おかえりなさい

 昼 池袋 某路地 



「ユウキさーんっ!!」


 狩沢さんたちとの待ち合わせ場所へ行く最中のことだった。
 突然背後から知り合いの声が聞こえてきたため、反射的に現在地点から体を退ける。
 決してその知り合いが嫌いというわけではない。というより妹にしたいぐらい大好きなのだけれど、今の私の体に彼女の体当たりは、少しきついものがある。
 案の定、数秒前まで立っていたその場所に、一人の女の子が飛び込んできた。飛び込むような勢いでという意味ではなく、文字通りのダイブである。
 ……もし避けていなかったら、私はまた松葉杖のお世話になっていたかも知れない。

 本来クッションになるはずだった私がいなくても、彼女は綺麗に受け身をとって、その場に制止した。
 ふわりとなびく三つ編みとスカートがやたらと恰好良い。
 

「久しぶり!ユウキさん!」


 すぐさま立ち上がった彼女――折原舞流ちゃんは、輝かんばかりの笑顔でそう言った。
 というより彼女のかけている黒縁眼鏡が実際日光を反射しているので、これまた比喩ではないのだけれど。
 まあ、そんなことは置いておくとして。

 
「久しぶり。舞流ちゃ、」
「ホントに久しぶりだよ!心配してたんだからね!?」


 三度目の正直からひとつ引いて二度目の正直。舞流ちゃんが正面から抱きついてきたため、私の言葉は途切れた。
 そうはいっても勢いは随分と減っていたので後ろに倒れることはなく、体に回された細い腕へ、素直に嬉しさを感じる。
 どんな場所であっても、帰りを待ってくれている人がいるというのは、とても安心するのだ。
 そうして首もとに顔を埋めている舞流ちゃんへ、口を開こうとしたとき――


「帰(おかえり)……為(なさい)……」


 淡々とした声と共に、舞流ちゃんとは色違いのパーカーを着た女の子――折原九瑠璃ちゃんがやってきた。
 大人しげな彼女の微笑にも安心させてもらい、今度こそ口を開く。


「ごめんね、何も言わずに出て行っちゃって……」


 狩沢さんに電話をしたときも、私は随分と心配をかけていたようだし……。
 そう思わずネガティブ思考に陥りそうになったが、それを振り切るように首を振った。何でも後ろ向きに考えればいいというものでもない。
 とりあえず私にできることを今からやりにいくのだ。顔を合わせた上できちんと説明をした後、黙って出て行ったことを謝るために。

 しかし、反省はしても、後悔はしない。

 それで得られたものも、確かにあったのだから。
 

「でも、ユウキさんが元気そうでよかったー」


 未だ抱きついたまま顔を上げてそう言った舞流ちゃんに、九瑠璃ちゃんが言葉をつなげる。


「体(身体の怪我)……健(大丈夫ですか)……?」
「うん、もうほとんど治ったよ。走ったりするのはまだ駄目だけど」
「ずっと入院してたんだよね?」
「二週間前まではね。それからは退院して、療養生活」
「あー、なるほど!」


 私の言葉のどこへ感心したのか、舞流ちゃんはニコニコと相づちを打った後、腰に回していた腕の力を強めた。


「だからユウキさん、ちょっとスタイルがエロくなってるんだね!」
「…………な」


 予想外の言葉へ固まっている間に脇腹や太股を撫でられ、背中にぞわりと悪寒が走った。
 あの兄にしてこの妹ありか、それとも舞流ちゃんがこうなだけなのか……。というより、ここ公道だから本気でやめて欲しいっ、公道でなくてもやめて欲しいけど……っ。 


「ちょ、ちょっと……」
「大丈夫、大丈夫!触らないと分かんないから!でも、ずっとユウキさんって細すぎると思ってたんだよねー。これぐらいの方が良いよ、抱き心地良いし!」


 そう言って嬉々とセクハラを続ける舞流ちゃんの言葉は、要約すると入院やら療養やらで私が少し太ったと言っているのだろう。
 ……いや、でも、多少体重が増えるのは、仕方ないから……動けなかったし……。
 内心ショックを受けつつ、周囲の視線や身体をまさぐられることから逃げだそうとしていると、九瑠璃ちゃんが右手を振り上げている様子が見えた。


「止(やめなさい)」
「ッ痛いよ!クル姉!」


 頭を叩かれても離れようとしてくれない舞流ちゃんは、一体どれだけ女の子が好きなのだろう……。
 少しばかり(ではないかもしれない)舞流ちゃんの行く末が心配だ。


「だってユウキさん、療養生活ってときにイザ兄からこれぐらいのことされてるでしょ?」


 とんでもないことを公共の場で言う舞流ちゃんに、私はもう絶句するしかなかった。しかも、いつの間にやら私の背後に回っている(腰に腕をまわしたまま)。
 何でこんなに積極的になってるんだこの子!? 
 

「イザ兄がやったなら、私にだってユウキさんに抱きつく権利ぐらいあるよ!」
「お、折原さんとはなにもしてないっあとその考え方もおかしい!」
「ええぇ!?何もしてないの?療養とか言っちゃって、実はえっちぃことしてたってオチでしょ!?」
「真っ昼間から何やってんだ、お前らは……」


 道のど真ん中でエロだのえっちぃだの叫ばないで欲しい――そう、どうにか舞流ちゃんを黙らせることは出来ないかと考えたときだった。
 この場を丁度良い具合に収めてくれそうな人の声が聞こえ、心なし視界がパッと明るくなる。
 助かった!そう思いながら振り返ると、やはりそこには思っていた通りの人がいた。


「人目っつーもんを少しは気にしろよ、また変な連中に絡まれるぞ」


 腕組みをしながら呆れたようにそう言って、門田さんはこちらに視線を向けた。
 

「怪我はもういいのか」
「……あ、はい」


 その普段通りの落ち着いた言葉に、今さらながら畏縮してしまう。
 ほとんど反発するような形で別れてしまったから、笑って出迎えてもらえるとは思っていなかったけれど……何というかいたたまれなかった。
 そんな私の様子を変に思ったのか、九瑠璃ちゃんと舞流ちゃんが揃って首を傾げたときだった。
 

「ドタチン!」


 門田さんのやってきた方向から、ついさっき電話で聞いたばかりの声が聞こえ、思わず顔を上げる。


「黙って行かないでよ、ユウキちゃん待ってるんだからさー……って、ユウキちゃん!?」


 小走りでやってきた狩沢さんは、私の存在に気付いた辺りで目を見開いた。
 

「え?なにこれ、百合フィールド展開中!?」
「そっちかよ」


 確かに舞流ちゃんが未だ抱きついたままだけれど(腕の絡め方が妙に色っぽい)、そのことへ一番に反応して貰っても……。
 私と同じ事を思ったらしい門田さんの言葉へ、狩沢さんは仕切り直すようにニコリと笑みを浮かべた。


「でもやっぱり、声だけよりも顔見た方が安心するね。おかえり、ユウキちゃん」
「……ただいま、帰りました」


 ――いろいろと思うことはあるけれど、そう言ってもらえるだけで随分と気持ちが軽くなった。



 (ただいま。)



 やっと帰ってこられた。

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