楽影ジム



 昼 池袋某所 楽影ジム



 舞流ちゃんたちに連れてこられた『道場』――池袋内にある楽影ジムは、老若男女関係なしの総合ジムらしい。
 そして二人の話を聞いている限り、経営は家族ぐるみで行われているらしく、トレーナーの三兄妹がまた強いのだとか。
 高校在学当時から格闘技を習っておけばよかった、と何度も後悔していた私からすれば、生まれてからずっと武術を極め続けているだなんて憧れ以外の何物でもない。
 しかし、舞流ちゃんの『道場』という言葉に、少し腰が引けてしまったのも事実だ。
 そんな硬派な場所へ私のようなひよっこが予約も無しに行っていいのか、少しばかり本気で躊躇ってしまった。そんな私に舞流ちゃんは、

「いけるいける!軟派っていうか、武闘家の風上にも置けないセクハラ師匠がいるくらいだから!」

 と言ったけれど。
 ……うん、確かに格闘技ができる=硬派ではないかもしれない。喧嘩は強いけど軟派の塊みたいな人もいるから。
 それでもセクハラ師匠って、散々な言われようだ。
 

「でも、やっぱり私、場違いのような」 


 舞流ちゃんが更衣室で空手着に着替えている間、外から室内(練武場というのだろうか)を見渡しているだけでどっぷりと空気に呑まれていた。 
 中で行われている稽古はもちろん、聞こえてくる掛け声や力強い打撃音が加わる事で、素人の私は呆気にとられるしかない。というか正直張りつめた空気がちょっと恐い。
 やはり掲げている『ジム』という呼び方よりも、舞流ちゃんの言っていた『道場』という言葉の方がしっくりくる場所だった。


「問(大丈夫)、無(ですよ)」


 隣で同じように中を覗いていた九瑠璃ちゃんへ、だと嬉しんだけど、と返事をしたとき。
 不意に背後から「え?」と女の子の声が聞こえた。聞きおぼえがあるような、ないような。そんな曖昧な認識で振り向くと、そこにいたのは髪の短い可愛らしい女の子。
 間違ってもスタンガンなんか似合いそうにない――お人形のような女の子が、こちらを見つめて目を丸くしていた。


「……え」


 一か月前の記憶を掘り起こして、熱にうなされていた少女のことを思い出した。
 

「アカネ、ちゃん……」
「お医者さんのおうちにいた、お姉ちゃん?」


 お互いにお互いのことを確かめあって、やっぱりあのときの、と足を踏み出す。
 結局ろくに話もできなかったけれど、そしてその後の騒動で考える余裕もなかったけれど、とりあえず元気そうなその様子に安心した。
 しかし、事の顛末を見届けていない私には拒絶された覚えしかなくて、自然と足も止まってしまう。
 

「あのときは怖がらせちゃって……ごめんね」
「う、ううん……!」


 小走りでこちらに駆け寄って来た茜ちゃんは、私の想像に反してふるふると首を横に振った。


「お姉ちゃんが悪い人じゃないって、わかったから……。その、ごめんなさいって、ずっと言いたくて、」
「茜ちゃん、早く!」

  
 練武場から聞こえた声に驚いたような顔をして、茜ちゃんは私と室内を見比べる。
 対する私はと言えば、彼女にそう言ってもらえたことがとても嬉しかった。
  

「今から稽古なんだね」


 膝を屈めてそう言うと、茜ちゃんは困惑気味に頷いた。


「じゃあ、早く行かないと。話はいつでも聞くから」
「本当?」
「本当、しばらく通うつもりなんだ」


 まあ、今決めたことなんだけど。


「だから、また時間のあるときにね」
「う、うん!」


 彼女が「またね、お姉ちゃん」と笑顔で走って行くのを見送り、何だかほっこりとした気持ちで立ち上がる。
 あの様子なら、次に会ったときにどうなったのかも聞けそうだし、何より警戒を解いてもらえたのがもの凄く嬉しい。通おう、絶対ここ通おう。


「彼(あの子のこと)……知(知ってるんですか)?」


 小さく首を傾げた九瑠璃ちゃんに「ちょっとね」と頷くと、再び背後から「あの人だよ、師匠!入門希望者!」と元気いっぱいな声が聞こえてきた。
 舞流ちゃんが戻って来たようだ。というより、今師匠って聞こえたような気が……。
 ここに来るまでも同じ言葉を聞いたなぁと何とも言えない心境で振り向くと、黒い空手着を着た舞流ちゃんと、不精髭を生やした男がこちらへ向かって来ていた。
 男の方はひとまずおいておくとして、黒ぶち眼鏡と三つ編みなのに空手着というギャップへ感動してしまった。
 

