五分の一家族感
自室についている鍵を見つけて一通りはしゃぎ終えた後、室内にある少ない段ボール箱を眺めて、ふと疑問に思ったことがある。
私はもう、かれこれ一ヶ月以上も新宿や池袋からは離れていた。最後に池袋にいたのは、確か5月5日だ。
そしてその日の夜に東北に向かって折原さんと再会し、以後一ヶ月間は安穏とした入院生活を送っている。関東地方に戻ってきたのだって、ほんの2週間ほど前の話だ。
このマンションだって、宿泊先のホテルから直接折原さんに連れられて来た。
つまり何が言いたいのかと言うと、私は自分で荷造りをしていない。
折原さんが何らかの業者に頼んだ可能性を除けば、さてこれを詰めたのは一体誰と言うことになるだろう。
業者の可能性だって、あの人の職業を考えれば、あまり望めた物ではない。波江さんとも連絡をとっていないと、折原さんは言っていた。
よって消去法で考えれば、私の荷造りをしたのは折原臨也さんということになる。
…………いや、深く考えるのはよそう。もう一年以上も生活をしてきたんだ、半分とは言わないまでも、五分の一ぐらい家族みたいなものじゃないか。
寝間着姿も部屋着姿(そこまで露骨ではないが))も、数えられない程の回数を晒してきたんだ。洗濯物だって最初は抵抗があったけれど、途中から耐性ができたんだし。
今さら自分の服(外着に限らず)を見られたからと言って、オーバーリアクションをするほど私は……。
「……やっぱり、普通に嫌かな」
五分の一家族感では、誤魔化せないようだった。というよりそもそも、一声かけてくれれば、自分で荷物整理ぐらいやったのに……。
まあ、ここはお礼を言わなければならないところなのだけれど、どうしたってそう思ってしまう。
何とも言えない息を吐いて、とりあえず、部屋の整理にとりかかることにした。
もともと持ち物が少ないので、片付けは他の部屋よりもスムーズに進んだ。
雑貨の類もほとんど持っていないし、自分で買った家具と呼べるものなんて、小さなカエルのゴミ箱ぐらいだ。というか、何でカエルなんだ。別に好きでもないのに。
そう首を傾げつつ、複雑な思いで服を仕舞い、同じタンスの上段にある引き出しへ入れるものを探した。
自分の持ち物の中で一番大切なもの、これだけは絶対に捨てないと思っているものだ。
残りふたつの段ボールのうち、大きな方の段ボールを開ける。そして、入っている物を確認し、私はほっと胸をなで下ろした。
よかった、全部揃っている。
一番上に載っている使い古したメモ帳を手にとって、一瞬躊躇いはしてしまったが、結局表紙を開けた。
そこには一年前の日付に、とある時刻と箇条書きで持ち物が書かれている。これは、最初居住も兼ねて生活できると思っていた就職先へ行く日のための、必要事項リストだ。
その前のページは、私の記憶が正しければ訳の分からないことを書き殴られている(第三者から見れば)はずなので、まだ見ないでおこう。今はあまり思い出していい時ではない。
つまりこれがなんなのかといえば、当時の私のスケジュール帳であり、日記帳であり、本当の意味でのメモ帳だったものである。
良かったことも悪かったことも、恥ずかしいことも馬鹿らしいことも、全部記してある。
……これは折原さんに見られていたら、ちょっと新羅さん辺りに記憶を消す薬か何かを頼みに行かなければいけない。
あの人は大方のことを知っているけれど、それを自分の筆跡で見られるというのは、また違った意味を持つ。それを見られるのは、まだ嫌だ。
パタンと表紙を閉じて床に置き、卒業証書の入っている筒や人から貰った小物の入っている小箱などを取り除き、一番容量を占めているものを取り出した。
取り出した大振りな冊子は、全部で6冊。うち3つは小中高の卒業アルバムで、それ以外は個人的なアルバムだ。
両親が撮ってくれた、両親と一緒に撮った、大切な写真を保存してくれているアルバムだ。
小学生までに撮ったものなら、正臣くんが写っている写真も多かったはずだけれど……それもまた、今確認するのはやめておこう。
こういうものは、時間が沢山あるときに、ひとりで眺めるものだ。
床につけていた膝を伸ばし、さすがに重量感のあるアルバムを引き出しへ仕舞って、他の物も全て同じ場所に片付ける。
それから、もうひとつ。今日からここに加えるものがあった。
小さな机に置いている鞄の中から手のひら程の箱を取り出し、念のために中身を確認する。先程段ボールの中身同様、思っていたものがあったので、安堵の息を吐いた。
ほんの2週間前に手にしたこの白い携帯電話。
それはすでに、今の私とってなくてはならないものになっていた。
♀♂
「そういえば、折原さん」
スペアがあるとも知らずに喜び勇んで部屋を出て行ったユウキは、ほんの1時間程度でリビングに戻ってきた。
持ち物の整理をするだろうことは臨也にとって予測済みであったため、待たされたことに不満はない。
どちらかと言えば、もっと時間がかかるだろうと思っていた。
一年前の春は、自分の思い出に関する物を懐かしむほどの余裕など、彼女にはなかっただろう。
仕舞うだけ仕舞い込んで、一度も目を通そうとはしなかったに違いない。仮に取り出していたとしても、せいぜい家族とのアルバムぐらいだろうか。
特にユウキが使っていたにしては、あまりにも手荒な扱いがされていた手帳など、絶対に手を付けていない。
臨也自身はその中に書かれていることへ一度目を通しているが、読み直そうとは思わなかった。
内容を興味深く思い、娯楽小説の感覚で読んでいた当時でさえ、一度読めば十分だと思わせるものだったのだ。
ただただ端的で、シンプルに歪んでいた。
しかし、今のユウキならば、それぐらいの余裕はあるだろうと臨也は考えていたのだ。
小箱に仕舞われていた彼女好みのアクセサリーだって、どう考えても六条千景に貰ったか、臼谷桃里に関わる物。
そこにアルバムや数枚の手紙が加われば、優に3時間は出てこないだろうと思っていた。
が、現実はいつも通りの表情かつ、たったの1時間で退室してきている。
――今は引っ越しで忙しいから、俺に気を遣って手を付けていないとか?
