも私を信用してくれるようになったからだと納得しておこう、うん。

 夕食と入浴を終えて自室に戻り、私は目を擦って欠伸をした。
 これでまだ直接会えてないのは杏里ちゃんと帝人くん……あ、何気に波江さんにも会ってない。
 まあ、別にあの人は私のことなんて気に掛けてはいないだろうから、成行で再会すれば問題ないだろう。

 まだあと何人か会えていない人もいるが、それもこれから日をかけて会いに行こう。
 折原さんも大分譲歩してくれるようになったけれど、あの人が忙しくなってずっと仕事部屋(最上階の)で過ごす状況になる前に、
 私自身少しぐらい話す時間を確保しておきたいような気がする。半月間病院で一人待ち蓬けていたときのことを思い出すと、何となくそんなことを思わされるのだ。
 やっぱり一年もあんな生活をしていたら、一人暮らしが寂しくなってしまうのかもしれない。

 そう納得してベッドに腰掛け、また欠伸が口からもれる。どうしてだろう、今日はやけに眠い。
 疲れているのだろうかと首を傾げながら、私は真新しい携帯電話を取り出した。
 ちなみに前に使っていたものは例の引き出しに入れてある。どうしても捨てられないメールが沢山入っているから、破棄という選択肢は考えられなかった。
 カチカチとまだ慣れていない携帯電話を操作して、電話帳から一人池袋にはいない彼の名前を選択する。
 彼がどこまで知っているのかなんて分からないけれど、しばらく声を聞けていなかったのだ。丁度良い頃合い。

 そうして耳元に宛がった携帯で呼び出し音が数回鳴り、それが止まった直後『え、と……ユウキさん?』戸惑い気味な正臣くんの声が聞こえた。


「うん、野崎ユウキです」
『うんって……え?あの、どうしたんですか急に!?』


 向こうからは正臣くんの声と街の雑踏らしいものが聞こえるのだけれど、そんなに叫んで大丈夫なのだろうか。
 やっぱり急に電話をかけたのは不味かったかなと感じながら、それでもやっぱり正臣くんの声が聞けたのは嬉しく思う。元気そうで何よりだ。


「別に用って程のことじゃないんだけど、どうしてるかなと思って……。沙樹ちゃんは元気?」
『あいつは元気っすけど……それより、ユウキさんは大丈夫なんですか?臨也さんが刺されたって聞いて、ユウキさんも巻き込まれてるんじゃないかって……』 
「その件はもう大丈夫だよ」


 一瞬アパートで起きたことを思い出したが、今はほぼ完治している。だから、大丈夫という言葉に嘘はない。
 あまり吹聴するようなことでもないだろうと頷いて、私はそのまま言葉を続けた。


「折原さんとも連絡とれるようになったし、やっと落ち着いてきたところ。正臣くんは、あの人に無茶なこと言われてないかな」
『無茶っつーか、気分の悪い仕事ですけどね……』


 苦笑と自嘲の交ざった声でそう言う正臣くんに、電話をしている中でひとつ思い出したことがある。
 ゴールデンウィークのあの日、千景と再会した日の朝だったかに、彼から電話をもらったはずだ。
 確か、チャットのログが消えていたとか何とか……。


「話は変わるんだけど、正臣くん。ゴールデンウィークに電話かけてきたよね」
『……ええ、まあ』
「あのときにチャットのログを折原さんが消したとか、言ってた気がするんだけど……何かあったの」


 その後あまりにも沢山の出来事が重なったせいで忘れていたが、あの時の正臣くんの声はとても穏便とは言えなかった。
 チャットと言えば何人もの知り合いが交流している場所なだけに、一斉削除というのはどうも嫌な予感がする。
 しかもそれを見て慌てたのが正臣くんだったなら、尚のこと気に掛けないわけにはいかなかった。
 あそこは正臣くんと帝人くん、杏里ちゃんが唯一集える場所なのだから。

 そんな私の不安を肯定するように正臣くんは少し黙った後、躊躇いがちに言った。


『俺も、ちょっとよく分かってないんすけど……あの人から真意を聞くのは諦めましたよ、時間の無駄なんで。それでユウキさん、ひとつ頼み事してもいいですか』
「もちろん」


 まともに取り合ってくれなかったのだろう折原さんを怪訝に思いながら、私は間髪入れずに頷いた。
 

『帝人と杏里のこと、気に掛けてやって欲しいんです。たまに話しかけるとか、その程度で構いませんから』


 真剣にそう言う正臣くんの言葉を否定することなど出来るはずもない。むしろ、最初から断る気はなかった。
 私はすぐさまその言葉に了承の返事をし、これから電車に乗らなければいけないという正臣くんの言葉を区切りに通話を切った。
 さて、と携帯電話をベッドに置き、どうしたものかと天井を見上げる。
 今すぐにでも折原さんを問いただそうか、それとも杏里ちゃん達に連絡を取るのが先か……。
 そう思って時計を見やると、とっくに日付は変わっていた。さすがに今から電話というのは非常識かもしれない。
 なら折原さんが先かと立ち上がろうとしたところで、ガクンと視界が揺れた。一瞬何が起きたのか分からなかったが、どうやら膝が崩れたらしい。
 ぼんやりと霞み始める意識の中で、どうにかもう一度ベッドの上に座り直し、頭を押さえる。

 
「……なんで」


 眠い。
 退院直後に折原さんへついていったときも、あまりの疲れですぐに眠ってしまったのを覚えているが、そういう眠気ではない気がする。
 それならこれは何なんだと両手を強く握って、意識を繋ごうと試みたものの、すぐにその力も抜けるように消えていった。
 
 そしてそのまま自分の意識までも、眠りの中へ引きずり込まれて――



 (近づく始まり)



 鍵なんてないから。

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あきゅろす。
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