「舞流ちゃん、格好良いっ」
「ホント!?ねえねえクル姉っ、今ユウキさんが私のこと格好良いって!格好良いって!!」
「良(よかったね)」
「入門希望者っつーより、ただのミーハーじゃねえか」


 もっともなことを言われ、さすがに居ずまいを整える。茜ちゃんと会うために通うのだから、やっぱり礼儀はきちんと……。
 いや、本当の目的は自己防衛のためだった。せめて最低限の身の守りはと思ってここに来たんだった。忘れてどうする。 
 
 本来の目的を思いだして、トレーナーだろうその人の方へと身体を向けた。
 

「舞流ちゃんの紹介で見学にきました、野崎ユウキです」


 そのまま怪我のせいで稽古はできないが、治り次第参加させて欲しい旨を伝えると、その人は「そいつは構わねえけどよ」とあっさり頷いた。
 ……まあ、道場とはいえジムなのだし、断られるとは思っていなかったけれど。


「俺としちゃあ、アンタみたいなのがこんな淫乱娘と知り合いってことが解せねえな」
「いんら……」


 門下生(という呼称があっているのかどうか)になんてこと言ってるんだこの人。
 舞流ちゃんの言うとおり、これは軟派というよりセクハラに近い。
 そう私が眉を潜めていることも気にせず、舞流ちゃん本人は「師匠、それ訴えたら私が勝てる発言だね!」と特に不快でも何でもない様子。


「常(いつもの)、交(やりとりです)」
「へえ……」 


 九瑠璃ちゃんの注釈に相槌をうって、本当かと二人を交互に見たときだ。
 舞流ちゃんが授業で質問に答えるような気軽さで口を開いた。


「ユウキさんは、イザ兄と一緒に暮らしてるんだよ!」
「なんで今それを言ったのッ」


 別にもう無理に隠す必要はないかなと思ってはいたけど、それでも言う必要がない時は言わなくていいんじゃないだろうか。
 それに、舞流ちゃんがそれ言うってことは確実にこの人、折原さんのこと知ってる……なんてフォローすれば……。
 とりあえず、一緒に暮らしてはいるけど付き合っていない、そういつも通りの釈明を加えようとした。のだが、師匠さんの表情を見て、言葉に詰まった。


「あのゲス野郎と……」


 そう呟いてこちらを見る師匠さんの目に、少しばかり殺気が籠っているような気がしたのだ。武闘家のそういうものは、本当に洒落にならない。身をもってそう知った瞬間だった。
 あの人はまた何をしたんだ、こんな人に……ッ。
 でもそれで私を睨まれても困るんだけど。そうどうしたものかと一歩退いたとき、舞流ちゃんが「そう!羨ましいよねー!」と師匠さんと私の間に入って来た。


「でもユウキさんたち別に付き合ってるわけじゃなくってね?
 いろいろ複雑みたいだから、とりあえずイザ兄が変なこと、むしろやらしーこと?してこないように、自己防衛できるようになりたいんだって!」
  

 違うような、違わないような……いややっぱりそれは違う。そう思いながらも、余計なことを言える雰囲気ではないので、口をつぐんでおいた。
 それが正解だったのか、師匠さんは「そうか……わかった」と何故か神妙な顔で頷きながら、私の肩を2、3度叩く。
 まあ、とりあえず、剣穏とした空気が消えたことに安堵しよう。そうして息を吐きかけたのを――二の腕に込められた力が遮った。

 え、なんで私、師匠さんに腕掴まれてるんだ。


「怪我が治ってからなんて悠長なこと言ってる場合じゃねえ!俺が今からあの野郎を蹴っ飛ばせる技、教えてやらぁ!」
「わー師匠が珍しく教える気満々!っていうかイザ兄ってやっぱりどこでも嫌われてるんだね!」
「哀(可哀そう)……」
「つーか付き合ってねえくせにこんな子と同棲とかふざけんじゃねえ!!」
「それはただの僻みだよ!?っていうかもうユウキさんに触んないで!下心しか見えてないから!」
「というより、そもそも私怪我治ってませんからッ!」


 さすがに身体のメンテナンスは整えてから、挑ませてください。あと私着替えてないから、スカートだから。

 

 (楽影ジムにて、再会と初対面)   
 


「格闘技に格好なんざ関係ねえんだよ!」「だから師匠、下心しか見えてないんだってば!」 

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