普通にあり得そうだと呆れながら、臨也はユウキへ「そういえば、なに?」と言葉を返す。
「私の携帯、どうなったんですか」
「…………」
淡々としたその催促に、思わず沈黙した。
2週間前に再会したとき、もう電源も入らなくなってしまったのだという彼女の携帯電話を、臨也は預かっていた。
本人は自分で機種変更をしてもらうと言って聞かなかったが、身体の不調を理由にどうにか説得したのである。
そうして電話帳の引き継ぎや契約などは無事に終えたものの、臨也はそれをユウキに知らせていなかった。
なぜなら試しに電源を入れた瞬間、電源が切れている間に溜まりに溜まっていたメールが、大量に送られてきたのだ。
送信者は様々だったが、ユウキ本人に見せればまずパニックを起こすだろう。それほど途方もない件数のメールが送られていた。
これは臨也が興味本位で調べたことなのだが、一番通話受信が多かったのは静雄である。
メールの件数はそれほどでもないが(メールで言うなら舞流や九瑠璃の方が多い)、それは彼の性格によるものだろう。
どちらにせよ、これを見たユウキが血相を変えて飛び出していく様を見るのは面白くない。
――あのとき説得しておいてよかった。
内心そう僅かながら安心した後、臨也は何事もないかのような口調で「明日には渡そう」と言った。
今日中にメールを全件消してしまおうという算段である。
これから先彼女がメールの送信者達と出遭ったとして、返信しなかったことを問い詰められても、携帯が壊れていたからと言えば大抵の人間は誤魔化せるはずだ。
「……そうですか。私の携帯なのに、何だかすみません」
若干訝しんでいるような間があったものの、結局は信じる気になったらしい。
ユウキの謝罪に「構わないよ」と臨也は答える。
「それなら、私はこれから電話を一本かけた後、出掛けますね」
こうすることが当然だとでも言わんばかりの決然とした口調で、彼女はそう言った。
そして、すぐにでも備え付けの電話を手に取ろうとする。
「電話って、誰にかけるんだい?」
他にも聞きたいことはあったが、ひとまず一番重要だろう事柄を尋ねた。
すると、ユウキは小さく振り返り、
「狩沢さんですけど」
予想外の名前を呟いた。
静雄や六条千景の名前を出されたのならすぐにでも止めるのだが、言葉に詰まる。
「やっと帰ってこられたんですから、挨拶ぐらい行かないといけませんよ。ほとんど何も言わないまま、出てきてしまったんですから」
「いやだから、そこでどうして狩沢って名前が出てきたの?」
「本当は門田さんに連絡を入れたいところなんですけど、狩沢さんの番号しか覚えていなくて」
まったく要領を得ない言葉に臨也が怪訝そうな顔をしたからか、ユウキは少し迷うように視線を泳がせた。
「私が折原さんに会いに行ったことを知ってるのは、いろいろあって門田さんと捺樹くんだけなんですよ。だから、まずは門田さんに会いに行こうと思いまして」
「明日にでも電話やメールで済ませたら?」
「駄目ですね。手軽に済ませて良いものじゃありませんから」
「あと君、さっき『まず』って言ったけど、ドタチンに会った後は知り合い全員に会いに行くつもり?」
「その通りです」
当たり前のように頷くユウキへ、臨也は眉を潜めた。
――さて、どう言い含めよう。
「確かに外出を控えても良いとは思いましたが、全く外出をしないとは言っていません。あくまでしばらくバイトはしないと言っただけです」
「でもねぇ、池袋の知り合い全員に会いに行くともなると、2時間かそこらじゃ終わらないよ。安静にしておいた方がいいっていう俺の話、聞いてた?」
「だから、別に1日で全員に会おうなんて考えてません。とりあえず、今日は門田さんに会って、明日携帯電話が返ったときに他の人たちとも連絡をとって、」
「結局会いにいくんだろう?それ少しも外出控えようと思ってないよね」
臨也が呆れたようにそう言うと、ユウキは考えるように口を閉じた後、
「まあ、そういうことになりますね」
あっさりと開き直った。
自分の立ち位置なんて実はそれほど変化していないのかもしれない。そう臨也に思わせるほど、潔い返事だった。
「どうせ夕飯の買い出しにもいかないといけませんし、外出をまったくしないだなんて無理ですよ」
「……わかった」
逆に言い含められている臨也だったが、これ以上引き止めるとユウキが無言で飛び出しかねない。
それならば、多少条件を付けて自分が折れる方がマシだと、渋々許すことにした。
「その代わり、5時までに帰ってきて」
「……折原さんは私のお父さんか何かですか」
今さら門限って。
そう若干引いたように呟くユウキだが、ゴールデンウィークの二の舞だけはどうしても避けたいのである。
となると、日が落ちるまでに帰ってくるのが一番安全だと思ったのだ。
その後もいくつか条件をつけ、ユウキが狩沢に連絡を入れた頃には、午後3時半を回っていた。
(五分の一家族感)
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